決意
:
誠の話が終わった。
兎衣はその場に立ったまま、少しだけ泣いていた。唇をきゅっと噛み、鼻をすする音もこらえて、目元からは一筋、また一筋と涙が頬をつたって落ちていく。
千香子は何とも声をかけづらいといった表情で誠をじっと見つめていた。
「そんなの辛すぎる……誠先生、ずっと一人で罪悪感抱えてたんだ……だからあんな営業活動を……自分から声をあげられない人にも届くようにって……」
鼻をすすりながら、袖で目元を拭う。けれど追いつかない。溢れる涙は止まらなかった。
――しかし。
「俺は認めない!」
突如兎衣の隣から響いたその言葉は、あまりに無神経だった。
兎衣は驚いて顔を上げる。
「お前、じゃあ、妹が死んだせいであんな意味分からないところで働いてるのかよ! あんなところに勤めてたって、医者としては何も学べないだろ!」
兎衣は涙に濡れた目を見開いた。
その場にいた誰もが凍りついたが、当の誠だけは落ち着いていた。
「……あんな意味分からないところ、ね」
誠の声は低く、冷静なものだった。
「俺は妹にできなかったことを、今の仕事で少しずつ返してるつもりだ。医者ってのは人を救うためにいるんだろ? 誰を救うかは、自分が決めていいんじゃないのか?」
鷹中が唇を噛みしめる。
「俺は、認めない、からな!」
そして、同じ言葉を繰り返して踵を返し、走り出した。
雪がまだ降り続ける白い夜の中、黒いコートの背中が遠ざかっていく。ぐしゃ、ぐしゃ、と雪を踏みしめる音が響き、やがてそれすら人混みに飲まれていった。
兎衣はその背中を呆然と見送り、千香子は何か言いかけて、唇を閉ざした。
誠は何も言わなかった。ただ黙って、鷹中が消えた方向を見つめ続けていた。
雪像を一通り見て回った後。
雪まつりで賑わった街の熱気を少し引きずるようにして、兎衣と千香子、誠は居酒屋の暖簾をくぐった。
中は、酒場の喧騒と鍋の匂いがほんのりと混ざっている。
木目のテーブルの上に、兎衣と千香子の頼んだ酒が並ぶ。壁のテレビからはニュースが流れ、他の客たちはそれぞれの酒宴を楽しんでいた。
「かんぱーい!」と千香子が場を明るくするような声をあげ、兎衣と誠のグラスも続いて軽くぶつかり合う。ジョッキのビールが喉を潤すと、冷えた体がようやく解けるようだった。
兎衣は勢いよく口を開いた。
「私、あの団体の噂、集めてみようと思います!」
テーブルの向こう側、肘をついていた誠が、眉をしかめて言う。
「いや。いい。俺は犯人を捕まえたいわけじゃない。捕まえたって妹は戻ってこない。それならもう関わらないのが懸命だ」
「誠先生がいいって言っても、私が許せません!」
声が少し大きくなってしまった。隣のテーブルの観光客らしき外国人たちがちらりとこちらを見る。
兎衣は、サクラの高校の先生から話を聞いた時、自分にできることはここまでだと、そう思っていた。事件の闇が深く、組織的であると知って、怖くてもう調べるのをやめようとも思った。
危険な事件に首を突っ込んでまでサクラを襲った犯人を追う勇気が、兎衣にはなかった。
でも、今は違う。
誠の話を聞いて、今も外にいるであろう犯人を特定したいと、さらに強く思うようになった。
「放っておいたら、またこの街で被害者が出るかもしれません。これ以上被害者を増やさないためにも、例の団体の悪行の証拠を掴みましょう!」
ジョッキを両手で抱えるようにしながら、兎衣はまっすぐ誠を見た。
ビールの泡が広がっていく。
隣の千香子が誠に向かって付け加えた。
「この子、すすきのでは結構顔が広いんですよ。意外と力になるかもしれませんよ」
「意外とって何!?」
兎衣が食い気味に反応する。
「頼もしくは見えないでしょうよ」
千香子がくっくっと意地悪く笑った。
ジョッキを置いて、ぷくっと頬をふくらませる兎衣。
誠は一瞬だけ目を伏せた。グラスの中の水と氷に目を落としながら、「いいって言ってるだろ」と少し不機嫌そうな声で言う。
「警察で無理だったなら、一般人にやれることは限られてる。下手に首を突っ込んだら危険な目に遭うだけだ。頼むから、やめてくれ」
居酒屋のざわめきの中で、誠の声だけが妙にくっきりと耳に残った。
手元のグラスを見つめるその横顔は、いつになく切実だった。
まるで、自分が傷つくよりも、他人が巻き込まれることの方がずっと耐えられない、とでも言うような表情だった。
きっと誠は、これ以上知っている誰かが同じ目に遭うのが怖いのだ。
妹のことを思い出しているのだろう。間に合わなかった、守れなかったその過去を、今も抱えているのだ。
兎衣はそれが悔しくて、ぐっと唇を引き結んだ。




