初陣
掲示板の前で銀色の髪の少女がこちらを振り返った。淡い紫色の瞳がじっと俺を見ている。値踏みするような視線だった。
「パーティ組んでほしいって、あんたたち新人?」
声は低めだが透き通っている。年は俺と同じくらいだろうか。
「うん。今日登録したばかり。俺は白夜綾斗」
「桐生萌香。前衛やってる」
萌香が元気に手を挙げる。
「で、あんたは?」
少女の視線が俺に戻る。
「バッファーと前衛かな」
「バッファー? あんた、ステータスを上げる系?」
「うん。あとアイテムボックス持ち」
「…本当?」
少女の眉がぴくりと動いた。
「あんたそれ、もしかして白夜優斗の息子?」
「そうだけど」
「へえ。噂には聞いてた。S級探索者にして日本初の重婚認可された人、だっけ」
少し皮肉っぽい言い方だった。でも目は笑っていないだけで敵意はない。
「とりあえずお試しでいい? 一緒にダンジョン行って、あんたたちの実力見てから決める」
「いいよ、一回行ってみよう」
「じゃあ決まり。私の名前は月城皐月。ヒーラー志望。よろしく」
皐月は短く手を差し出した。俺が握り返すと、萌香も割り込んできた。
「私も握手! よろしくね皐月!」
「…うん。よろしく」
皐月は少し驚いた顔をしてから、小さく笑った。どうやらあまり人に囲まれるのに慣れていないらしい。
「じゃあ初心者向けダンジョン行こう。霊樹の迷宮ならE級だし、まずは手慣らしにちょうどいい」
萌香が張り切って歩き出す。
「あ、ちょっと待って。ダンジョンの前に祠に寄りたいんだけど」
「祠? なんで?」
「レベル解放してもらうんだ。建御雷神様に願えば、適性がある人なら解放してくれる」
「え、それ本当? 私まだやってなかった!」
萌香が目を丸くする。皐月は冷静だった。
「私は解放済み。でも二人がやるなら付き合うわ」
三人でダンジョンの入り口近くにある古びた祠へ向かった。小さな祠の中には、淡い光を放つ水晶が鎮座している。
「手を触れて、建御雷神様に願えばいいんだ」
「簡単だな。じゃあ私から」
萌香が水晶に手を置き、目を閉じた。数秒後、淡い光が彼女を包み込む。
「わっ…体が軽くなった気がする!」
「レベル1になったんだ。ステータスも上がってるはず」
次に俺が手を置く。父さんが教えてくれた通りに心の中で願う。
『建御雷神様。どうか、レベルを解放してください』
温かい光が全身を満たした。力が内側から湧いてくる感覚。
「二人ともレベル1になったな。よし、行こう」
ダンジョンの入り口に立つ。霧樹の迷宮。淡い光を放つ木々が生い茂る初心者向けダンジョンだ。十五年前に父さんと灯母さんが初めて潛ったのもここらしい。
「綾斗、あんたのスキルかけてみてよ」
「わかった。《百花繚乱》」
二人に手をかざすと、淡い金色の光が彼女たちを包み込んだ。
「んっ…力が湧いてくる」
「なんか体が温かい…」
萌香が拳を握ったり開いたりしている。皐月も自分の手を見つめていた。
「これ、倍率どれくらい?」
「今は1.5倍くらい。仲間としての信頼関係が深まればもっと上がるはず」
「1.5倍でも結構体感違うわね」
皐月が冷静に分析している。
「ねえ、探索者カード出してみて。今はステータスがその場で見えるんでしょ?」
「うん。父さんの頃は専用の魔道具に行かなきゃ見られなかったらしいけど、今は便利になった」
三人でカードを確認する。萌香のステータスが1.5倍になっている。皐月のも同様に上がっていた。
「へえ、本当だ。数字が跳ね上がってる」
「でもここはE級だし、ステータス上げなくても余裕だよな」
「じゃあなんでかけたの?」
「二人に俺のスキルを知ってもらいたかったから。これから先、一緒に戦うなら早めに理解し合った方がいい」
皐月が少し意外そうな顔をした。
「…正直なのね。普通こういうスキル持ってる人は隠したがるものだけど」
「父さんはいつも隠さなかった。だから俺も隠さない」
皐月は黙って頷いた。
「よし、行こうか。俺が前を歩く」
「え? バッファーが前衛?」
萌香が首を傾げる。
「剣術は小さい頃から母さんたちに仕込まれた。そこそこの腕だとは思ってる」
俺は綾乃母さんから貰った日本刀を抜いた。白鞘に収められた業物。母さんが愛用していた刀だ。
「それ、もしかして桜庭綾乃の刀?」
皐月が息を呑む。
「うん。母さんだ」
「桜庭綾乃って、あのA級探索者の? 鬼速の抜刀術って呼ばれてた人?」
「そう。母さんのことも知ってるの?」
萌香が口を開けて固まっている。
「あんたの母さん、あの桜庭綾乃なの? すごすぎない?」
「父さんもS級だけど母さんもすごい人だよ。俺はその両親に剣も魔法も教わった。まだまだ足元にも及ばないけど」
ダンジョンの中は静かだった。淡い光を放つ木々の間を風が吹き抜ける。空気は澄んでいて微かに花の香りがした。
「綺麗ね…」
皐月がぽつりと呟く。初めて緊張が解けた声だった。
「きゃっ!」
草むらからスライムが二体飛び出してきた。萌香が即座に剣を構える。
「私がやる!」
「まて萌香。落ち着いて。一匹ずつ確実に」
俺が声をかけると、萌香は深呼吸してから一歩踏み出した。強化されたステータスのおかげか、剣の振りが速い。一匹目を斬り裂く。
「やった!」
「二匹目くるぞ!」
「わかってる!」
萌香が二匹目も叩き斬る。スライムは弾けるように消滅した。
「余裕だな」
「当然! これでも鍛えてるんだから」
萌香が得意げに胸を張る。皐月は後ろで杖を構えていたが、出番はなかった。
「皐月、今回は出番なかったな」
「いいのよ。怪我がないのが一番」
「確かに。でも奥に行けばもっと手ごたえのある敵が出る」
三人は順調に進んでいった。途中ゴブリンの群れに出くしたが、萌香の剣と俺の刀で難なく処理した。皐月のヒールが必要になる場面も一度もなかった。
「綾斗、あんた剣も結構やるじゃない」
「母さんたちが厳しかったから」
「厳しいってどの程度?」
「朝五時起床で基礎稽古二時間。学校行って帰ってきたら実戦形式の組手三時間。毎日」
「…それ幼児虐待じゃない?」
「ははっ、美月母さんの道場は本格的な剣術道場だからな」
萌香が苦笑いをした。
ボス部屋に着く頃には、二人とも息が上がり始めていた。俺はまだ余裕がある。父さんのアイテムボックスを受け継いだおかげで、装備の重量を感じないのだ。
「ボスはコボルトリーダーだ。知能を持ってるから油断するな」
「了解。綾斗は後ろで指揮、私が前に出る」
「頼む。皐月は回復準備を」
「いつでもいけるわ」
扉を開けると、小剣を持ったコボルトリーダーが唸り声を上げて立っていた。
「来る!」
萌香が前に出る。コボルトリーダーの小剣が閃くが、萌香はしっかり受け止めた。強化されたステータスが効いている。
「今! 右!」
「うん!」
俺の声に萌香が反応して右にステップを踏み、コボルトリーダーの隙を突く。一太刀。
「まだ!」
「分かってる!」
二太刀、三太刀と浴せて、コボルトリーダーが膝をついた。
「トドメ!」
萌香が振り下ろした剣で、コボルトリーダーは倒れた。
「勝った!」
「お疲れ。いい動きだったよ萌香」
「へへ、綾斗の指示が分かりやすかったから」
皐月がにっこり笑った。
「二人とも怪我がない。完璧ね」
「皐月の存在が安心感あったよ。いなくても怪我しなかったけど」
「何よそれ!」
俺はアイテムボックスからポットを取り出した。
「温かい紅茶、飲む?」
「え? なんでダンジョンの中で温かい紅茶が出てくるの?」
「アイテムボックスの中は時間が止まるから。朝入れたものがそのまま温かい」
「…チートか!」
萌香が絶叫する。
「父さんもよく言われてたよ、それ」
「親子揃ってチートね」皐月が呆れつつもカップを受け取った。
三人で床に座って紅茶を啜る。ダンジョンの静けさの中、湯気の立ち上る温かさが心地よかった。
「あのさ」皐月がカップを両手で包んだまま言った。「最初はお試しのつもりだったけど」
「うん」
「正式に組まない? あんたたちとなら長くやれそう」
「私も賛成! 綾斗の指示分かりやすいし、紅茶も美味いし」
「紅茶が理由かよ」
「冗談よ。でも本当、悪くないパーティだと思う」
皐月が珍しく照れくさそうに視線を逸らした。
「よし。じゃあ三人で正式にパーティを組もう。明日からもよろしく」
「おう!」
「よろしく」
三つの手が重なった。十五年前、父さんと灯母さんが初めて手を重ねた時と同じように。もちろん当時のことは俺は知らない。だけど父さんが昔話してくれた時の目の温かさを覚えている。
「あの子たちは、後に「祝福の絆」のクランマスターと呼ばれる男と、最初の仲間との、ささやかな始まりの物語だった」
そう語る父さんの目が柔らかかった。俺は今その入り口に立っているのかもしれない。
ダンジョンを出て夕暮れの街を歩く。萌香と皐月と分かれてから、クランハウスへの道を一人で歩いた。
玄関のドアを開けると、いつもの喧騒が出迎えてくれた。
「ただいま」
「あ、綾斗! おかえり!」
凛花が飛びついてくる。拾い上げると「とーと今日どこ行ってたの?」と顔をしかめた。
「探索者登録してきた」
「えっ? ほんとに?」
「ほんとに」
リビングに入ると、母さんたちが勢揃いしていた。綾乃母さん、灯母さん、日向母さん、静香母さん。そしてテレビを見ていたカグヤ母さんが振り返る。
「おかえり綾斗。登録したの?」
「うん。無事に終わったよ」
「パーティは? 組めた?」灯母さんが目を輝かせる。
「うん。二人と組んだ。前衛の剣士の萌香って女の子と、ヒーラーの皐月って女の子」
一瞬の沈黙。そして母さんたちの表情が一斉に緩んだ。
「女の子二人…」日向母さんが何か遠い目をした。「そういえば私と灯ちゃんもそうだったわね。あの頃はパーティなんて夢のまた夢だったのに」
「優斗さんに声かけた時のこと、覚えてる? 私本当に必死だったの」灯母さんが頬を赤らめる。
「私は最初優斗のこと疑ってたのよ。戦闘力低いって聞いてたから」日向母さんが笑う。
「結局あんたが一番優斗に惚れてるじゃない」静香母さんが茶化す。
「そ、そんなことないわよ!」
綾乃母さんが静かに口を開いた。
「綾斗、その二人はどんな子?」
「萌香は元気で真っ直ぐな子。皐月は少し冷静だけど芯が強い。灯母さんと日向母さんに似てるかも」
「あら」灯母さんが手を打つ。
綾乃母さんの目が優しかった。「あなたの父さんは自分が一番弱いからこそ、一番前に立って仲間を守ったの。あなたも自分のやり方を見つけなさい」
「うん」
カグヤ母さんが立ち上がって俺の頭をガシガシと撫でた。
「綾斗、お前は父さんより強くなれる。私が保証する」
「カグヤ母さん、頭ぐしゃぐしゃにしないで」
「はは、いいじゃないか。立派な探索者になるぞ、綾斗は」
リビングの笑い声がクランハウス全体に響き渡っていく。十五年前この場所で父さんが小さなクランを立ち上げた。そこから始まった絆が、今もこうして続いている。
俺は父さんみたいにすごい探索者になる。
そう誓って、俺は新しい相棒たちとの明日を思った。




