第一部 第二章 15〜16
第一部
第二章
15
午後十二時。
昼休み――。
都会ではサラリーマンたちが、そぞろ街にくりだす時間だった。特にオフィス街は大変な盛況で、あらゆる食事処やコンビニが人で埋めつくされる。混雑した店内、レジ前の長蛇の列……。
そんなことはおかまいなしに、天神村はいつもの昼を迎えていた。
一家の主が林業に出ている家では、昨夜の残り物で済ませるところもあるが、夫や子供のいる家からは食材を切る音も聞こえてきた。
家々の台所から湯気が立ち昇り、食欲をそそる匂いがそこかしこに漂いはじめると、誰もいなくなった田畑にさまざまな動物が姿を現した。
村はなんの制約も受けずに、平和な時を過ごしているように見えた。
16
午後一時。
日向孝之は、車も自転車も使わず、大神山の麓の登山口へ向かった。
小森安代の家は、もっとも大神山側に位置する民家。おまけに村道び大通りに面しているので、それほど遠いわけではない。
天神村は端から端までおよそ五キロの道のりだが、両端はかたや陰森、かたや山越え道で途切れているので、どちら側もすこし手前から民家はなくなり、素朴な原風景となる。
それにしても、暑い。陽射しは肌に痛いほどだし、息をするたびに肺が灼けそうになる。標高が高い山里であるぶん、もっと涼しいかと思っていたが、これではヒートアイランド化した東京と変わらない。これもやはり、地球温暖化の影響だろうか。
偶然訪れた冬の季節のときは見渡すかぎりの大雪原で、その下で田畑が春の訪れを待っているとまでは、正直想像もしなかった。春から秋にかけて、村人たちがどれほど勤勉に働いているか、そんなことはこの季節に再訪するまで知る由もなかった。
旅行者なんて、そんなものだ。断片だけでは本当の姿は見えてこない。
しばらく暮らしただけでも、田んぼの稲穂と畑の野菜、作物の種類、さらには田んぼと畑は完全に分かれているわけではなく、農家の方針によっては田んぼのなかに畑、畑のなかに田んぼ、といった具合になっていること、そんなことまでわかってくる。上空から見れば――大神山から見れば、その違いはもっとはっきりするだろう。
陰森側同様、しばらく続いていた田畑が完全に山々に阻まれたところが、大神山の麓だ。すこしさきには、彼自身も通ってきた山越え道が、深山に入り込むトンネルよろしく、ぽっかりと口を開けている。
こっち側と向こう側の境界線――。
孝之はこの期に及んで、なぜか急に薄ら寒いものを覚えた。
まんべんなく太陽の光に照らされた色彩豊かな景色のなかで、そこだけが(きわめて意図的に)黒い絵の具で塗り潰されてしまったかのような、そんな印象を受けたからだ。
その奇妙な対比に戸惑っていると、そのトンネルのような薄暗い道からふいにエンジン音が聞こえ、二トンほどのトラックがいきなり陽光を浴びて現れた。
荷台にはグレーのボンベが並べて積まれていて、その一本一本に白色で燃料会社の社名と、赤色で年号らしき数字が噴き付け塗装されている。そういえば、この村のほとんどの家の外壁に、これと同じプロパンガスのボンベが設置されていたのを思いだした。
道の端に避けると、薄い色の眼鏡をかけた運転手は、ちょっとのあいだ珍しいものでも見つけたような顔を孝之に向けてきたが、すぐに軽く手を挙げて通り過ぎていった。外で仕事をしている村の男衆と同じくらい陽に灼けた、中年と呼ぶにはまだ早そうな男だった。
トラックが走り去るのを待って、孝之は大神山の正面に立った。
安代のいっていたとおり、道端には【大神山・登山口】と記された古びた立て札が立っていて、そこから山肌を分け入るように細い山道が続いている。遠目からは眺めることができた赤茶けた神社の鳥居も、直下のこの位置からは見えない。
鬱蒼とした木立ちのなかに鎮座する、古めかしい社をイメージしながら、孝之は登山道を登りはじめた。
道はゴツゴツした岩が露出した道を蛇行しながら高度を上げていく。それも最初のうちだけで、草木が目立つようになってからは徐々に景色が望めなくなり、周りをナラやブナに囲まれるころには、完全に仄暗い山道になった。
木立から涼しげな風が吹き抜け、セミの鳴き声が静かな林間にこだましている。地面にあまり下生えはなく、ところどころ木の根が剥きだしになっているのは、岩盤がわりとすぐ下にあるのかもしれない。土の表面が乾ききっていないのは、陽光が遮られているのと、地下水が流れているからか。
安代の話では、ご先祖たちが大神山から水を引いて現在の側溝の原形、つまり用水路を作りあげたというが、水道のない時代には、田畑どころか飲み水としても重要だったはずだ。
やがて樹々が遠のいて、太陽の光が直接射し込むようになると、枯れ木の上で日光浴をしているヘビやトカゲ、草花のあいだを飛び交う虫たちの姿が目につくようになった。この登山道とて、人や動物に歩きやすい場所を踏まれているうちに、いつしか道になったという案配だろう。修験道に所縁のある土地柄なので、修行者たちによるところも大きいかもしれない。
上のほうに鳥居が見えるようになると、ふたたび樹々に囲まれ、そこからさらに急勾配になった。どうやら一気に登らなければならないようだ。たいした距離ではないものの、この歳になるとさすがにきつい。おまけに運動不足のツケがきて、情けないことこの上ない。
孝之は登りきると、しばらく体を折り曲げ、手を膝に当てたまま息が整うのを待った。
額や首周りから汗が流れ落ち、Tシャツがペッタリと背中に貼り付いてくる。速乾性をうたったストレッチジーンズも、さすがにそうはいかない。
背中の小さなグリーンのデイパックから水のペットボトルを取りだし、快い疲労感に酔いながら喉を鳴らしてガブ飲みすると、ふだんは当たり前すぎてあまり意識しないこと――せいぜい誰かの葬式か、あるいは保険のおばさんの勧誘のときくらいしか考えないこと――つまり生きているということを、死の影なくして実感できた。
空はどこまでも青く、澄んだ空気が気持ちよかった。
スマートフォンで時間をチェックしてみると、登りはじめてから約三十分。安代の予想通り。慣れてしまえば、ハイキングコースに毛が生えた程度の行程だ。
そこから階段状になった参道――土を削り取って造ったものか、自然の造形なのかは定かでないが――を上がると、まもなく鳥居が現れた。その右横に立て札があり、右矢印が【大神山山頂・月見里→吉野・熊野】、左矢印が【大神神社】となっている。
孝之は鳥居をくぐって神社の境内に入った。
こりゃ、だいぶイメージが狂ったぞ……。
てっきりこぢんまりした神社だと思っていたので、孝之はそのあまりの立派さに驚かされた。神社は山の中腹の切り拓かれた場所にあり、社殿は森林を背景に村を見下ろすように建っている。奥には社務所があり、その左手は崖になっていて地蔵が並んでいるのが見えた。
山肌から湧き出る流水を利用した手水舎で口と手を清め、まずは社殿に向かう。社務所を見てみたが、護符やお守りなどは置いていないようだ。神事以外の個人的な祈祷祈願やお祓いなどは直接宮司に申し込むのかもしれない。そういえば、ここの宮司や診療所の女性医師なども村外からやってきた人間だと安代がいっていた。
一礼して社殿に上がり、能舞台のような広間を目の当たりにして、孝之はあらためてそのスケールの大きさに圧倒された。
柱は朽ちてはいるが、胴回りくらいはありそうだし、それらの柱に支えられた社は、神社というより、まるで大木を組みあわせて造った要塞のようだ。そしてそこにはいまなお残る木の香りと、神社仏閣特有の「気」のようなものが充満していた。
だが、山岳信仰の聖地である吉野や熊野、あるいは洞川あたりならまだしも、なぜこんなところに……。
孝之は祭壇の前までくると、しばし賽銭を投げるのも忘れて神殿を見上げていた。




