異世界の空
扉を開けた。重い扉が軋み音を立ててゆっくりと動く。扉の向こうから吹き出してきた空気は、こっちのダンジョンとは違う。湿気は少ないが、どこか異質な匂いがする。
「ここは…」
扉を抜けてみると、そこは同じようなダンジョンの中だった。石造りの通路が続いている。見た目は若洲ダンジョンと似ているが、壁の質感が微妙に違う。壁に埋め込まれた鉱石の色が紫ではなく赤い。
「ここが異世界のダンジョンってことかしら」楓さんが周囲を見渡しながら言う。
「でしょうね。さすがに扉を開けたらすぐ母さんたちがいるとは思ってなかったけど、ダンジョンを抜けないといけないのか」
「だろうね。でもこっちのダンジョンはさっきのと比べたら短いかもしれないわ。優斗さんたちはこの先に出て、向こうの世界を見てから戻って手紙を書いたんだから」
「確かに。じゃあ出口は近いってことですね」
「かもしれないわ。でも油断はしないで」
楓さんが俺を見た。
「よし、また走るわよ。綾斗、誰におんぶして貰うの?」
その一言で空気が変わった。萌香と皐月と悠花と瑞葉と琴音の目が一斉に光る。
「私がおんぶするの!」萌香が手を挙げる。
「昨日は瑞葉だったから今日は私よ」皐月が前に出る。
「私がおんぶしたかったの」悠花が唇を尖らせる。
「身長的に私が1番適任でしょ」瑞葉が胸を張る。
「おんぶするのは私よ」琴音が薙刀を振る。
「お前ら喧嘩するなよ…」
「喧嘩じゃないわよ。話し合いよ」萌香が言う。
「話し合いになってないだろ」
「じゃんけんで決めましょう」皐月が提案する。
「そうね、それが公平ね」琴音が頷く。
熾烈なじゃんけん勝負が始まった。5人が円になって向かい合う。
「じゃんけんぽん!」
「あっ私負け」「私も」「残念」
「もう一回!」「待って待って」
「じゃんけんぽん!」
「やったー!」悠花が両手を挙げて喜んでいる。
「えー私だと思ったのに」萌香が不満げだ。
「悠花おめでとう」皐月が微笑む。
「私の勝ちよ」悠花がにこにこしている。
「はいはい。悠花よろしく頼む」
悠花の背中に乗る。悠花の身長は150センチをちょっと超えるくらいだろう。俺の方が大きい。潰しそうで怖い。
「大丈夫だよ。しっかりと抱きついていてね」悠花がニコニコしながら言う。
「本当に大丈夫か? 潰れないか?」
「平気平気、落とさないから」
「そういう問題じゃなくて…」
「信じて」悠花が振り返って微笑む。その笑顔に逆らえない。
「わかったよ。よろしくな」
「任せて!」
悠花が立ち上がる。俺を背負っても全く揺るがない。さすが35.7倍のステータスだ。
「重くないか?」
「軽いよ。羽毛みたい」
「そうか…」
「綾斗は軽いから心配ないけど、落とさないようにね」皐月が念押しする。
「落とさないよ! 綾斗は大事なんだから」
「はいはい。行くぞ」
俺は悠花の背中から号令をかける。
「異世界のダンジョンだ! 何があるか分からない! 気をつけて走ってくれ!」
「「おー!」」
307人が一斉に走り出す。さっきの戦いでみんなレベルが上がって、さらにスピードが速くなっている。悠花の走りも軽い。背中の揺れは少ない。瑞葉より少し遅いかもしれないが、それでも俺の全力疾走よりずっと速い。
「速いな悠花」
「もっと速くても大丈夫だよ」
「無理しなくていい。長距離だからな」
「うん。ペース配分するね」
モンスターが現れた。異世界のモンスターだ。見たことのない形状だ。赤い鉱石のような体を持つ犬型モンスター。でも32.7倍のステータスを持つ307人にかかれば、未知のモンスターでも問題ない。
「邪魔!」先頭集団が一閃する。赤い犬が砕け散る。
「何これ。硬いけど脆いわね」
「中身が空洞になってるわ」
「変なモンスターね」
次々と現れるモンスターを蹴散らしながら進んでいく。異世界のダンジョンはこっちの世界より短かった。罠もあったが、前と同じで作動する前に駆け抜けていく。
一生懸命に罠とか設置したダンジョンが可哀想になってくるな。307人が全力で走り抜けるから、罠が発動する暇もない。
「このダンジョン可哀想ね」萌香が走りながら言う。
「何言ってるのよ」琴音が笑う。
「いやだって罠とか仕掛けてるのに全員走り抜けたら意味ないじゃん」
「それはそうだけど」
「ちょっと萌香、前を見て走れ」
「大丈夫大丈夫」
「大丈夫じゃないだろ」
夕方までにダンジョンを抜けることに成功した。出口の光が見えた瞬間、全員が歓声を上げた。
「出口だ!」
「やった!」
「抜けたわよ!」
外に出てみる。夜だ。でも周りを見て、俺たちは息を呑んだ。俺たちの世界とは違う場所みたいだ。同じ若洲なんだろうか?
「ここが異世界の若洲か…」俺が呟く。
楓さんが周囲を見渡しながら言った。
「こっちの日本も埋め立てはしてるようね。海の中だったらどうしようと思ってたんだけど」
「海だったんですか? 若洲って」琴音が聞く。
「若洲どころか東京の半分以上は海だったのよ。皇居が江戸城って呼ばれてた時代はあそこが海沿いの土地だったらしいわ」
「ええー海があった所に高層ビルとか建てているんですか? 人類の技術ってすごいですね」琴音が驚いている。
「人類の技術というより埋め立ての技術ね。数百年かけて海を埋めて街を作ったのよ」
「すごいわね」
見た感じ、こっちの世界に高いビル群はなさそうだ。遠くに見えるのは低い建物と、何か大きな壁のような構造物だ。街を囲むように城壁が築かれている。まるで中世の城下町みたいだ。
「城壁があるわね」皐月が言う。
「モンスターから街を守るためでしょう」俺が答える。
「それなら私たちの世界と同じね。ダンジョンが街を襲うから」
「でも城壁なんて私たちの世界にはないでしょ」
「ダンジョンが街の近くにできないからね。ダンジョンが出現したら即封鎖されるし」
「こっちの世界はダンジョンが街の近くにも出現するのかもしれない」
「だとしたら大変ね」
とりあえず朝を待ちましょう、と楓さんが言う。俺はバスとテントを出して食料を配る。
「交代で見張りをしてくれ。異世界の夜がどういうものか分からないからな」
「了解」
交代で見張りをしながら、朝を待った。俺はなかなか眠れなかった。父さんたちはこの空の下で戦っている。もうすぐ会える。そう思うと胸が高鳴る。
朝になった。明るくなった頃、見張りの女性が大きな声でみんなを起こした。
「みんな起きて! 空を見て!」
全員がバスやテントから出てきて、遠くの空を見て息を呑んだ。
巨大なドラゴンが空を飛んでいた。
翼を広げると数十メートルはあるだろう巨大な体。黒い鱗が朝日を反射して輝いている。咆哮が遠くからでも聞こえる。地響きのような声だ。
「あんなのがいる世界で人類は生き残っているの?」誰かが言った。
「神級モンスター…」皐月が呟く。
「あれが神級モンスターなのか?」俺が聞く。
「かもしれないわ。あの大きさと魔力の量は今まで見たモンスターとは次元が違う」
「父さんたちはあんなのと戦っているのか…」
「そうね。あれが1体だけじゃないかもしれない」
「冗談だろ…」
「冗談じゃないわよ」楓さんが真剣な顔で言う。「これが神級の世界よ。覚悟しなさい」
「はい」
俺は空を見上げた。巨大なドラゴンが悠々と飛んでいる。あれを倒さなければならない。父さんたちはすでにそれをやっているのか。
「すごい…」萌香が呟く。「あんなのがいるのね」
「でも私たちならやれるわよ」琴音が拳を握る。
「油断するなよ。32.7倍でもあれには勝てないかもしれない」
「でもやるしかないでしょ」瑞葉が盾を構える。
「そうだな。やるしかない」
「綾斗」悠花が俺の隣に立つ。「お父さんたちに会えるといいね」
「ああ。会えるさ」
「信じてる」
「うん」
俺は307人に向き直った。
「これが俺たちの目的地だ。神級ダンジョンがある世界。父さんたちはここで戦っている。俺たちは父さんたちを迎えに行く。でもその前に、この世界のことを知らないといけない」
「街に行ってみましょう」楓さんが言う。「人里があれば情報が得られるわ」
「そうですね。でも気をつけて。あんなドラゴンが飛んでいる世界ですから」
「了解」
307人が朝日の中を歩き出した。異世界の空の下。見知らぬ土地。見知らぬ危険。でも父さんたちが待っている。それだけは確かだ。
「行くぞ。異世界の街に!」
「「おー!」」
307人の声が異世界の空に響き渡った。百花繚乱の花たちは、いよいよ最後の戦場に咲き誇ろうとしている。
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