4 朝チュンなど無かった
アルファルドと女子寮の前で別れると、私は三階の自室へ向かった。部屋の鍵を開けて中に入ると、ソファに座っていたルームメイトが顔を上げる。
制服姿の私を見て「あらまあ……」と呆れたように呟いた。持っていた刺繍枠を傍に置いて腕を組むと、綺麗な眉を顰める。
「転入して二週間で朝帰りだなんて……」
「あー……うん。図書館でぶっ倒れてさっきまで寝てた」
嘘は言ってない。
「まぁ! そうだったの……ごめんなさい。知らなかったとはいえ酷い事を言いました」
「いや、自己管理できてないのがいけないんだ。何を言われても仕方ないよ」
部屋に入るまでに談話室を通るのだが、休日の昼頃に制服で外から帰って来れば目立つに決まっている。案の定、他の女生徒から散々ヒソヒソされたし……。
「ずっと頑張っていたものね。今までの疲れが出たのね。体調はどう? 医務室に行く?」
「ありがとう。ただの寝不足だったからもう大丈夫だよ。エルミーナ」
私がそう答えると、エルミーナは微笑んで頷いた。
そういえば、こうして面と向かって話をするのは初日以来だ。私は自分の机の上に鞄の中身を出しながら、ちらちらとエルミーナを観察した。
刺繍を刺す手元を見つめ、少し俯き加減の薔薇色の頬に、長い絹糸のような金髪がひと筋、艶やかな影を落とす。降り積もったばかりの新雪のようにシミひとつない白い手が髪を耳にかけて、澄んだ水色の瞳が瞬いた。
黒髪に青みがかった灰色の瞳、まめと生傷の絶えない硬い戦士の手の私とは正反対の北国美人だ。
エルミーナの立ち居振る舞いは美しく気品があるし、言葉使いも発音も綺麗だし、たぶんどこぞの貴族のご令嬢なのだろう。この学院に入らなければ、私と会う運命になかった人かもしれない。そんな雲の上のお嬢様と私のような一般庶民が、こうして同室になったりするのがこの学院の風変わりなところである。
不躾にじろじろ見過ぎたのか、顔を上げたエルミーナが困った顔でこちらを見た。失礼だったなと謝ろうと口を開いたところで、先に謝ってきたのはエルミーナの方だった。
「ごめんなさい。私がもっと早くに気付いてあげられれば良かったのに」
「えっ?」
どういうこと? まさか獣人だってバレていたの?
思わず身構えた私だったが、次に耳にしたのは予想の斜め上の回答だった。
「貴女、毎日私が寝た後にそーっと帰って来るから避けられていると思っていたの。昨日、騎士科の知人に、図書館で遅くまで勉強している貴女を見かけたって聞いて驚いたわ。気が回らなくてごめんなさい。学校が違えば授業の進み具合も違うわよね。足りない分のノートの写しを頼んでおくわ」
「え、ええと……。うん。ありがとう! 助かるよ。私の方こそ、不躾に見たりしてごめんね。前の学校は寮じゃなかったから、何だか新鮮で不思議な気分なんだ」
「まあ! ふふふ。わからないことがあったら、何でも聞いてね」
誤解が解けたところで、すっきりとした表情でエルミーナは刺繍に目線を戻した。
――この子なら、私が狼女だと知っても変わらずに接してくれるだろうか……?
そんな希望を持ちそうになって、慌てて打ち消した。
この学院は王侯貴族から一般庶民まで広く門戸が開かれており、試験に合格さえすればシュセイル人なら誰でも入学することができる。元は騎士を養成するための男子校で、家政科やその他の科が併設され、共学になったのは今から約百五十年程前だそうだ。
そのため、この学院の卒業生はほぼ騎士である。剣技や体術の教官も全員元騎士だ。偶に現役の騎士と一緒に訓練することもあるし、卒業後には試験に合格すれば従騎士を飛び越えて準騎士の資格を得られる。
かくいう私も騎士を目指しているため、そういった国内最高レベルの実技訓練が受けたくてこの学院に転校したのだった。
変わっているといえば、これは転校前に聞いた噂だけど、どうやら同世代の生徒の中に王族がいるらしい。
らしいと言うのは、この学院では例え王族であっても、ファミリーネームを名乗ることが許されていないため、隣の席に座る人物がどこ出身で誰の子か知らされていないし、詮索してはいけないという不文律がある。
なんでも、学院創設時以来の伝統だとか。身分に関係無く公平な目で優秀な人材を見出し、育成するための施策と言われているが、実際のところその伝統は表向きの話。
多くの場合、同じぐらいの家格の人たちと既に顔見知りのため、入学時にはもう派閥が形成されている。大人になれば嫌でも政治に関わるというのに、学生の時分から根回しや関係の構築に余念がない。貴族社会の縮図となっている。
そういうわけで、エルミーナがどこのご令嬢なのか、私は知らない。私とは違う授業を選択していることから、騎士を目指しているわけではなさそうだ。
興味が無いといえば嘘になるけど、私にも他人に言えないモフモフな秘密がある。
『どうせまだルームメイトのあの子にも、狼女だって事を打ち明けていないんだろうなと思って……』
ふと、アルファルドの声が脳裏を過ぎって、手が止まった。
満月の度に部屋を留守にすれば、いずれエルミーナに私が獣人だということがバレてしまうだろう。意図しない形でバレるよりは、事前に伝えておいた方がいい。できるだけ早く獣人だということを打ち明けるべきだ。
分かってはいるんだ。でも……。
誰も彼もが正体を隠している。その中で唯一、お互いの出自を知っているのが、一番頼りたくない人間だということに気付いて、薄ら寒いものを感じた。
ブレザーを脱いでネクタイを緩めながら重々しいため息を吐くと、どこからかカリカリと何かを引っ掻く音が聞こえてきた。不気味な音はエルミーナにも聞こえたようで、手元の刺繍から顔を上げると不安に表情を曇らせる。
私はクローゼットから真剣を取り出しベルトに提げると、耳を澄ませ気配を探った。音の出所は、どうやらベランダのようだ。
怯えるエルミーナに『そのまま座っていて』と合図して、一気にカーテンを開けた。すると……。
「クゥー」
カリカリカリカリ……。
アルファルドの温室で寝そべっていた黒い大きな狼が、両の前足でガラス扉を引っ掻いていた。私と目が合うと引っ掻くのをやめて、ちょこんとお行儀良くお座りをする。
「オリオン!? どうしてここに?」
オリオンは真紅の眼でじっと私を見つめて、前足でタシタシとガラスを叩く。早く開けろってことかな?
「わ……大きなワンちゃん。貴女のお友達?」
いつの間にか隣に来ていたエルミーナがオリオンを見て目を丸くする。
「あー、うん。まぁそうかな。エルミーナは狼怖い? 開けてもいいかな?」
「大きくて驚いたけれど大丈夫よ。どうぞ開けてあげて」
「ありがとう」
お言葉に甘えてガラス扉を開けると、オリオンは待ってましたとばかりに扉の隙間に鼻を突っ込んでにゅるりと部屋の中に入った。体毛が艶のある黒なので、なんとなくウナギを連想して苦笑してしまう。
「どうしたの? ……うん? 何か咥えて……」
お使いを完遂して得意げにフンフンと鼻を鳴らすオリオンを労って、頭を撫でると咥えていた白い薔薇を私の膝の上に落した。茎にピンク色のリボンが結ばれて、括り付けられた銀の輪のピアスがきらりと光る。自分の耳を触って確認するまでもなく、まごうことなき私のピアスである。
いつ落としたのだろう? オリオンが持ってくるってことは……。
「あ……」
「どうしてこの子が貴女のピアスを持って来るのかしら~? 図書館に狼は居ない筈よねぇ?」
「あっ……いや、あの。オリオンは知り合いの飼い狼で、知り合いの所に忘れたのを届けに来てくれたんだと思うよ」
「逢い引きなら、もっとまともな言い訳を考えなさいセリアルカ」
「逢い引き!? そ、そんなんじゃないよ!」
「詳しく聞かせて」
「あっ……はい」
なにやらとんでもない勘違いをされているみたいなんだが?
不穏な気配を察知して逃げようとするオリオンを抱きしめて、私は蚊の鳴くような声で答えるのだった。




