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何でも知ってるしろあちゃん  作者: 家佐水井
古江琉重による全知を出し抜く方法
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しかし未解決


 更衣室で、ジュリエットが天知しろあになる。やっと息ができたといった様子で、ひとつ大きな息を吐いたのが聞こえた。


「野原先輩からすれば、天知さんと私が怪盗エスの目的を見通しているから、隙を見て水筒の中身を取り替えることもできた、って考えるのは自然だと思う」


 かちゃかちゃと髪飾りを外す音がする。


「でもそれなら私はべつに、あの瞬間、水筒を飲むのを止めようとは思わないはずなんだけど……?」


 これはいったいどういうことだ、と後ろで着替える天知に問いかける。盛大に伸びをしているような声が聞こえた。きっといまは下着姿だろう。


「天知さんなら、水筒に毒を入れているのも知っていたわけだよね? すり替えたの?」


 ならなんで言ってくれなかったのだ、とすこし膨れっ面になる。


「わたしじゃないよ」


 衣擦れの音。ジャージを着ている。


「そもそもわたしは花菖蒲と菖蒲の違いに着目してなかった。もし気付いてて、それは毒のためだ! って思ってたなら、もっと早く、それこそミステリー部が怪盗エスだって指摘しに行ったときにでも、言ってたよ」

「それもそうか」


 天知は盗まれた物を菖蒲だと受け入れてたか、特に気にも留めなかったか、ということか。


「じゃあ、誰が水筒をすり替えた?」

「さあ」

「さあって。知ってよ」


 ジャージのファスナーが上がる音。パタンとロッカーが閉まる。着替えが終わったとふり返った。天知は不機嫌な顔をしている。


「知れないんだよ」

「知れない……?」


 天知が知れないのは大きく分けて三つ。ひとつは人の頭の中、人の心。もうひとつが未来のこと。そして、自分自身のこと。何でもできるくろあちゃんという人。


「たしかに誰かがすり替えてる。でもモヤがかかってる。気に食わない」

「またくろあって人?」

「だとしたら、何がしたいのかわからない」


 更衣室を出て、教室に戻るべく肩を並べる。ふと、天知が手に持っている短編集が目に入った。


「よくそんな暇あったね。ミステリー部の名探偵に与えられる短編集だよね?」

「逢坂さんは残念賞の推理力を鍛えようが与えられたんだっけ?」

「そう言われるとかなり腹立たしいけど、まあ、そうね。ミステリー部による名作ミステリーの評価本みたいな」

「ふうん。でも残念。わたしがミステリー部に足を運んだときは、逢坂さんも一緒だったよ」

「え?」


 つまりあの屋敷で部長さんを殺した犯人を言い当ててはないということか。

 天知はミステリー部が作った殺人事件のほうも答えを知っていた。消えたのは部長のほうで、その名前が野田文雄で、怪盗エスの最初の犯行の示唆もしていた。だから電光石火のごとくたちどころに解き明かして短編集だけ持ち帰ったと思ったのだが。


「これはかいくんに借りたの。あとで返しておいて」

「自分で返しなさいよ」

「わたし、これから取材があるの」

「取材?」

「ラジオ部にも出席することになってるの」

「へえ。それは……大変だ」


 ぺらぺらと逢坂も短編集をめくる。

 これは逢坂が手に入れられなかったもので、さっき佐川と野原に見せつけたときも、天知の後ろに立っていた逢坂には表紙しか見えなかったのだ。

 歩きながらの読書は歩きスマホと同じく危険なので、ひとまず野原が書いた短編に指をひっかけるだけにしておく。


「もしかしたらさ」

「ん?」


 思いつきを、逢坂は言ってみる。


「もしかした、そのアヤって人は、もの凄く反省していたんじゃないのかな」

「だから屋上に、野原さんのもとに行ったんじゃないの?」

「そうじゃなくて。それだと、反省しているだけ。もの凄くは反省していない」


 天知が小首を傾げて眉根を寄せる。逢坂も、どう言ったらいいか、適切な言葉がわからない。


「だって、天知さんの言い方だと、この短編集に載ってる野原先輩が書いた短編は、そのアヤさんも知っているってことになるよね? だから怪盗エスが野原先輩だってこともわかった」


 短編集に目を通していないと、アヤのメッセージは伝わらない。怪盗エスが反省させて震え上がらせることもできない。

 なんか怪盗エスってのが文化祭で話題になってるらしいなあ~まー自分には関係ないけどもー。……となるのだ。


「うん。震え上がらせるには、アヤさんに目を通してもらわないといけない。野原さんが直接、手渡ししてるね」

「じゃあやっぱり、アヤさんはもの凄く反省してるんだよ」

「……ちゃんと言ってくれない?」

「アヤさんは漫画を描く人。野原先輩からアイデアを盗んで、その気持ちがわからない人じゃないんだよ」

「そうとは限らないと思うけど」


 一旦無視して、逢坂は持論を続けた。


「だって、短編集を読んだってことは、アヤさんは毒殺っていう結末を知ってたんでしょ? 野原先輩が自分にどういう感情を持っているかもわかった。なのに自分から屋上に行った。死にに行ったようなもの」


 あの短編を読んでいなければアヤが屋上に行く道理はなく、読んでいたのだとすれば、殺されるとわかった上で、屋上に行ったのだ。野原からすればあの短編はアヤに向けた殺害予告で、アヤもその意味を理解していたのだから。


「殺されても仕方ないと思っていた。だからもの凄く反省している、って?」


 感情は複雑でそれを正しく言葉で言い表すのは難しい。だから微妙な差異を表現するために、本質的には同じ意味の言葉があったりする。

 逢坂の言葉足らずを、天知は辿々しく読み取ろうとしてくれた。


「そうじゃないかな、って」

「だとしたら、漫画にしないべきだったよ」


 漫画研究会でどういう経緯を経て、漫画となったのかわからない逢坂には、そこに対して返す言葉はなかった。

 ただ、人間関係もそう単純に一言で御せるものではないだろう。苦笑いをしておく。


「あ、それとさ」

「ん?」


 天知がくるりとふり返り、思い出したように破顔する。


「わたしもせっかくだからひとつ、言っておこうと思って」

「なにが」

「あの佐川さん。ミステリー部の佐川さん。たぶん、野原さんが模倣犯……というか、オリジナルだったって、知ってたと思うよ」

「えっ」


 それには言葉を失う。ちゃんと説明してと圧をかける。


「顔がこわい。……だって、おかしくない?」

「焦らさないで」

「本当に気付いてないの? ……しょうがないなー」


 上から目線、ふんぞり返っている、見下されている感満載だが、逢坂は拳を握って、握るだけで、なんとか飲み込んだ。


「佐川さんがわたしたちに依頼してきたとき、模倣犯が現れて盗まれたって騒ぎになったとき、盗まれたものは何だった?」

「……ノートブック?」

「そうだね。でも、佐川さんは、こう言ってた。パソコン部から失敬した台本って」

「使わない台本なんでしょ?」

「そこじゃないよ。台本だよ? だ・い・ほ・ん」

「……あ」


 そこまで丁寧に言われれば、わかった。

 天知は鷹揚に頷く。


「怪盗エスはしりとり。なのに、”ん”がついてる。しりとりはこれで終わり。負け。おかしいね。パソコン部からは、そのルールに則って、台本は盗めない」

「……じゃあ、どうなるの?」

「盗んでないってことだよ。すくなくとも、パソコン部から台本なんて、盗んでない」

「なんでそんな嘘を……」

「たぶん、佐川さんも、どこかで気付いたんだよ。短編集を書き直していることに。そして、野原さんが怪盗エスを発案したものだから、やんごとなき事態を察した」


 そこで一旦区切る。天知はむつかしい顔で天井を睨んだ。


「でも、わからないのは、どうして。どうして、佐川さんが、やんごとなき事情を察したのに、怪盗エスに協力的だったのか。協力的だったなら、なぜ、わたしたちを巻き込んだのか。例のノートブックを、パソコン部の台本だなんて偽ったのか。……本筋には関係ないし、よくわからないから言わなかったんだけどね」


 ちらと天知は視線を逢坂に寄越した。天井から降りてきた視線は、逢坂さんならわかる? とでも言いたげだ。

 逢坂も、すこし考えてみる。

 なぜ、そんな嘘をついたのか。嘘をつけば、どうなったか……。


「じゃあ、私の思いつきだけど」

「訊かせて?」

「佐川先輩は、協力的だった。でもそれは、肯定を意味しているわけじゃなかった。内心では、やりたくなかった」

「まあ、よくあることだね。二律背反」


 とまで言わないが。そこまで大袈裟でなくても。


「天知さんも、言ったでしょ? もしも文化祭の期間中、野原先輩を監禁しても無駄だって」

「そうだね。文化祭だから怪盗エスを隠れ蓑にしているだけで、法則やルールがあるけど、文化祭の期間外になれば、形振り構わず本懐を遂げてしまうかもしれない」

「佐川先輩も、それを恐れたんじゃない?」

「……なるほど」


 天知からの反論はない。神妙な顔で頷いている。


「だから、怪盗エスの枠内に、野原先輩を収めたかった。そして、あわよくば、名探偵を希求していた。野原先輩を止めてくれるような、そんな名探偵を」

「じゃあ、パソコン部の台本という嘘は?」


 じっと天知を見つめる。


「天知さんを引き込むためじゃない?」


 天知は、キョトンとしていた。


「……佐川先輩からすれば、野原先輩を止めてくれる唯一の希望だったんだよ。だから、どうしてでも天知さんは引き留めたかった。でも、天知さんはあんまり乗り気じゃない。仕方なく、嘘をついた。怪盗エスに盗まれた、パソコン部の台本を盗み返さないと、盗んだ物を返せない……って」

「あぁ……そっか」

「うん」

「これからの怪盗エスの犯行が、いままでの怪盗エスとは別人で模倣犯だと世間に訴えるためには、いままでの怪盗エスが名乗り出なきゃいけない。そのためには、いままで盗んできた物を全部返せばいい。……いいや、それはできない。なぜならば、模倣犯が盗んでいったのは、パソコン部の台本だからだー! ……ってこと?」


 妙に芝居がかっているが、


「まあ、そういうことだと思う」


 怪盗エスの模倣犯、オリジナルのふたつの存在を公表するためには、やっぱり暗躍中の模倣犯を捕まえなくてはいけない! と、天知に思わせるための嘘だったのではないか。逢坂はそう推測している。


「まんまとわたしは彼らの思い通りになってしまったということか……悔しい」


 結果だけを見れば、怪盗エス、野原の凶行は止められたのだ。そこを喜ぶべきだろう。


「ミステリー部を操っていたと思われていた怪盗エスの野原先輩、かと思いきやそのミステリー部の部員である佐川先輩はそれに勘付き、先んじて天知しろあという凶悪な駒を盤上に引きずり出していた。もう、何が何だかわからないね。どっちが模倣犯なのか、どっちがオリジナルなのか。複雑すぎる」

「みんなで怪盗エス! ってね」

「だからエスなの? 複数形? ちょっと陳腐。しかもカタカナ」


 まあ、そこは逢坂の知るところではない。天知なら知れるのかもしれないが、強いて知りたいわけでもない。兎にも角にも、終わったのだから。


「じゃあ、わたしのラジオ、楽しみにしててね。視聴率100%!」

「ラジオも視聴率で合ってるの?」


 天知は一年一組に戻っていた。逢坂も、一年三組に足を向ける。

 店番に天理の姿はなかった。そういえば、校庭にいるとか言ってたな、と思い出す。


「あ、逢坂さん!」


 踵を返したところで、呼び止められる。いつの間にか名前を覚えられていた。名乗った覚えはないし特に親しくした覚えもないが、それは逢坂は同じだった。


「なに? 早瀬さん」

「天理くん、一緒じゃないの?」

「一緒じゃないけど」

「ちなみにふたりってどんな関係なの?」


 ニヤニヤと楽しんでいる。嫌な勘ぐりがある。


「ふつうの友達」

「なぁーんだ」


 なんだとはなんだ。


「てっきり付き合ってるのかと」

「なんで」

「だって、文化祭の役割分担のとき、天理くん言ったもん。逢坂は俺と一緒にしてくれって」


 とりあえず一発殴ろうと決めた。


「それだけ? 私も天理くん探してるんだけど、どこかわからない?」

「うん……あそうだ。逢坂さんにも、ごめん!」

「今度はなに?」

「え、天理くんから聞いてない?」


 また天理。


「聞いてないけど」

「そか。ほら、看板、なくなっちゃったから。せっかくふたりで作ってくれたのにさ」

「まあ私は何もしてないけど……」


 ほとんどしゃべり相手になってだけだし、完成図と睨めっこしてたぐらいだし。


「……ん?」

「これはあれだね、例の怪盗エスだね。完成度の高さに嫉妬したんだね。とんでもないやつだよ」

「ちょっと待って。それ、天理くんにも言ったの? なくなったのっていつ?」

「え? なくなったのは……というか、気付いたのはついさっきだよ。初日以降、誰も宣伝してくれなかったからお役御免だったし。天理くんがやろうかって言ってくれたけど……ほら、初日、ずっと宣伝しててくれてたからさ。貞子で。だから申し訳なくて。で、なくなったことに気付いてごめん! って謝ったんだけど……。気にしなくていい、逢坂には俺から言っておくって言われて……でも、逢坂さんもいちおう、看板製作だったでしょう? ……逢坂さん?」


 どういうことだ。


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