安堵
誠は溜め息を吐き、何も言わずに兎衣の手を握る。手袋をした誠の指先が、冷え切った兎衣の手のひらを包み込んだ。
「行くぞ。家まで送る」
反論の余地を与えない声音だった。兎衣は何も言えず、ただ頷いてその手を握り返した。
繁華街の明かりを抜け、住宅街へと向かう裏通りを二人で歩く。遠くから虫の声が微かに聞こえた。
兎衣は、誠と繋いでいる方とは逆の手で、服の裾をくしゃくしゃに握り締めたまま、ぽたぽたと涙を落としていた。
「ごめんなさい、私、今、魂啓会と関わっててっ、ママのことも考えると、お金、全然足りないんです。今月、もうサブスクのお金、払えそうにないんです……」
ぽつりぽつりと声を漏らす。
「ママへの仕送りももうしたくない。ママのこと、もう、嫌だ。何でそんな意味分かんないものにお金使うのって、そのお金、誰が稼いでると思ってるのって、いつもいつも、ほんとは悲しくて、ちょっとだけママのこと憎んでた。当たり前みたいに私のお金使ってスピって、本当に効果があるかも分からないようなものにばっかり尽くして、私のこと見てほしいのに、ママはパパのことばっかり。パパが戻ってくるかもってずっとヒーリング受けて、何したってもうパパは戻ってこないのに馬鹿みたい。でも大切に育ててくれた人のことこんな風に思う自分が罰当たりみたいに思えて、自己嫌悪して、何度も何度も、憎んで自分が嫌になっての繰り返しで、疲れちゃいました」
言葉の終わりと同時に、また涙が頬を伝った。嗚咽を堪えるように唇を噛みしめる兎衣に、誠は少しだけ目を伏せた。
「……もういい。魂啓会にも、もう関わるな」
「でも、あとちょっとなのにっ」
「分からないか? 俺は、身近な人間が被害に遭うのが一番きつい」
兎衣ははっとして口ごもる。
「今月の分の金は俺が出す。それで、魂啓会とは手を切れ」
「……でも、誠先生のお金なのに……」
「気になるなら、ゆっくり返してくれたらいい。いつまでかかってもいい。大学卒業後でも。何年でも、構わないから」
誠の声は落ち着いていた。
兎衣は唇を噛み、下を向いていた顔をようやく上げた。
「……ごめんなさい。勝手なことして、迷惑かけて……」
誠は首を横に振る。
「なあ、自己犠牲は、そんなに美徳か?」
その問いが、静かな夜に溶けていくようだった。
「俺も昔、自分の時間を犠牲にして働いてた。救いたい形をしていない人間の命を必死こいて救った。何のために医療に従事しているのか分からなくなって、心はボロボロだった。それでも我慢した。それが正義だと思ってたからだ。私的な時間をひたすら削った。そのせいで妹の病を見逃した。大切な人が大変な時に傍にいてやれなかった。だから俺は、他人のために尽くすことをやめたんだ。俺は自己犠牲することが正しいことだと思ってない。もう無理するな。嫌なことは嫌って言っていい。恩のある人を憎んだっていい。お前がどれだけ頑張ったって変わらないものはある。上手に諦めろ。お前の人生だ。何を大切にするかはお前が選べ。自分を最優先に、大事にしてくれ」
涙の滲む視界の中で、誠の目元がふっと柔らかくなる。
「……俺の話聞いて、必死になってくれたんだろ。あんな話聞かせた、俺にも責任がある。だから俺も一緒に、お前が魂啓会から逃げるのを手伝うよ」
その言葉は、一つひとつが優しく、兎衣の胸の中で柔らかく溶けていった。歩道に並んだ街灯が、二人の影を長く伸ばしていく。
握られた手の温もりが、兎衣の疲れ切った心を、じんわりと温めていった。
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魂啓会との関係を断ち切ろうと決めてから一ヶ月間、兎衣のスマホは静寂を失った。
『霊格の波動が弱まっています。今なら間に合います』
『兎衣さんの未来に、大きな災厄が迫っています。占いの続きを』
『あなたを救えるのは、私たちだけです』
一日に何通も届く迷惑メールのようなメッセージ。発信元は固定されておらず、ブロックしてもすぐに別の番号から同じ文面が送られてくる。電話も、最初は落ち着いた声だったが、次第に責めるような口調へと変わっていった。
『こんなにお世話したのに、裏切るんですか』
『あなたが不幸になっても知りませんよ』
『兎衣さんは地獄に落ちます』
兎衣は震える手で、それら全てのスクリーンショットと録音を撮り、日付ごとに整理してUSBメモリに保存した。部屋の引き出しには、送られてきた開運グッズや封筒に入った指示書、購入証明のレシートをまとめている。
そろそろ十分だろう。霊感商法の証拠にはなる。そう思い、兎衣はそれら全てを警察に提出した。
そのうち、魂啓会からの連絡は途絶えた。
サクラにも、もうこれ以上この事件について調べることはできないと、謝罪の手紙を送った。
兎衣は、誰よりも自分のことを大切にすることにしたのだ。




