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すすきの性病専門クリニックのワケあり医師とバニーちゃん  作者: 淡雪みさ
FILE3 山原の過去

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乱闘



 ――その時だった。

 部屋の奥のドアが、不意に開いた。


「悪いんだけどここ、一人暮らしじゃないのよね。下調べが足りないんじゃない?」


 冷たい声。隣の部屋から出てきたのは千香子だった。

 ゆっくりとこちらに歩み寄りながら、片手にはスマートフォンを持っている。通話画面が開いたままで、そこには「110」の数字が表示されていた。

 もう片方の手には、ガールズバーOnlyの社用携帯が握られていて、そのレンズが山原を正面から捉えている。


「ベランダで煙草吸ってたのに、あんたらがうるさく暴れるから聞こえちゃったじゃない」


 うんざりしたように言う千香子。

 倒れている兎衣の服はもう十分に乱れている。

 山原の顔が初めて強張った。立ち尽くす男たちも、動揺している。


「おい、まじで警察に電話繋がってるぞ」


 誰かの上擦った声が部屋に響いた次の瞬間、男たちは兎衣の上から退き、蜘蛛の子を散らすように動き出した。

 けれど、兎衣は彼らの進行方向に立ち塞がった。足が震えている。心臓がうるさい。自分の鼓動の音すら邪魔に思えた。


 ――逃がさない。逃がしてしまったら、また同じことが繰り返される。


 兎衣は部屋のドアを背に、決してそこから退くまいと力いっぱい両足で立つ。


「退けっ!」


 面を付けた男が怒声をあげ、兎衣の肩を乱暴に突き飛ばす。けれど兎衣は転ばなかった。足を踏ん張って、なおも前を塞ぎ、叫ぶ。


「地獄に落ちるのは絶対に絶対にあなたたちだからっ! 浄化なんて名目で、今まで何人の女の子を苦しめたと思ってるの! 私は、今もあなたたちのせいで苦しんでる人を知ってる! 相応を報いを受けてもらわないと気が済まない!」


 男が兎衣の腹を思い切り蹴った。そのあまりの力強さに、兎衣は腹を押さえながら嘔吐する。次に、何度も拳がとんでくる。骨が折れるのではないかというほどの力で殴られながらも、兎衣は決してそこから退かなかった。


 怒声と物音が部屋の中に響き渡る。

 男たちの力は圧倒的で、兎衣の身体はもう限界だった。

 膝が笑い、視界が滲み、呼吸がうまくできない。

 ――もうだめだ。

 そう思った瞬間。



「――兎!」



 玄関が乱暴に開かれる音とともに、誠の叫び声が飛び込んできた。

 走ってくる誠の姿がまるでスローモーションのように見えた。


 ――あの時と同じだ。サクラから助けてくれた時も、誠は、兎衣に奇跡を起こしてくれた。


 あの経験があったから、きっと誰かが助けに来てくれると確信していたから、痛みも恐怖も我慢することができた。

 誠の後ろには、何故か畠山と細川の姿もある。


「逃がすか!」

「兎衣、大丈夫か!」

「ばにぃちゃん! 今助ける!」


 誠が先頭の男に突っ込む。

 誠の拳が、襲撃者の腹に殴り込んだ。後ろから来た畠山と細川も、家具を薙ぎ倒す勢いで男たちに突っ込んでいく。


「警察がもう来る、諦めろ!」

「俺の鍛え上げた筋肉を舐めるなよ!」


 仮面をつけた男たちは混乱した様子で、口々に罵声を上げながら出口へ殺到する。

 だが、誠と畠山、細川がそれを許さない。玄関先で乱闘となり、混乱の中でいくつかの仮面が床に転がった。


 その全てを、千香子はスマホのカメラに収め続けている。

 一部始終を。


「兎衣!」


 千香子が走り寄り、倒れそうな兎衣の身体を抱きとめる。

 その腕の中で、兎衣はようやく、浅く震える呼吸を吐き出した。


「大丈夫、あんたはもう一人じゃないよ。もう一人で頑張らなくていいから」


 その言葉に、兎衣の目から、ぽろぽろと涙が零れた。


「誠先生にはね、タップ一つで兎衣の位置情報が送られるようにしてたの。何かあった時、このマンションだと警察よりも先生の勤務先の方が近いから」


 千香子の声は少しだけ震えていた。


「ほら、あのクソ客のGPS。意外と役に立ったでしょ?」


 無理に明るく振る舞おうとするその声音に、兎衣は微かに笑った。

 涙と汗と恐怖と安心が、胸の奥でぐちゃぐちゃになっていた。


 奇跡がまた起きた。

 あの時と同じように――みんな、助けに来てくれた。



 誠に床に叩きつけられた山原の背中が鈍く響く音を立てた。抵抗も虚しく、うつ伏せにされ、両腕を背中で固く押さえられている。

 他の男たちは、畠山と細川が部屋から出ないように止めている。


 押さえ付けられた山原の目が、不意に横へと流れる。

 その目は、兎衣を真っ直ぐに捉えていた。

 ぞわりと背筋が凍る。それはまるで、助けを求める子供のような目だった。

 山原は、突如として奇妙な声をあげはじめた。


「おかあさん……」


 掠れた声だった。最初は囁きのように小さく、どこか現実味のない調子だった。


「おかあさん! おかあさんおかあさんおかあさんおかあさん! たすけておかあさん!」


 声が段々と大きくなっていく。

 まるで幼児が夜中に夢を見て泣き叫ぶかのように、抑えの利かない嗚咽交じりの叫びが、部屋の中を狂ったようにこだまする。


「たすけて……たすけておかあさん! やだよ! いやだ! おかあさんおかあさんっ!」


 誠に押さえ付けられた身体はぐにゃぐにゃと暴れ、手足もじたばたと動く。

 その姿は、もはや一人の人間というより、壊れた玩具のようだった。

 兎衣も誠も千香子も、ただ言葉を失い、息を呑むしかなかった。

 怯えや怒りすらも一瞬遠退く。


 しばらくして、数人の警察官が部屋に入ってくる音がした。

 山原は誠と交代するような形で、警察に取り押さえられた。



 兎衣の目には彼の姿が――一瞬、泣いている幼い子供に見えた。





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