鷹中の協力
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それから三ヶ月。
新緑が街のあちこちで芽吹き始めていた。五月の札幌は、まだ少し肌寒いながらもようやく春らしい陽気を纏い始め、道行く人の装いも軽やかになっていた。
そんなある日、兎衣のスマホに、一通のメッセージが届いた。
――『明日、時間あるか?』
差出人は、あれ以来連絡を寄越してこなかった鷹中だった。
何で急に、と違和感を覚えたものの、兎衣は基本的にフットワークが軽いので、二つ返事で了承した。
翌日、午後六時。
札幌駅構内のロッテリアは、ちょうど学校帰りの高校生や観光客でほどよく賑わっていた。
その片隅、駅側からやや離れた席に、鷹中はアイスコーヒーの紙カップを片手に座っていた。五分前に着いたのにもういる。きちんとした人なのだろう。
「お久しぶりです、鷹中さん」
兎衣はおずおずとその正面に座る。
何故か既に兎衣の分の注文も済まされていて、テーブルにはポテトとハンバーガーがあった。兎衣はいまだにここに呼ばれた意図を予想できていない。なので、ポテトに手を伸ばしながら躊躇いがちに聞く。
「あの……用件は?」
「誠に伝言を頼む。俺は明日には僻地に帰る」
「伝言!? 直接言えばいいじゃないですか」
「ブロックされてるんだよ」
「まだブロックされてるんですか!?」
そろそろ伝書鳩のように使われるのも疲れてきた……と思いつつ、伝言の内容を聞こうと鷹中の発言を促す。
「嫁と話し合って、別れることになった」
鷹中がきっぱりと言った。
アイスコーヒーの中の氷が、からんと音を立てる。
「俺は忙しくてほとんど家にいなかった。そのうえ、貴重な休みには上の先生との付き合いでキャバクラ通いしてた。浮気の理由はそれだった」
自嘲気味に笑う顔に、兎衣はかける言葉を見つけられずにいた。
「俺の月の残業は二百時間だ。二徹は当たり前、三徹の時もある」
「に……二百!?」
驚いて声が裏返った。
そんなの、家庭での時間を作れなくて当たり前だ。
「ブラック病院の循環器内科だからな。日付が変わってからの帰宅も多かった。寝る間も惜しんで患者に向き合って、それでやっと現場が回ってる。誠も似たような生活をしてたはずだ」
「……そ、そんな生活、いつまで続くんですか」
「自由になれるかって意味なら、少なくともあと五年後だ。お礼奉公っつーのがあって、学位を取得した後も数年は、世話になった教授や医局のために関連病院で勤務することになる。俺の一番若い時間は、仕事で全部潰れることになる。……誠は、そういうのが嫌だったんだろうな」
誠に向けるその言葉には、これまでと違って責める響きがなかった。むしろ、理解と共感に近い響きがあるように思えた。
「若い医療人が自分の時間を犠牲にして働くことで今の医療が成り立ってる。俺はそういう道を選んだ。誠はそれを選ばなかっただけだ。泣いてる嫁を見て嫌でも理解したよ。あいつはこんな風に、傍にいる人を見ていられないのが嫌だったんだということを」
鷹中は穏やかに言った。
どうやら鷹中は、 ようやく医局を抜けた誠の生き方を認めたらしかった。
「……誠先生に、ちゃんと伝えます」
小さくそう告げた兎衣に、鷹中は頷いた。
そして、すっと一枚の封筒を差し出してくる。
「探偵に依頼した調査結果だ。魂啓会の重要人物の本名が書いてある」
「えっ!?」
兎衣は思わず声を上げた。目を丸くして、封筒と鷹中の顔を交互に見つめる。まさか、そこまで鷹中が動いていたなんて。
「ちょ、ちょっと待ってください……私、この話鷹中さんにしましたっけ?」
「誠が話した妹の過去の内容から、関係がありそうな団体を洗い出してもらった。魂啓会が一番怪しいと踏んだ。何かの手助けになるかもしれない。誠に渡してくれ」
兎衣は戸惑いながら封筒を手に取る。想像以上に分厚く、中には確かな重みがあった。
(この人、何だかんだ言って誠先生のことめちゃくちゃ好きだよね……)
わざわざここまでするなんて、と驚く。
「た……探偵って高いんですよね?」
兎衣も、探偵に調べてもらおうかと思っていた時期があったが、苦学生には厳しい値段だったので諦めていた。
鷹中ははっと馬鹿にしたように鼻で笑う。
「ガキにとっては高くても、こっちは身を粉にして働いてる社会人だぞ。稼ぎは君よりある」
兎衣は封筒の重みを再確認するように、抱えるようにして胸元に押し当てた。そして、鷹中に感謝を述べる。
「ありがとうございます! 私もちょうど、調べていたところだったんです」
「君が? 何で」
「誠先生の、無念を晴らしたくて」
訝しげに眉を寄せた鷹中は、しばらくして合点がいったように呟いた。
「……ああ、誠に惚れてるのか」
鷹中の口元が緩む。どこか茶化すような、冷たいわけではない笑いだった。
「君、あいつの妹に似てるから難しいと思うぞ。そういう対象には多分ならない」
「ち、違います! 惚れてるとか、そういうのじゃなくて、誠先生は恩人で……!」
兎衣が顔を赤らめながら言い返すが、鷹中はそれを聞き流すように肩をすくめた。
「分かるよ。俺も学生時代、あいつの才能に惚れた」
そう言って、鷹中は続ける。
「あいつの力になりたいなら、その封筒の中身を見てもいい。必要であれば警察に提出してくれ。誠のこと、よろしく頼む」
そう言ってから、彼はちらりと高級そうな腕時計に目をやった。秒針が静かに時を刻んでいる。そろそろ電車の時間なのだろう。彼が、「……ああ、あと」と付け加える。
「君のことを頭の悪そうな女と言ったことを撤回する。あの時は悪かった」
鷹中はそう言い残し、背筋を伸ばして店を後にした。彼の背中が消えていくまで見届けた後、兎衣は一度深呼吸をして、目の前の封筒に手を伸ばす。
中には、魂啓会の詳細な調査資料が入っていた。団体の設立経緯、活動内容、使用している名目、表向きの金融情報、そして――一部の構成員の実名。
女代表と呼ばれていた人物の本名が、そこにはっきりと記されていた。
そのすぐ下にあったのが、兎衣が最も知りたかった名前。
天音いぶき――本名、山原麻陽。




