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すすきの性病専門クリニックのワケあり医師とバニーちゃん  作者: 淡雪みさ
FILE1 手に入らないもの

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22/52

最後の願い



 :


 パトカーの赤色灯が夜のホテル前を染めていた。警察官に両脇を支えられ、サクラはゆっくりと車の方へと歩いていく。その表情に、もう先程までの悪魔の笑みは宿っていない。ようやく長い悪夢から目覚めた人のような穏やかさがあった。

 その足がふと止まる。振り返ったサクラの視線の先には、兎衣がいた。


「ありがとう」


 それは、心の奥底から滲むような熱を持った、感謝の言葉だった。


「気持ちに寄り添ってくれたのはあなたが初めてだった。誰もがわたしを腫れ物扱いしたけれど、あなたは違った。わたしがあんなことをしたのに、正面から手を伸ばしてくれた」


 サクラは少し微笑んで、ぽつりと続ける。


「……被害を受けた後にね、三ヶ月待ってやっと予約が取れた精神科に行って、勇気を出してレイプ被害のトラウマを話したの。でも向こうも忙しかったみたいで、イライラした様子で『時間がないから、もっとまとめて喋って』って言われた。当たり前よね。わたしの後ろにだって何人も待ってたんだから。それから誰かに打ち明ける勇気がなくなって、病院にも行けなくなって、引きこもっちゃった」


 夜風が冷たく吹き荒び、髪がそよぐ。


 事件当時まだ高校生だったサクラは引きこもりになった後、進学はせずに夜の道に進んだらしい。club夢妃のキャストではないものの、キャバ嬢をやっていたのは事実のようで、客に手を出し、そこで何度もトラウマの再演をした。

 軽々しく枕営業をするせいで痴情がもつれ、兎衣と出会った時のように、厄介な客に絡まれることもしばしばあったとのことだ。

 サクラは顔を上げ、名残惜しそうに言った。


「ねえ、最後に……お願いをしてもいい?」


 何だろう。不思議に思いながらも、兎衣は小さく頷いた。



「――わたしを襲った犯人を、見つけてほしいの」


「……え?」

「彼は今もどこかで生きている。のうのうと何食わぬ顔で。わたしから全部を奪ったのに、一度だって裁かれていない。……ずっと、逃げおおせてる」


 サクラの目に、微かに涙が光った。


「わたしがやったことは許されない。でも――だったらあいつにだって、裁きを受けてほしい。ばにぃちゃん、わたしはもう外には出られないけれど、どうかあなたは檻の外で、わたしの願いを叶えて。……お願い」


 その言葉を最後に、警察官が静かに促す。サクラは再び兎衣に背を向け、パトカーへと乗り込んでいった。

 兎衣は立ち尽くしたまま、パトカーが走り去るのを眺めていた。



 警察が現場検証の準備を始めている中、横からやってきた誠が真剣な表情で兎衣の手を取る。その指先は痛々しいものだった。


「まだ出血してるな。痛いだろうがちょっと我慢しろ。ガーゼ巻くから」

「……はい」


 誠が兎衣の指を軽く流水で洗い、白いガーゼで優しく巻いた。

 さっきまでの出来事が夢だったかのように、世界が落ち着きを取り戻しつつある。

 隣に立っていた千香子が心配そうに兎衣を覗き込んできた。


「兎衣、大丈夫? 他に痛いところはない?」

「うん。他には何もされてないよ。心配かけてごめん」

「よかったぁ……あんたってば、ほんともう……こんなこともう二度とやめてよね」


 千香子が脱力したようにへなへなと蹲る。心配していてくれたのだろう。


 誠と千香子は、この付近のホテルを手当たり次第に当たってくれたらしい。

 フロントには、友達から助けてくれという連絡があったと伝えて回ったとのことだ。兎衣のいたホテルには、ぐったりとした兎衣を運んでいくサクラのことを様子がおかしいと最初から怪しんでいたホテルマンがおり、すぐに部屋番号を調べて様子を見に行くことにしてくれた。

 兎衣がこうして無事に保護されたのは、数々の幸運が重なったがゆえだ。


 兎衣は不意に、目の前で手当てをしている誠の横顔をじっと見つめる。

 心臓が高鳴っていた。数々の幸運の中の一つ。あの瞬間、自分を助けてくれた姿が、まるでヒーローのように見えた。否応なく惹かれてしまった。たとえこの想いが衝動的でも、きっと偽物ではない。


「弟子にしてください!」


 誠の手が止まった。


「…………は?」


 誠は面食らったように兎衣を見た。千香子が隣で「えっ……」と目を丸くする。

 兎衣は頬を熱くしながらも、まっすぐな瞳で続けた。


「私、あんな風に助けてもらったの、初めてです。この世界に、こんな奇跡があるんだって思いました。そう思わせてくれたのは誠先生です。誠先生のこと、物語に出てくるヒーローみたいに見えました。私も誠先生みたいな、誰かを助けられる人になりたい。だからっ……弟子にしてください!」

「弟子…………?」


 キラキラとした目を向ける兎衣に、誠は本気で困惑している様子だった。

 誠の応急処置の手が止まったまま、変な空気が場に漂う。

 耐えきれなかったらしい千香子が噴き出した。


「兎衣、やっぱあんた大物だわ。事件に巻き込まれた直後に弟子入り申し込む人初めて見た」


 面白がっている千香子の隣で、誠は「道場じゃねぇんだから」と呆れ顔をしていた。先ほどまで冷静だったその顔が、今はすっかり困った兄のような表情に変わっている。

 そして誠は、千香子に言い残した。


「兎のこと、後はお前に任せていいか? 明日は訪問診療の仕事があって朝早いんだ」

「はい。誠先生、今日は本当にありがとうございました。警察に連絡してくれた院長さんにもお礼を伝えておいてくれたら嬉しいです」


 千香子が丁寧に頭を下げた。

 その横で、兎衣は返ってきたスマホの電源をつけ、時刻を確認する。日付はとうに変わっていた。

 ――こんな時間まで、自分を探し回ってくれていたんだ。

 胸の奥でむずむずと、憧れがまた一つ膨らむ。誠への気持ちが、千香子への感謝と共に大きく膨れ上がった。


 兎衣と千香子は、夜の歩道を歩いていく誠の背中を見送った。


 警察に名を呼ばれ、立ち上がってそちらへ向かう。

 右手にはガーゼが巻かれている。剥がれた爪の痛みは、時折ぴりりと存在を主張する。けれど兎衣は、その痛みを抱えながらも、何だか清々しい気持ちだった。


 両親が離婚した時奇跡は起こらなかった。困った時は奇跡を期待せず、誰にも頼らず、一人でどうにかするしかないと思い込んでいた。

 でも今回、兎衣は人の優しさに救われた。怖い目に遭ったけれど助けてもらえた、その事実がこれからの自分の世界への見方を変えてくれるように思った。


 ――神様はいないけれど。あの人のように、人を助けられる神様みたいな人になりたい。


 薄曇りの夜空の下、兎衣の背筋はまっすぐに伸びていた。




 :



 後日。兎衣がOnlyへの出勤のために市電沿いの道を歩いていると、マッチョCLUB在籍のりくマッスルと――細川が何故か並んで歩いていた。

 意外な組み合わせが仲良く歩いていることにぎょっとした兎衣は立ち止まる。


「細川さん!? りくマッスル!?」


 すると二人は立ち止まり、兎衣の方を見る。細川が片手を上げて手を振ってきた。


「おおっ、ばにぃちゃん、久しぶり!」

「細川さん……りくマッスルと知り合いだったんですか?」


 本当に、すすきのという街は意外と狭い。思わぬところが繋がっている。

 細川がりくマッスルと肩を組みながら答えた。


「通ってるジムで知り合ったんだ」

「ジム!?」


 言われてみれば、心なしか、細川のぽっこりお腹が以前より控えめになっている。

 細川は、得意げにキラリと白い歯を見せて笑った。


「俺、心を入れ替えて、キャバクラじゃなくてジムに通ってるんだよ。ほら、色んな女と遊ぶのも、そろそろ卒業かなって。ばにぃちゃんの店にも通えなくなるけど、寂しくさせてごめんな」

「いやぁ、細川さん、筋肉育てる才能ありますよ! 一緒にトレーニングして、いずれオレたちの店で働きましょ! ハハハ!」

「おいおい、りく君、そんなに褒めるなって」


 筋肉で通じ合っているのか、りくマッスルと細川は親しげに笑い合っている。

 ……細川は、隣にいるのが妻の不倫相手だなんて、夢にも思っていないだろう。

 色々と思うところはあったが、兎衣は苦笑いして、その場を立ち去った。




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