怪しい団体
「そ、それって、この団体がかなり怪しくないですか? このことは当時警察に言ったんですか?」
兎衣は思わず身を乗り出していた。自分の声が少し上ずっているのがわかる。
教室に差し込む夕方の光の中で、教諭は目を伏せたまま、小さく首を横に振った。
「……報告はしました。けれど、このことが事件になる前に生徒たちが通っていたホストクラブは潰れていて、彼女たちが〝彼氏〟だと話していた男性キャストの行方も掴めず……この団体にも捜査は入ったようなんですが、正直、警察がどこまで深く調べたのかは分かりません」
赤縁の眼鏡の奥の瞳が、どこか遠くを見つめる。
兎衣は唇を噛み、机の上に置かれたパンフレットをまじまじと見つめた。自分の母の顔が浮かぶ。無邪気に、この団体の教えを信じ切っているあの姿が。
兎衣の生活のすぐ横に闇があった。そう思うと、ぞわりと寒気が走る。
ふと隣に座る誠の方を窺うと、何故かひどく険しい顔をしていた。
青白い顔に、苦悶とも怒りともつかない色が浮かんでいる。
兎衣はその横顔に言葉をかけることができなかった。今、何を思っているのかと、軽々しく尋ねてはいけない気がした。
「……すみません。もうよろしいでしょうか?」
教師が小さく手を合わせながら言った。
「この後、職員会議がありまして」
「あっ、はい。すみません、お忙しいところ……!」
兎衣は慌てて立ち上がる。
その隣で、誠も静かに椅子から立ち上がった。
「お話、ありがとうございました」
教師は兎衣のお礼に対して小さく会釈すると、机の上に置かれたパンフレットを目で追いながら釘を刺してきた。
「お気をつけて。……この件には、あまり深入りしない方がいいかもしれません。宗教絡みの団体は、組織的です。あなたも若い女性ですし、被害者になる可能性はゼロじゃない。あまり危険なことに首を突っ込まない方がいいですよ」
その言葉が、妙に耳に残った。
教室を出た後、廊下に出た途端、誠は無言で壁に手をついて、長く重苦しい息を吐く。
「だ……大丈夫ですか?」
「……ああ」
明らかに大丈夫ではない顔色の誠が再び歩き出す。
下駄箱の脇を抜け、校門へと続く夕暮れの廊下を歩く中で、誠は一言も発さなかった。
足音だけが響く。冬の冷えた空気が、まだ明かりの残る校舎を静かに包んでいた。
校門が見えてきた頃、誠が不意に言った。
「……同じだ」
その声は独り言のように小さかったが、兎衣の耳にははっきりと届いた。
「……え?」
「妹が、死ぬ前にしてた話と、同じだった」
誠の目は遠くを見ていた。
過去を見ているような、痛みに満ちた視線だった。
兎衣はぎょっとして言葉が出なくなる。妹がいるというのは知っていたが、死んでいることは知らなかった。
しかも、同じ話。まさか、サクラの事件と関係があるのだろうか。
誠はそれ以上何も言わなかった。
空には、凍てつくような夕焼けが広がっていた。
:
その日から何となく、兎衣は事件の話を誠に振れなくなった。
事件の話ができないのであれば、話題もなく、連絡も途絶えていった。
そうしているうちに、札幌雪まつりの日が来た。
雪に足跡が刻まれても、すぐに新たな雪が降り積もって地面が塗り直されていくような、雪の夜。
白く輝く街に、雪まつりの明るさが広がっていた。
大通公園には、国内外から集まった観光客の波や、カメラを構える人、雪像の前で笑うカップル、はしゃぐ子どもたちなどが集まっている。
その中を、兎衣たち四人は歩いていた。
「わあっ、見てくださいよあれ! 氷でできたお城! 住みた~い!」
「はしゃぎすぎ。声でかい」
本物の建物ほどの大きさのある氷の城を指差しながら飛び跳ねる兎衣に、誠は寒そうにポケットに手を突っ込んだままぶっきらぼうに返す。
「ね、千香子、あの城に引っ越さない?」
「床冷たそうだからやだわ」
笑いながら返す千香子の手にはトルネードポテトがある。買った直後は温かそうだったそれは、少し歩いただけで既に冷え切っているようだった。
兎衣はちらりとやや後方を黙って歩く鷹中の方を見つめる。一緒に来ているにも拘らず、誠と鷹中は一言も会話を交わしていない。
兎衣はすすすっと後ろに下がり、小声で鷹中に声をかける。
「折角来たのに、誠先生に話しかけないんですか?」
「……余計なお世話だ」
「もうこんな機会ないかもしれないですよ」
鷹中はずっと、楽しいイベントに来ているとは感じられないほど険しい顔をしている。雪像もろくに見ていない。本当に誠のためだけにここに来たみたいだ。なのに誠との間に距離がある。
「……聞きにくいですよねえ」
兎衣は正面を向いて、千香子の隣を歩く誠の背中を眺めながらぽつりと呟いた。
一緒に高校に行ったあの日、本当は聞きたかった。妹は何で死んだんですか、とか、もしかしてあの事件と関係ありそうなんですか、とか。
でも、誠の青い顔を見ると何も聞けなかった。
それどころか、このままあの事件の調査に関わっていいのかすら、兎衣の中では揺らいでいる。
あの教師に忠告されたから、というのもあるし、事件の被害者が兎衣が思っていたよりも多いことから、少しだけ、怖気づいてしまっている。
「……あいつは、学生時代俺よりもずっと優秀だった。俺はあいつにテストの点数で勝てたことがない。地元で神童と呼ばれていた、この、俺がだ」
ふと、右隣にいる鷹中が低い声で言った。
兎衣は顔を上げて鷹中に視線を戻す。
「何を血迷ってるんだか知らないが、あいつは大学も人脈も切るべきじゃなかった。人脈があれば才能を伸ばす場も機会もできる。あいつは戻ってくるべきだ。宝の持ち腐れだ。あの才能を、商売の色しかない性病専門クリニックなんかに潰されるわけにはいかない。俺はあいつを医療の世界に戻す。絶対に」




