水晶の中の少女
アリの大群との死闘から抜け出したものの、一行の前に広がるのはただただ鬱蒼と茂る森だけだった。
方向感覚を失い、どこへ向かえばいいのかも分からない。時間だけが無情にも過ぎていき、メンバーたちの間に次第に焦りが生まれ始めていた。
「ねえ、本当にこっちで合ってるの?」日向が不安そうに呟く。
「沙織、何か感じる?」優斗が尋ねるが、彼女も首を横に振るしかなかった。
「ごめんなさい…森の魔力が強すぎて、何も感じ取れません」
その時、翠がパッと顔を上げた。
「そうだわ! 空から見れば何か分かるかもしれない!」
「空から?」
「ええ。巴さん、私を空に向かって投げてください!」
翠の突拍子もない提案に、全員がポカンと口を開けた。
「はあ? 投げるだって?」巴が目を丸くする。「お前、人間弾みてえなこと言ってるぞ」
「大丈夫です! 今の私なら出来ます!」
巴は少し迷ったが、翠の真剣な眼差しに押されるように頷いた。
「よし! しっかり掴まってろよ!」
巴は翠の腰と肩を掴むと、ハルバードを振るうような勢いで空に向かって放り投げた。
「うわぁぁぁ!」
翠の体はロケットのように空高く飛び上がっていった。
「すげえ…」優斗が呆然と見上げる。
空に舞い上がった翠は、一瞬で周囲を見渡した。10倍強化された視力と遠見のスキルが合わさり、彼女の目は鷹のように遠くまで見通した。
「あっちだわ!」
彼女は森のずっと向こうに、半ば崩れかけている石造りの建物を見つけた。間違いなく遺跡だ。
そして翠は、空中で体をひねり、驚くほど優雅な動作で地面へと降りてきた。
強化された身体能力がなせる業だ。彼女は音もなく綺麗に着地してみせた。
「すごい…」雪乃が拍手を送る。
「あっちに遺跡がありました! あそこへ向かいましょう!」
翠が指差す方向へ、一行は希望を抱いて歩き出した。
森を抜けると、そこには巨大な遺跡がそびえ立っていた。
予想以上の規模に全員が息を呑む。
だが、遺跡は無人ではなかった。入り口や窓から、モンスターたちがウロウロしているのが見える。ここは彼らの巣窟となっていた。
「掃討戦よ。慎重に行きましょう」凛が刀を抜き放つ。
遺跡の周囲にいるモンスターたちは、個体としては先ほどのトカゲやアリよりも弱いようだった。だが数が多い。一行は連携しながら、少しずつ数を減らしていった。
前衛が引きつけ、後衛が魔法で削る。基本に忠実な戦い方で、怪我もなくモンスターを駆逐していった。
外のモンスターを一掃した後、一行は遺跡の中へと足を踏み入れた。
中はひんやりとしており、カビと埃の匂いがした。だが、壁や床に施された意匠は明らかに人工物だった。
「これは…」美月が壁のレリーフに指を滑らせる。「何かを祀っていたような形ですね」
「この世界に宗教があったと言う証拠だ」優斗が呟く。ダンジョンはただの怪物の巣窟ではなく、かつて文明が存在した場所でもあるのだ。
優斗は顔の横に付けたカメラで、壁画や彫刻を丁寧に撮影していった。これは人類にとって極めて重要な資料になる。
遺跡の奥へと進むにつれ、装飾はより豪華になっていった。
そして最も奥の部屋。そこはまるで聖堂のような造りになっていた。
「あれは…」灯が息を呑む。
部屋の中央には、巨大な祭壇があった。
そしてその上に、人の背丈ほどもある巨大な水晶が安置されていた。
水晶の中には、一人の少女が眠っているように閉じ込められている。
彼女は何も身につけておらず、その透き通るような白い肌が水晶越しに見て取れる。
銀色の長い髪が、水流の中で揺らめくように漂っていた。
「人間…?」優斗が近づく。
「生きてるのか?」巴も珍しそうに覗き込む。
少女はまるで生きているかのように穏やかな表情で眠っているようだった。その姿は神々しさすら漂わせていた。
「どうする? このまま進む?」静香が優斗に問う。
優斗はしばらく考え込んだが、やがて頷いた。
「ここを調べないことには前に進めないかもしれない。まずはこの水晶を調べてみよう」
周囲を見渡しても、祭壇と水晶以外には何もなかった。ただ静寂だけが支配する空虚な空間だ。
優斗は水晶の中に眠る少女をまじまじと見つめた。透き通るような肌、銀色の髪、整った目鼻立ち。まるで人形のように美しい。
「…キレイだ」
思わず口から漏れた言葉だった。魅入られたように見つめる優斗に、後ろから冷ややかな声が飛んできた。
「いつまで裸見てるんですか」
灯だ。彼女は頬を膨らませ、拗ねたように怒っている。
「あ、いや、そういう意味じゃなくて…」
優斗は慌てて視線を逸らすが、灯の機嫌は直りそうにない。
「それより、どうやって出すんだ? この水晶ごと持ち帰るわけにもいかないし」巴が腕を組んで呟く。
その言葉に、優斗はハッとした。
「…アイテムボックスはどうだ?」
「アイテムボックス?」凛が首を傾げる。
「ああ。人間は入れれないけど、無機物なら入るはずだ。この水晶だけを入れられるかもしれない」
優斗の提案に、メンバーたちは顔を見合わせた。
「でも、失敗したら少女ごと消えちゃうかも…」雪乃が不安そうに言う。
優斗の決意に満ちた瞳を見て、みんなは頷いた。
「わかった。やろう」
優斗は水晶に手をかざし、意識を集中させる。
「アイテムボックス!」
その瞬間、巨大な水晶がフワリと光に包まれ、消滅した。見事に水晶だけが収納されたのだ。
支えを失った少女の体が、重力に従って崩れ落ちる。
「うわっ!」
優斗は慌てて飛び出し、倒れ込む少女を力強く抱きしめた。
柔らかい感触と、微かな温もりが腕に伝わってくる。
「…暖かい」
優斗は驚いた。ただの死体や彫像ではない。彼女は間違いなく生きているのだ。
「生きてる…! 彼女、生きてるよ!」
優斗の歓喜の声に、みんなが安堵の息を漏らした。
「よかった…」美月が胸をなで下ろす。
「よし、一旦帰ろう」優斗が決断を下す。「これ以上の探索は危険だ。彼女を安全な場所に運んで、体調も確認したい」
「異議なし!」巴が即座に賛同する。「S級ダンジョンはいつでも来れる。今は彼女を優先しよう」
キャンピングカーに戻った一行は、少女に予備の服を着せた。小柄な雪乃や灯の服が丁度良く、彼女は今は穏やかな寝息を立てている。
「私がおんぶします」静香が申し出る。「タンクですから、守るのは得意です」
「頼む」優斗が静香におんぶを譲る。
静香の背中で安心して眠る少女を見守りながら、一行はS級ダンジョンからの帰還を決めた。
入り口へと戻る道中、モンスターの姿はなかった。
そしてついに、あの漆黒の渦が見えてきた。
「帰ろう」
優斗の号令とともに、一行は光の中へと飛び込んだ。長く激しいS級ダンジョン探索の幕が一旦下ろされたのだ。
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