勇気
鷹中の声音には、怒りと心配が滲んでいた。
そこで兎衣はようやく分かった。彼は彼なりに、誠のことを思って突っかかっているのだ。分かりにくいが、誠に対する彼の感情は、やはり敵意ではない。
兎衣は我慢できずに口を開く。
「あ、あのっ……それって、それが誠先生のためになるって鷹中さんが思ってるだけじゃないですか?」
ずっと誠の背中を睨み付けていた鷹中の目が、不意に兎衣の方を見た。
不機嫌そうに、眉間にぎゅっと皺を寄せて。
「ゆるふわ医師じゃダメだとか、大学に戻ってきた方がいいとか、才能は伸ばすべきだとか。全部、鷹中さんが誠先生を見て、一方的に思ってることですよね。でも誠先生はそういうのに価値を見出してないか、それよりも大事にしていることがあるから、やめたんじゃないですか?」
「……何だと?」
「全部鷹中さんが誠先生にそうしてほしいって思ってるだけで、誠先生本人の意見や意図は、まだ何も見えてきてないですよね」
鷹中の眉間の皺がさっきよりも深くなる。
兎衣はびくっと体を揺らした。まずい、怒らせてしまったかもしれない、とヒヤヒヤしたが、鷹中はしばらくして低い声で呟いた。
「……仕方ないだろ。あいつが俺に何も教えてくれなかったんだから。俺に何も言わずに、いなくなったんだから」
鷹中は辛そうな顔をしていた。兎衣はそこでようやく、鷹中の言動が腑に落ちた気がした。
彼は誠に置いていかれたのだ。学生時代からずっと隣で、あるいはその背を追ってきた。卒業後も医師として同じ道を志し、いつまでも追いかけていけると思っていたのに、誠はそのレールから外れていった。己の道標を失ったような気持ちで、納得がいかなかったのかもしれない。
気がつけば、夜が深まり始めていた。雪は止んでいるが、気温はさらに下がり、吐く息が白く立ちのぼる。話しながらずっと歩いていた兎衣たちは、人だかりがひときわ大きいエリアに辿り着く。
巨大な氷の建築が異国の宮殿のようにそびえ立っていた。毎年恒例のプロジェクトマッピングだ。
音楽が流れると共に、観客のざわめきがふっと静まり返る。
光が放たれた。
真っ白な氷壁に、色とりどりの光が走る。最初は柔らかな青。氷の質感をより際立たせるように、淡い波紋が広がり、光の粒が舞い上がった。次第にそれは形を成し、花や鳥、星の模様へと変化していく。
紫、緑、金、赤。色が次々と場面が切り替わる。まるで幻想の劇場だ。映し出される光の世界に、兎衣は息を呑んで見入った。
ラストシーン。建物の中央から、一筋の光が空へと昇る。天へ駆ける龍のような光の柱に、人々の歓声が沸き上がった。
音楽が静かにフェードアウトし、光がすっと消える。
その感動と同時に、兎衣は、去年誠に言われたことを思い出していた。
――『見ている人間がいるってだけでも、人は変わる可能性がある。あいつにとってお前が〝見ていてくれる人〟になれたら、お前の存在はきっと大きな意味を持つ』
ハナのことだってそうだった。兎衣は、踏み込まないようにと遠慮した。でも、勇気を出して傍に近寄って、踏み込んだおかげで、変わったことだってある。
観客が動き出した後、兎衣は昂ぶったまま鷹中に訴えた。
「――今、聞いちゃいましょう! 鷹中さん! 私も勇気を出します」
「……は?」
鷹中が目を見開く。
兎衣は少し離れた位置に立っている誠と千香子に向かって声をかける。
「誠先生っ! 先生って、何で大学病院やめたんですか?」
兎衣の声は、雪まつりの喧騒の中で意外にもよく通った。
横の鷹中がぎょっとしたような顔をする。そして慌てたように、「おま、待て、それはド直球すぎる、」と珍しくどもりながら兎衣の肩に手を置いて止めようとする。
誠がこちらを見た。白い吐息が空に消えていく。
沈黙が走る。雪の上を歩く人々の足音と、遠くから聞こえるスピーカーの音楽が風に混ざって流れてきた。
誠は少しだけ目を細め、兎衣の目を見て、そして鷹中へと視線を移した。
「……そいつに聞けって言われたのか?」
「いえ! それもありますけど、私も知りたいです。誠先生のこともっと知りたいです。誠先生は、私のこと助けてくれた人だから。それに、高校であの話を聞いた時、何であんなに深刻そうな顔してたのかも、ずっと気になってます」
医者の普通は、兎衣には分からない。でもOnlyに来た先生たちの話を聞いていて、医局を抜けて性病専門クリニックで働くという選択が、かなり特殊なものだということは察することができた。
誠が何故その選択を取ったのか、それに妹が関係するのか、兎衣は知りたい。
「鷹中さんだって、分かりづらいですけど、多分誠先生のこと心配してます。だからこんな、全く興味のないイベントにまで付いてきたんだと思いますっ」
兎衣の言葉は真剣だった。そこには軽い興味ではなく、誠のことを理解しようとする真摯な想いが宿っている。
それが伝わったのか、誠は少し視線を落とした。
「……別に、大した話じゃねえよ」
重い声が、雪の上に静かに沈んでいくようだった。
「俺の妹は、梅毒で死んだ。梅毒なんて現代じゃ簡単に治る病気だ。なのに俺はそれを見逃した。あいつの傍にいなかったから」
千香子が驚いて口元を押さえた。
誠の目は空を向いていた。照明に照らされる雪像の陰が、彼の横顔をひどく寂しげに映している。
しんしんと降り始めた粉雪が、誠の肩の上で溶けていく。
誠は歩きながら、ゆっくりと過去のことを話し始めた。




