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第一部 第二章 1〜3

 第一部 


 第二章


 1


 天神村の朝は早い。

 農繁期の夏は、大部分の農家が夜明けとともに目を覚ます。鳥がさえずるころには田畑に出る準備を整え、セミがうるさくなるまでは待っていない。早朝から夕方まで、一日中農作業に精を出す。

 夏の収穫物はジャガイモ、トマト、キュウリなど、秋からは米やダイコンやナスが主流で、各農家は前日、あるいは早朝収穫した農作物を、朝八時に公民館でトラックごと待機している農協組合の高石(たかいし)茂雄(しげお)と中谷(なかたに)甲介(こうすけ)のもとへ届けることになっている。もしくは彼らがくる前に、農作物とその納品書を添えたカゴに市場で買ってきてほしい物のリストを付けて、公民館の前に置いておいてもかまわない。

 現在、天神村のほとんどの家が林業に携わっているので、八時半になると、林業組合の現場監督である矢島(やじま)泰三(たいぞう)が、あらかじめ決めておいた日程表に従い、公民館の前に集合した作業員をトラックに乗せて現場へ向かっている。なので農作物の搬入がてら、自分の車は公民館の空地へおいて、そのまま林業に向かう者もいる。

 農業も林業も冬の季節は休みだが、農作業のほうは、春先には雪を融かすために融雪剤を撒いたり、土を耕して作付したりと、収穫に向けての準備がはじまり、林業のほうも、雪融けを待って山に入ることになる。これが秋まで続くわけだが、仕事量が多いのは圧倒的に農業のほうである。

 農業、林業、どちらにも携わっていないのは、三郷駐在所の斉田(さいた)友康(ともやす)と三郷診療所の矢沢(やざわ)七瀬(ななせ)そして大神神社の宗方(むなかた)昇(のぼる)など、もともとこの村には無縁の者たちくらいで、三郷村役場や三郷簡易郵便局、それに奈良県立吉野郡三郷共同分校に勤める職員も、朝の農作業を済ませてから出勤している。

 毎日がそんな調子で、一日は非常にゆったりと流れていく。もしも都会の時計でこの村の一日を計ったとしたら、時間という概念が根本的に覆されるだろう。

 しかしながら、そんな天神村も様々な問題を抱えているという点では、都会とたいして変わりなかった。そして表面化する事実より、隠匿される真実のほうがはるかに多いのも、またしかりだった。自然に囲まれてのんびりしているようには見えても、人が住んでいれば、そこにはおよそありとあらゆる人生が渦巻いているものである。


 2


 午前四時。


 大神神社の宮司である宗方昇は、床のなかでじっと天井を見つめていた。

 天井はシミだらけでところどころに穴が開いている。彼はその古色な模様も穴の数も知り尽くしていたし、時としてそれらが苦しみもがく人の顔や、恐ろしい悪霊のかたちとなって重くのしかかってきても、さしあたり、たいした問題ではなかった。

 なぜなら天井を見上げている彼のほうこそ、ここにやってきたかつての宮司たちと同じように、苦悶に満ちた表情を浮かべていたから……。


 大神神社は大化四年、西暦六四八年創建と伝えられる、古い神社である。

 開基は不明だが、祭神はその名のとおり宇宙の創造神とされるオオツカミが祀られていて、総檜の社殿は神明造(しんめいづくり)や大社造(たいしゃづくり)を併せたような、形式には当てはまらない独特な造りにもかかわらず、確固たる威厳を放っていた。

 拝殿から階段を上がると能舞台ほどの大広間があり(参拝者はここから神殿を拝み、お参りを済ませる)、さらにその正面の階段状の祭壇は、神殿入口の両開きの小さな木の扉へと続いている。扉は永い年月を経て朽ち果てていたが、閂代わりにかけられた注連縄のおかげで、いまでも立派に祭神を護っているかに見えた。

 七年前、宗方が伊勢(いせ)神宮から熊野(くまの)大社への道程の途中で、偶然立ち寄ったこの古社に留まる決心をしたのは、まさにその扉を開いたときだった。

 太陽と月の進路にそって造られた八つの天窓からは、昼夜を問わず光が射しこみ、太い檜の柱で囲まれた神殿には、ある種の霊気が漂っていた。いまにもその光のなかを八百万の神々が降臨してきそうな趣があった。

 正式に大神神社の宮司になってまもないころ、宗方は中央の床板の隙間から、天窓の月明かりを反射するように光が洩れていることに気がついた。村役場の許可を得て床板をはぐってみると、剣、鏡、勾玉、つまりは三種の神器が、山伏が身につける敷皮に似た、獣の毛皮のような物に包まれて納められているのが発見された。おそらく先人がそうしていたように、いまでは三種の神器は御神体として、その上に載せて神殿の中心に祀られている。

 社務所は障子で三つに仕切れる板の間を、宗方は仕切ることなくそのまま使っていた。空間というのは不思議なもので、広くても狭くても落ちつかないものだが、内省を促すという点ではどちらも都合がいいらしい。仕切らなければ三十畳はあろうかというだだっ広い部屋で、彼は寝起きし、禅を組み、祝詞や経を唱え、瞑想に耽りながら静寂のなかに身を沈める。

 電気も水道も通っていないので、明かりはローソクを使い、火は薪を割って熾し、水は山肌の岩盤に湧き出た手水舎の流水でまかなっている。社務所の奥の炊事場には、ガスコンロとそれ用のプロパンガスのボンベも設置されているが、それらは神事の際の炊き出しのときくらいしか使用しないので、ガスボンベは耐圧期限まではゆうに保つし、燃料会社も重い思いをして山を歩荷(ぼっか)する手間もない。

 食生活は、米や缶詰、調味料はさすがに買い置きしているが、山菜は摘み放題だし、村人たちからの差し入れもあるので充分足りている。ドローンの空配も(神域には)必要ない。社務所の脇にある便所の汚物処理(参拝者が使用することは稀なので、もっぱら本人のものだが)も、村の生活に影響が出ない場所を選んで行っている。

 というのも、大神神社はどこの神社にも属していないという性質上、県からの支給金と村人――誰もが氏子のようなものなので――の寄付によって運営しているため、なにかと節約しなければやっていけない。神社の経費は、宗方が年に数回、村の農協の業務のついでに街のATMで引き出してもらっているが、こうしてできるかぎり無駄な出費を抑えているのでなんとか維持できている次第である。そんなわけで彼自身の給金も微々たるもので、経費に自腹を切ることもしばしばだった。

 この神社の宮司を申し出たとき、村人たちは電気や水道を引くよう強く勧めたが、宗方はあえてそれを断った。当然、電話もなければ、携帯電話など持つはずもなく、そういった意味で、彼は自ら極力、文明との接点を断っているかに見えた。

 神社そのものの歴史は飛鳥時代と古いが、社務所が建てられたのは江戸時代後期というから、社殿に比べればまだずっと新しい。神仏に対する信仰が庶民のあいだで大流行したのも、ちょうどそのころのことである。

 昔から土地の神仏を祀る風土は各地にあったものの、本格的に神社仏閣に祈願するのは武士や名士が多く、江戸時代以前はさほど一般的ではなかった。それが室町時代のころから徐々に庶民にも浸透しはじめ、江戸時代になるとなかば熱狂的にさえなってくる。信仰とは(その対象がなんであれ)、世のなかが平和すぎても殺伐すぎても流行る傾向にあるようだが、伊勢神宮などは年間数百万人もの参拝者があったというから、交通手段は足だけ、という当時の状況を考えると、これは驚くべき現象だった。

 やがて各地の寺社はもとより、霊峰霊山への登山者、つまり修験道と深い結びつきを持つ山岳信仰までもが再燃するようになり、ついには参詣旅行として〝講(こう)〟なるものが出現する。〝講〟とは、参加者が一丸となって参拝にいく、いわば団体旅行のことで、旅の行程や宿の予約などは神仏関係の業者が手配していたというから、現代のパックツアーとたいして変わらない。こうした集団性も、遥か昔から人間には備わっていたようだ。

 だが、これによりブームは頂点に達した。

 当時は鳥居と社殿だけの古社だった大神神社も、各地で寺社巡りが盛んになると、吉野、熊野、高野に近いという場所柄も手伝ってにわかに活気づいた。神社仏閣にとっては庶民の信仰心こそ収益源であり、社務所が建てられたり、いまでは判然としないが、山越え道と大神山山頂を直接結ぶ道ができたりしたのもそのころのことだ。

 しかし、一過性のブームが過ぎ去り、時代が大きく変わりはじめた江戸の末期、職業的な宮司がいなくなってから宗方がやってくるまで、この神社はふたたび永い眠りについたのである。


 宗方は身仕度を整え、社務所から境内に出た。

 白装束に烏帽子。これがなければ誰も宮司とは思うまい。髪も鬚をたまに整える程度。ひどいときは浮浪者と大差ない。とはいえ、神に仕える身。湧水を汲み置き、夏はもちろん、凍えるような冬であっても、冷水で禊を払うことだけは欠かさない。

 玉砂利を踏みしめ、手水舎で清めついでに水を呑み、宗方はいつものように眼下を一望できる崖へ向かった。

 崖の縁のところには地蔵が七体、ずらりと並んでいる。神社に仏像の類があっても、神仏習合の時代を経てきたこの国では珍しいことではない。そもそも地蔵とは菩薩であり、一説には神話に出てくる女神の化身ともいわれている。

 違和感があるとすれば、経年の劣化具合からして古い時代から順に置かれていったことと、その右端、おそらくいちばん新しい八体目があった場所には、石の台座部分しか残っていないこと。

 そしてもうひとつ――道祖神であるはずの地蔵たちが、みな境内ではなく眼下の村のほうを、ひいてはそこから広がる陰森のほうに向いていることだった。

 宗方は、地蔵たちと並んで空と大地に祝詞をあげてから社殿を振り仰いだ。

 暁のすがすがしい空気のなか、社殿は荘厳と輝いていた。この時間特有の透明感のある蒼みがかった光の反射が、朝靄と溶け合いながら神社全体を包み込んでいる。

 それにしても、と宗方はいつも思う。いったい誰が、なんのために、こんなところに神社を建てたのだろう……。

 ともあれ、彼にとってここはまさに神域だった。もしも神の領域というものがあるとすれば――あるとすれば、だが。ここは永い心の旅路の果てに、やっとたどり着くことのできた神域だった。

 朝焼けは彼の宮司としての仮面を引き剥がし、その素顔に刻まれた陰影をより深く染めていった。


 3


 午前六時。


 グウゥゥゥ……グオォォォ……。

 三郷診療所の二階の自分の部屋で、ソファに座ってぼんやり左手首を眺めながら、いびつに盛り上がった傷痕を指でなぞっていた矢沢七瀬は、階下からかすかに聞こえてきた、唸り声とも呻き声ともつかない声を耳にして、ハッと我に返った。

 ベッドの上で四肢を投げだし、我が物顔で眠っていた黒猫が億劫そうに顔を上げる。赤い首輪の鈴がシャンッと、一度だけ小さく鳴り、黄色い眸のなかの黒目が丸くなる。が、すぐにクルリと反転。オレニハカンケイナイゼ的なポーズを決めこむ。体をくっつけて甘えてこないところを見ると、カッテニシヤガレ、といったところか。

 一階の診察室には村長の妻、上杉(うえすぎ)ヨネが入院している。就寝中に狭心症の発作に襲われて、昨夜遅く寝間着姿のまま夫の善(ぜん)吉(きち)に付き添われて来院したのだ(正確には入所、来所と表現するのが正しいのかもしれないが、それだと養護施設みたいなので七瀬はそう表現している)。

 入院といっても、診察室の片隅にカーテンで仕切ることのできるスペースを作り、医療用ベッドで対応しているだけなのだが、七瀬は赴任してすぐ、こういう事態に備えて床頭台(病室に設置されているキャスター付の収納具)の代わりにサイドテーブルを両側に置き、一方にライトスタンドを、もう一方に小さなテレビ(傍から見ると心電図のモニターに見えなくもない)と、ナースコールよろしく、二階の自室へ繋がる無線コールを準備していた。

 そもそも病院と診療所の違いは、医療法の医療機関区分法で定められた医療従事者数と病床数の基準にそって決められている。病院は病床が一定数以上、医師のほかに看護師、薬剤師がいなければならないが、診療所は入院用の病床はなくてもいいし、医師がひとりいればよい。なので、要入院の患者が出てしまうと、きちんとした処置ができないばかりか、本来の業務にも支障をきたす。

 狭心症は軽い発作ならさほど心配することはないが、七瀬はヨネの年齢やほかの可能性を憂慮して(心筋梗塞のみならず、脳梗塞の懸念も含めて)、とりあえず一晩様子を診てから、知人のいる奈良市内の病院で本格的な検査を受けさせるつもりだった。

 診療所には本格的な治療を施す設備はない。病状によっては街の病院から救急車を廻してもらうか、自分たちでそこまでいかなければならない。七瀬がきてからは幸いそこまで切迫した状況はなかったが、いざとなったら救急車を呼んで往復の時間を無駄にするよりも、自分たちの車で運んだほうがはるかに速い。救急やオペに対応できる最寄りの病院ですら、片道一時間以上はかかるのだ。それを少しでも未然に防ぐには街の病院で定期的に検診を受けるほかないのだが、それでも都市部に住んでいれば助かるはずの命が田舎では救えないというのが現状だった。

 発作――心筋梗塞?

 しかもコールも押せないほど重症だったら……いまから車で街まで運んでも、間に合わない!

 七瀬はドア横のハンガーパイプから白衣と聴診器をひったくり、寝間着代わりにしているトレーナーの上に羽織りながら階段を駆け下りた。白衣の内側で、リットマンのブラックヘッドの聴診器が、クロスのネックレスと激しくぶつかり合う。スリッパなんて履いている余裕はない。

――どうか助けてやってください!

 昨夜の善吉の切実な声が胸をよぎる。

 診察室に駆け込み、照明のスウィッチを押す。蛍光灯がジジッと、音をたてて瞬きだす。狭心症の薬はニトロペン。七瀬は明かりが行き渡るのを待たずに、そしてヨネを診るよりさきに、正面のデスクの後ろ、薬品棚に直行した。が、そのとき断続的に聞こえていた呻き声がやんだ。

 ゾッとした。手遅れだったか……一瞬、そう思った。

 同時に、もう車をとばして街までいく必要もないという安堵感が、心のどこかに浮かんだ。もちろん本気でそんなことを考えたわけではない。あくまでも意識下のなかにひそむ数多のつぶやきのひとつとして。なので非難に値するほどのものではない。

 七瀬は髪を後ろで束ねながら右手奥に進むと、ベッドを仕切っているカーテンを開いた。

 ヨネは眠りについたときと同じ格好で横たわっていた。

 タオルケットをめくり、パジャマの胸元を開いて、軽く聴診器を当てる。

 鼓動は規則正しく、異常は診られない。

 大丈夫。夢でも見たのかもしれない……。

 サイドテーブルの抽斗からエアコンのコントローラーを取りだし、クーラーの温度をすこし下げる。連日の猛暑で、今朝もすでに相当気温が上がっている。

 七瀬は折り畳み式のパイプ椅子に腰掛け、老婆の薄くなった白髪をそっと撫でた。 

 皺だらけの顔……七十五才のヨネは、五才年上の善吉よりむしろずっと老けて見える。まだ車椅子が必要というほどではないが、街の病院に入院する際は、ポータブルトイレか、場合によってはバルーン――膀胱留置カテーテル(膀胱に管を通し、抜けないように一〇ccの水を流し込み、先端を膨らませて固定。尿を直接ベッドサイドの畜尿バッグに溜めるための処置)も必要になってくるかもしれない。

 加齢臭がわずかに鼻につくのを感じながら、七瀬はふと想った。

 この老婆にも娘時代があったのだ。黒髪を風になびかせ、無邪気に笑い、恋にときめいていた時代が。若い脳は想像力と好奇心に満ちあふれ、心臓は強靭で、足腰は疲れを知らず、その姿は男たちを魅了した、そんな時代が……。

――それが人生だよ!

 どこかでわかったような声がする――。

――君だって、この老婆が手遅れかもしれないと思ったとき、もう街までいく必要もないし、助かる見込みのない患者から開放されて、ゆっくり朝食が食べられる、そう思っただろ? それでいいのさ。

 投げやりな話し方、独特な間――。

――センチになってたんじゃ、医者や看護師は務まらない。助かるものは助かる。死ぬときは死ぬ。オレたちは神様じゃない。いちいち患者の人生まで診る必要はないんだよ。

 どこか寂しげな、ちょっとズルいまなざし。

 七瀬は、その懐かしい幻影から逃れるように固く目を閉じた。それからヨネのタオルケットを直しながら、そっとつぶやいた。

 善吉さんのためにも、長生きしてね。

 さきほど心に浮かんだ安堵感が、すこしでも帳消しになりますように――そんな願いを込めながら。

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