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嗚咽と透明な蒼《流通センター》

脳裏に響く傑の時間が無いという言葉。正直凛はその言葉の裏側を理解出来ていなかった。そして今野が告げた彼の状況で初めてそのことに気付くのだが……

 吹奏楽部の部室には数名の部員が集まっていた。シーズンオフだから練習は自主的な範囲に留められていて練習という名目のもと暫しの平和と歓談に勤しむのが通例となっていた。元男の子という肩書も薄れつつあり凛は女子の輪に入ってガールズトークに勤しむ事にも慣れ始めていて男の子時代は決して口数が多いとは言えなかったがそれは過去の思い出になりつつあった。そんな柔らかな雰囲気の中に気配を感じさせずに入ってきた新部長、今野清の言葉が言葉が皆を凍らせた。


「え、入院?」


 傑が入院したことを告げたのは幼馴染で今迄凛とは男の友情を育んで来た彼の言はそれたけ衝撃的なものだったのだ。顧問の教師から聞いたから正式な情報だから疑いようの無い事実であることは確実なのだが、微妙にうっかりがある今野だから凛は少し訝しげな表情で尋ね直した。


「……ホント、なの?」


 かなり懐疑的な様相が含まれていたが今野は小さく頷いて見せただけだった。凛は視線を一度天井に向けて、そのまま深く項垂れた。その動作の中でフラッシュバックしたのはあの夕方の風景。告白の、言葉を残して立ち去った彼の後ろ姿だった。コマ送りのようにぎくしゃくとした映像が頭の中でリフレインする。その時の音は思い出せなかったが彼が妙に満足そうに感じたのは目的を一つ達成できたからだろうか。


 それとも、結果はともあれ思い悩む日々からの解放に対する安堵だったのだろうか。彼はあとは待つしかなかった筈だ。自分がなんと応えるか、唇から零れ出るのは至福か不幸か。恋するものは全てをプラスに持っていくから彼は凛の応えが明るいものであると感じているに違いない。特にこの年代の男の子は自分が世界の中心で全てが自分の重力の影響下にあると錯覚していることが多い、若さゆえのなんとかは此処からはみ出してしまうのだ。だか聡明でリーダーとしての手腕を吹奏楽部の部長として発揮した傑がそれに当てはまるのかと問われると甚だ疑問が湧き上がる。しかし、恋は盲目、我を見失う可能性が僅かだか存在することは確かだった。彼も人間、しかも若いのだから。


「……あの、さ、今野」


 かなりおっかなびっくりとした口調で凛は今野に尋ねてみる。


「ん?なんだ」

「その、お見舞い……とか…」


 その問いに今野の返事は容赦はなかった。


「ああ、残念ながら暫くのあいだは控えてくれってことだ」


 肩をすくめながらの大袈裟なゼスチャーに合わせてそう言って見せた今野の姿に凛は軽く眉をしかめた後に小さな声で呟いた。


「ダメ、なの?」

「ああ、この病気は感染症が厄介なんだそうだ。なんでも免疫力がほぼ無くなるらしくてな。一応、なんて言ったかな」

「……うん?」

「そうそう、クリーンルームとか言うのに入ってるらしくて、硝子越しに外から面会は出来きて話すこともできるらしいんだが近づかないに越したことはないそうだ」

「……そ、そう」


 軽く握った右手を唇の近くに当てながら、慣れつつ有ったが頼りない制服のスカートの裾が更に頼りなく感じた凛はちょっとだけ考えながら黙り込む。彼女の脳裏に響いたのは傑の言葉……


「……あまり時間が無いんだ」


 その言葉を思わず深読みしてしまう、時間とは自分の命ではないのか。傑は自分の残り時間を知っているのではないか……そう考えた瞬間、思考が暴走する、同時に心臓の鼓動も早鐘となる。そして事態は更に展開を見せる。部室の中に嗚咽が響いたのだ。


 彼女の声が心をじわりと締め付けたところでモノレールは流通センター駅に滑り込んで行った。夏の澄んだ透明で見詰めていると落ちて行きそうな錯覚を覚える青空を思わせる鮮やかなホームドアを目にした時、摩耶の震える肩が凛の感情を揺さぶると同時に彼女の嗚咽の意味を理解した。摩耶の心は傑に刺さっているのだ。その彼が命の危機に瀕した子を知り、更に何の手助けも出来ない無力さに憤りやり場のない怒りにも似た感情が体と心を震わせたのだ。


 彼女を慰められない今野は狼狽し、ただ只管あたふたとするだけでリーダーとしての指揮力が発揮できていなくてこれからの部の運営にそこはかとした不安が立ち込めた時、顧問の吉田先生が現れて状況を再度説明し取り敢えず落ち着いて、本日は解散することを促した。


 吹奏楽部の部室は体育館のステージ右上にある倉庫の様な場所が割り当てられていて窓は小さく外の様子はあまり良く分からないから部屋から出てみて前後の変化に驚くことがある。入る前は晴天だったのに土砂降りの雨だったり、真っ白な雪に覆われていたり、そして今は鮮やかな赤鴇色あかときいろが体育館全体をつつみ込んでこれから異世界転生の儀式が始まりそうな雰囲気に包まれて夢と現実の狭間が如実に見て取れた。それは思春期に差し掛かった者達だけが持ち合わせることができる繊細で純粋な心が映し出す幻影、あるいは秘密と言っても良い。


 人はその幻影に別れを告げた時、大人と言われる様なるのだ。だがそうなった時、往々にして希望も消える……分岐点は冷たくそして容赦なく、我武者羅がむしゃらに訪れるのは通過儀礼としては残酷珥思われた。それを通り抜けられなければ大人と認められないのであれば、それを拒んでもそれを責めることはできないのではないだろうか。


 しかし、命が終わってしまったとしたら……そしてそれが自分の意志でなかったとしたら、選択できないもどかしさと悔しさは想像を絶するだろう。


 モノレールが加速するのを感じて凛は車窓に目を向ける、日によって急にオタクイベントの人だらけになる駅でもあるのだが今日は人通りはまばらで、ホームは少し寂しさを帯びてたたずんでいた。

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