より高次の霊格
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兎衣の母親は、もう何年も魂啓会にお金を溶かしている。
熱心な信者である母からの紹介だったおかげで、兎衣は魂啓会の人々にあまり警戒されていない様子だった。「占いに興味があって」と言えば、彼らは不気味なくらい一様の笑顔で兎衣を霊格があるという占い師に紹介してくれた。霊格って何だ? という疑問は残るが、兎衣は笑顔で感謝を述べた。
中身は普通の、タロットカードによる占いだった。これを買ってください、とはなかなか言われない。怪しまれないため、最初から高額なものは売ってこないらしい。母に聞いた話と違う。
週に一度、占いに通い始めて三ヶ月が経った。
兎衣は持ち前の愛想で占い師の機嫌を取り、占いの内容を本気で信じている素振りを見せ続けた。
そんなある日、ようやく兎衣は、いつも占いを担当してくれているおばさんの占い師に、「今日は、より高次の霊格がある人に会ってみない?」と誘われた。
「兎衣さんより一回りくらい上の、若い男の人なの。兎衣さんなら、その人の方がわたしよりも話が合うんじゃないかしら」
男の人、と聞いた瞬間、兎衣に緊張が走った。
エレベーターで上がった先、指定されたのはいつも占いを行っている部屋と同じフロアにある、別の部屋だった。
広く開けたリビングに、ピカピカの白い床、ガラス張りの壁面、本棚に整然と並んだスピリチュアル系の書籍やオブジェ。観葉植物も配置されている。
居心地のよさはなく、どこか息が詰まる。空気が妙に乾いている気がした。
案内役の占い師に導かれ、兎衣はゆっくりと中に足を踏み入れる。ソファに座るよう促され、視線を奥にやる。
「やあ」
その声に、ぞわりと肌が粟立った。
男が一人、ガラス越しの光を背にして佇んでいた。
スーツではない。高級感のある黒のカーディガンにタートルネック。ゆるいスラックス。装いはあくまで柔らかいのに、その姿を見ていると、体の芯が冷えるような違和感があった。
以前千香子が、水商売を長くやっていると良い人か悪い人か見れば分かる、と言っていた。兎衣も今初めて、その感覚を味わっている。
――この人は、よくない気がする。
「君が、羽山兎衣ちゃん? はじめまして。山原って言います」
山原。探偵からの情報に載っていた、女代表の息子の名前だ。
整った顔立ち。中性的な細身の骨格。一目見て、過去にホストをしていたというのは納得できた。けれど、印象として最も強く残るのはその目だった。
吸い込まれそうな漆黒。まるでこちらを見透かしてくるような眼差しだった。笑っていない。けれど、どこか慈悲深い仮面をかぶったような微笑みを浮かべている。
「……は、はいっ! お会いできて嬉しいです!」
兎衣は、無理やり笑顔を作った。
本当はこの団体に本名を明かしたくなかったけれど、占いをするのに偽名を使えば、信じていないと怪しまれる。個人情報は諦めて開示していた。だからこの男は兎衣の名前を知っている。
「早速で悪いんだけど、スマホを預からせてもらえるかな」
山原が柔らかい声で言った。
兎衣は一瞬、ぎくりとした。スマホで音声録音をしていたからだ。その驚きをできるだけ顔に出さず、ポケットからスマホを取り出して山原に手渡す。
「ごめんね。たまに冷やかしでくる人もいるんだよ。兎衣ちゃんがそんな人じゃないのは分かってるんだけど、念のため、ね」
山原はスマホを受け取ると、電源を切って箱にそれを入れ、慣れた手付きで蓋を閉じる。
「君のことは聞いてるよ。お母さんにも、お世話になってる」
その言葉に、兎衣の背筋がぴしりと伸びる。
山原は微笑を崩さず、足音も立てずにソファに向かってきた。そして、すっと距離を詰め、兎衣の隣に腰を下ろす。
近い。甘い香水の匂いがして、妙に呼吸がしづらい。
「無理はしてない? ここに来るまでに、疲れたでしょう。何か飲む?」
「い、いえ、大丈夫です……」
兎衣はちらりと山原の横顔を盗み見た。
雰囲気こそ不気味だ。けれど体格は平均的で、筋肉質というわけでもない。体を誇示するような男らしさは感じられず、むしろ華奢な印象すらある。レイプをするような人物には見えない。
しかし、だからこそ怖い。
普通に見えるその仮面の裏に、どれほどの狂気が隠されているのか分からない。
その後、兎衣は山原と他愛もない会話を交わし、タロットカードで今週の運勢を見てもらった。内容は拍子抜けするほど普通の占いだった。仕事運や人間関係、健康運の話。まるで、これまで通っていた占いの延長線のようで、特に怪しげな勧誘や高額商品を勧められることもなかった。
(……もしかして、今日はただの顔合わせだったのかも)
少しだけ緊張がほぐれたところで、山原がふと立ち上がる。
「今度から、君の占いは僕がするから」
優しく微笑みながら、彼は言った。
「ここに来る時は、直接こっちの部屋に来ていいよ。入口のスタッフにも話しておくから」
兎衣は動揺したが、笑顔で「はい、ありがとうございます」と返し、部屋を出た。
ガールズバーで培った、本当の気持ちを隠して笑顔を作る術が、こんなところで役に立った。
ビルの自動ドアを出て、ようやく外気に触れた瞬間、兎衣は思わず深く息を吐いた。
コートのポケットに手を入れ、小型のボイスレコーダーをそっと取り出す。録音停止ボタンを押し、液晶に録音時間が表示されたことを確認してから、再びそっとしまい込んだ。
――一応、スマホを没収されることを想定して、録音用の機械は他にも持参していたのだ。
今回は、大した話ではなかった。
けれど、次は違うかもしれない。
レコーダーを持つ自分の手が震えていた。
兎衣は恐怖を押し殺し、ゆっくりと歩き出した。




