誠の知り合い
そのうち、中年たちは、妻が最近熱中しているという水耕栽培の話で場が盛り上がり始めた。「ほら、LED当てると育つってやつよ。うちの嫁、栽培キットみたいなやつ買ってさあ」「北海道の今の寒さで育つんスか?」と話し合う彼らの顔は既に赤い。
兎衣は笑顔で相槌を打つ。中年たちは、それぞれの妻の最近の趣味の話ばかりしていて、肝心の主役である研修医が話題に入ってこられていない。本人の歓迎になっているのか疑問である。それに気付いた兎衣は、それとなく研修医の方に質問を投げかけてみた。
「そういえば、研修中なんですよねぇ? 大変じゃないですか~?」
俯いてスマホを見ていた研修医がぱっと顔を上げ、気まずそうな愛想笑いを浮かべる。
途端、横の中年たちがここぞとばかりに研修医の方にも絡み始めた。
「お前、来月回るの外科だろ。あそこの先生パワハラで有名だから気を付けろよ」
「そうそう。若い医者にパワハラしまくってるけど、腕だけはよくて多くの患者を救ってるから善行と悪行のプラマイゼロで死後はギリ天国って感じの先生」
「怖くなったらいつでもうちに逃げてこいよ~」
中年たちは共通の知り合いの話題でギャハハと笑い出す。気弱そうな研修医はパワハラという単語を聞いて怯えたように青ざめていた。
兎衣は、パワハラってどこの業界でもあるんだなぁと思いながら、酒を持つグラスを傾ける。
「そうだぁ、お医者さんなら、すすきのにある性病専門クリニックってご存じだったりしませんか~?」
「性病専門……?」
「なんじゃそりゃ。聞いたことねえなあ」
兎衣から出せる医療業界の話題といえば誠が勤めるおとなりケアのことだけなので、試しに話のネタにしてみた。
中年たちは首を捻りつつも興味を引かれた様子で、各々スマホを取り出して検索を始める。
「すげえ、こんなところあるんだな」
「医療ってよりビジネスみ感じる。確かに需要捉えてはいるけどさ。この辺性風俗店多いし」
「カウンセラーもいるの? なんか凝ってるなあ」
思いのほか食いつきがよい。医者からしても性病専門クリニックというのは聞き馴染みのない言葉なのだろう。
その時、一人の医者が急に声のトーンを変えた。
「――あ。おいおい、ちょっと待て」
彼はスマホに顔を近付けて凝視している。
「ドクター紹介のページ見ろよ。堺先生いんだけど」
「え? あの堺? マジで?」
「……ほんとだ。ってか何してんのこんなとこで。金儲けに魂売った?」
堺という名前に、他の医者たちも一気に身を乗り出す。
空気が変わった。今までの笑い声がぴたりと止まり、代わりにざわめきが広がる。
「……誠先生のこと、知ってるんですか?」
兎衣は驚いて聞く。
中年の医者たちは一瞬目を見合わせ、意外そうに兎衣を見返した。
「え、堺先生と知り合い?」
「ちょっと前に、一緒にマッチョクラブに通ってたんです」
兎衣の答えを聞き、中年たちがぶはっと噴き出す。
「ガルバの女の子とマッチョクラブ? あいつほんとに何やってんだよ。そんなタイプに見えなかったけど」
「医者やんの嫌になったのかなあ。気持ち分かるわ~。もう死んでるような状態の老人助けてもな。親族に年金狙いで無理な延命求められたことあるし。たまに俺、自分の心身削って何やってんだろって虚しくなる瞬間あるもん。俺も仕事辞めてガルバの女の子とデートしてえ~」
ハハハ、と笑いが響いた後、中年の一人がグラスを置きながら言った。
「あいつ、元々俺らの大学病院で研修医やってたんだよ。終わった後もうちにいたんだけど……途中で抜けちゃってな」
「そうそう。あいつ、気に入られてたのに勿体なかったよな」
「まあ、やっぱ嫌になったんじゃない? ド田舎のブラック病院に送られることもフツーにあるし、精神的に疲れてもおかしくないっていうか」
そこで、それまでグラスを持って静かに口を閉ざしていた若い男が、ようやく口を開いた。
「あいつは楽に金を稼げる方に目がくらんで、医の道を志すのをやめたんです」
声は低く、苛立ちを隠しきれていなかった。
さっき兎衣を中年からさり気なく庇ってくれたあの男だった。
吐き捨てられた言葉に、場がしんと静まる。グラスの中の氷が、コトンと小さな音を立てた。
「そ、そこまで言うなよ。堺先生だって事情があったかもしれないじゃん」
中年の一人が嗜めるように言う。
「まあ、複雑だよな。鷹中先生、堺先生と仲良かったもんな」
「そうそう。こいつ、大学時代も堺先生の同期だったんだよ」
中年たちが空気を和らげようとしているが、鷹中と呼ばれた堅物そうな男の表情は崩れない。
兎衣はグラスを拭くふりをしながら、鷹中の横顔を盗み見た。
こめかみに力が入り、感情を押し殺しているのが分かる。
鷹中は誠を知っている。そして――誠を強く嫌っているように感じられた。
ふと鷹中から鋭い視線を返される。つい、ビクッと体が震えた。
「君は、誠と親しいのか?」
唐突な問いかけだった。
一瞬、返答に迷う。親しいと言っていいのかは分からない。でもあの事件後も未だに連絡は取り合っているので、「……は、はいっ」と、反射的に答えてしまった。
鷹中の目がわずかに細まる。鷹中はグラスの縁を親指でなぞりながら、無表情のまま聞いてきた。
「この店、アフターは何円だ?」
兎衣はいつもの営業スマイルを崩さずに答えた。
「お店として決まりはないですけど、終電逃した時にタクシー代で五千円とか、お食事代で一万円くらいになることもありますね~」
「上がり、何時?」
問い詰めるような声で鷹中が質問を続ける。
兎衣は瞬きし、え、私? と戸惑いながらも答えた。
「私は0時です~」
「なら、君を指名する。この後聞きたいことがある」
その瞬間、中年たちがざわっと盛り上がる。
「おっ、鷹中、その子が好みだったのか~?」
「珍しいな、女の子に食いつくなんてよ」
軽口が飛ぶ中、鷹中は吐き捨てるように言った。
「いえ。僕既婚ですし、こんなところでわけの分からない衣装を着て客に媚び売るような仕事をしている頭の悪そうな女は好みじゃないです」
場の空気が凍る。
兎衣は無理に笑みを保ちながらも、心の中ではピキリと怒りの炎が燃えていた。
(かっちーん……。もう酒出さねーぞ!? ゴラァ!)
しかしいくら腹が立っても、接客中に表情を崩すことは許されない。
「え~っひどいですぅ」と体をくねくねさせながら流すと、周囲の医者たちも「お、お前、言い過ぎだろ〜」と冗談混じりに場を戻した。
「ごめんな? こいつ、俺らが無理やり誘ったから怒ってんだよ」
「いえいえ〜。正直な人ってステキだと思いますぅ」
「というか、僕と同じ既婚者である先生方がこうして女性のいる店に研修医の歓迎という理由を付けて通うのもどうかと思いますが」
「分かってねえな〜若い男はこういうのを一番喜ぶんだよ」
「それは先生が若い頃の話でしょう」
鷹中と中年たちの口論が始まる。
鷹中は、自分より大分ベテランと思われる先生方に対しても、ビシバシと反論していた。上下関係を意識するタイプではないのだろう。それどころか、おそらく協調性もない。
(誠先生、本当にこの人と仲良かったんですか!?)
兎衣は、笑顔のまま心の奥で小さく文句を呟いた。




