花菖蒲
「遅かった? でも、何も燃えてないよね?」
つぶやきながら、天知にも訊く。
「まだ証拠がない。いま捕まえても逃げられる」
たしかに、警戒を強めることにもなるだろう。
「なにも盗んでないんだよね?」
「盗んではない。ふつうに漫画を一冊買って、メッセージカードも二枚置いて行って、それで出て行った。仕事は早いね」
褒めているのではないだろう、淡々と言う。
漫画研究会をあとにする。どちらからともなく、目的も曖昧に歩く。特別棟と一般棟を繋ぐ連絡通路を歩く。行き交う人混みの中、首をきょろきょろとしながら立ち尽くす姿はまあ目立った。
目が合い、手を挙げる。向こうも同じようにした。
「どうだった? 逢坂」
天理だった。
人混みを掻き分けて彼の元へ行くと、天理は天知の姿も認めたように頷く。天知もそれでいいとばかりに満足げに頷く。
「ダメだった」
端的に言う。
天理は首を傾げた。
「ダメだった? 犯人は野原先輩なんだろ?」
「ちょっと予想外の事態が」
「予想外?」
天知に目で促され、逢坂はスマホを取り出す。メモ帳はまだ消えていなかった。画面を見せる。
天理も不思議そうな声を出す。
「これは……犯行声明が二枚あるってことでいいのか?」
「うん。野原さんは二枚、用意していた。一枚、怪盗エスのほうは、適当に床に落としてたね。きっとあとすこしで……」
とそこで、見つかったか。おお! と、一際大きな声が廊下に響き渡った。開け放たれたままの扉では声がよく漏れる。ふり向く人もかなりいた。
「で、もう一枚。名前がふたつで盗んだ物が書かれていないほうは、漫画の山の下に忍ばせてた」
「漫画の山?」
それは逢坂も初耳なので、天知に訊く。
「漫画の山って、売られてたあの漫画のこと?」
「そう。だから見つかるのは、あの漫画が全部売れるか、文化祭が終わったあとぐらいだろうね」
知ってたならもっと早く言ってほしい、と思う反面、あの場で言うのはちょっと厳しいか、と思う。
「どう思う?」
天知は素直に、わからないことはわからないと天理に助けを請うた。あるいは、天理だからかもしれない。しかし。
「どう、って言われてもなあ」
天理は頭を掻くのみ。期待薄か。
「かいくんわからない? こういうの、得意分野でしょ」
「こういうのってどういうのだよ」
「人の気持ちとかよくわかるじゃん」
「しろあがわからなすぎるだけだ」
それには逢坂も同意する。
「第一、そうだったとしても、俺はその野原先輩って人を知らないんだ。顔と名前しか知らない。そんな人の事情がわかるはずもないだろう。しろあみたいに全知があるわけじゃないんだ」
ぐぬぬ……と唸る天知。ふと、逢坂は気になった。
「天理くんは何やってるの?」
一日目は貞子、二日目は鶏の着ぐるみ。今日になってやっとふつうの制服姿。しかし傍らには消化器があった。なぜ消化器?
その視線を受け取ったように、置いていた消火器を持ち上げる。
「今日で文化祭は終わり。後夜祭がある。キャンプファイヤーだ。火を取り扱うからな。万が一を考慮して。地味に手続きがあるんだよ」
「それはわかった。なんで天理くんがそれをやってるの? 生徒会だっけ?」
「いや?」
「実行委員? ……でもないよね?」
実行委員なら自クラスにかまけて看板を作っている暇はないはず。
「どっちでもないけど、強いて言えば生徒会かな」
なんとなく、話が読めた。じろりと目で圧をかける。
「また頼まれたんだ?」
「というよりかは、恩返しだけど」
どちらでもいい。適当なことを言って誤魔化そうだなんて、そうは問屋が卸さない。
「いちおう、これ部活動として天知さんが引き受けた案件なんだけど。天理くんも部員なんだけど。私たちに全部丸投げしてるくせに、生徒会の頼み事は引き受けるんだ? へえ?」
「だから俺も俺なりに、できることをやったんだよ。無条件で生徒会の頼みは聞き入れたわけじゃない」
「そうですか。へえ?」
じゃあその条件は何だったんだ言ってみろ、と再度圧をかける。
天理はため息をつくと屈したように、消化器とは反対側に置いていた紙袋を引っ張ってきた。
「どうせ、またしろあは全部知った気になって、どんな物が盗まれたか、盗まれた当人がどう思っているか、確認してないんだろ?」
「うっ」
そう言うからには、天理は確認をしただろう。その時間、逢坂と天知が家庭科室でパンやお菓子に舌鼓を打ち、オリジナルドリンクで一喜一憂している合間に、天理は粛々と足を動かして直に話を訊いたのだろう。
痛いところを突かれた。何も言い返せない。
「これは、渡しておく。それと、たしかに怪盗エスは一見すると盗まれたとわからない物、盗まれても困らない物、すぐに急造できる物を盗んでいるっていうのは、その通りだと思う。みんな、なんで盗まれたのかわからない、あんなもの持って行ってどうするんだ、って言ってたからな。総じて、文化祭の賑やかしイベントなら気にしてないって風だった。一部を除いて」
「一部を除いて?」
「ああ。園芸部だ」
「園芸部は……何だっけ?」
「菖蒲。まあ、正確には花菖蒲で、菖蒲はこっちになるんだけど」
言いながら、紙袋から出てきたのは二本の花。一本は紫の花びらを持つ綺麗な花で、逢坂も菖蒲と言われればまずこっちを指さすだろうけど、どうやら正確には花菖蒲というらしい。
ならば正しいほうでの菖蒲とはどっちなのか、と思えばそれも出てきた。菖蒲は花菖蒲と比べると地味な印象が拭えない。細長く黄色い粒がついている。
「園芸部は、そりゃあ怒ってたよ。何本も花はあるわけだけど、何億と人間がいるからって一人を蔑ろにはしないのと同じで、彼らからすれば、盗まれた一本も手塩にかけて大切に育てた我が子みたいなものだったみたいだから」
「まあ、園芸部が怒るのは当たり前か」
それは怪盗エス、ミステリー部扮するオリジナルの怪盗エスが犯したミスか。花は、盗んだ物を返せば済むという話ではない。
「でも、ってことは、怪盗エスは花の知識がないってこと?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「……」
それっぽいことばかりを言っている。じろりとした目を躱すように、天理は肩をすくめる。
花菖蒲と菖蒲をまた紙袋に戻すと、天理は紙袋ごと逢坂に押し付けてきた。
「これは渡しておく。俺は生徒会の手伝いがあるから、悪いけど任せることになる。何かあったら、たぶん校庭にいると思うからそこに来てくれれば」
「本当に悪いと思ってる?」
「めっっっっちゃくちゃ悪いと思ってる」
パン! と手を合わせてこのとーり! と拝んでいる。
「おお。本当に悪いと思ってるみたいだ」
これは責めるに責めれない。うん。
「使えないなら使えないでそれでいい。しろあを任せた、逢坂」
「はいはい」
消化器を片手に、天理は人混みへ消えていった。
「はっ!」
「なにか閃いた?」
「なんでかいくんは、野原さんの顔を知ってるんだ!」
「……はぁ」
そこはどうでもいいだろう。
「浮気……?」
「ミステリー部に行ったときとかじゃないの?」
というかあれだけ長考して得たものがそれか。
「そっか」
「そっか!?」




