帰り道
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少し前まで積もり続けていた道の雪が融けきっている。
Onlyを退勤した後、兎衣と千香子はいつものように並んでマンションへの帰り道を歩いていた。
「ええっ!? あんた、今そんなことやってんの!?」
最近魂啓会の占いに行っているという話をすれば、千香子は信じられないといった顔で問い詰めてきた。
「ほんと気をつけなさいよ? また変な事件に巻き込まれたらどうすんのよ」
「大丈夫だよ。前と違って、今回はちゃんと相手を警戒してる」
「警戒してるって言ってもねえ……。この話、誠先生は知ってるの?」
兎衣は気まずく思いながら、叱られる子供のような声量でぽつりと答える。
「……言ってない」
「はぁ!?」
千香子が思わず立ち止まり、驚愕したような声を上げた。
「最近、大学の昼休みに抜け出してあんなに頻繁に会ってるのに?」
「会ってるって言っても、一緒にお昼ごはん食べるくらいだし。言ったら止められる気がして、言ってない」
千香子は重いため息をつき、呆れ顔で兎衣を見やる。
「そりゃ誠先生、そのこと言ったら心配すると思うよ。雪まつりの時、関わるなって口酸っぱく言ってきてたじゃん」
兎衣は何も答えなかった。しばらくして、隣の千香子がふうともう一度息を吐く。
「……まあ、あんたが走りだしたら止まらない暴走機関車なのはいつものことか」
そう言うと、千香子はポケットから小型の何かを取り出して兎衣に差し出した。手のひらサイズの、何かの機械のようだった。
「何これ?」
「GPS。あたしが客に仕込まれてたやつ。一応、何かあった時のために持っといて」
「ええ?」
兎衣は手の中のそれを指で持ち直し、まじまじと見つめる。
「誕生日プレゼントって言って自作のぬいぐるみもらったんだけど、案の定、中に仕込まれてた。問い詰めて没収したの」
「うわあ……千香子指名の客、ヤバいの多いよね」
「何でこういうのがあたしに偏るのか分かんないわ」
兎衣はそれをポケットにしまいながら、心配してくれているであろう千香子に向かって小さくお礼を言った。
「ありがと、千香子」
「マジで気をつけなさいよ。危ないって判断したらすぐ引きなさい」
千香子の言葉に、兎衣は苦笑いした。
正直、危険だとはもうひしひしと感じている。でも、多少危険な目に遭わなければ証拠は取れない。新規で客を取っていないほど警戒心の強い魂啓会と関われたのは、たまたま兎衣の母が熱心な信者だったからだ。この好機を逃すわけにはいかない。
兎衣は黙って空を見上げた。
曇り空の向こう、星は見えない。
次の日も兎衣は、魂啓会の占いの館に隣接した、例の個室に案内された。白を基調としたシンプルな部屋には、暖かみのある間接照明が灯されている。
その中央に置かれた丸テーブルの上に、タロットカードが広げられる。
向かいでは、山原麻陽が、いつもの柔らかな微笑みを浮かべて座っていた。
「こんにちは、兎衣ちゃん。今日も来てくれて嬉しいよ」
「こんにちはぁ。今日もよろしくお願いしますっ! もう、ほんと凄いんですよ。先生の占いの通りにしてたら、運気が巡ってきたのかいいことづくしで~!」
兎衣はいつものように笑顔を作り、彼の前に腰を下ろした。服の中では、いつものように忍ばせたボイスレコーダーが録音を開始している。
山原は、手元のカードに指先を滑らせながら、ふと神妙な面持ちをして言った。
「兎衣ちゃんって、もしかして片親家庭かな?」
兎衣の背筋がわずかに強張った。
「このカードとこの位置は、過去に心の拠り所を失ったことがあるということを示しているんだ。自分の土台が揺らぐ経験……たとえば、家族のことで辛い出来事がなかったかな? それもこれは、節目の喪失が示されてる。兎衣ちゃんの受験の時期と重なってるね。離婚の暗示があるから、兎衣ちゃんのご両親はその頃に大変だったんじゃない?」
山原の目が優しく細められる。
兎衣は一瞬、唖然としてしまった。当たっているからだ。しかしすぐに我に返り、冷静に思考する。この団体は兎衣の母親とも関わりがある。母親への占いでこれまでに聞き出した情報を、そのまま口にしているだけだ。そうに決まっている。
驚く兎衣とは裏腹に、山原は顔色を変えず、ただゆっくりと語りかけるような口調で続ける。
「一番不安な時に家の中が揺らぐのは、本当に辛かったでしょう。どれだけ自分を保とうとしても、家族の変化は心の深い部分に響いてくるものだから。兎衣ちゃんと初めて会った時感じたんだ。この子は一見明るいけれど、その奥底に深い悲しみを抱えていて、それが悪い方向に働いてるって。具体的に言うと、君は他の人よりも過剰な自己犠牲をしやすい。なりふり構わず自分を犠牲にしなければ何も守れないと思っている。それはきっと、節目の喪失があったからだ。家族の形を守れなかった経験があるからこそ、いざという時に全力を尽くさなければ何かを喪失するという強迫観念に囚われている」
兎衣は無言のまま彼の言葉を聞いていた。自分ですら気付いていなかった自分を言い当てられてしまったかのように感じて、意識して表情を作らなければ、今にも顔が引きつりそうになる。
「誰にも甘えられずに、一人でずっと頑張ってきたんだよね」
山原の声は優しかった。まるで、過去をなぞられながら心に寄り添われているような錯覚を覚える。
「偉いよ、兎衣ちゃん。本当にすごいと思う。頑張ってきた子ほど、霊格が強くなっていく。君は特別だ」
そう言って山原は、兎衣の手に手をそっと重ねた。
「だから、無理しなくていい。ここでは全部さらけ出してくれて構わないから。辛い時は吐き出していいんだよ。僕だけは兎衣ちゃんのことを理解できるし、兎衣ちゃんの味方だから」
その言葉に、兎衣の心が微かに揺らいだ。
「母親の言動に対して、兎衣ちゃんは複雑な気持ちを抱いているね。母親に向けた愛情や、庇護欲もあるけれど、その中に憎しみもある。兎衣ちゃんは、その憎しみから意識を逸らしている。それはきっと、これまでの恩があるからだ」
山原が、タロットカードの一枚を捲りながらそう言った。
兎衣は一瞬、呼吸が浅くなるのを感じた。が、それを悟られないように笑みを浮かべたまま、目線だけでカードを見やる。
(落ち着け。これはただの推測。たまたま当たってるだけ。拾った情報を繋ぎ合わせて、当たっているように見せてるだけ……うん、そうだ)
そう自分に言い聞かせる。言い聞かせながらも、背筋はじわりと汗ばんでいた。
「分かるよ」
不意に、山原の声の調子が落ちる。占い師の仮面を少しだけ外したような、私的な声だった。
「僕も、母親のことは、少し苦手だ」
「……え?」
兎衣は顔を上げる。
山原はカードを指でなぞりながら、ふっと自嘲的に笑った。
「内緒だよ。兎衣ちゃんと僕だけの秘密」
彼の目が細くなり、笑顔の奥で、何か別の色を湛える。
「僕も、母親のことが憎い」
その言葉は、声量こそ穏やかだったが、ぞっとするほどに感情の棘があった。
魂啓会の代表として君臨していた女。
山原がその息子であるという事実は、以前から情報として知っていた。だが、今の山原の語り方は、単なる親子の軽い確執ではなくて、もっと根深い何かを感じさせた。
「だから君も、親を嫌悪することに罪悪感を抱かなくていい。君も僕も同じだよ。僕達は仲間だ」
「……ありがとうございます。そう言ってもらえると、少しだけ気が楽になります」
そう口にしながら、笑顔を保った。
どこか取り込まれてしまいそうな焦りを覚え、冷たい汗をかいた。




