日向の気持ち
綾乃がクランハウスに引っ越してきてから数日が経った。
五十人は住めそうな広大な屋敷に四人で暮らすというのは、なかなか贅沢な話だ。綾乃も少しずつ緊張が解け、灯や日向と冗談を言い合えるようになってきた。
ある日の昼下がり。日向は倉庫代わりになっていた離れの掃除を担当していた。
「うぷっ! これ埃すごいわね…」
長年放置されていたせいで、少し動かすだけで白い粉が舞い上がる。マスクをしていても咳き込みそうになるほどだ。
「もう、我慢できない! お風呂先に入らせてもらうわよ!」
日向は箒を放り出し、埃まみれの服をパンパンと払いながら母屋の風呂場へと向かった。
「お風呂入るわよー!」
日向は脱衣所で服を脱ぎ捨て、勢いよく扉を開けた。
その瞬間。
「あ」
「あ」
湯気が立ち込める浴室の中、シャワーの下に一人の男が立っていた。
優斗だ。
石鹸の泡を体に塗った状態で、固まっている。
そして日向もまた、一糸まとわぬ姿で入り口に立ち尽くしていた。
一瞬の静寂。
二人の視線が絡み合う。日向の目は点になり、口が金魚のようにパクパクと開閉した。
「…きゃあああああああああっ!!」
日向の絶叫が屋敷中に響き渡った。
「な、何事!?」
「敵襲ですか!?」
灯と綾乃が武器を手に風呂場へ駆けつける。
脱衣所にはバスタオルを必死に巻き付けた日向と、バスタオルを腰に巻いた優斗がいた。明らかに日向が後から飛び込んだとわかる状況だ。
「…あんたねぇ」綾乃が呆れたように言う。「覗きじゃなくて、自分から突撃したのね」
「ち、違うの! 入ってると思わなくて…!」
灯はクスクス笑いながら、「優斗さんも鍵、ちゃんと閉めてくださいね」と注意した。
騒動が収まった午後。まだ顔が赤い日向が、日用品の買い出しに出かけることになった。
「じゃあ行ってくるわね。何かいるものある?」
優斗は丁度荷造りをしていたので、ふと思い出したように言った。
「ああ、悪い。ゴム買ってきてくれないか?」
「ご、ゴム…?」
日向の動きが止まった。ゴム。男が女に頼むゴム。つまりはあれか。
日向の脳内で猛烈な早さで妄想が膨らむ。
(私の裸見て…やっぱり興奮しちゃったのね!? で、今日これを使って私と…!?)
顔から火が出そうになるのを必死に抑え、「わ、わかったわよ!」と言うのが精一杯だった。
コンビニに入った日向は、コンドームのコーナー前でウロウロしていた。
(ど、どれがいいのよ…初めてだし…優斗は大きかったから…)
店員の視線が痛い。意を決して一つ掴み、レジに叩きつけるようにして買った。
屋敷に戻り、日向は息を切らして優斗の部屋へ向かった。
「は、はい! 買ってきたわよ!」
震える手で袋を差し出す。顔は真っ赤だ。
優斗は袋の中身を取り出し、きょとんとした顔をした。
「…日向。これ、コンドームじゃないか」
「えっ…だって、ゴムって…」
「いや、輪ゴムだよ。アイテムボックスの中身を小分けにするための輪ゴム」
優斗はデスクの上にある書類を指差した。「これを束ねたいんだよ」
日向の時間が止まった。
数秒後。
「優斗のバカァァァッ!!」
日向は袋を優斗に投げつけ、涙目で部屋から飛び出した。
「ちょっと日向ちゃん!?」
廊下を走り去る日向の心の中で、「私の乙女心返して!」という叫びとともに、「優斗と出来ると思ってたのに」という微かな失望も混じっていた。
数日後。クラン「祝福の絆」は初めてのC級ダンジョン「翠緑の迷宮」へと足を踏み入れた。
C級ともなるとモンスターも強力で、罠も多い。だが、《祝福の絆》によって強化された3人にとっては、散歩のようなものだった。
「はあぁぁっ!」
綾乃の刀が閃き、魔法耐性を持つ植物型モンスターを一撃で両断する。
「《ファイアボール》!」
日向が放った火球はモンスターの群れを焼き払い、灯の回復魔法は微かな傷も瞬時に癒やす。
「余裕ね。これならA級でも行けそうじゃない?」
日向が杖を肩に乗せて言う。
「油断大敵だぞ。でも、この調子なら依頼時間より早く終わりそうだな」
優斗が笑う。前衛の綾乃がいることで戦闘の効率は格段に上がっていた。
正午になり、安全な広間で休憩を取ることになった。
優斗がアイテムボックスに手を入れると、カシャカシャと何かを取り出した。
「これを使え」
優斗が広げたのは、工事現場などにあるような簡易トイレだった。周囲を覆うテント付きの立派なものだ。
「あっ…!」
灯と日向と綾乃の目が輝いた。
「これ…あの時の…!」日向が感動した声を上げる。
「優斗さん、やっぱり買ってくれたんですね!」灯が目を潤ませる。
「素晴らしいわ…これで水飲むの我慢しなくていいのね…」綾乃も拳を握りしめる。
優斗は少しだけ照れくさそうに鼻をかいた。
「女の子の快適さは大事だろ。ただし、使うときは絶対に見張りをつけておけよ。モンスターが来るかもしれないからな」
「はい! ありがとうございます!」
三人は仲良く簡易トイレに向かった。その背中を見守りながら、優斗は小さく笑った。
サクッとC級ダンジョンを攻略し、四人は夕暮れ時にはクランハウスに帰還した。
「今日も勝利ね!」
「灯ちゃんの回復のおかげですよ!」
「いやいや、綾乃さんの火力よ!」
和やかな声が玄関に響く。
優斗は空を見上げた。C級も余裕でこなせるようになった。次はB級か、いやA級か。
「さあ、晩飯にするか。今日はカレーな」
「やったー!」
四人の新しい生活は、今日も平和で、そして確実に強くなっていた。




