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月落ちる森  作者: 小湊世月
Ⅴ 毒花の狼

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70 似て異なるふたり

 放った矢は、的を大きく外れて、私はもう何度目かのため息をつく。吐く息は白く、雪の舞う灰色の空に混ざって雲の一部になる。きっと、あの空は私の憂いでできているに違いない。


「……私は弓よりも剣の修行がしたい……」


 項垂れる私に父さんは、困ったように笑って、お手本を見せてくれるという。

 鉄色の瞳は的を真っ直ぐに見据え、弓を構える。弓矢を握った両手を掲げ、胸を開き矢を大きく引き絞った状態で狙いを定める。キリキリと軋むのは弓か、それとも張り詰めた空気だろうか。


 不意に魔力の気配を感じて、私は目を瞠る。父さんの右足――腰から右の脹脛まで――に青白い紋様が浮かぶのが見えた。服の上からでも確認できる程に強く輝くそれは、月と月光花と蔦を組み合わせた月女神(ルーネ)御印(みしるし)


 ヒュンと風を切り裂き放たれた矢は、的のど真ん中を射抜いた。文字通り風穴を開けて後ろの木の幹に突き刺さる。残心まで気を抜かない。

 こういう時の父さんは、いつもよりちょっとだけかっこいいのに、すぐに得意げに相好を崩す。


「弓の下手な月女神なんて、かっこ悪いだろう? このぐらいは馬上で目を瞑ってでもできるようになってくれないと、騎士になるのは認められないな」


「ぐっ……」


「ふふふ、剣の修行だけじゃなくて弓と魔法も覚えないとね。次代の月女神(ルーネ)は君なのだから」


 少し寂しげに笑って、私の頭を撫でる手は大きくて温かい。


「ね? セリアルカ……」





 ***





「……――セリアルカ!」


 霞む視界にアルの鋭い声が届いた。痛みに沈んだ意識が急激に浮上する。

 私は唸りを上げて振り下ろされるレナリスの左腕を間一髪で躱し、石の床を転がって追撃を避けた。素早く起き上がり抜剣と同時にレナリスの右腕に斬り込んだ。


 私の剣はあえなく鉗子で受け止められたが、レナリスの意識が逸れたその一瞬があれば、アルには充分だったようだ。

 顔前を掠める近間合いで抜き上げられた黒刀は、虚空に緑の光を残してレナリスの右肩の筋を斬る。

 縛を解かれたアルは、壁を蹴り全身のバネを利用してレナリスの側頭を蹴り飛ばして距離を取った。


「セラ、怪我は!?」


「だ、大丈夫。君は?」


「セラが庇ってくれるなんて、感動で死にそう!」


「言ってる場合か!」


 身体中が軋んで全然大丈夫じゃないけれど、アルの軽口を聞いたら無駄な力が抜けていった。

 ――大丈夫。まだ戦える。

 私は痛む身体を推して短剣を構えた。


 吹っ飛ばされたレナリスは、頭を振りながらゆらりと起き上がる。特に痛がる素振りもなく、斬りつけられた右肩を撫でると、ミシミシと音を立てて肉が盛り上がり、何事もなかったかのように再生した。


「お前……獣人やめただけじゃなくて、人間までやめたのかよ……」


 アルは忌々しげに呟いて、刀を正眼に構えたまま小指から(つか)を握り直す。優雅な曲線を描く妖刀に滴る静謐な殺気は、シュセイルの厳冬に凍える三日月のようだ。


「仕方ないじゃないか。俺が獣人でも人間でもラヴィアを救えない……。愛する人のためなら平気で手を汚せる。躊躇なく人を斬れる君は、俺と似ていると思っていたけど……」


 レナリスは治ったばかりの右手に鉄格子を掴み、無造作に引き千切る。針金のように易々と折り曲げて即席の槍を作った。


「所詮、持たざる者の苦しみなんて、君にはわからないんだな」


「僕はお前を理解できないし、お前も僕を理解できない。お互い理解なんて求めていない――最初からそうだっただろう?」


「ああ、そうだった。……君のそういう所は嫌いじゃないよ」


 ろくに武術を習ったことのない、力任せに振り回される槍筋は読みづらい。まるで槍術の体をなしてはいないが、凄まじい腕力で振り回される鉄棒は、それだけで脅威だ。

 避けるので精一杯な私に対し、アルは冷静に見切り、少しずつ間合いを詰めていく。


 腕に振り回されてレナリスがよろめいた隙を見逃さず、アルの正確無比な抜打ちが槍を真っ二つに叩き斬った。一切の無駄と迷いを排し切り返された(きっさき)は、レナリスの首元でピタリと止まる。


「大人しく投降しろ。お前とラヴィアを保護する用意がある」


「……嫌だと言ったら?」


 魔力を帯びて光る刀身を掴んで、なおも抵抗しようとするレナリスの前に鮮やかな赤金色が割って入った。意識を取り戻したラヴィアはレナリスを背中に庇うように立ち塞がり、アルに懇願する。


「お願いもうやめて! これ以上レニを傷付けないで!」


「ラヴィア……危ないから下がって。大丈夫、すぐに終わるよ。神獣の牙を手に入れれば、今度こそ成功する。君は自由になれるんだ!」


 ラヴィアは大きくかぶりを振ってレナリスの服を掴んで胸元に顔を埋める。アルが刀を引くとレナリスは異形と化した腕をだらりと降ろした。


「ねぇレニ。……私はあなたを選んだの。あなたはいつも不安げで、自分に自信が無くて、狼男だとバレることに怯えてた。私が、あなたを無理やり噛んだから……!」


「それは違う! じ、自分に自信が無いのは本当だけど……俺は君に選ばれて幸せだった。でも、君は俺じゃなくてアルファルドを……」


「神獣の牙を手に入れたら、あなたを人間に戻せるって、あなたと一緒に家を出ることを許可するってお母様が言ったから。……きっと、最初から全部嘘だったのよ! あの人は、私たちを使い捨てるつもりだった! 牙を失った私には利用価値が無いから!」


 レナリスを人間に戻すために、神獣の牙が必要だと言われて、ラヴィアはアルに近付いた。けれど、ラヴィアは既に牙が抜けていて狼女と認識されず、興味を持たれなかった。そんな中、私が現れてアルの興味の全ては私に向くようになった。だから、今度は私に近付いたのか。

 私が関われば、強制的にアルを舞台の上に引きずり出せるから。


 やっぱり、巻き込んだのは私じゃないか。

 手から滑り落ちた短剣が床を叩く。カランと軽く空虚な音がする。

 膝から崩れ落ちそうになった私をアルが受け止めてくれた。背中に当てられたアルの手が緑の光を帯びてじんわりと暖かくなる。私は居た堪れない気持ちで、アルのシャツを掴んで胸に顔を押し付けた。


「ごめんね。私が、君を巻き込んだ」


 なんて、惨めなんだろう。

 よくよく考えれば、地味な月魔法しか使えない月女神(ルーネ)の末裔よりも、世界中の植物を枯らして世界を滅ぼしかけた月神(セシェル)の末裔の牙の方が稀少価値があるに違いない。


「それはどうかな?」


「……え?」


 獣化していないのに思考を読まれたのかと思って顔を上げると、額に口づけが落とされた。そこからじわりと頬に熱が降りる。いつの間にか痛みが消えた背中を撫でて、アルは片眉を上げた。


「そんなことより、僕はあの陰険野郎に『まだ(つがい)になってないのー?』って煽られたことの方が腹が立つんだけど」


「そんなことって……」


「そんなことだよ。月神の神話は狼の獣人なら誰でも知っている。狼の血を憎むヴェロニカは、遅かれ早かれ僕を狙う筈だ。いやー怖いなー……だから、僕もそろそろ牙を抜かないといけないなー。セラが噛ませてくれると嬉しいんだけどなー……」


 アルは唇を尖らせてちょっと拗ねたように、チラチラとこちらの顔色を窺う。どう返答したものか、答えあぐねる私の横で、ラヴィアの説得は続いていた。


「私の望みは、あなたと一緒に街を歩くことよ。一緒にお買い物して、一緒に美味しいものを食べて、手を繋いで歩きたい。叶えてよ! いつもみたいに、しょうがないなって言って笑ってよ! 人間だろうと魔物になろうと、あなたは私の(つがい)でしょう!?」


 ラヴィアの悲痛な叫びにレナリスは息を呑み、抱きしめようと上げた異形の手は、彼女に触れることなく降ろされる。目に見えて狼狽するレナリスの瞳は、困惑に揺れていた。


「む、無理だよ……だって、俺はここん、な化け物に、な、なってしまった……薬を打ったのは二日前だ。もう、時間は……残ってないよ」


 薬を飲んで三日後に身体中を掻き毟って死んだというレナリスの父の事を思い出したのだろう。ラヴィアは声も出ない程に憔悴して座り込んでしまった。

 静かに泣き崩れるラヴィアにレナリスは寄り添って、小さな嗚咽が寒々しい程真っ白な廊下を満たしていた。


「そのことだけどさ」


 私はアルに支えられて二人に向き直ると、握り締めた両手をゆっくりと開く。両手を揃えて水を掬う形を作ると、両手いっぱいに銀色の花が溢れた。普段は風魔法しか使わないから、属性の切り替えが難しいけれど、上手くいったようだ。


「力になれるかもしれない。かなり……荒療治になるけど、静かに死を待つよりはマシだと思う。どうする?」


 地味な月魔法も役に立つってところを見せてやる! なんて明後日の方向に闘志を燃やしながら、私は二人の意思を問うた。

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