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月落ちる森  作者: 小湊世月
Ⅴ 毒花の狼

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69 地下牢のつがい

 上で待機していた医療班が地下研究室に到着し、運び込まれた被害者たちの診察を始める。遮断機を上げて魔光が通ったため、輸送機が使えるようになったようで、意識の無い危険な状態の人から順に地上へと搬送されていく。


 ラッセル男爵と思しき男性は、相変わらず部屋の隅に蹲ったままで頑として動こうとしないため、その他の被害者の救出を優先するようだ。

 そんな中、ラヴィアが席を立ちヴェイグさんの袖を引いた。


「レニは、レナリスは居ましたか!?」


 ヴェイグさんの答えを待たずに、ラヴィアは隣の部屋へ駆けていった。固い表情でため息をつくヴェイグさんは、私の視線に気付いて手で『ラヴィアを追え』と合図する。


 私は指示に従い、ラヴィアを追って扉の向こうに駆け込んだ。扉の向こうには真っ白な長い廊下が伸びていて、向かって左側に鉄格子の牢屋が並んでいた。刑務所の房というよりは、もっと清潔で生活感を排した無機質な白い壁が三方を閉ざす。


 真っ白な検査着のようなワンピースを着せられ、虚ろな瞳でぼんやり立ち尽くす女性たちの姿は、ここで行われた非人道的な研究を物語っている。騎士の呼びかけに答えず空を見つめ、手を引かれて牢から出されても何も言葉を発しなかった。


「レニ! しっかりして!!」


 一番奥の房から叱咤するラヴィアの声が聞こえて、私は長い廊下を奥まで走った。開かれた鉄格子の向こう、血塗れで床に寝かされたレナリスに、ラヴィアが縋り付いていた。


「ラ、ラヴィ……ア?」


「ええ! そうよ! 迎えに来たわ!」


 レナリスに治療を受けさせなければと、鉄格子の中に入ろうとする私のベルトを、背後について来ていたアルが掴んだ。私はリードに繋がれた犬のように勢いよく前につんのめる。

『何するんだ!』とアルを睨んだが、厳しいその横顔はレナリスをじっと見つめていた。


「お母様は!? お父様やあの人たちに何をしたの!? 牙を貰うだけだって言ってたのに! どうしてあなたがこんな目に遭うの!?」


 泣きながらまくし立てるラヴィアに、レナリスは痛みを堪えるように顔をしかめ、掠れた声で一言ずつ答える。


「奥様、は、いない。騎士だ、に、見つかっ……た。グラン、アに行くと……」


「そんな……! 助けてくれるって言ったのに! あなたを置いて行ったって言うの!?」


 ラヴィアの手を借りて上半身を起こしたレナリスは、ゴホゴホと咳をしながら、今気付いたかのようにこちらを見上げる。

 散々殴られたのだろうか、顔は酷く腫れている。首から腹まで包帯が巻かれていたが、前に取り換えたのはいつなのかと思う程、赤黒く血が滲んでいた。


「君たち、なぜ、ここに?」


「それは、こっちのセリフだ。どうして嘘をついた? どうしてラヴィアに危険な真似をさせる!? ラヴィアは君の(つがい)だろう!?」


 私の問いに、レナリスは悲しげに顔を背けた。番に反応したのはラヴィアの方で、レナリスを抱きしめてこちらを睨みつける。


「そういう話は後にして! 見ればわかるでしょ!? レニは大怪我をしているの。……レニ、歩ける? あんたたちぼーっと見てないで、手を貸しなさいよ!」


「断る」


 助けを求めるラヴィアをアルは一言で切り捨てた。突然の拒絶に驚き、ラヴィアは一気に気色ばんだ。


「なっ……どうして!? 手を貸してくれるんじゃなかったの!?」


 ラヴィアは小さな身体でレナリスの肩を支えて立たせると、独房の入り口に立ったままの私たちに退けと手を払った。


「手伝う気が無いなら、そこを退きなさいよ!」


「……どうして、どうして、どうして…………うるさいよ」


「え……?」


 キョトンとした顔のまま、ラヴィアは壁に打ち付けられて気を失った。ラヴィアに呼び掛けようとした瞬間、アルが私を抱えて廊下に飛び退いた。

 身体の下に隠し持っていたのだろうか、数秒前まで私たちが居た場所の背後の壁に液体の入ったガラス瓶が投げつけられ、割れた場所からツンと刺激臭が漂う。


「どういうつもりだ? レナリス!?」


 レナリスは薄笑いを浮かべながら、確かな足どりで独房から出てきた。話す時に目線を合わすこともできないシャイで優しいレナリスはどこにも居ない。


「はは……君たちまだ(つがい)になってないんだ? 匂いを振り撒いて……本当に迷惑な奴らだよ。なぁ、使わないならその牙をくれよ。――神獣の牙なら、どんな化け物になるのかな?」


 ふっとかき消えた白い影は私の横を掠め、アルを捕らえて石の床を引きずった。長く異様に肥大した右腕がアルの首を掴んで壁に強く打ち付ける。蜘蛛の巣のように広がった壁の亀裂がその力の強さを如実に表していた。


 アルは懸命にその手から逃れようと締め上げる手に指を掛けるが、びくともしない。レナリスの腕力は獣人の腕力を凌駕している。


「ねぇ、口を開けてよ。アルファルド君。他の歯まで抜かれたくないだろう?」


 嘲りを含んだ甘い声に戦慄が走る。私はなりふり構わず駆け出していた。夢中で抜歯用の鉗子を握ったレナリスの左腕にしがみ付き、足をかけて締め上げる。


「やめろ! 手を! 離せッ!」


「邪魔しないで。君のは必要ないんだから」


 関節を固めようと力を入れた瞬間、だらりと力が抜けた彼の腕は床に着くほど不自然に伸びて、人体の可動域を超えた動きでしがみ付く私の身体を振り回した。

 壁に天井に酷く叩きつけられ堪らず手が離れ、鉄格子に背中から突っ込む。激しい衝撃と痛みが電流のように背中を駆ける。

 上手く、呼吸が……できない。


「……ッ! セラ!」


 真っ白な天井が遠ざかっていくのに、なんだかとても眩しい……。





 ***





 むせ返るような血の臭いと、薄っすらと立ち昇る瘴気にヒースは軽い目眩を覚えた。留置場へと続く道には点々と魔物の死骸が転がっている。

 こんな所にまで魔物が入り込んでいて、その死骸があるということは、やはりこれらは目的を持って侵入しているのだと確信する。そして、この先にこいつらを倒した先客が居るらしい。


 床や壁に刻まれた爪痕と赤黒い粘性の液体は奥へ奥へと続く。迷いようがなくて助かる反面、刻一刻と未知の怪物に近付いているのかと思うと気が重い。


 そもそも、大公の次男として生まれたヒースは、地位や名誉を求めてはいない。巨大な怪物を倒し、騎士としての名声を天地に轟かせようなどとは露ほども思わない。――だって、これ以上モテても困るし?


 王宮仕えの近衛騎士になって、エア島の眺めの良い所に家を買って、綺麗な奥さんとかわいい子供と平和に暮らすことを人生の目標にしている。

 なお、金の亡者と名高きクレンネル大公家の一員としては、給金に関しての妥協は一切しないつもりだという話は、未だ親友にも言ってない秘密である。未来の雇い主には良い印象を持っていてもらわなければ。


 明るい人生設計を実現するには、避けられる戦いは極力避けるべきだ。ディーンを捕まえたら後は本職の騎士に任せて撤収するのが最善だろうと考える。

 ヒースの野望にディーンの存在は欠かせない。綺麗な奥さんとの結婚式で感動的なスピーチするという大役がある。自分の知らない所で勝手に死なれては困る。――そういうことにしている。


「ディーン! 居るのか!? 居たら返事をしてくれ!」


 声をひそめ、闇に向かって囁くように問いかける。

 赤黒の痕跡は地下の留置場に続く階段へと伸びていた。その先は牢屋が並んでいるだけの一本道で、下に降りれば怪物とご対面することになる。既に怪物の腹の中に収まっている可能性もあるが、逃げ場が無い場所に突っ込む程馬鹿ではないだろう。


 案の定、階段脇の曲がり角から手招きするのが見えた。音を立てないように慎重に駆け寄り、顔が見えた途端に安心して脱力しそうになる。


「遅かったじゃねえか」


「はぁ……本当に君はさー……後でフィリアスに死ぬほど怒られろ」


「死ぬほど!? そんなにか?」


「そんなにだよ! なんなら僕だって結構怒ってる」


「悪かったって……」


 全然悪びれた様子が無いんだよなぁと、ヒースはその場に蹲み込んだ。


「それで? 下に何が居るの? 捕まっていた人たちは……」


 言いかけて、ヒースは口を噤んだ。ディーンがここに居て、怪物が下に居る理由を考えれば、答えは自ずと分かる。


「……間に合わなかった。見張りの者も見当たらないし、逃げおおせてくれたならいいが……正直、絶望的だと思う。奴を引きずり出そうと色々やってみたが、建物の中では風が呼べない。武器強化だけじゃあ剣が通らねぇ。――お手上げだ」


「剣が通らないって……まさか竜ってこと?」


 ヒースが知る限り、剣を弾く巨大な怪物といえば竜しか居ない。しかしディーンは眉間に皺を刻んで首を横に振る。


「いや、あれは……ヒュドラだ」


 忌々しげに告げられた答えに、ヒースは息を呑んだ。

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