母の来訪
窓の外では、牡丹雪がふぶき始めていた。札幌では、既に最高気温が0℃未満の真冬日が増えてきている。
兎衣は毛布にくるまりながら、ノートパソコンの明かりに照らされたリビングで、一人、検索画面を睨んでいた。
――『わたしを襲った犯人を、見つけてほしいの』
あの夜、警察へ連れて行かれる直前、サクラが涙に濡れた目で伝えてくれた最後の願い。あれが兎衣の胸にずっと引っかかっていた。
あれから大学の試験が続きゆっくりと調べる時間がなかったが、頼まれたからには何もしないというわけにもいかない。
誠のようなヒーローになると決めたのだから。
(たしか、高校生の頃って言ってたよね)
手元のマグカップの中、粉にお湯を入れるだけのインスタントココアの湯気が、ゆらりと揺れる。兎衣はキーボードに手を置き、『女子高生 レイプ 未解決事件』など、思いつく限りの言葉を組み合わせて検索してみる。
最初に表示されるのは、最近の事件やまとめサイト。どれも情報が断片的で確証に至るものはない。
これでは何も分からない、と溜め息をつきかけたそのとき――ふと、ページの下の方に、『北星高校』という名前の学校の、2010年の裏掲示板のログが目に留まった。
『ホス狂いで有名なK子、すすきのの路上で、集団に襲われたらしいよ。遺体はバラバラだって』という匿名の書き込みがある。
そのスレッドを開くと、当時の噂話のような情報が、落書きのように残っていた。
『死体は雪に埋まってて、除雪車が見つけたっぽい』
『犯人がバラバラにしたのか除雪車がバラバラにしちゃったかだよねー』
『警察が動いてたって聞いた』
『三人以上か親の迎えじゃないと下校しちゃダメなんだって。だる』
『K子の周り、未成年なのにホスト通いしてた子、大量にいたよね』
『時期的にこれと関係あるくない? https://――』
『それ思った。やり口が同じだし、絶対犯人同じだよ』
『殺されなかった子もいるんだってね』
『最初のうちは殺されてなかったけど、最近のヤツは全部殺されてる』
『うちこの高校に友達いるんだけど、最後の最後で逃げたらしいよ』
目をこらし、ページをスクロールする。掲示板に貼られたURLをクリックすると、『【未解決】連続集団性的暴行事件』という記事が出てくる。
『昨年一月、犯人は帰宅した女子中学生(14)の家に押し入り暴行を加え殺害。同年五月の未明には同じマンションに住んでいた女性(23)に暴行を加えようと、面を被って女性の部屋に侵入し、女性の顔を殴って三週間の怪我を負わせて逃走。同年十月の未明には、札幌市内の橋を渡ろうとしていた女性(32)を河川敷に引きずり落とし、スタンガンで脅して暴行を加えた。また今年春には複数名でナイフを持って女性を脅し、××ビルのエレベーターで女性に暴行を加えた後に殺害した。その後犯人は必ず複数人、同じ面を被った姿で確認されている。警察は主犯格を同一人物とみなしており――』
兎衣はいくつかの記事を辿り、事件関係者の裁判の記事に辿り着いた。裁判所は加害者の男たちに対し、懲役25年を言い渡している。
が――。
(主犯格って、今もまだ逮捕されてないんだ……)
カップに入れたままのココアが冷えきっていることも忘れて、画面に意識を集中させる。
その時、玄関のインターホンが鳴った。
兎衣の身体がびくりと跳ねる。
千香子はインターンシップで不在だ。こんな昼間に訪ねてくるような友人もいない。宅配便の予定もなかったはずだ。
怖い事件について調べていただけに何だか不気味に感じる。
兎衣は恐る恐る立ち上がり、インターホンのモニターを覗き込んだ。
しかし画面の中に映っていたのは――見覚えのある、怖がる必要なんて微塵もないような相手だった。
「ママ……?」
長めのコートにマフラーを巻き、ぽつんと立つ母の姿が、画面越しでもどこか頼りなく見えた。その肩には細かい雪が付いている。
母は函館に住んでいる。何故連絡もなしに来たのだろうと思いながら、慌ててドアを開けた。
すると、廊下の冷たい空気と共に、明るい声が飛び込んできた。
「ひっさしぶり〜! いや〜寒かった〜! ちょっと重いから、これ持ってくれる?」
目の前には、にこにこと笑顔を浮かべた母が立っている。長い移動を思わせるキャスター付きのキャリーバッグと、紙袋を両手に下げ、息を弾ませている。
「ママ、何で急に……」
兎衣が戸惑いながら聞くと、母は室内にずかずかと上がりこみ、靴を脱ぎながらさらりと言った。
「吉方位旅行よ」
「え?」
母は悪びれる様子もなくキッチンの方へ歩きながら続ける。
「ほら、今月のこの日はね、北東が吉方位なのよ。函館から札幌って北東でしょう? ちょうど兎衣もいるし、もうこれは行くしかないって思って。それでね、今日泊めてくれない?」
「……ここまで来るお金は、どうしたの?」
思わず口から漏れた問いに、母はあっけらかんと答えた。
「え? 兎衣が先月送ってくれたお金から使ったよ?」
返ってきたその一言に、兎衣は立ち尽くした。
母に送るお金は、本当は大事に、生活費にあててほしいと思って送っているものだ。灯油代、食料品、暖房費。函館の冬は長くて厳しい。
なのに、そのお金を「吉方位旅行」とやらに使ったというのか。こちらには、用なんてないくせに。
荷物を下ろし、ぺたんとリビングのソファに座り込む母を見つめながら、兎衣は何とも言えない感情を押し殺した。
素直に来てくれて嬉しいと言えない自分が酷く冷たい人間のように思えて、自己嫌悪が伸し掛かる。
母は、兎衣に会いたくて来たのではない。占い師の言葉に背中を押されて、ただ運気の流れとやらに乗っかっただけだ。
そのために電車に乗って、兎衣が必死に稼いだお金を使って札幌までやって来た。
「ねえ、兎衣、なんか作ってくれない? さすがにお腹すいちゃった」
母の明るい声が響く。何でもない言葉なのに、胸が痛んだ。




