英雄たちの稽古
「ただいまー」
クランハウスの玄関を開けると、いつものように美味しそうな匂いが漂ってきた。今日の夕飯はハンバーグらしい。肉の焼ける音と香ばしい匂いに腹が鳴りそうになる。
「おかえり綾斗」
リビングに入ると、綾乃母さんがエプロン姿で出迎えてくれた。テーブルにはすでに料理が並び始めている。灯母さんと日向母さんがサラダを作っている最中だ。
「今日はD級ダンジョンに行ってきたんだ」
俺がそう言うと、キッチンにいた静香母さんが振り返った。
「D級? 早くない? 登録してまだ数日でしょう?」
「楽勝だったよ。ボスもあっけなかったし」
俺が胸を張ると、日向母さんがフライパンを片手に呆れた顔をした。
「あんたねぇ、油断大敵って知らない? 初心者が一番危ない時期なんだからね」
「はいはい気をつけます」
「それで?」灯母さんがテーブルに皿を並べながら聞いてきた。「これから祝福の絆に入るの?」
俺は首を横に振った。
「いや自分たちだけで頑張るよ。父さんたちとは別の道を歩きたいんだ」
三人は顔を見合わせてから、ふっと笑った。
「そうね。あんたはあんたのやり方でやりなさい」
「でもね」綾乃母さんが真面目な顔になった。「一度メンバーを連れてきなさい。私たちが稽古をつけてあげるわ」
「えっ? いいの?」
「もちろんです! 優斗君の仲間なら私たちの子供みたいなものですもの」静香母さんがウインクする。
「じゃあお言葉に甘えて」
翌日俺は萌香と皐月にそのことを話した。
「ええっ!? あの伝説のS級探索者たちに稽古をつけてもらえるの!?」
萌香が目を輝かせて叫ぶ。
「英雄のお誘いを断れるわけないわね」皐月も珍しく興奮を隠せない様子だ。
「じゃあ放課後行こうか」
三人でクランハウスに向かうと玄関先で揃って待っていた。灯母さん、日向母さん、静香母さん、綾乃母さん、美月母さん、凛母さん、巴母さん、カグヤ母さん、美鈴母さん、藍母さん、翠母さん、沙織母さん、雪乃母さん。普段は探索や家事でバラバラに動いている彼女たちが勢揃いしているのは珍しい。
「いらっしゃい! あなたたちが綾斗の仲間ね?」
灯母さんが優しく微笑む。
「はい! 桐生萌香です! 剣士やってます!」
萌香が緊張しながら挨拶する。
「月城皐月です。ヒーラーです」
皐月も居住まいを正す。
「よし! まずは基礎確認からね」綾乃母さんが腕まくりをする。
「皐月ちゃんは灯さんと美鈴さんと行ってちょうだい。光弾ライトニングを教えるから」
「はい! お願いします!」
皐月が二人に連れられて庭の一角へ向かう。
「萌香は私たちとね」綾乃母さんがニヤリと笑う。その後ろには美月母さん凛母さん巴母さんカグヤ母さんが不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「えっ…あの…その人数は…」
萌香が震え出す。
「さあ始めるわよ! 覚悟しなさい!」
剣術指導組は凄まじかった。五人のA級経験者が一斉に斬りかかってくるのだ。萌香は悲鳴を上げながら必死に剣を振るっていた。
一方魔法指導組は穏やかだった。
「いい? イメージするのよ。指先から光が放たれるのを」灯母さんが優しく教える。
「魔力を練る時は深呼吸して。焦らないで」美鈴母さんが手本を見せる。
皐月は真剣な表情で杖を構え何度も何度も試していた。
数時間後稽古が終わった。
「ふぅ…死ぬかと思った…」萌香が床に大の字になって倒れている。
「でもすごく為になったわ。剣の振り方もステップも全部変わった気がする」
皐月も息を切らしながらも満足げだった。
「できたんです! ライトニング! 小さかったですけど放てました!」
「素質あるわね。すぐに大きくできるようになるわよ」灯母さんが頭を撫でる。
「さあ汗かいたし風呂に入りましょう!」巴母さんが元気よく言った。
「えっ、ここでお風呂ですか?」
「もちろん! 自慢の大浴場があるのよ!」静香母さんが二人の手を引く。
脱衣所で服を脱いでいると巴母さんが俺の背中をバンと叩いた。
「綾斗も来なさい!」
「えっ俺も? でも女子が…」
「何言ってるの! 私たちとはいつも一緒に入ってたじゃない!」
強引に腕を引かれて大浴場へ。湯気が立ち込める広い浴槽にはすでに全員が浸かっていた。
萌香と皐月は顔を真っ赤にしてタオルで身体を隠している。対して母さんたちは何の恥じらいもなく堂々としている。
「さあ入って!」日向母さんが手招きする。
俺も湯に浸かった。母さんたちとはいつも通りだ。でも萌香と皐月の同年代の女子の裸は…意識しないようにしても目に入ってしまう。しかも二人ともスタイルがいい。俺は慌てて湯に潜り込んだ。
そんな俺たちを見て綾乃母さんが静かに口を開いた。
「二人にお願いがあるの」
「なんでしょうか?」皐月が緊張して聞く。
「父親もそうだったけど綾斗のスキルも女性しか強化できないの。多分あなた達も女性ばかりのパーティになると思うけど強化されてるのは自分達だけってことを忘れないでね」
二人が目を見開く。
「どういうことですか?」萌香が首を傾げる。
灯母さんが続けた。
「今はそんなにステータスの差もないけどその内に綾斗だけがついて来れなくなるから、ダンジョンの移動なんかもあなた達にとっては楽なスピードでも綾斗にとってはずっとマラソンしてる状態になるの」
日向母さんが懐かしそうに言った。
「懐かしいわね。私たちはそれに気づくのが遅くて優斗が倒れちゃったのよね」
二人が「あっ」と言って俺の方を見る。強化されている自分たちとそうでない俺の差。さっきまでの稽古で二人がどれだけ強くなったか実感したばかりだ。それに対して俺はただの人間だ。
俺は目を逸らしながら言った。
「まだ大丈夫だよ。まだ無理はしてないから」
でも心の中では分かっていた。いつか必ず来る壁だ。父さんが乗り越えた壁を俺も越えなければならない。
お風呂から上がると母さんたちが言った。
「今日は泊まっていきなさい。遅いし危ないから」
俺の部屋に布団が二組敷かれた。萌香と皐月が並んで横たわる。俺はベッドだ。
「ねえ綾斗」暗闇の中で萌香が呟いた。「本当に大丈夫? 私たちのせいで無理させたくないよ」
「大丈夫だって。父さんだって乗り越えたんだから俺にもできるさ」
「私も気をつけるわ」皐月が言う。「綾斗のペースに合わせて歩くこと。それくらいしかできないけど」
「二人も無理するなよ。俺が守るから」
沈黙が流れた後、萌香がふっと笑った。
「変なの。初めて会った時はこんな風になるとは思わなかったな」
「そうね」皐月も同意する。「でも悪くないわねこういうのも」
俺たちは夜中までこれからのことやダンジョン攻略の不安、そして些細な日常の話をした。壁一枚隔てた場所では母さんたちが昔話をしている声が聞こえる。この温かな場所が父さんが守り抜いた場所なんだと実感した夜だった。




