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第一部 第一章

 第一部


 第一章


 1


 東京(とうきょう)を明け方に出たせいで東名(とうめい)高速道路は順調に流れていたが、ヘッドライトに照らされた夜道を走っているうちは、ベッドの片側で眠っている――あるいは眠れないまま夜が過ぎるのを待っている妻の姿を想像して、後ろめたい気分だった。

 海老名(えびな)の手前で雨がぽつぽつとフロントガラスに落ちてきたときなど、本気で東京へ引き返そうかと思ったほどだ。瞬間、玄関のドアを開けて微笑む妻の顔が浮かんだ。だが、この魅力的な考えも、無理やり心の奥底へ押しこんだ。後戻りはできなかった。帰る場所はそこにはなかった。

 それでも空がうっすらと白みはじめるころになると、しだいに心のなかの暗雲も退いていった。相対する光と闇は、人が生きるうえでどちらも必要不可欠なものらしい。名阪(めいはん)国道を奈良県の天理(てんり)でおりて明日香(あすか)に着いたときには、早くも強烈な陽射しのおかげで、いくらかマシな気分になっていた。

 いつもなら観光客に人気の石(いし)舞台(ぶたい)古墳も、今日はうだるような暑さのなかでその本来の姿――つまり大きな墓標として静かに横たわっている。

 日向(ひなた)孝之(たかゆき)はそのまま南下すると、桜の名所である吉野(よしの)から、さらにいくつかの山を越え、最終的には山間の、とある小さな村へいこうとしていた。

 道筋は記憶だけが頼りだが、すこしばかり型式の古いハイブリッドの中型セダンでも、山道には充分対応してくれたし、吉野山を越えて、天川(てんかわ)、洞川を抜けてからは行き交う車もほとんどなく、ドライブはすこぶる快適だった(一度、林業関係の車両と思しき二台のトラックと出っくわしたときは大変だったが――なんせ車一台がやっとの道幅で、また離合するにも、どちらかがかなりの距離をバックしなければならないからだ。だが、ありがたいことに、さきに名乗りを挙げる合図をくれたのはトラックのほうだった。もっとも東京ナンバーの車にバックさせるよりは、山慣れしている自分たちが動いたほうが速いと判断したのだろう。それにしても、先頭トラックの運転手の手際の良さには脱帽した)。

  国道からさらに細い県道への分岐点。廃業してかなり朽ち果てたドライブインのところで、孝之はいったん車を停めた。

 古き良き時代のアメリカのダイナーみたいな店構えで、看板のネオンサインはほとんど抜け落ちて歯抜け状態になっている。かろうじてMとL、最後のほうにRの文字しか残っていない。

 前に見たような憶えはあれど、あれは冬だったしな、とひとりつぶやきながら、深い山道へとふたたびアクセルを踏み込む。

 眠気覚ましにつけたラジオは、古いロックを流しているローカル局をつかまえたが――それが七月の朝にぴったりの曲だったので思わずニヤリとしていると――それもつかのま、林道を進むにつれ雑音がひどくなり、ついにはノイズしか聞こえなくなった。

 彼は助手席に置いてあった加熱式たばこをセットして手にすると、ラジオとエアコンを切って窓を開けた。二の腕を出そうとして、思わず熱せられた窓枠に触れて引っ込める。それを嗤うように、セミの声と新緑の香りが風に乗って入り込んできた。


 2


 天神(てんじん)村の歴史は役場の資料よりなお古い。

 最近になって、村に鎮座する唯一の神社が飛鳥時代に造られたものとして国の重要文化財に指定されたが、それ以前から代々語り継がれた話によって、昔のことを知っている村人も何人か残っていた。

 村の南西部に位置する大神(おおつかみ)山の中腹には大神神社が鎮座し、月見里(やまなし)と呼ばれる頂上まで登れば、尾根伝いに吉野にも、また県境を越えて高野山(こうやさん)や熊野(くまの)にも抜けられる。一方、その反対の北東部には陰森(かげのもり)という森があり、そこから南東に向かって広がっていて、やがて大台(おおだい)山脈へと続いている。

 天神村は、この大神山から陰森まで、山伝いに約五キロの村道(この通りが、いわば村のメインストリートであり、すべての基盤となっている)に沿って田園地帯の広がる、人口三百人足らずの村である。

 村には百軒ほどの民家があり、どの家も自宅近辺に田畑を所有している。村道をはさんで、田んぼ側は平地であるぶん見晴らしが良く、反対に山側には畑が多い。中心部から離れるにつれ田んぼは陰森へ、畑は山肌に呑み込まれるようにすぼまっていき、最後は両端ともぶっつり途切れるように終わっている。

 村への出入りは、通り抜けができないので、大神山の山麗から山越え道を使うことになる。村のはずれからはじまるこの道は、車でおよそ二十分ほど。林道を抜け、さらに県道をいけば、吉野方面と高野山方面へ向かう国道に出ることができる。国道といっても、紀伊山地を延々と横断する道なので、山道であることに変わりはない。

 山越え道は死活問題に直結する道路で、数十年前に大規模な地滑りで道が寸断され、この一帯の村が完全に陸の孤島と化したのをきっかけに、いまもすこしずつ(生活道路なので完全に遮断することができないため)山肌の補強や道幅の拡張工事が進められている。この道の山中には変電所が設置されており、村の電線と尾根伝いにリレーしてきた送電線の鉄塔を結んでいるため、山越え道そのものの整備も重要だった。

 当然のことながら、車がなければ村との生き来は難しい。最寄駅は吉野だが、そこからは国道を走っているバスを利用することになり、山越え道近くの停留所で降りたとしてもそこからは徒歩、あるい車で迎えに来てもらうしか方法がない。海沿いの村ならまだしも、山間の村はそんなところが多いのだ。

 地理的には奈良県の奥地で、和歌山県と三重県の境界線に位置しているが、林間整備の工事関係者や、衣食住やライフラインに携わる町の業者などを抜かせば、国道をそれて旅をする旅行者を除いて、まず村に立ち寄る者はない。

 村の、もう一方のはずれにある陰森は広大な原生林で、それゆえいまに至るまで開拓事業などはまったく行われておらず、太古の姿をそのまま残した未曽有の領域となっている。森の向かい側には共同の村営墓地があり、石を重ねて造ったかまどのような跡は村民によって火葬されていたころの名残だが、むろん現在は市や町の葬儀屋が依頼を受けて執り行っている。

  田園地帯を縦横に走るいくつもの小道は、田畑の奥にある民家のための袋小路だが、そのなかで、ちょうど村の中心部にあるT字の三差路だけは学校へと続いていて、さらに進むと二叉路に分かれ、左にいくと白河(しらかわ)村、右にいくと黒滝(くろたき)村という集落に突き当たる。このあたり一帯は、これらの集落と天神村の総称として三(さん)郷(ごう)地区と呼ばれている。

 白河村も黒滝村も、それぞれ民家は五十軒程度。どちらも人口は百人程度と天神村に比べるとはるかに小さな村で、白河村は陰森に、黒滝村は山々に遮断され、ほかの大多数の山里同様、通り抜けはできない。村との行き来には、天神村を経由して山越え道を使うことになる。

 よって、全長にして五キロ弱のこの一本道は、通学路としてだけでなく、三つの村を結ぶ唯一のライフラインとして重要な役割を担っていた。

 学校は正式名称を奈良県立吉野郡三郷共同分校といい、天神村、白河村、黒滝村の子供たちが通う、小中学校を併せた共同分校である。三つの村のちょうど中心に位置するこの学校は、村民からは三校(さんこう)の通称で親しまれ、どの村からも車で三、四分、自転車なら六、七分、徒歩でも十五分程度で通うことができる。

 三校は、木造二階建ての校舎に体育館とプール、運動場の真横には図書館があり、その並びには駐輪場、対面には駐車場が完備されている。教職員は小中学校兼任の校長のほか、小学校に六名、中学校に七名(このうちのひとりがやはり兼任で教頭も兼ねている)、小中兼任の体育、音楽、美術(図画工作)、家庭科の専科に四名、それに事務員兼用務員一名の、総勢十九名で運営されていて、その全員が地元出身者である。生徒数は小中とも各学年十人以上、田舎の共同分校にしてはまずまずの規模で、教職員も生徒も天神村が半数以上、残りは白河村と黒滝村が半々くらいの割合を占めていた。

 実際、この三つの村をひとつにしてしまおうという案もあったが、それを最後まで拒んだのは天神村だった。

 理由は村の規模だけでなく、天神村がこの一帯の起源とする歴史を重視した村民の意志によるものだった。とはいえ、村の合併は助成金などを考えると少なからずメリットもあったし、ほかの村はもとより、天神村のなかにも声なき賛成者はたくさんいた。しかし最終的には、やはり村は歴史を選んだのである。

 三校の隣に併設された三郷図書館は学校の管理運営下にあるが、誰でも利用することができ、休日でも教職員が門を開けている。

 ふだんは村民の憩いの場といった感が強いが、夏休みや冬休み、あるいは入試前になると、受験生が勉強のために集まってくる。中学生になると家業を継ぐか、働きに出るか、あるいは高校に進学するか選択を迫られるわけだが、最終的に毎年ほとんどの生徒が受験を希望するからだ。仕送りの金を捻出できる余裕のある家庭は少ないが、奨学金制度などを利用すれば(奈良県内の寮付きの高校を希望すれば)それも難しいことではない。

 この図書館は三つの村が県に申し出て十年前に建てられたもので、昭和に建築された校舎や体育館に比べるとすこぶる新しく、冷暖房付きの快適な館内には、およそ田舎の村には似つかわしくないほどの、ありとあらゆる分野の本が揃っていた。

 村の主要機関はすべて天神村の中央に集中していて、山側には三郷村役場と三郷簡易郵便局、すこし離れたところには三郷診療所、さらに大通りにあたる村道をはさんで田んぼ側の分校へ向かうT字路のところには奈良県警管轄の三郷駐在所があり、どれも三郷の名称どおり白河村と黒滝村との共同機関としての役割を担っている。ほかに農協と林業も三つの村の共同組合である。

 村役場の横の奥まった場所には、外観も内観も講堂然とした三郷公民館があり、集会や会合はもとより、天神村における農協の集荷集配場所や林業の作業員のピックアップ場所になっている。ちなみに白河村と黒滝村でのそれは、農協と林業、どちらも三校の先、両村の入り口付近で行っている。また、公民館は村内での各種工事や近くでなんらかの工事などがあった際、その拠点として関係者にも開放している。

 公民館の敷地には、農家共有のトラクターやコンバインなどの農耕機や林業用の資材を収納するためのプレハブ小屋があり、農協や林業で使うトラックも空地の部分を駐車場として活用していた。

 村役場の職員はひとりだが、主な仕事は各村内の行事や農林業の情報管理、各種工事日程の確認、三郷合同村営墓地の記録、並びにそれらの詳細や予定などを建物正面のボードに開示するほか、さしたる仕事があるわけではない。戸籍謄本や住民票、年金や生活保護といった行政に係わることは、吉野の市役所が受け持っているので村役場は関与していない。観光地でもない山里の役場の役割は、村の住人の生き死にや転入出を把握していることにある。

 また、簡易郵便局も郵便業務だけで生命保険や金融業務は行っておらず、村民は預貯金の管理や年金受給、生命保険に関しては、県道沿いの郵便局か、街の金融機関を利用しているので、ここも局員はひとりで充分だった。村役場同様、職員がひとりということは、個人情報や金銭にまつわる業務はいっさい扱っていないのだ。

 駐在所は、三郷地域の人口がいまよりいくらか多かった時代に設置されて以降、そのまま継続されていた。本来なら人口千五百人未満の地域には基本的に駐在所は置かないのだが、それだと山越え道から国道付近を含めたこの一帯で警察事案が発生したとき、最寄りの警察署では行き来するのに何時間もかかることになるからだ。

 現在も県外から巡査部長が一名常駐していて、管轄地域は広範囲にわたるものの、こちらもひとりで事足りていた。駐在員の仕事は自転車での見回りと、事件・事故・災害・火災発生時における県警や所轄、消防署への連絡、村の青年団や消防団と連携しての避難誘導、及び事後処理などだが、ここに駐在所ができて以来、大きな事案は一度として起きたことがなかった。

 火災はたいていがボヤ程度。消防車が間に合うはずもないので全焼や半焼もあるにはあったが、家が密集しているわけではないので、大火事になったことはない。災害についても、道路が寸断されたときを除けば、ふだんは台風や大雪に備えて注意喚起を行うくらいで済んでいる。事件・事故の類に至っては、山越え道の先、林道や県道、遠くて国道付近で起きる交通事故の処理が、年に数回といった程度である。

 むしろこうした田舎の村では診療所のほうが重要なのだが、いくら県の助成金で成り立っているとはいえ、赴任してくれる医師がおらず、先人が辞めてからはずっと無人の状態が続いていた。しかし県の厚生課や医師会に根気よく働きかけたおかげで、一年半前にやっと県外から希望者を招致することができた。

 村外者といえばもうひとり。二百年近くも無人になっていた大神神社に七年前、突如としてやってきた宮司も村に住みついた数少ない他所者だった。

 村人の主な収入源は農業と林業で、大多数の農家が兼業農家として稼働している。ひと昔前までは猟師や町に出稼ぎにいく者もいたが、林業が定着してからはいなくなった。

 農作物は米や野菜を中心に、最近では果物など、村の農協組合が一括して奈良県下市(しもいち)市の市場に卸しにいっている。林業の仕事は県内の業者と契約・連携していて、伐採した木はいったん奈良県五條(ごじょう)市の木材加工流通センターに運ばれ、そこから全国に運搬されている。

 一ちゃん農業という言葉のとおり、農業は高齢者にまかせ、ほかの者は違う仕事をしている農家がここでも増えている。その裏には、若者の農業離れという深刻な問題が見え隠れしている。このあたりもほかに産業と呼べるものはなく、若者たちは学校を卒業するとそのほとんどが村を出ようとする。しかしながら、比較的Uターン者が多いのもこの村の特徴である。

 商店は酒屋と小型スーパーとドラッグストアがあり、酒屋はアルコール類や清涼飲料水のほかに菓子や缶詰などを、小型スーパーは冷凍食品などの食品関係全般を、ドラッグストアは薬や化粧品に加えて日用品も扱っている。酒屋と小型スーパーでは、清涼飲料水のほか、煙草の自動販売機も設置している。

 いずれにしても、これらの商店は金儲けが目的ではなく、農業の片手間にやっているだけの、むしろ村民のためのボランティアといった趣が強い。なので村民からのリクエストがあれば、店にない品物でも取り寄せてくれる。

 米や野菜は自給自足か、あるいは鮮度を気にする必要のない加工食品や冷凍食品などと同様、商店に頼めば入手できるが、肉や川魚以外の魚となるとそうもいかない。昔は猟師がいたのでシカやイノシシの肉には困らなかったが、いまでは猟をする者もいなくなってしまったので、近くの街まで買い出しにいかなければならない。

 そこで定期的に下市市の市場へ納品にいっている農協組合が、朝の農作物の集荷時に各家から注文を受けて、帰りに購入してくる業務も引き受けていた。そのため農協のトラックは仕事の少ない冬でも、各村の集配場を回り、定期的に市場へ向かう。市場は精肉や鮮魚はもとより、かなりマイナーな食材まで揃っているのでたいていの物は手に入る。新聞も頼まれれば運んでいるが、朝刊が夕方に届いてもそれで支障をきたすことはない。農協のトラックはおおむね夕方には引き上げてくるので、発注者は集配所で受け取ってそれぞれ精算を済ませることになっている。

 それらと同じくらい重要なのは、各家が家庭燃料として使用しているプロパンガスのボンベ交換やゴミの収集(燃やせるゴミは自分のところで燃やす家が多いので主として資源ゴミ)で、これらは市に委託された専門業者が月に一度巡回して行っていた。

 このように村の生活に車は欠かせないわけだが、ハイブリッド車やEV車の普及は都会よりも早かった。理由は補助金よりも、最寄りのガソリンスタンドが県道へ出てからさらに7キロほど先にあり、それがけっこう面倒で不便だったからだ。とはいえ、ガソリン駆動式の車やバイク、トラックや農耕機などを所有している家は、スタンドまでいける程度のガソリンは常に燃料缶でのストックを心がけている。

 ほかに入手したいものがあれば、いまはもっと便利な方法がある。日本全国、いや、インターネットを使えば世界中からなんでも届くのだ。

 この村は僻地の村としては、さほど不便な環境ではなかった。要はなにを便利とするかの基準と兼ね合いの問題であり、都会並みの利便性を望まなければ――またはあきらめてしまえば、まずまず住みやすいところといえた。


 3


 もうわけないはずだ……。

 いまふたたび、あの村が樹々のあいだから眼下に広がりはじめる。煙の立ち昇る冬化粧の村ではなく、夏の陽射しを受けた緑燃ゆる村として孝之を迎える。

 それは東京で様々な問題が起こる前の家族旅行の想い出とともに、まるで村が彼を待っていたような、あるいは彼が村を待っていたような、そんな奇妙な感覚を呼び起こした。

 やがてあたりを覆っていた樹木が後退すると、山道は両側を岩盤で囲まれたトンネルというか、ブラックホールのような暗闇に吸い込まれていく。その道を貫けると、突如として眩いばかりに陽光を浴びた田園風景が現れ、彼はその道路脇にぽつんと佇む、村名を刻んだ石碑を見つけた。

 天神村――

 孝之は車を降りると、しばし感慨深げにその文字を眺めた。時間を逆行しているような哀切感が大きな波となって彼の胸を満たした。

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