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何でも知ってるしろあちゃん  作者: 家佐水井
古江琉重による全知を出し抜く方法
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全知も知れないこと


 佐川を見送ってから、逢坂はふう、と肩の力を抜いた。


 疲れた。それが正直なところだ。

 全知を使った天知から事の真相は聞いているから間違ってはいないが、これで正しいかどうかはわからない。けっきょく、伝えるのだ。自分の言葉で。それは変わらない。佐川がそうするかはわからないが、万が一、この発言で事態が悪い方へ転がれば、逢坂の責任となる。疲れるのはそこに起因しているのだろう。

 全知があれば万事解決、とはいかないのだ。

 天知が面倒ごとを避けるのも納得だ。一役買っただけで片棒すら担いでいないのにこうも疲れて不安になるのだから、誰もやりたくなんかないだろう。


「野田文雄っていう部長さんに辿り着くのは、天知さんのようにその存在を知っていないといけない。だから名探偵でも、ミステリー部が怪盗エスだって気付くのは厳しい。ミステリー部の人からこれじゃ公平じゃないだろって意見は出なかったの? それとも、自分たち全員が知っているからこそ、これなら公平だと思ってしまった?」


 公然の事実だから、周知の事実でもあると思ってしまったのか。

 逢坂は、天知にしか訊けない。


「これでよかった……?」


 返事はなかった。独り言ではなかったので、顔も向ける。天知は、呆けていた。心ここにあらずといった感じ。先ほどから、この新聞とラジオが流れてから様子が変だ。


「天知さん?」


 無視。というか届いていない。

 逢坂は天知の手を誘導してやった。呆けて開けっぴろげな口に、メロンパンが入る。口が閉じて、引っ張るとメロンパンが減っていた。一口分、天知の口に収まっている。咀嚼に口が動いている。

 甘さに舌が、脳が働きを取り戻したのか、天知は二度、素早い瞬きをした。


「甘い」


 これで心が戻ってきた。逢坂は訊く。


「いままでの話、聞いてた?」

「……ん。うん。いちおう、耳には入ってた」

「なにか気になることでもあった?」

「うん……」


 顔が曇る。逢坂は失策を犯したか。


「その、怪盗エスの法則を見破ったっていう匿名の投稿、誰だかわからない」

「わからない?」


 全知の天知ですらわからないとはいったい、どういう了見なのか。

 驚いただけで天知のことを侮ったわけでも失望したわけでもないのだが、天知は舐めるなとでも言いたげに小さなくちびるを尖らせた。


「わたしにも知れないことがある。ひとつは人の頭の中。だから突発的な犯行は防ぎようもない。単独犯で、全てを自分の頭の中だけで完結させているような犯人もそう」

「まるで怪しい行動がなければ気付けない?」

「そういうことになるね」


 理屈の上ではそうだろうが、それは机上の空論か。犯罪に素手で挑むというのもおかしな話で、何かしら道具は使うだろう。本来揃わないような道具が揃うのだ。自室でそれをするだけでも天知には知られる。

 天知が言いたいのは人の頭の中、人の心は知れないということ。


「それから、未来のこと」

「過去は知れても未来は知れない……んだ」

「パソコンだって、既知は知れても未知は知れないでしょう? 限りなくそうだろうという予想は立てられるけど、人の頭の中が知れない以上、それもぜったいとは言えない」


 妥当だ。


「ほかは?」

「自分自身」


 何らおかしな話ではない。

 人のことはわからないし人の気持ちも知ることはできない。どれだけ親しくしていても、家族ですらも、知らないことはあるだろう。

 それは自分のことだって例外ではない。時折、どうしたいのかわからないこともある。自分のことは自分が一番わかっている、と思う反面、自分のことこそ自分が一番わからないのでは、と思う。


「自分自身?」


 それをいま議題に挙げたのだから、何かしら意図はあるのだろうと逢坂は相槌を打った。


「かいくんから、わたしのことは聞いてるでしょ?」


 人の目を気にするが、ただでさえ賑やかなのにラジオもうるさいので平気だろう。


「全知全能の神様から人間になった。その時の力がまだ残ってる」

「全知の名残だね」


 メロンパンをかじり、天知はさらりと言う。


「つまり全能の名残もいるわけだ」


 それも、すこしだけ天理から聞いている。


「魔が差せる……ってことだっけ?」

「そう」


 パンばかりでは水分が持って行かれたからか、天知は手近な自販機に立ち寄った。頑張って背伸びしている。届かないらしい。コーラがほしいようだ。代わりに押してやった。逢坂は、適当に麦茶を買っておく。


「くろあちゃんはどちらかというとまだ神様の方なんだよね。それでわたしに嫉妬してる」

「嫉妬? 何に?」

「かいくんといちゃいちゃしてるから。わたしもしたいのにー。しろあちゃんだけずるいー! ってこと」


 またそういうことか、とげんなりする。天知はコーラから勢いよくくちびるを離した。


「いつものだ……って思ってるね!? そういうことじゃないよ。いつものとは違う。いい? わたしはくろあちゃんでもあって、くろあちゃんはわたしでもあるの。元は同じなんだから、かいくんが好きだっていうのも同じなの」


 そういうことなのか? ならつまり、


「じゃあいつも浮気だ浮気だって叫んでるのは当たり屋ってこと?」


 いつものとは違う。いつもは違う。つまりそういうことだろう。


「……全知のあるわたしでも、それだけ、知れないことがある。人の頭の中、人の心。既知のまだ訪れていない未来のこと。そして、自分自身。つまりくろあちゃんのこと。くろあちゃんが何を考えているのか、いまどこにいるのか。何もわからない。知れない。そして、ラジオ部新聞部に匿名のタレコミをした人も、わたしには知れない」


 露骨に話を変えた。暖簾に腕押しとなるだろう。追及はやめる。

 天知が呆けて硬直していたのは、タレコミという新情報を掴み、その人物が誰でどういう意図があり、この模倣犯と関係があるのかどうかを知ろうとしていたから、ということになる。佐川に対して都合のいい言い訳を並べようとまず正しい情報を掴もうとしたが、その情報が掴めず思考停止、深入りしていた、と。


「必然的に、タレコミをしたのはくろあちゃんということになる」


 一転して天知は真面目な顔に。困惑を強める。


「なんで? くろあちゃんはなんでこんなことを? この一件に絡んでる? なら何がしたいの?」


 逢坂もペットボトルの蓋を開け、口をつける。喉の渇きを潤してから、思いつきを言った。


「私の時は、魔を差すことで私を殺そうとしたね。その犯人を、柚奈にしようともした」

「でも橘さんはいずれそうしていた。くろあちゃんは無から有を作ることはできない。名残の力じゃあね」

「うん」


 恨みのない人間に無根拠な恨みを与えて、殺人に発展させることはできない、ということだろう。柚奈には少なからず、逢坂に殺意があった。厳密には、殺した方が楽だった、楽になれるという非常に不安定な立場で、そこをくろあが魔を差したということになるのだが。


「べつに恨んではない。……いや、まったくないって言ったら嘘になるけど。でも、あの時あの場所だったからこそ天理くんがいて、天知さんと出会って、柚奈とは決別せずに済んだし、柚奈を人殺しにせずに済んだ」

「人間には2種類いる。一度、やってしまってから後悔する人と、一回やってしまえば二度も変わらないと悪化する人」

「柚奈は前者だった」

「自分の行いを鑑みた橘さんはその行為が恐ろしくなったんだろうね。だから逢坂さんのほうから接触するまで、橘さんは大人しかった」


 四阿で流血沙汰になったが、あれは逢坂が誤解して下手な刺激をしたからだ。


「もしもあの階段で突き落とされなかったら、柚奈は念入りに計画を立てていたかもしれない。そう考えると、簡単には恨めないかも」


 複雑な心境だ。

 戻って、模倣犯について考える。それに従うなら、くろあは今回も魔を差しているのか。逢坂と柚奈の件も考慮すれば、


「引き戻せなくなる前に、恨みか憎しみか、根底にある何かを発散させようとしているってことになる?」


 天知は微妙そうな顔だ。簡単には頷けないらしい。


「逢坂さんが助かったのは結果論だよ。逢坂さんからすればくろあちゃんにはない交ぜの感情があるかもしれないけど、くろあちゃんからすれば逢坂さんはどうでもよかったはず。むしろ、あの四阿で橘さんが、逢坂さんを殺すことを期待してたんだと思う」

「一度は助けたのに?」

「それも確実じゃないけどね」


 とは言いつつ、天知もその前提で続ける。


「橘さんに魔を差して、逢坂さんを階段から突き落とすようにした。でもそこでは殺さないつもりだったんだよ。死なれたら困る。だから即死を免れるタイミングに調整したはずだし、かいくんが助けに入るように仕向けた」

「何に困るの?」

「まだわたしが関わってないからね」


 自分の生き死にについて語るだけでも変だというのに。話が見えない。


「逢坂さんがあの四阿に向かったのは、わたしが話をしたから。四阿で殺人が起これば、大本を辿るとわたしの責任になる。わたしは罪悪感とか責任感とかを感じる」

「感じさせたかった?」


 それはすこし強引だ。と思っていると、天知も同じなのか、同意するように、他人事のように頷く。


「ね。わたしもそう思う。それでわたしの責任とかわたしのせいとかになったら、人は何も言えないよ」


 あくまであの時、柚奈と話そうと行動したのは逢坂の意志だ。天知に言われたからではない。


「かいくんが言うには、そのためにくろあちゃんが画策してたって話。わたしはあんまり納得できないけど、今回もそうだと仮定すると、わたしがこうして動いていることがすでにくろあちゃんの術中だってことだね」

「じゃあ、いまからでもやめたほうがいい?」

「ううん、それは一番ダメ」


 天知は首を横に振り、一番と強調した。


「わたしはもう動いてる。そしてくろあちゃんも動いた。これは、くろあちゃんが自分の存在を隠さなくなった。つまり、退けない場所まで来たってこと」


 ここで天知が退けば、それこそくろあの思う壺。逢坂の事例に当てはめれば、柚奈と溝を埋められず、いつか起爆する地雷を抱えて生きていくことになるのだろう。


「わたしたちに残されたのは、この模倣犯を完封すること。それしかないってことだね」

「……野原先輩を拘束して監禁する? この文化祭が終わるまで」

「それは完封じゃない。放棄だよ、試合放棄」

「試合じゃないと思うけど」

「それに、野原さんはちょうど文化祭があったからそれを隠れ蓑にして、ミステリー部もオリジナルとして隠れ蓑として動いてただけ。拘束監禁しても、解放された途端に強行へ走るだけだと思うなあ」

「まあ、そうだよね」

「こっちが悪者になっちゃうし」


 オリジナルの怪盗エスは文化祭の一時を飾るためのものだが、野原の行為はそうではない。文化祭が終わっても彼女の問題がそのままなら、再燃するだけ。しりとりといった法則性も怪盗エスといった縛りもなく自由気ままになれば、四六時中見張ることになる。それは物理的に不可能だ。


「いずれにしろ、野原先輩の動向に目を光らせるしかないってことか……」


 そこで、ラジオ部が急な舵取りをした。


「いやー一年七組のオリジナルドリンクはどれもこれも一癖二癖あってまさにオリジナルらしさ、祭りらしさがありますねー。……ん!? ここでまたしても新たな情報が入りました! なんと怪盗エスについて新情報です!」


 逢坂は黙って耳を傾け、天知も同じようにする。


「昨日の時点で犯行は園芸部、菖蒲が盗まれたとありました! 優秀な匿名のタレコミによって法則性が見え、次に狙われるのがミステリー部だということも明らかになっていました! 数多くの、我こそが名探偵という方々がミステリー部に押し寄せ、ミステリー部は盛況。嬉しい悲鳴が飛び交っていたそうです。ウチのラジオ部も参加しようとしたんですが、人数制限がかかってしまっていて。うわさによるとミステリー風の事件を解決していくようなんですが……え、話が逸れてる? ああ、こっちを読め?」


 ラジオ部の話が長い。特に面白みもない焦らしなのでイライラだけが募る。


「すみません怒られてしまったので。早速、読んでいきます」


 声色が変わる。


「そう! 怪盗エスの新たな犯行が起こったのです。それもやはりこのしりとりに則っていた! ミステリー部から盗まれたのはノート! 犯行声明には、ノートブックと書かれていたようです!」


 天知と目を合わせる。佐川は部員を説得し、被害者として名乗り出たらしい。薄く微笑んで、天知も頷く。


 そうだ。これでひとつ進んだだけで、ここからなのだ。


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