↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/29

第一部 第四章 6

 第一部


 第四章


 6


 藤村光治、松下美香、木本拓也の両親は、三人の友情、あるいはそれ以上の感情を認めてこそいたが、進路の問題においてはそれらに左右されることなく決めてほしいと願っていた。

 三家とも林業との兼業農家。田植え期と収穫期は農業に専念している。それだけに、子供たちが手伝ってくれればメリットは大きい。光治の父親は、まさにそれを期待していたが、美香と拓也のところは進学、ひいては都会へ出ていくことにも一定の理解を示していた。


 *


 藤村治はラフな恰好でリビングでコーヒーを飲みながら、サイドボードの上の壁にくくりつけた立派な牡鹿の角を眺めていた。

 小学校四年生だった光治を、はじめて猟に連れていったときの戦利品だ。あのときは矢島泰三と息子の明も一緒だった。むろん狩猟がどういうものか教えるためで、子供に撃たせたわけではない。しかし、光治は動物を撃つのに抵抗があるようで、あのあとはクレー射撃にしか興味を示さなくなった。進路がはっきりしたら、また光治を狩猟に連れてってみるか。

「最近、光治は浮かない顔をしてるようだが、やっぱり進路のことで悩んでるのか?」

 キッチンのほうから、妻の和子(かずこ)が声だけで答える。

「口には出さないけど、たぶんね。タクちゃんとミカちゃんが進学希望だから無理もないわ。ほかのみんなもそうだし」

 どうやら受験しないのは、うちの光治だけらしい。

 拓也と美香のところは上の子供もいるので、同世代の子を持つほかの家の親よりいくらか年齢が上だ。父親同士、仕事でちょくちょく顔を合わせてはいるが、どのみちあまり子供の話はしないので、そういった情報はもっぱら母親同士の寄合からということになる。

「しかし、光治はなかなか気骨のある男だぞ。いまじゃ十人が十人、都会にいきたがるっていうのに、村に残って農業や林業をやるっていうんだからな」

「でもね、若いんだから都会に憧れるのもしょうがないんじゃないかしら」

「それは、そうかもしれんが……」

「家業を押しつけたりしちゃダメよ」

「わかってるよ。ただあいつが自分の意志で農家を継ぎたいっていうなら、それはそれで嬉しいさ。おまえだって、そうだろ?」

「そりゃあ、そうよ。一人息子だもの」

 その大事な息子の部屋に掃除機でもかけるのだろう。和子が二階へ上がっていく足音がしたので、治はテーブルの上のリモコンでテレビをつけた。

 東京でなにか事件があったようだ。マイクを持ったワイドショーのリポーターが、黄色いテープが張られた道路の前で現場中継をしている。都会とはいえ、よくもまあ、毎日いろんな犯罪が起きるものだ。それも、最近はおかしな事件ばかりが。

 昔も大きな事件はあったが、これほど頻繁ではなかった。その証拠に特異な事件が起きると、一、二週間はずっとそのニュースで持ちきりになったものだ。ところが昨今はどうだ。次から次へと事件が多発するのでこっちも驚かされるわりにはすぐに忘れてしまう。

 近くを通りかかったというだけで、誰彼かまわず話を引きだそうとしているリポーターを眺めつつ、いまや村じゅうで笑い者になっている南原耕平や、ひいてはひと昔前の毛利家のことを想い浮かべながら治は途中でチャンネルを替えた。


 *


 美香の父、松下宏は畑を見回ったあと、外の洗い場で手足を洗ってから家に上がった。

 キッチンのテーブルには冷えた瓶ビールと、採れたてのきゅうりを浅漬けしたつまみが用意されている。千尋の捜索で寝不足だが、今日は林業の当番日ではないのでビールを飲んで昼寝くらいしても問題ない。疲れた体にはありがたい心遣いだ。

 宏はシャツを脱ぎ、ランニングのまま席についた。

「美香は図書館か?」

 エプロンをはずして正面に座った妻の美子(よしこ)に訊いてみる。

「夏休み中は受験に備えて、毎日通うっていってたわよ。まず県内の高校へいって、それからお姉ちゃんのいる東京へいきたいんですって。大学か就職かは、まだ決めてないみたいだけど」

 ふたつのグラスにビールを注いでから、美子とふたり、箸を持って両手を合わせる。

 まずはビールをひと口、次に浅漬けを口に放りこむ。うん。いい出来だ。シャキシャキしていて美味い。

 いつか娘と一緒に、こんなふうに酒でも飲めればとひそかに思ってきたが、現在東京にいる長女とも、ついぞそんな機会は持てずにいる。

 まさに光陰矢の如し。

 子供と過ごせる時間は、思ったよりずっと短いものだ。

「そうか。……拓也や光治はどうするんだろうな」

「タクちゃんは進学を希望してるけど、コウちゃんは村に残るらしくて……美香もそのことでずいぶん悩んでるみたいよ」

「ふーん。若いんだから、光治も村を飛びだすくらいの気構えがあってもよさそうなもんだけどな」

 ビールと浅漬け。喉を鳴らす音とシャキッとした響きが、話の合間を行き来する。

「コウちゃんは小さいときから、よく家の手伝いとかしてたから、村の生活のほうが性に合ってるのかもしれないわよ。それに高校や大学を出ても、いいところに就職できるとはかぎらないし……東京へいったタクちゃんのお兄ちゃんなんか、最近はずっと連絡もないんですって」

「それは心配だな。じゃあ、うちはたまに電話があるだけマシか。……しかし美香のことを考えると、拓也も光治も生活力のあるしっかりした男になってほしいけどな」

「美香のことって……まだ、どっちかと結婚するって決まったわけじゃないでしょ。美香だって、これからどんどんステキな人が現れるかもしれないわよ。東京なんかいったら、なおさらね」

「それはそれで心配だな」

 美子が可笑しそうに笑うのを横目に、宏は夜の都会をうろついている若者たちの姿を思い浮かべてため息をついた。


 *


 木本拓也は昼食を摂ったあと、やはり図書館にいくことにした。

 なんとなく気が進まなかったのは、やはり光治と美香のことがあるからだ。そうはいっても、自分にはどうすることもできないのだけれど。だからなおさらだ。

 さて、なにを着ていこうか。この寝間着代わりにしている、三校のジャージでもいいのだが。小学生と色分けされているとはいえ、やっぱりこの臙脂色はダサいか。兄貴のお古でも着ていくか。

 拓也は支度をしながら、かけっぱなしにしていたCDコンポのボリュームを上げた。兄がよく聴いていた、すでにしてそうとう古いアルバムで、ヴォーカルの妖艶な女性――かと思いきや、男性を中心としたグループだ。

 勉強中は適当に兄のコレクションを棚から引っぱりだして流している。もとは音楽好きの兄が使っていた部屋なので、防音はバッチリ。兄が帰省したときに許可をもらって以来、こっちをメインに使わせてもらっている。間取りも、隣の自分の部屋より二畳ほど広い。

 曲が変わり、それが呼び水となって、拓也は小さくため息をついた。

 胸の奥の鼓動のごとく、チクタクと時が刻まれていく。進路を決めるまで、残された時間はごくわずかだ。

 光治と美香が両想いなのは気づいている。だから、美香が進学を希望したのは嬉しかった。もっといえば、心の底では光治が村に残るのを選んだことも。

 美香も拓也と同じように、高校を卒業したら東京へいくつもりだ。かつて彼女の姉が、そしてその姉と同級生だった拓也の兄がそうだったように。拓也と美香も、恋人として暮らすようになるかもしれない。

 裏切りや略奪という黒い優越感に彩られた魅力的な未来予想図――。

 けれど、そんなふうに考えている自分が自分でイヤになる。

 拓也は友だち想いの優しくて思慮深い中学生であり、同時に噂どおり高いIQの持ち主だった。

 だから彼は、憧れだけで都会へいこうと思っているわけではなかった。それがいかに無謀なことか、彼は兄から学んでいた。

 拓也の兄は奈良市内の高校を卒業後、東京の自動車整備工場に就職したが、ある日いきなり会社を辞めたのをきっかけに、電話や仕送りも途絶えがちになり、ついには所在さえわからなくなった。けっして見捨てたわけではなく、気を病んでしまうからだろう。父の功一(こういち)と母の早苗(さなえ)は最初のころこそ心配していたが、最近はあまり兄のことには触れなくなった。

 アニキはきっと、東京という大都会に負けたのだ。

 あくせく働いてみても、高卒の給料なんて高が知れている。もともと東京っ子で、たいした苦労もせずに暮らしているヤツなんて山ほどいるだろう。真面目に生きるのが馬鹿らしくなるのもわからないじゃない。

 でもそんなの、それこそどこにだって転がっている、あるある話じゃないか。俺は高校を卒業したらいい大学に入って、いい会社に就職して、将来は自分で会社を興す。絶対、アニキみたいにはならない。

 彼は高いIQの持ち主だったが、まだ中学生だった。

 夢を抱く者は数知れずとも成功する者はごくわずかで、またたとえ成功したにせよ、安泰に人生を乗りきっていける確率がいかに低いかということを、彼はいまどこでなにをしているかもわからない兄ほど理解していなかった。

 バタフライ・エフェクトという言葉は知っていても、生きていれば思いもよらないかたちで命を落とす可能性があることなど知る由もなかった。

 図書館にいく支度を終えると、ふと棚の上に埃の被った空っぽのハムスターのケージが目についた。

 兄が昔、街で買って飼育していたときの名残だ。その頃は机の右端に置いていて、夜になるとカタカタとホイールを回す音が隣の拓也の部屋にも聞こえてきたものだ。部屋を覘くと、

――おい、タク。きてみろよ。面白いんだぜ。途中でやめると……ほら、ほらほらほら、勢い余って自分が回転しちまうんだ……んで転げ落ちて……また一所懸命回しはじめて……なあ、これって楽しいのかな、それとも本能なのかな……なんか、哀しいな――

 兄はよく座ったまま、飽きもせずそれを眺めていた。二年ほどで死んでしまったけれど、ずいぶん可愛がっていたように思う。でも、次を飼うことはしなかった。

 ふいに参考書を抱えて図書館に通っていた兄の姿が瞼に浮かんだ。そういえば、自分もよく兄にくっついていったっけ。

 親想い、弟想いの兄は、いまごろ都会の雑踏のなかでなにを想っているだろうか。天神村のことなど、もうとっくに忘れてしまっただろうか。

 ニイちゃん……。

 拓也はしばし窓辺から遠くの空を、兄が見ているかもしれない遥か遠い空を見やった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。