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オムライスと『天体観測』

オムライスと『天体観測』


大学二年の秋、俺たちは暇だった。正確に言えば、暇ではなかった。俺は翌週までに提出するレポートが二本あったし、中川は一週間後にバイト代が入るまで三千円で生活しなければならなかった。岸本に至っては、一限の出席回数がそろそろ危ないらしい。やらなければならないことは、それなりにあった。ただ、二十歳の俺たちは、それらを「今日やること」には数えていなかった。


「カラオケ行かへん?」


講義が終わって、中川が言った。


「金ない言うてなかった?」


「学生料金やったらいける」


「三千円しかないんやろ」


「三千円もある」


「一週間やぞ」


「未来の俺が何とかする」


「その考えで先月も俺から金借りたやろ」


「返したやん」


「給料日に」


「何があかんねん」


岸本が鞄を肩にかけた。


「俺、腹減った」


「じゃあパレット行こうや」


「何で腹減ってカラオケやねん」


「あそこ飯あるやろ」


「学食でええやん」


「もう閉まってる」


「コンビニ」


「味気ない」


「金ない奴が贅沢言うな」


そんな話をしながら、結局三人とも同じ方向へ歩いていた。


摂陽大学から五分ほど。駅へ向かう学生なら知っている、古いカラオケ屋がある。


《KARAOKE HOUSE PALETTE》


青と赤と黄色の看板。階段の入口には手書きの黒板が置いてあった。


《学生さん 昼料金お得!》


その下に、


《ピラフあります》


と書いてある。


「何でピラフだけ宣伝してんねん」


岸本が言った。


「知らん」


「うまいん?」


「普通にうまいで」


「普通なん?」


「うまい」


「どっちやねん」


「普通にうまい」


階段を上がる。扉を開けると、煙草と芳香剤の匂いがした。どこかの部屋から歌声が漏れている。


受付には五十代くらいの男がいた。


「三人?」


「はい」


「学生?」


「摂大です」


「見たら分かる」


「ほな何で聞いたんですか」


「学生証出して」


「結局いるんや」


男は学生証を三枚確認した。


「何時間?」


「三時間」


「暇やなあ」


「大学生にも色々あるんですよ」


「三時間カラオケできる奴が何言うてんねん」


言い返せなかった。


「二〇三な」


伝票を受け取る。岸本が受付から離れて、小声で言った。


「愛想悪いな」


「聞こえとるぞ」


後ろから声が飛んできた。


「すんません!」


三人で笑った。


*


二〇三号室。赤いソファ。角の剥げたテーブル。壁には誰が書いたのか分からない落書きを消した跡が残っている。


俺たちは鞄を適当に置いた。


「何歌う?」


「その前に飯」


岸本がメニューを開いた。


「お前ほんまに腹減ってたんやな」


「昼、パン一個やぞ」


「何食う?」


「焼きそば」


「俺ポテト」


「中川は?」


「俺は食わん」


「金ないもんな」


「違う。腹減ってへん」


「一本やるわ」


「ポテト?」


「うん」


「優しさが細いな」


電話で注文する。焼きそば一つ。フライドポテト一つ。コーラ三つ。


「コーラ頼むんかい」


「喉乾くやろ」


「金ないんちゃうん」


「未来の俺が何とかする」


「また言うてる」


歌本を開く。今なら端末で検索するのだろうが、俺たちは本をめくる方が早かった。


中川がぱらぱらとページをめくる。


「何歌う?」


「何でもええ」


「一番困るやつやん」


「BUMPでええやろ」


岸本が言った。


「何?」


「天体観測」


「また?」


「ええやん」


「お前それ毎回来るたび歌うやん」


「歌えるからな」


「理由になってへん」


番号を入れる。前奏が流れた。


「あー、またこれか」


そう言いながら、俺もマイクを取った。


誰が一番うまいわけでもない。誰が一番好きなわけでもない。でも三人とも歌える。そういう曲だった。


岸本が最初を歌い、中川が途中から入る。俺も入る。


「お前そこ違う」


「合ってるわ」


「遅いねん」


「お前が早い」


三人で歌えば、誰が間違えているのか分からない。サビだけ声が大きくなる。


歌い終わる。点数が出た。


「七十九」


「低っ」


「三人で歌って七十九って」


「機械がおかしい」


「最低の言い訳やな」


扉が開いた。


「お待たせ」


女の人が料理を持って入ってきた。四十代か五十代くらい。


「焼きそばどっち?」


「俺です」


「熱いから気ぃつけてね」


岸本の前に置く。


「ポテトは?」


「こっちです」


「はい。コーラ三つ」


「ありがとうございます」


女の人が出ていく。


岸本が焼きそばを見た。豚肉。キャベツ。もやし。紅しょうが。青のり。何の変哲もない焼きそばだ。


一口食べる。


「……うま」


「ほんま?」


「うん」


「一口」


「ポテト一本」


「交換なん?」


「当たり前やろ」


俺はポテトを一本渡した。焼きそばを少しもらう。


「あ、うまい」


「やろ」


中川がこちらを見る。


「俺も」


「お前、何も出してへんやん」


「コーラ一口」


「いらん」


「友達やろ」


「そういうときだけ言うな」


結局、岸本は一口やった。


「うま」


「何でカラオケ屋の焼きそばがこんな普通にうまいんやろ」


「褒めてんのか?」


「褒めてる」


特別なものではなかった。ものすごく太い麺でもない。見たことのないソースでもない。変わった具材も入っていない。ただ、注文してから誰かがキャベツを切って、肉と麺を炒めて作った味がした。その程度のことが、妙にうまかった。


「ピラフもこんな感じ?」


岸本が聞いた。


「ピラフはピラフ」


「説明下手か」


「今度食え」


「今度な」


俺たちはそのあと、何曲歌ったか覚えていない。ミスチル。ポルノグラフィティ。アジカン。中川が女の歌を無理な高さで歌って途中で死んだ。岸本が知らない洋楽を入れて誰も歌えなかった。俺が昔のアニメの曲を入れて二人に馬鹿にされた。


それから、もう一度『天体観測』を歌った。


「また?」


「さっき点数低かったから」


「再挑戦すんの?」


「八十超えようや」


「目標低いな」


今度は八十三点だった。


「勝った!」


「何に?」


「機械に」


「さっき負けてたん?」


「知らん」


笑った。どうでもよかった。


*


三時間は長い。けれど大学生三人で使うと短い。最後の三十分になると、急に歌いたい曲が増える。


「あと何分?」


「二十七分」


「四曲いける」


「無理やろ」


「短いやつ入れろ」


「何やねん短いやつって」


結局、三曲半歌った。


受付へ戻る。さっきの男が伝票を見る。


「延長は?」


「しません」


「即答やな」


「金ないんで」


中川が言った。


「お前コーラ飲んでたやろ」


「必要経費」


「何の?」


「カラオケの」


三人で割り勘する。十円単位で揉める。


「俺、百円多くない?」


「焼きそば食ったやろ」


「お前も食ったやん」


「一口や」


「ポテト一本やった」


「ほな相殺や」


「何が?」


受付の男がため息をついた。


「大学生三人集まって百円で何分揉めんねん」


「百円大事ですよ」


「社会人なったら分かる。どうでもようなる」


「ほんまですか?」


「知らん」


「適当やな」


「はよ払え」


外へ出た。もう暗かった。九月の夜は、昼間より少しだけ秋に近かった。


「次いつ行く?」


岸本が言った。


「来週?」


「俺バイト」


「再来週」


「俺レポート」


「今日やれや」


「お前もあるやろ」


「来週の俺がやる」


「未来の俺ら優秀やな」


「全部やってくれる」


三人で笑った。


大学の近くで中川と別れた。


「明日一限な」


「分かってる」


「来いよ」


「お前がな」


「岸本、お前もやぞ」


「俺もう危ないから絶対行く」


「それ先週も聞いた」


「明日は行く」


手も振らなかった。明日また会うからだ。次の週にも会う。その次にも。大学を卒業しても、たぶん会う。


そのころの俺たちは、友達というのは会わなくなることの方に理由が必要だと思っていた。何もなければ、ずっと会う。そんな気がしていた。


*


岸本から連絡が来たのは、十九年ぶりだった。


《久しぶり。今度そっち帰るんやけど、時間ある?》


最初、誰か分からなかった。スマートフォンの画面に表示された名前を二度見した。


岸本拓也。


「……うわ」


声が出た。


連絡先は残っていた。残っていたことすら忘れていた。


大学を卒業してから何度かは会った。二十五くらいまでは。中川の結婚式でも会った。


それから岸本は東京へ行った。俺は大阪に残った。中川は兵庫に住んだ。


誰かが喧嘩したわけではない。嫌いになったわけでもない。ただ、会わなくなった。それだけだった。


《あるで。いつ?》


返す。


数分後。


《25日》


《どこ行く?》


しばらく返事がなかった。


やがて、


《パレットまだある?》


来た。


俺は画面を見た。


「……あるんかな」


知らなかった。大学を卒業してから、あの辺りへ行くこと自体がほとんどなかった。


調べる。出てきた。


《KARAOKE HOUSE PALETTE》


「あるやん」


写真を見る。看板。古い階段。見覚えがある。


ただし、受付の写真は知らない。料理の写真がやたら多い。オムライス。中華丼。うどん。ケーキ。


「……何やこれ」


カラオケ屋を調べたはずだった。


岸本に送る。


《ある。なんか飯屋みたいになってる》


《そこにしよ》


《何時?》


《昼》


《カラオケ昼から行くん?》


《昔も行ってたやろ》


確かに。


《中川も呼ぶ?》


返信が少し遅れた。


《連絡先分かる?》


《たぶん》


俺は中川の名前を探した。あった。


最後のやり取りは六年前だった。年賀状をやめるとか何とか、そんな話だった。


《久しぶり。岸本が帰ってくる。25日パレット行かへん?》


送った。


翌朝、返事が来た。


《仕事。無理やわ》


それだけ。


《そっか。また今度》


《また誘って》


《了解》


また今度。昔から便利な言葉だ。


*


十九年ぶりのパレットは、階段から始まった。


「……こんなんやったな」


独り言が出た。


壁は塗り直されている。手すりも新しくなっている。それでも狭い。一段一段が妙に高い。


途中に写真が何枚か飾られていた。学生の集合写真。店の前で撮った写真。厨房らしい場所で、白い帽子をかぶった男と鍋を持った女が写っている。


《パレット厨房、開店の日》


「厨房?」


昔からあっただろう。意味が分からない。


扉を開ける。煙草の匂いがしなかった。まず、それに驚いた。代わりに何か焼いている匂いがする。


受付にはタブレット。その横には、なぜか古い電話も残っている。


「いらっしゃいませ」


男がいた。四十代くらい。知らない顔だ。


「予約してる藤本です」


「藤本さん……はい、十二時から二名ですね」


「はい」


「お連れさん、まだみたいですね」


「待ちます」


受付の横を見る。昔と同じような場所にソファがある。座ろうとして、ふと思った。


「すみません」


「はい」


「昔、ここにいた店長さんって」


男が少し考えた。


「どのくらい昔です?」


「二十年くらい」


「ああ」


男が笑った。


「親父ですね」


「親父?」


「高瀬正治。朝なら今もいますよ」


「まだいるんですか」


「います。夜は禁止してますけど」


「何で?」


「一回倒れたんで」


「あ……」


「でも元気ですよ。朝六時から働いてます」


「六時?」


「止めても来るんです」


笑った。その笑い方で、何となく親子だと分かった。


「じゃあ、今の店長さんは?」


「俺です。高瀬洋介です」


「息子さん」


「はい」


「昔いました?」


「たまに。大学出てからはほとんど店にいませんでしたけど」


「全然覚えてないです」


「でしょうね。俺も覚えてないです」


そこへ階段から声がした。


「藤本?」


振り返る。


男が立っていた。白髪が少し混じっている。腹も出ている。一瞬分からなかった。


「……岸本?」


「お前、太ったな」


「お前もや!」


十九年ぶりの最初の言葉がそれだった。


*


二〇三号室だった。偶然なのか、洋介が気を利かせたのかは知らない。


部屋に入って、二人とも止まった。


「……こんなんやった?」


「もっと汚かった気する」


「失礼やろ」


「ソファ赤かったよな」


「赤かった」


「壁もこんなんやった?」


「知らん」


「何覚えてんねん」


「お前こそ」


二人で座る。昔なら三人でちょうどよかったソファが、二人でも狭く感じる。


「中川は?」


「仕事」


「そっか」


「また誘って言うてた」


「ほな次やな」


「うん」


また今度。口には出さなかった。


岸本がメニューを開いた。数秒、黙った。


「……何やこれ」


「俺もネットで見た」


「中華丼?」


「ある」


「麻婆豆腐?」


「あるな」


「きつねうどん」


「それは昔もあったんちゃう?」


「覚えてへん」


「ケーキまであるぞ」


「それはなかったやろ」


「ショートケーキ、チーズケーキ……」


「カラオケ屋やんな?」


「看板はそうやった」


ページをめくる。昔の焼きそばもある。ピラフもある。


《昔ながらのパレットピラフ》


「あ」


「何?」


「ピラフ」


「まだあるやん」


「食ったことある?」


「たぶん」


「俺、焼きそばしか覚えてへん」


「俺も」


さらにページをめくる。そこで止まった。


《洋介のオムライス》


写真が載っている。黄色い卵。ソース。どう見ても、俺たちが知っている昔のパレット飯とは違う。


「これ昔あった?」


「ない」


「絶対?」


「絶対ない」


「じゃあこれにしよ」


「何で?」


「知らんやつ食いたいやん」


十九年ぶりに来て、懐かしいものではなく、知らないものを選んだ。


オムライスを二つ注文した。


*


先に歌うことにした。


「何歌う?」


「知らん」


「最近何聴いてる?」


「車でラジオ」


「俺も」


「歌える?」


「無理」


「最近の歌、難しすぎへん?」


「言葉多いねん」


「分かる」


「息するとこないやろ」


「若い奴、肺どうなってんねん」


二十歳のころ、同じ部屋で「最近の歌」を歌っていた。今は「最近の歌」が歌えない。


「昔のにしよ」


「何?」


岸本が端末を触る。


「あ」


「何?」


画面を見せた。


BUMP OF CHICKEN。


『天体観測』


「……うわ」


「これやろ」


「まだ歌えるかな」


「歌えるやろ」


「十九年やぞ」


「曲はもっと前やろ」


「そうやけど」


予約した。前奏が流れる。


その瞬間、二人とも笑った。


「これや」


「これやな」


歌える。普通に歌える。一番の最初から出てくる。


岸本が少し早い。


「お前そこ早いねん」


「昔も言われた気する」


「俺が言うた」


「覚えてんの?」


「今思い出した」


サビになる。声が大きくなる。


二十歳のころより高い音がしんどい。息も続かない。それでも歌える。


歌い終わる。


点数。


八十一点。


「上がった!」


「何が?」


「昔八十なかったやろ」


「覚えてんの?」


「何となく」


「十九年かけて二点くらい成長したな」


「コスパ悪いなあ」


笑った。


扉が開いた。


「お待たせしました」


洋介だった。両手に皿を持っている。


「オムライス二つです」


テーブルに置かれた。二人とも黙った。


「……これ?」


俺が言った。


「オムライスです」


「いや、それは分かるんですけど」


黄色い卵は綺麗に形が整っている。上から濃い色のソース。湯気。付け合わせまである。


岸本が俺を見る。


「昔こんなんなかったよな?」


「なかった」


洋介が笑った。


「昔から来てたんですよね」


「大学のころ」


「じゃあ、これはなかったです」


「ですよね」


「俺が作るようになってからなんで」


岸本がスプーンを持った。


「いただきます」


卵を割る。中から湯気が出た。


一口。


「……うまっ」


十九年前と同じ言い方だった。


「ほんま?」


俺も食べる。


「……何これ」


卵。中のご飯。ソース。ちゃんと一緒に食べるように作られている。カラオケのついでに出てくる飯ではない。


「店長さん、料理人なんですか?」


岸本が聞いた。


「昔は」


「どこで?」


「神戸のホテルとか、レストランとか」


「何でカラオケ屋やってるんですか」


洋介が笑った。


「色々あったんですよ」


どこかで聞いたような、聞いていないような言葉だった。


「十年くらい前に戻ってきて、そのとき厨房も全部やり直したんです」


「だから階段の写真?」


「ああ。見ました?」


「《厨房、開店の日》って」


「あれです」


「昔も厨房ありましたよね?」


「ありましたよ。ボロボロのが」


「怒られるで」


「親父も同じこと言います」


洋介が笑う。


「母が使ってた厨房です」


「お母さん?」


「昔、料理出してたの、ほとんど母なんですよ」


俺と岸本は顔を見合わせた。


「焼きそばも?」


「たぶん母ですね」


「俺ら、めっちゃ食ってました」


「じゃあ母、喜びます」


少し間があった。


洋介は普通の声で続けた。


「もういませんけど」


「あ……」


「でもピラフだけは、そのままです」


メニューの《昔ながらのパレットピラフ》を指した。


「俺ら料理人なんで、いじろうと思ったらいくらでもいじれるんですけどね」


「変えないんですか」


「親父がうるさいんですよ」


洋介が正治の声を真似した。


「『普通でええねん、それは』って」


岸本が笑った。


「言いそう」


「知ってるんですか?」


「昔、受付でよう怒られました」


「それは今も変わってません」


洋介が出ていった。


俺たちはオムライスを食べた。


「うまいな」


「うまい」


「焼きそばよりうまい」


「比べるもんちゃうやろ」


「でも昔こんなんなかった」


「なかったな」


懐かしいものを食べに来たつもりだった。たぶん。


でも、俺たちが食べているのは知らない味だった。それが妙に嬉しかった。


「変わってるんやな」


岸本が言った。


「そら十九年やからな」


「もっとそのままやと思ってた」


「何で?」


「知らん」


岸本がオムライスを一口食べる。


「俺らがおらん間も、ここ普通に十九年あったんやな」


「当たり前やろ」


「そうやけど」


俺も食べる。


当たり前だ。俺たちが来なくなったからといって、パレットの時間が止まるわけではない。


正治は歳を取った。奥さんはいなくなった。息子が帰ってきた。厨房を壊した。新しくした。オムライスが増えた。知らない学生がここで歌った。卒業した。また新しい学生が来た。


俺たちの知らない十九年が、ここにもあった。


「中川、来たら驚くやろな」


「次連れてこようや」


「いつ?」


「また今度」


二人とも少し黙った。


それから岸本が言った。


「日ぃ決めよか」


「せやな」


俺はスマートフォンを出した。


「中川に送るわ」


「来月くらい?」


「お前東京やろ」


「新幹線あるやん」


「オムライス食うために?」


「カラオケもある」


「高いカラオケやな」


「未来の俺が何とかする」


俺は岸本を見た。


「まだそれ言うん?」


「何が?」


「いや」


笑った。


中川に写真を送った。オムライス二つ。その向こうに、カラオケの画面。


《天体観測》


すぐ既読がついた。


《何やこれ》


岸本が笑う。


「オムライスや」


《パレット?》


《そう》


少しして。


《めっちゃ変わってるやん》


《うまいで》


《次いつ?》


俺と岸本は顔を見合わせた。


「来月の日曜?」


「ここ日曜休みちゃう?」


「そうなん?」


「ネットに書いてた」


「ほな土曜」


俺は返信する。


《来月土曜どっか空いてる?》


中川から、


《確認する》


と返ってきた。


十九年前なら、そんなことはしなかった。明日。来週。また今度。それでよかった。


今は三人の予定を合わせなければ、会うこともできない。面倒くさい。でも、日を決めればいいだけだ。


「もう一回歌う?」


岸本が言った。


「何を?」


「天体観測」


「また?」


「ええやん」


「毎回来るたび歌うん?」


「次いつ来れるか分からんやろ」


「来月来る言うてるやん」


「まだ決まってへん」


「ほな歌うか」


予約する。同じ前奏が流れる。


今度は最初から二人で歌った。


高いところは出ない。息も続かない。岸本は相変わらず少し早い。俺も相変わらず途中を間違える。


でも、サビだけは二人ともちゃんと歌えた。


歌い終わる。


点数は七十八点だった。


「下がっとるやん」


「オムライス食ったからや」


「関係あるか」


「腹いっぱいやねん」


「言い訳すんな」


二人で笑った。


画面では、次の曲を入れろと機械が急かしている。


俺は端末を取った。


「次、何歌う?」


「何でもええ」


「一番困るやつやん」


十九年前にも、そんなことを言った気がした。


でも、たぶん少し違う。


あのころは、また来週があると思っていた。今は、次に会う日を決める。それだけの違いだった。


テーブルには、十九年前にはなかった空の皿が二枚並んでいた。画面には、十九年前から知っている曲の名前が残っていた。


店は変わっていた。俺たちも変わった。


変わらなかったものを探しに来たつもりだったのに、知らないオムライスがうまかった。


それでいいような気がした。


帰りに受付で、洋介が言った。


「ありがとうございました」


岸本が立ち止まった。


「店長さん」


「はい?」


「土曜って予約取れます?」


「いつです?」


「来月。まだ日ぃ決まってないんですけど」


「夜ですか?」


「たぶん」


洋介が少し困ったように笑った。


「早めに連絡してください。土曜の夜、結構埋まるんで」


「そんな人気なんですか、ここ」


「週末のパレット、舐めたらあかんですよ」


俺は吹き出した。


「何?」


「いや」


昔、受付にいた親父の顔が浮かんだ。


「やっぱり親子やなと思って」


「よく言われます」


階段を下りる。


外は明るかった。


大学の方から学生が歩いてくる。二人組。三人組。笑いながら、俺たちの横を通り過ぎる。


そのうちの三人が、パレットの階段を上っていった。


「俺らもあんなんやった?」


岸本が聞いた。


「もっとアホやったんちゃう」


「お前はな」


「お前もや」


駅へ向かう。


途中の景色はずいぶん変わっていた。知らない店がある。なくなった店もある。大学の建物も増えている。


「藤本」


「ん?」


「来月ほんまにやろうな」


「中川次第やな」


「日ぃ合わせようや」


「せやな」


駅前で別れる。


「ほな」


「おう」


一度歩き出してから、岸本が振り返った。


「日ぃ決まったら連絡するわ」


「頼む」


「忘れたら言って」


「お前が忘れんな」


手を上げた。岸本も上げた。


十九年前は、手なんか振らなかった。明日また会うと思っていたからだ。


今日は振った。次に会う日を、ちゃんと決めようと思ったからだ。


それでも別れ際の言葉は、昔と同じだった。


「ほな、また」


「おう。またな」


今度は、その「また」を未来の俺たち任せにはしないつもりだった。

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