謝罪
ニュースの中で、キャスターの声が告げる。
『十年にわたり札幌で発生していた連続性的暴行事件について、主犯格の男を含む複数名が逮捕されました。容疑者の男は――』
その画面に映る名前と顔を、兎衣はじっと見つめていた。
ようやく終わったのだ。
少女だったサクラが巻き込まれた事件。その加害者たちが裁かれ、ようやく幕が下りた。
あの日、誠と畠山と細川は、あの夜パフェ専門店で交流していたらしい。最初に、兎衣から電話が来た。嫌な予感がした誠が動き出し、その後、千香子から兎衣の位置情報が送られてきた。
誠一人で行かせるのは危険だと判断した畠山が、戦力になりそうな細川を連れて、誠と共に兎衣たちのマンションまで走ってくれた。
日頃から肉体を鍛えている二人のおかげで、大人数の男たちを足止めすることができた。
「兎衣、明日ハナがうち来るって」
大学のレポートを打ち込んでいた兎衣に、千香子が気怠げに伝えてくる。
ハナとはあれから、少しずつ交流が回復しつつある。最初は気まずかったが、ハナの方からブロックを解除し、連絡をくれたのだ。
ハナはOnlyに復帰する気はもうないようだが、代わりに、すすきのにあるリゾット店の裏方バイトをしているらしい。もう接客が中心の働き方からは離れたいと言っていた。
兎衣は3200文字指定のレポートを提出し終え、大きく伸びをした。
テーブルの上に置いてあった封筒を開ける。丁寧に折りたたまれた便箋が出てきた。鉛筆で書かれたその文章は、今日届いた、サクラからの手紙だ。
『兎衣ちゃんへ
ご報告ありがとう。どうしようもない、こんなわたしにこんなに幸せなことがあっていいのかなって、ずっと感じています。怖かったはずなのに、自分のことよりわたしや、あの事件のことを一番に考えてくれたあなたへの感謝と、申し訳なさでいっぱいです。
わたしのことを救ってくれてありがとう。わたし、罪をきちんと償って、今度こそ真っ当な人間になるよ』
最後の『ありがとう』という五文字だけが、他のどの行よりも大きく、丁寧に書かれていた。
その文字を見た瞬間、兎衣は胸の奥から熱いものがこみ上げるのを感じた。
サクラはまだ、罪を償っている最中だ。それでも、その手紙には確かに生きて前を向こうとする意思が滲んでいた。
兎衣はそっと便箋を折りたたみ、封筒の中に大事にしまった。
テレビの電源を落とす。
緊張がようやく、兎衣の中からすうっと消えていった。長く体を縛っていた縄が、ようやく解けたような感覚だった。
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函館から母が来た。今度は、家には来ないでほしいときちんと伝え、地下街のカフェで待ち合わせした。本音を話せるか不安な兎衣のために、誠が一緒に付いてきてくれた。
久しぶりに会った母は、少し痩せたように見えた。
「お母さんのせいで、兎衣をあんな事件に巻き込んでしまうなんて……お母さんもね、知らなかったの。占いの先生たちがあんなことしてるなんて。本当に、詐欺に遭った気分だわ」
母は着席してからずっと何も頼まず、さめざめと泣いている。
魂啓会は霊感商法で一大ニュースとなり、今や活動も縮小されている。それに伴って兎衣の母の洗脳も解けたようだった。
兎衣は、曖昧に笑った。
「……最後までやられてないし、もう大丈夫だよ」
つい、母を励ますような声をかけてしまう。これは兎衣の癖だった。
膝の上で握った拳が震える。今日は本音を伝えようと思って母を呼び出したのに、気持ちを口にすることが怖い。母とぶつかるのが怖い。母が、壊れてしまうのではないかと。
その時、兎衣の隣に座る誠が冷ややかに言った。
「謝ってください」
泣いていた母が顔を上げ、訝しげに誠を見つめる。
「こいつは優しすぎる。自分を害した相手のことを許してしまう。だから、俺はあなたのことを許しません。怒れないこいつの代わりに、俺が怒ります。あなたは被害者でもあるでしょうが、同時にこいつにとっての加害者です」
誠のことは、お世話になっている人、とだけ伝えている。母は誠が何者か怪しんでいるようで、涙を拭って問いかけた。
「兎衣、この偉そうな人は誰なの? まさか、彼氏じゃないでしょうね? ダメよ、大事に育てた兎衣がこんな男と付き合うなんて、お母さん気が気じゃない……」
「大事に育てた娘から搾取しているのはあなたです。まだ学生の身の娘が稼いだ金を好き勝手使っているあなたに、偉そうだなんて言われる筋合いはない」
母は、誠の言葉に肩を落とした。反論しなかったのが意外だった。心の何処かで、搾取している自覚があったのかもしれない。
母は誠から目を逸らし、兎衣の方を見た。
そして、黙ってスマホの画面を差し出してきた。その画面に映っているのは、函館のスーパーから届いた採用通知だった。
「あのね、兎衣。ママ、あれから近所のスーパーでパートを始めたの。兎衣に、これ以上迷惑をかけられないから。躁うつも寛解してきたってお医者さんに言われたし、薬を飲みながら、せめて自分のことは自分でできるようになろうって……。今まで、本当にごめんね」
その態度が、高校を卒業して以来、初めて母が兎衣に見せた兎衣への誠意であるように思えた。
けれど。
兎衣は、躊躇いがちに言う。
「……ごめん。私、ママとはもう関わりたくない」
か細い声になった。
母が驚いたように目を見開いた。兎衣から母への、初めての拒絶の言葉であったからだろう。
本当は、可哀想だと思う。夫を他の女に奪われて失い、娘は大学に進学し函館に一人残され、寂しい生活をしている母。自分がいてあげなければ、寄り添ってあげなければと思う。でも、そんなことを続けていればきっと、兎衣まで潰れてしまう。
兎衣はちらと誠を見た。誠は優しい目で見守ってくれていた。
自己犠牲は美徳じゃない。そう教えてくれたのは彼だ。
見ていてくれる人がいる。それだけで、少しだけ勇気を持てた。
「私、ママに弱いんだ。ママから頼まれたら、何でもしてあげたいって思っちゃう。それはママのことを愛しているからだよ。ママのこと、どうしたって大事だって思っちゃう。自分のこと削ってでも、助けてあげたいって思う。でも、そんなこと続けてたら、私が疲れちゃうんだ。私もう、これまでのことでごっそり心を削られちゃったから、しばらく休みたい。今はママと、真っ向から関わっていける自信がない。だから、ママは、私がいなくても自分で立ち上がって、一人前の大人になってほしい。それでいつか、お互いに変われたら、対等な人間になれたら、また会おう。だからそれまで――バイバイ」
声が震える。それでも、きちんと伝えられた。今は絶縁しよう、と。
すっきりはしなかった。むしろ、嫌な気持ちになった。大切な人に言いたいことを伝えるのは、こんなにも胸が痛いことらしい。
母は絶句していた。反論したげな、納得がいかないという顔だった。しかしそれは、すぐに悲しげな表情へと崩れていき、言葉は何も返ってこなかった。
兎衣は誠と一緒に黙って立ち上がり、置き土産のように自分が頼んだコーヒーを母の元に差し出して、テーブルに置かれた伝票を取った。
兎衣から母への、最後のプレゼント。母がまだスピリチュアルに目覚めていない頃、兎衣の大学受験の付き添いで初めて札幌に来た時に、おいしいと愉しげに笑っていた、砂糖なしのミルクコーヒー。かつて一緒に飲んだそれは、たった780円の、兎衣からの愛だった。




