第一部 第二章 11〜12
第一部
第二章
11
午前十時。
「あら、だんだん早起きになってきましたね」
スウェットの上下という寝間着兼普段着で、日向孝之が一階の洗面所を拝借して顔を洗っていると、小森安代が背後から声をかけてきた。
「ええ。この村にきてから寝つきがいいせいか、自然に目が覚めるんですよ」
「じゃあ、ご飯にしましょうか」
安代はふたりの子供が東京に就職して以来、二階の空いている部屋を様々な業者や工事関係者、そしてときには彼のような旅人にも格安で提供している、つまりは人の好いおばさんだった。
いつもふっくらしたラフな服装のせいか、雰囲気的には肝っ玉母さんといった感じだが、太いのはハリのある声だけで、いつも小ざっぱりしていて田舎臭くもない。おおらかでざっくばらんで気の置けないタイプの女性だ。
結婚後、子供ができたときに建て替えたという二階家は、村ではかなり新しめなほうで、安代はその一階で暮らし、二階の廊下伝いにある三室を貸し部屋に充てていた。農業に関しては、六年前に夫を亡くしたときに田畑の大部分手放し、現在は猫の額ほどの畑で趣味程度に続けているだけだという。
二階の三室のうち、廊下奥の一室だけは雑魚寝用の簡素な部屋だが、手前の二室はベッドや家具の備わった、いわば家庭的な(まるでこの家の一員になってしまったかのような)部屋で、いま孝之が住まわせてもらっているのは、その真ん中の一室だった。間取りは雑魚寝部屋が十畳、あとの二室は八畳といったところか。案外広い。キッチンや風呂は一階だが、トイレは二階の奥にもあるので便利がいい。
ちなみに風呂場に続く洗面所に設置された洗濯機は自由に使えるし、ほかには車二台が入る、電気充填装置を備えたシャッター付きガレージ。おまけに二十七インチの自転車まで貸してもらえるので、簡易宿としてはむしろ充分だった。
村にきたとき、ここを紹介してくれた村役場の職員には――微笑みを浮かべてはいたものの、ふらりと立ち寄っただけの他所者だったからだろう、バイブスは真逆だったが――素直に感謝したい。
孝之は、茶色の珠暖簾をくぐってキッチンへ入った。
古びた装飾品や家具が目につくのは、建て替え前の物を大事に使っているからだろう。ソファや卓袱台などもそうで、味わい深いものがある。
隣のリビングのテレビ画面には、今朝も東京で目にするのと同じワイドショーが映っている。はじめのころ、孝之にはそれがちょっと不思議な感じがした。
考えるまでもなく、いまは山奥の村とてテレビは地上波どころか、BSアンテナさえ立てればなんでも観れるわけで、当たり前のことなのだが。にもかかわらず、そんなふうに感じてしまうのは、そしてそれがいささか残念に思えるのは、文明人ゆえのじつに身勝手なアンチ・テーゼなのだろう。
テーブルには安代が並べてくれたご飯に焼き魚、山菜の漬物、味噌汁などが並んでいた。孝之は席につくと、手を合わせてから、ちょっとした幸福感とともにそれらをいただいた(魚は山越え道の谷底にある清流でご近所さんが獲ってきたものを分けてもらい、山菜は安代が大神山で摘んできたものだという)。
完全に肉党の孝之にとって魚、特に川魚は臭味があるイメージで苦手意識が強かったが、新鮮なせいか、さほど苦にはならなかった。ヤマメやイワナの塩焼きは香ばしくてホクホクしているし、アユも甘辛く煮てあると食べやすい。
朝食はたいがい和食だが、安代もふたりの子供を育て上げてきた母親。昼はサンドウィッチなどのパン食、夜は唐揚げやカレーやハンバーグなど、案外ガッツリした食事を用意してくれる。
彼女の家は大神山、つまりは山越え道にもっとも近く、中心部よりだいぶはずれた山側にあるので、外から聞こえてくる様々な夏の音色――風にそよぐ稲穂や水のせせらぎ、田畑の農耕機の音、夏の虫やカエルの鳴き声、どこからか聞こえてくるカジカの旋律など、自然が紡ぎだす音色が食事をよりいっそう美味しいものにしてくれる。
都会が垂れ流す雑音は、人間の聴覚の許容範囲をはるかに超えてしまっているのかもしれない。聞きたい音が聞こえない。聞きたくない音が聞こえてくる。言い得て妙だが、「音」を「声」に置き換えれば、現代社会のそれと通ずるものがある。
そんなことを考えていると、お茶を運んできた安代が、藍色のエプロン姿のまま正面に腰を下ろした。
「あなたみたいな人がもうひとりいるんですよ。突然この村にやってきて、うちとご縁ができた人が」
このあたりの村は方言がさほどきつくないので、スムーズに会話ができるのもありがたい。
「へえ。そうなんですか」
「大学で教授をなさってた方でね。七、八年前に辞められて、それからちょくちょく寄ってくださるようになって。もしかしたら、近々またいらっしゃるんじゃないかしら」
「じゃあ、年配の方なんですか」
孝之はその人物に対して、少なからず興味を覚えた。
「七十くらいかしら。大神神社が重要文化財に指定されたのも、その教授のお蔭なのよ」
「村のために動いてくれたんですね」
「ええ。宮司さんと一緒に調査してくれて。そしたら飛鳥時代の建造物だったんですって」
安代は嬉しそうに微笑むと、大神神社の歴史を事細かに説明してくれた。
こうした天神村にまつわる話をするときに彼女が垣間見せるその笑顔は、茶箪笥の中段に飾られた写真盾のなかの一枚に写っている(横にいるのは亭主だろう、前列には小学生くらいの男の子と女の子が並んでいる)、若いころの彼女と変わらない、穏やかで優しいものだった。言葉の端々から窺える村への愛着は、なにを措いても、家族との日々が凝縮されているからに違いなかった。
「神社までどのくらいかかるんですか?」
「山の中腹だから……そうねえ、あなたなら……」
安代はウーンと唸りながら、いったん椅子にもたれ、孝之に注いだ視線を上下させた。
「三十分……んん、もうすこしかかるかな」
それから、にっこり笑う。
「でも、来たばかりのころに比べると、日に灼けたせいかしら、なんだかだいぶ健康的になりましたからね」
孝之は苦笑しながら頷いた。精神面を鑑みれば、実際そのとおりだった。彼女は知る由もないが。
「頂上まではどうですか?」
「低い山だから倍もみとけば充分よ。でも大神神社のほうが、陰森から大峰山脈まで見渡せて眺めはいいですよ。山頂は丘陵みたいになってて、ヤマナシって呼ばれてるんですけどね、森林に邪魔されてそれこそ空しか見えませんから」
月見里と書いてヤマナシ。里山などでたまに耳にする地名だ。語源は読んで字の如しなのだろう。
「なるほど。その山頂からの道はないんですか」
「登山道はないわね。でも獣道っていうか、斜めに下りれば山越え道の途中に出られるみたいですけどね。逆に稜線伝いに歩けば、吉野や熊野、高野山のほうにもいけるって話ですよ」
「え。いまでもそんな人いるんですか」
安代は扇ぐように手を振って、可笑しそうに笑った。
「昔の話よ。山に籠って修行する人たちがいたころの。行者たちの奥駆けルートですからね」
それも聞いたことがあるような、ないような。それくらい、日本には霊山が多い。
「大神山に登るなら、おにぎりでも作っときましょうか?」
「それじゃあ、昼にでもいってみようかな」
村を散歩するのにも飽きてきたし、白河村や黒滝村もサイクリングで足を延ばしたし、ちょうどいいかもしれない。
大神神社を参拝したら、そろそろ村を出るとしよう。
12
午前十時三十五分。
三郷村役場に設置された来客用の簡素な長椅子では、市川政夫と、すぐ隣の三郷簡易郵便局の局員、中村芳郎が向かい合って話し込んでいた。政夫はネクタイこそしていないが、公務員然としたシャツとズボン。芳郎は郵便局の配達員が着用する紺色の制服という、いつもの恰好である。
村役場と簡易郵便局はほぼ同じような造りで、木枠のガラス扉を開けると木製の受付カウンターがあり、その内側が仕事場になっている。デスク、キャスター椅子、ロッカー、棚など、備品はすべて業務用。それに自前の冷蔵庫。どれも灰色かクリーム色だ。
どちらも古い木造建築でだいぶくたびれてはいるが、レトロな感じを残したいという村民の意見で建て替えは一度もされていない。ついでにいえば隣奥の公民館、並びにある診療所、対面の駐在所、それと三校も基本的に昭和に建てられた姿のままである。
政夫は、そうした風潮が嫌いだった。古い物をありがたがるなんて、まるで都会の連中みたいじゃないか。もちろん、実用性や安全性に応じたリフォームは施されているので文句はないが。そうでなければ働いてるほうはたまらない。
もっとも政夫や芳郎のところもそうだが、外観だけでいえばこのあたりの村は約半数が昔ながらの日本家屋だ。
ただし、農家の基本構造――外門無し、大和造りの屋根、漆喰の外壁、正方形四部屋の間取りを守っている家はいまや少ない。屋根瓦を軽くしたり、外壁を塗り替えたり、間仕切りを変えたり、玄関を引き戸からドアに変更したり、外門をつけたりと、改築している家がほとんどだ。すなわち本当の意味での古民家は全体の三割にも満たない。しかし、家屋は平屋か、二階建てしかないので、村全体のバランスが崩れるほどではない。
高度成長期の波は、都心部だけでなく、僻地の村にもあったのだ。家屋にかぎらず、農法の改定、農地の整備、道路の舗装。
昔は便所だって全世帯が汲み取り式で、村人たちはそれを田畑の前に置いた桶まで運んで肥料として使っていたというし、農業用水路もコンクリートではなく小川を利用していたという。遊びにいくときは、肥え溜に落ちるなよ、と必ず注意され、悪戯心で蓋を開けようものなら、蠅や蛆や悪臭でひどい目にあったらしい。豊作の家はきっと食い物がいいんだ、という話も聞いたことがある。栄養価の高いウンコは作物がよく育つのだそうだ。
変わったのは村社会もまたしかり。共存共栄よりまず個人。農家を継いだ若い世代を中心に編成される青年団や消防団もいまは名ばかりで、昔のように村の諸事に一致団結してあたるなどということはほとんどない。
糞か最新肥料か、「共存」か「個」か。本当のところどちらがいいのかわからないが、村は村で確実に近代化してきたのだ。
「……そうか、おヨネさん、倒れたのか」
ヨネが入院したことは、村役場の職員である政夫には、朝一番で上杉善吉から電話で報せがあったが、芳郎はいま知ったようだ。
「ああ。善吉さんまいってたよ。おヨネさんがいないと、いろいろ不便だろうからな」
芳郎が鼻白んだ顔で、緩くかぶりを振る。
「そこは自業自得だろ。長年の心労やストレスが一気にきたんじゃないか。昔は建前もあるし、簡単に離婚なんてできなかったからな。おヨネさんの苦労や我慢は、そりゃ半端なかったはずだ」
それは、そうに違いない。
好き勝手やって、気に入らなければ手を上げる。善吉が、そういう男だったことは周知の事実だ。
「診療所の矢沢七瀬がどの程度の医者かは知らないが、治してやってほしいもんだ」
皆が皆とはいわないが、善吉のような典型的な暴君タイプは、あの年代には特に多い。白河村と黒滝村の長老、上野竜次や桜木五郎も昔は似たり寄ったりだったと聞く。どっちも貧相で小心そうな感じだが、家のなかでは豹変したらしい。
それでも一緒に暮らしているのは、住んでいる世界があまりに小さすぎてどうすることもできないから、というのが実情だろう。
村社会、か――。
出入り口のガラス扉に目をやると、百姓灼けした村人たちがチラホラ、正面の田んぼで野良仕事をしているのが見えた。彦坂道夫、関口尚也、藤村治、木本功一……その対面に軽トラックを停めて、畑に歩いていくのは松下宏か。みんな午前中の作業、農作物の搬入は終わっているので、明日に備えての手入れだろう。
林業の作業服は、山中でもわかりやすいようにベージュ系と決まっているが、農作業は各人様々。とはいえ、動きやすく汚れてもいいように、たいがいはポロシャツにジーパンとかだ。あと帽子とタオル。
家と家の間隔が広いので、正面の田んぼはこうして視界に入ってくる。山側の畑は建物の裏になるので見えないが、カウンター内の両端の窓からは、村道に沿って遠くまで見通せる。人や車の行き来、それと、最近は生意気そうな黒猫も……。
七瀬のところの黒猫が――見られているのは先刻承知とばかりに一度立ち止まり、チラリとこっちに目を向けてから――悠々と道路を渡っていった。
来客用の長椅子は、受付カウンターに対して縦に向かい合わせの状態で置いてあるので、出入り口のガラス扉からつねに外を見透すことができる。政夫と芳郎は、何十年もそうやって村を眺めてきた。
「ところで、どうだい、郵便物は? もう白河と黒滝も廻ったんだろ」
「ああ。集配はいくつかあったよ」
冷房はよく効いているが、ヘルメットをはずしてまもない芳郎は、さっきから手近にあった雑誌をつかんで、海苔が貼り付いたようになった頭をパタパタと扇いでいる。鼻をつまみたくなるほど汗臭いが、何十年も一緒にいると多少はそれにも慣れてくる。
芳郎は一日二回、朝夕に各村を廻り、配達とポストの中身の収集をし、前日の夕方のぶんと当日の朝のぶん、それと窓口で受け付けた荷物をまとめて、巡回している吉野郡の郵便トラックに渡している。
三郷全域と範囲は広いが、集配量はさほどではない。ほかの過疎地の山里の例に漏れず、葉書や手紙などの郵便物はめっきり減っているからだ。むしろインターネットやフリマアプリの利用者が荷物を出しにくるほうが割合的には多い。
そんな程度なので、芳郎は集荷があったときだけ局に連絡を入れて、巡回トラックを廻してもらうようにしている。
ほかに業務といえば、老人だけで暮らしている数軒の家から年金の出金を頼まれて、偶数月の十五日過ぎに街のATMに出向いてやることくらいか(これは農協の高石たちが引き受けることもある)。
だから暇なときはふたりして、こうして時間を潰している。どっちも子供はとっくに村を出て独立しているし、妻とふたりなので気楽なものだ。
「そうそう。あんたんとこの清子さんが、大阪の息子に宛てた手紙もたしかに預かったよ」
「ああ。盆の帰省のことか。ふん、年中、電話で話してるくせに」
そのために郵便局のトラックを回してもらうことになったのだとしたら、さすがに身が縮む。
心中を察したのか、芳郎が口角を下げて片手をひらひらと振る。
「ほかにもDMや通販の荷物があったからいいんだよ。天神村に手紙も一通あったしな」
そこで芳郎はいったん言葉を切った。
視線のさきには、郵便局の前に停めた芳郎の赤色の電動スクーターの前を、明石節子と娘の里子が歩いてくるのが窓越しに見えた。
髪の長さと肌の色艶を無視すれば、よく似た母娘だ。節子は農作業を手伝っているので日焼けしているが、里子は車で買い出しに出たりするくらいらしく肌が白い。ふたりとも夏らしい軽装で、里子のほうはサマーニットの胸が目の保養になる。頭のなかで何度もあの胸を吸っては揉みしだいたものだ。隣を見ると、芳郎もそんな顔をしている。
どうも男は年取るとスケベになるきらいがある。若いころよりフェチ的な傾向も強くなっている。
芳郎が、いったん浮かせかけていた腰を下ろした。
母娘が素通りしていく。今日は役所や郵便局に用事があるわけではないらしい。
「盆が近いからな。墓掃除にでもいくんだろ」
駐在所から斉田友康が出てくるのが見えた。
明石母娘と挨拶を交わし、そのまま腰に手を当てて後ろ姿を見送っている。里子の尻を眺めているのかどうかはわからない。あの男も、ここにきてもう五年か。近ごろじゃ、すっかり村の駐在さんの顔になってきた。
「それにしても、あの里子って娘もいい歳して落ち着かないな。結婚してもすぐ離婚しちまうし……家は小金持ちなんだけどな。いまじゃ見合いの話もないらしい」
「そりゃ、そうだろ。俺なら願い下げだね。毎日誰かしらキョ―ダイと出くわすなんてまっぴらだよ」
噂を信じるなら、たしかにそうだ。
「あいつの兄貴がこぼしてたよ。高校で市内にやったのが間違いだったって。そこでいろんなことを覚えちまったんだろ」
そういえば、誰かが酒の席でいっていた――あの女、体はいいがエッチはつまらん、ヤク中女は口でシャブシャブさせとけばジューブン。あれは尾崎か江原の息子だったか(もっとも、あのふたりの言う事は信頼度に欠けるので、鵜呑みにはできないが)。
「そればかりでもないさ。当のその兄貴や実の父親とも怪しいっていうからな。いってみりゃあ、毛利や上杉んとこみたいなもんさ」
「じゃあ一生、出戻り後家のまんまだな」
そんなことを話していたら、視界の端で新しい動きがあった。
田んぼの畦道をやってきた小山俊昭が、道夫の近くで立ち止まり、なにやら話し込んでいる。しばらくすると、泥土に長靴をとられ、重そうな足取りで治や宏や直也が、さらに山根祐介と木内勲が、そしていつのまに現れたのか野呂圭輔もそれに加わる。
農耕機の話でもしているのだろう。炎天下なのにご苦労なことだ。
俊昭が田んぼを指さし、そのまま手を広げ、畑のほうまでその腕を回す。みんな額に手をかざしながら、真剣に頷いているように見える。それを見ていた友康が、一同に向かって軽く手を挙げ、駐在所のなかに戻っていく。
もう、既視感すら湧かない日常――。
「さて」
政夫は腰を上げて出入り口の扉を開け放ち、奥の机から加熱式たばこを取ってきてくわえる。本当は禁煙だが、誰もいないときはわざわざ外には出ない。
「……で、一通あった手紙って誰にだ」
芳郎も扇ぐのをやめて、胸のポケットからタバコのデバイスを出してくわえた。
「ああ。小森さん宛てだよ」
「へえ、安代か。誰からだ」
「……それはいえんよ。守秘義務に反するからな」
芳郎が、わざとらしく肩をすくめてみせる。
政夫は鼻を鳴らした。
「なにをいまさら。東京にいる子供たちからか」
そう。あそこの子供たちは毎年盆か正月、どちらかに帰省する。政夫や芳郎のところより、はるかに遠くに住んでいるというのに。
「いや。違ったな」
「ははあ。じゃあ、あの大学教授か?」
芳郎が体形さながら、脂ぎった笑み浮かべる。
「ひょっとするとあのふたり、デキてたりしてな。でなきゃ、毎年こんな村にきたりしないだろ」
「安代も亭主と死に別れてから、ずっとひとりだからな」
「体は正直だってことか」
「若いころは、けっこうグラマーで色っぽかったもんな」
「ああ。俺もけっこうオカズにしたもんだよ」
こうなると男ふたり、ろくなことをいわない。
こうした小さな村では、守秘義務などあってないようなものだ。噂の真偽はべつにして、とかくその拡がりは速い。気がつけば、知らぬは本人ばかりなり、という次第である。
「そういや、こないだ村にきた男もまだ安代んとこにいるみたいだな」
政夫は苦虫を噛み潰したような気分で、頭をツルリと撫でた。
「ふん。なんかの業者や工事関係者でもないし、なんとか追い返したかったんだが。いまはなにかあるとすぐネットにさらされたりするからな。それでしかたなく安代んとこを紹介したんだが……まさかこんなに長く居つくとは思わなかったよ」
「いや、安代は大歓迎だったかもしれないぜ」
「なるほど。毎晩喰われてるかもしれないな」
煙にむせながら芳郎が噴きだし、政夫もそれに続いた。
声を揃えて笑いながら、ふたりは内心、帰ってから女房に話す話題ができたことを大いに喜んでいた。




