辱められる灯
藤宮クランの拠点は、探索者協会近くにある高級マンションの最上階だった。重厚なドアを開けると、革のソファにふんぞり返った男がグラスを揺らしている。藤宮雷人。B級探索者であり、このクランのマスターだ。
「脱退? お前、正気か?」
藤宮は薄い笑みを浮かべたまま、綾乃の脱退届を受け取ろうともしなかった。
「正気です。もう限界なんです」
綾乃はきっぱりと言った。手にはすでに協会で受理された脱退証明の控えがある。探索者がクランを脱退するのは個人の権利だ。マスターが拒否することはできない。
「俺の庇護下を離れたら、お前なんかすぐに死ぬぞ。A級だろ? 他のクランが鴨にしようと群がるだろうよ。俺が味方についてなきゃ、お前みたいな女は道具にされるのがオチだ」
「今の状況と何が違うんですか」
綾乃の声には冷たい怒りが宿っていた。今まで散々、彼女は藤宮の利益のための道具として使われてきたのだから。
「まあいい。どうしてもと言うなら止めはしない。だがな、綾乃。どこに行くつもりだ?」
藤宮の目が細められた。まるで獲物を逃がさまいとする蛇のような目だ。
「…白夜優斗のクランに行きます」
綾乃は一瞬迷ったが、あえてそう口にした。藤宮への当てつけもあった。あの優しい男の元なら、自分も人間として扱ってもらえると思ったからだ。
「ああ? 白夜だと? あの戦闘力低男か? 笑わせるな。こんな俺たちを見捨って、あんな雑魚のところへ?」
「雑魚じゃありません。彼は…あなたたちとは違う、本当の仲間になれる人です」
綾乃の言葉に、藤宮は鼻で笑った。
「そうかよ。勝手にしろ。だが覚えとけ、後悔しても知らんぞ」
藤宮は脱退届をひったくり、机の上に放り投げた。
「さっさと消えな」
綾乃は深く一礼し、部屋を出た。これで自由になれる。そう信じていた。
だが、ドアが閉まった直後、藤宮の顔から笑みが消えた。
「…白夜のクランだと? ふざけやがって」
藤宮は内線電話を取った。
「おい、例の女が出て行ったぞ。A級探索者をみすみす手放せるかよ」
電話の向こうの手下に指示を出す。
「白夜のクランの奴らをマークしろ。誰か一人さらって来い。一番弱そうな女だ。名前は…確か月島灯とか言ったな」
藤宮はニヤリと笑った。
「綾乃が戻ってくるまで、俺たちを楽しませてもらうぞ」
◇◇◇
翌日の午後。優斗たちはD級ダンジョンで依頼をこなし、協会への帰り道にあった。
「優斗さん、あそこのお店シュークリームが美味しいんですって!」
灯が店の前で足を止める。
「甘いものばかり食って太るぞ」日向が呆れたように言う。
「動いてるから大丈夫ですよ! ねえ優斗さん、一つだけ!」
「しょうがないな。じゃあ俺も貰おうか」
優斗が財布を取り出したその時だった。
ドンッ!
突然、路地から飛び出してきた数人の男たちが、灯の腕を掴んだ。
「えっ? な、何…!」
「確保したぞ!」
男たちは黒いジャケットを着た藤宮クランの構成員だった。
「灯ちゃん!」日向が叫ぶ。
「おい、何をする!」優斗が前に出ようとしたが、別の男が杖を突きつけた。
「離して! 優斗さん!」
灯が必死に抵抗するが、男の手は鉄のように強い。
「テメェら、藤宮の手下か!」
優斗が怒鳴る。
「賢しいな。じゃあな、白夜」
男たちは路地の奥へと灯を引きずり込んでいった。日向が魔法を放とうとしたが、人混みの中で詠唱する余裕がない。
「灯! 灯ーっ!」
優斗は追いかけたが、路地は複雑に入り組んでおり、すぐに見失ってしまった。
◇◇◇
藤宮クランの地下倉庫。湿っぽいコンクリートの部屋に、灯の悲鳴が響いていた。
「やめて! 服を…返して!」
灯は全裸にされていた。男たちに囲まれ、震え上がっている。
「へえ、結構いい身体してんじゃねえか」
「綾乃さんが出ていく原因だろ? だったら代わりになってもらわねーとな」
男の一人が天井から伸びるロープを降ろし、灯の両手首を縛り上げた。
「いやっ! 痛い…!」
ロープが引き上げられ、灯はつま先が床につくかつかないかの状態で吊り下げられた。重力で肩関節が軋む。冷たい空気が肌を刺す。恥ずかしさと恐怖で、涙がこぼれ落ちた。
「綾乃さんが戻ってくるまで、たっぷり可愛がってやるよ」
男たちの下卑た笑い声が響く。灯は目を固く閉じた。
(優斗さん…助けて…)
だが同時に、彼女の心の奥底で小さな炎が燃えていた。
(でも…信じてる。優斗さんなら絶対に来てくれる)
◇◇◇
同時刻。優斗の自宅に一通の手紙が届いていた。
差出人は藤宮クラン。
震える手で封を切ると、中から一枚の写真と手紙が出てきた。
写真には、ロープで吊るされ、全裸で震える灯の姿が映っていた。目隠しされているが、間違いなく灯だ。
優斗の目が血走る。胃の底からドス黒い怒りが込み上げてきた。
手紙には短く書かれていた。
『月島灯を預かっている。返して欲しければ桜庭綾乃を返せ』
優斗は手紙を握りつぶした。
「ふざけやがって…!」
彼は剣を手に取り、家を飛び出した。
「灯…絶対に助ける」
夜の街に、一人の男の怒りが静かに燃え上がっていた。
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