表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/8

指輪の誓い《天王洲アイル》

モノレールが大きく曲がり、光の向きが変わった時に翳した指輪がきらりと光る。そのか輝きを見詰めながら凛はなぜか学校の物理の授業で習った『量子もつれ』を思い出した。

 がらんとしたモノレールの車内。凛はなんとなく左手を窓にかざして薬指に輝くリングを眺めた。摩耶の親戚にあたるジュエリーデザイナーの手よるもので、シンプルに学生が付けていても違和感のない、でもちゃんと威厳のある仕上がりは手掛けた人の人格と配慮を表しているのかも知れなかった。


 ちゃんと注文すると結構なお値段の物らしいのだがそこは関係者割引をごり押しし『出世払い』で手に入れたことを後に聞いて凛の心はすまなさと感謝で溢れかえる。そしてステージ上での紗久良へのプロポーズを終え、元日にお茶のお師匠様である恵美子の茶室で振袖の着付けをしてもらった時の言葉がよみがえる


「振袖は未婚の女の子の正装なのよ。結婚が決まったのならあと何回着られるのかしらねぇ」


 嬉しそうでもあり寂しそうでもあるその言葉に凛はなんとなくこう答えた。


「そうだね、あと最低四回、無理すれば五回かな?」


 恵美子はちょっと意外そうな視線を向ける。


「結婚って十八歳まで出来ないじゃん。僕は今十四歳だし……」


 崩れそうな表情をちょっと掌で隠し、暫く時間を置いた後、恵美子は笑顔を作り直してその視線を再び凛に向けた。


「ああ、そうね、そうだったわね。指輪を見てたら随分大人になっちゃったなって思ったんんだけど、そう、そうよね、まだまだ時間は有るのよね」


 恵美子の笑顔に応えて凜も口角を上げて見せたことを思い出しながら小さな声で呟いた。


「時間って……あっという間なんだな」


 初詣で経験したネット社会特有のあまり好ましくない経験の後、差し伸べられた莉子と今野の優しさに心を癒した。しかし、二人はあっさりと引き離される。紗久良の父親の仕事の関係で家族全員イギリスに渡らなければならなくなったのだ。三人揃っての最後の登校、紗久良の心は寂しさに締め付けられる。通いなれたこの道をしっかりと目に焼き付けておこうとしたのだがこんな時に限って時間は駆け足で過ぎ去るのだ。歩を進めるごとに心がびしびしと音を立てて凍って行くのが分かる、凛は思わず立ち止まってしまいそうになるが紗久良の表情はいつもと全く変わらない、彼女の瞳に映っているのはおそらく未来だったのだろう。幸せな再開が待つ未来、紗久良はそれを信じている、自分の心がその確固たる根拠なのだ。


 時の流れ、人の時間は宇宙のスケールに当てはめれば瞬以下の長さでしかない。しかし人はそのほんのわずかの間に色々な事を体験して喜んだり悲しんだり憂いたり正直何が起こるのかは誰にも分からない。世の中には『預言者』を名乗る者たちがいるのだが彼らの言葉に響くものはない、それはあくまで予測であって確定した事柄ではないからだ。彼らの言葉はあっさりと覆される、そして予言を的中させた者など一人も存在しいないのだ。終末予言は世の中に溢れ返っているが人類は一度も滅びていない、そして滅びない限り、二人が再会するチャンスに溢れているのだが凛にはまだその事実に辿り着けていなかった。冷えた心はまだ温まりそうにはなかった。


 モノレールが大きく曲がって窓から差し込む光の方向が変わると同時にそれが翳したリングにあたってきらりと輝いて見せた。それが何故だか紗久良の笑顔に感じられた。ひょっとしたら、人の思いに距離など関係ないのではないか……そう思った時に二学期の後半、物理の授業で習った量子の話が思い出された。


 量子はあくまで一つで表されるのだが『二つで一組』に見える現象があるのあるそうで、それを量子もつれ(エンタングルメント)と言うのだそうだ。その現象とは二つの粒子は強く結びついていて、片方を測るともう片方の状態も瞬時に決まるという不思議な関係になると言うものだった。片方が“上”ならもう片方は“下”、片方が“右回り”なら、もう片方は“左回り”みたいに対になって振る舞うことが多いのだそうで、これが『量子ってペアなんだよね?』という印象につながりやすい。


 そして、量子がペアだと仮定した場合、この現象は瞬時に起こるのだ。たとえ、宇宙の観測可能範囲程の距離が有ったとしても片方が決まればもう片方の状態も同時に決定し、その伝達速度はアインシュタインが提唱した『特殊相対性理論』などガン無視し、軽く光の速度を超えるのだ。ひょっとしたら、人の心の繋がりも量子もつれで説明できるのではないかと指輪の光を見詰めながら凛は思った。そしてその輝きが彼女の心じんわりと溶かす。学校の授業などつまらなくて退屈で、将来何役に立つんだと思いがちなところが有ったが、ひょっとしたらそうでもないのかなと思えてきた自分がなんだかおかしくて表情筋が緩んでいった。そして視界が滲み頬を暖かいものが伝い落ちていくのを感じたが、凛はそれを拭おうとはせず指輪の輝きを見つめ続けた。


 彼女は姿が見えないだけでいつも自分の隣にいるのだ。このあたたまった心がその証拠ではないのか。そう思った瞬間、今迄の出来事が早回しの様に頭の中を走りだし、同時に思考が暴走する。不快ではないパニック状態に浸りながら滲む視界を心に刻む。紗久良との再会、いや、常に彼女が自分の横にいる事を確信しながら。


 再開発で活気が戻った天王洲アイル駅をゆっくりと出たモノレールは終着駅の浜松町駅に向かって走り出す。車両の振動に身を任せながら終着駅につくまでは、凛は涙を拭くまいと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ