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月落ちる森  作者: 小湊世月
前編 Ⅰ 学院の狼

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5 嫌われものの狼女

「私ね、……獣人なんだ。それも狼の」


 昨夜は満月だということを忘れて倒れたところを、アルファルドが拾ってくれたんだ。


 私が話し終わるまで、エルミーナは静かに聞いていてくれた。やがて沈黙が部屋を満たし、降り出した雪が窓を叩く音だけが響いた。


 さて、どうなるか。

 傷は浅い方がいい。失望するなら早い方がいい。今までだってそうだった。

 どこか他人事のように思いながら、私の膝に顎を乗せて眠ってしまったオリオンの頭を撫でていた。モフモフとした手触りと温かさに、ささくれた心が癒えていく。

 そのまましばらく待っていると、エルミーナは静かに口を開いた。


「少し驚いたけれど……話してくれてありがとう。とても勇気のいることだったでしょう?」


「えっ……?」


 エルミーナは向かいのソファから私の隣に移動すると、私の手に自分の手を重ねた。


「私は今まで周りに貴女のような人は居なかったから、貴女の苦しみを想像することしかできない。とても失礼なことをしたり、言ってしまうかもしれない。だから今後もし嫌だと思うことがあったら教えてね」


 まるで『今後』があるような言い方に、僅かに擡げた希望を慌てて打ち消す。

 そうやって、私も父さんも何度も失望したじゃないか。期待するだけ無駄なんだ。


「君は私が獣人だからといって差別をしない現代的な考えを持つ賢明な人だと思う。君の気持ちは嬉しいよ。だけど、私に限っては正しく恐れるべきだ。深く関わらない方がいい。今まで通り、ただのルームメイト。ただの顔見知りとして扱ってほしい」


 私は努めて突き放す言い方をしたけれど、エルミーナは承服せず首を横に振る。


「……セリアルカ、貴女は気付いているかしら? 私の思いを決めつけて、怯えているのは貴女の方よ? 私は貴女を傷つけないわ。貴女の秘密を言いふらしたりしない。だから怖がらなくていいのよ」


 エルミーナの気持ちは本当に嬉しい。狼女の私に転入してからの二週間も、その前もこんなに優しい言葉を掛けて、関わろうとしてくれたのはエルミーナだけだった。

 エルミーナの澄んだ水色の瞳は凪いだ早朝の湖を思わせる。波紋ひとつ揺るがずに、真っすぐに私を見つめる強い光。揺らいでいるのは私の方?


 エルミーナとなら普通の友人関係を築けるだろうか?

 信じたい気持ちはある。けれど、僅かな希望に縋るには、私たち家族は傷つき過ぎていた。何も考えずにその手を取れる程、もう無邪気にはなれない。

 優しい人、良い人こそ、私から離れた方がいい。

 だから、ごめんね。これから私は怖がらせることを言わなくてはいけない。


「……生まれながらの狼女はとても少ないんだ。けれど、狼女は狼男以上に恐れられている。何故なら狼女の私は、狼男を呼び寄せるフェロモンを撒いているから。今は薬で抑えているけど、近づけば鼻が利く奴にはわかってしまう。狼男は、たぶん君たち人間が想像する暴力的で残忍で執念深い『恐ろしい獣人』そのものみたいな奴らだ」


「セリアルカ……」


 エルミーナは悲しげに呟いて、そっと私の背中を撫でる。膝の上のオリオンも心配そうに上目遣いで私を見上げていた。


「獣人は血統を重んじるから、(つがい)も本来は同じ種の獣人が望ましい。だから、滅多に生まれない狼女は狼男に狙われやすいんだ。――私のお母さんは人間だったけれど、私を狼男から守って殺された。私の近くにいたから私の匂いが移って、狼男を余計に興奮させてしまったんだ。……それぐらい私の匂いは危険なんだよ」


 私は口を大きく開けて、自分の犬歯を指し示した。オリオンがじっと私の口の中を覗き込んでいるのに気が付いて複雑な気分になる。


「獣人はこの歯の裏に赤い小さな牙がある。その牙で噛み付いた相手を、『眷族』と呼ばれる自分と同じ種の獣人に変えることができるんだ」


 獣フェチって獣になりたい欲があったりするのだろうか?

 獣人は先祖返りしやすいから、人間と結婚する場合は眷族にしてからの結婚が推奨されている。もし万が一、どうしても婚約破棄できずにアルファルドと結婚することになったら、私は彼に噛み付いて眷族にしなくてはならない。そんな未来が来ないことを願っているけど……。そんなことを思って、更に憂鬱になった。


「これは一度噛み付いたら抜けてしまう。生まれながらの狼女はとても少ないから必然的に、狼男の番は人間の女性になる。中には結婚を望まぬ相手に無理矢理噛み付いて眷族にして連れ去った例もある。君に何かあったら私は……」


 それでもエルミーナは優しく私の手を包んで握る。私はその手を振り払うことができなかった。


「ありがとう。貴女が他人と関わることに怯えていた理由が分かったわ。でも私は大丈夫よ。私には強ぉ〜い味方がいるし、危ないことには慣れているから。だから心配しないで。むしろ私の側に居た方が貴女も安全な気がするわ」


「な、何を言って……」


 エルミーナはふふんと胸を張って少し誇らしげに続けた。


「秘密があるのは貴女だけじゃないのよ? 私にも婚約者がいるの。彼なら学院の内情に詳しいわ。もし男子生徒に狼男が居るとしたら、不用意に近づかないように知っておいた方がいいんじゃないかしら? ――彼なら貴女の力になってくれる。私が保証する」


「だ、ダメだよ、そんなぁ」


「ふふふ。心配そうな顔ね! 頼るかどうかは、彼に会ってから決めてもいいと思うわ。きっと、驚くから。……それに、あの人はそんな獣人の現状を知ったら放っておかないと思う。一見冷たそうに見えるけれど、心の中は熱い炎のような人だから」


 狼女の危険性についてしっかり説明した筈だけど、ちゃんと分かってくれたのか心配になってきた。私の弱々しい抗議の声は聞こえていないようだ。

 いたずらっぽく笑うエルミーナは、急に真剣な顔で私の頬を両手で挟んだ。


「居心地の良い場所、居たい場所があるなら逃げてはダメ。その時勝ち取る事ができなくても、負けられる内に上手な負け方を学べ。って、彼の受け売りだけれどね。もちろん、貴女がどうしても私が嫌というなら諦めるけど……」


「そんなことない!」


 大きな声で言ってしまってから、ああしまった! と後悔した。エルミーナは満足そうに微笑むと勢いよく抱きついてきた。どさくさに紛れてオリオンも楽しそうに私の頬にぐりぐりと鼻を押し付ける。


「接触はダメだってば!」


「往生際が悪いわよ〜? 大丈夫。取って食ったりしないわ!」


 つい最近同じセリフを聞いた気がして、私は顔をしかめた。そういえば、さっきエルミーナ妙な事を言ってたな。


「ねぇ、君さっき《《私にも婚約者がいる》》って言ってたけど、どういうこと?」


 エルミーナが身を離してキョトンとした顔で私を見る。うわ、なんか嫌な予感……


「えっ……貴女、アルファルドの婚約者なんでしょう? 転校してくる前から噂になっていたわよ?」


「なっ!? 誰がそんなこと」


「誰って、アル本人が嬉しそうに言ってたわよ?」


 やっぱりアイツかー! 道理で転校初日からよくわからない難癖を付けて絡まれると思ったんだ!

 したり顔のアルファルドが目に浮かぶようで、私はグッと拳を固めた。


「エルミーナ、よく聞いて。今までの話全部忘れていいから、これだけは覚えて。私は! アイツと! 婚約してない!!」


「え、ええ〜?」


 私はエルミーナの肩をガタガタと揺すりながら、全ての元凶であるアイツに、どう仕返しをしてやろうか必死に考えるのだった。

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