匿名投稿
文化祭の陽気な空気に揉まれながら、天知はさらりと言った。
「それで、どうしよっか」
「どうする?」
つぶやきだったか問いかけだったか、逢坂は繰り返した。天知のそれは愚問にしか思えなかったからだ。
「どうするも何も、漫画研究会に行くんじゃないの?」
でなければ、これはどこに向かって歩いているのか。
「天知さんなら監視カメラよりも監視ができる。隠しカメラよりも隠れられる。野原先輩の一挙手一投足を見逃さず、犯行の瞬間をお縄にかける。それ以外ないんじゃないの?」
天知は言った。
『天知しろあが言ったから。個人的にはそれで信じても、それが公にされて真とされることはない』
『物証、証拠。動かぬ証拠。決定的瞬間』
『言い逃れができないようにすればいいんだよ』
天知の言に従えば、野原の動向に目を光らせ、その決定的瞬間を捕らえるしかないのではないか。
「それとも、次の犯行声明がどこにあるか知ってるとか? ミステリー部から盗まれたノートブックがどこに隠されているか知ってるとか?」
漫画研究会のコメントと、『て』から始まる物、それから怪盗エスの署名。
ミステリー部に残された犯行声明に記されたノートブック。
それらが物的証拠、動かぬ証拠になるから、それを晒せば言い逃れはできないかもしれない。
「ノートブックは昨日盗まれて野原さんがそのまま持ち帰ってる。いまから自宅を訪れるのもいいけど、その隙に模倣犯による二件目が起こるかもしれない」
「第一不法侵入だしね」
「犯行声明だけど、野原さんはまだ書いてない。メッセージカードは手元にあるみたいだけど、白紙のメッセージカードじゃあ罪は問えないね」
野原を取り押さえて身包み剥いで持ち物を開示させるのはさすがに野蛮が過ぎる。それでは問題を大きくするだけだし、ややこしくするだけし、逢坂たちが悪者のように思われてしまう。
「それから一挙手一投足を見逃さず、って簡単に言うけど、それは無理だよ」
「なんで」
腕を組む逢坂に、天知は滔々と続ける。
「まず、ミステリー部扮するオリジナルの怪盗エス。あれには人手がいる。部員8名。全員で共謀していて全員で主犯。ミステリー部のひとりを疑わしいと思っても、犯行が起きた時間に二年三組で演者をやっていれば、否定される」
「アリバイがあるってことか」
横尾が怪盗エスの実行犯を担っていたとして、疑わしいと彼を張っていたとしても、二年三組で演者を担っている時間に、佐川が実行犯を担い怪盗エスの犯行が起これば、横尾は犯人ではないと、自分自身が証明することになってしまう。
横尾も佐川も共犯で、ミステリー部全体が共犯だと考えるよりかは、横尾犯人説は間違っていたか、と推理を翻してしまうのがふつうだろう。
「でも野原さんは今回、単独犯。自分で盗んで自分で犯行声明置いて、すべて自分でやらないといけない」
だから見張りは通じるのではないか。
逢坂はそう言いたかったが、天知がまあ待て鷹揚に頷くので、大人しく耳を傾けるとする。
「そうなると、犯行可能な時間は限定される。野原さんは演者として、二年三組に拘束される時間があるから」
「そうだね」
それはたしかにそうだ。
「ちなみにそれって何回目になるの?」
ミステリー部は一日に四回やるはずだ。
「三日目は、一回目と二回目らしい。絶賛、野原さんは医者の卵をやっている。犯人役ってことだね。なかなか板についてるよ」
「いいから」
自然にネタバレもしている。体験して、佐川からも犯人を聞いておいてよかった。
「これは野原さんが直々に申し出た。三回目と四回目、午後の時間は空けておきたかったと解釈できる」
「じゃあ、次の犯行は午後ってこと?」
「おそらくは。一回目と二回目の休憩時間でやるのはバタバタしてるし、午後を空けておいたことにも説明がつく。ゆっくりやりたいんだろうね。自分ひとりだけだから」
天知の全知というのは、わかっていても何度も驚かされる。
探偵の推理を超越した場所にあるし、刑事の地道な捜査も嘲笑うかのようだ。これこそ無敵と呼ぶものなのではないか。天知にかかればどんな難事件も未解決事件も三秒程度で終わってしまう。
「なら、それまではこっちもゆっくりしていていいってことか」
「ところがどっこい」
「ところがどっこい?」
「演者として拘束されて、自由時間が限られているのは、何もミステリー部の野原さんだけではないのだ」
すこし考える。
「どうしようジュリエット!」
「そう」
ゆっくりなんてしていられなかった。
「野原さんが拘束されない三回目と四回目の時間、ちょうどわたしはジュリエットをやっている。お昼とか着替えとかメイクとか、本番前に軽く読み合わせもするから、12時。遅くても1時にはクラスに戻ってないといけない」
無茶をさせるわけにはいかない。スマホで確認すれば時刻は9時を過ぎていた。残りは3時間もないではないか。
「何か……何か方法ないの?」
「何かって?」
「漫画研究会にある『て』から始まる物。それか、野原先輩に犯行を早めてもらう方法」
「『て』から始まる物なんていくらでもあるよ」
どこに向かっているかと思えば、答えは匂いが教えてくれた。家庭科室のプレートが上にはある。開け放たれたままの扉は中の甘く香ばしい匂いが廊下に流れている。
漫画研究会でもなく、ミステリー部でもなく、怪盗エスの被害に遭った場所を訪れるのでもなく、家庭科部の家庭科室。調理台と机がひとつに合わさった銀色の上にはスーパーにあるような誰でも無料で手を伸ばせる試食が置いてある。
ここで逢坂は貞子と会ったのだ。何の用が、と思う反面、天知のことだから考えがあるのだろう、と思う。
「ここに何かヒントが?」
「ん? ううん。かいくんに買ってきてもらったパンが美味しかったからね」
そんなことはなかった。
まっくろくろすけなチョコクッキー、グーチョキメロンパンなどなど、一通り試食を摘まんでいく天知。一口ごとに幸せそうな顔をしていて、その表情が周囲を幸せにしていって。
大人しく列に並んで天知はパンとお菓子をこれまた一通り全部買っていく。
「これで100円。わたしの顔よりも大きいよ。世は戦乱の地。美味、美食に人は飢えていた。砂糖なんて高級品。そこへ彗星のごとく現れた織田パン長は、砂糖を湯水のごとく使ったパンを作る。その甘みは人の心を掴んで離さない。織田パン長による天下は、ここから始まっていったのだ……」
メロンパンはたしかに100円にしては大きいものの、顔よりも大きいというのは、どうなのだろう。単純に天知の顔が小さいだけに思える。
ただ、悔しいので口にはせず、逢坂もバルス的ドーナツを一囓り。
「天下は豊臣秀吉でしょ」
「豊臣パン吉。パン長の草履を懐で温めたことから気に入られ、親しみを込めてパンネズミと呼ばれることになった……」
「ハゲネズミだし。サルだし」
このまま雑談と甘味と文化祭の雰囲気に酔いしれたままでいられればどれだけよかったか。
「野原先輩に犯行を早めてもらうのは、まあ無理だとして。『て』から始まる物だよね。問題は」
天知は小さな口で大きなメロンパンを啄みながら、言う。
「テンプレートとかテープとかいろいろあるよ」
漫画はまま読むが、描き方に詳しいわけでも興味があるわけでもない。いま重要なのはその中身でもない。
「テープってのはテープ?」
「マスキングテープ製図テープメンディングテープ」
「その辺は量産品。盗まれてても気付かないか。テンプレートっていうのは?」
「端的に言えば定規」
「ならそれもいくつもありそう」
「漫画研究会の部長さんは勅使河原さん」
人名が出てきた。逢坂は眉をひそめる。
「人も対象なの?」
「ミステリー部がそうだったでしょう?」
何の話か。
「まさか美術部が第一被害者だと思ってたの?」
唖然としているのは天知だった。
「違うの?」
パチパチと瞬きをする天知は頭痛でもしたのか頭を振る。
「ミステリー部はあれでもルールを遵守してるんだよ。公平に、解けるようにしてるの。美術部スタートだったら、犯人が、怪盗エスがミステリー部だって辿り着くのは困難。いままでの法則、しりとりに則るなら、美術部の前は何?」
残りのドーナツを急いで口に放り込み、砂糖のついた指を舐め取って拭いて、パンフレットをめくる。
書いてある文字をそのままに、声に出してみる。
「お題ください 描きます 似顔絵も可」
「うん。その文の末尾が盗品の頭文字で、盗品の末尾が次のコメントの頭文字であることを逆算すれば、美術部の『お』で終わる何かが、盗まれていたことになる」
「でもそんなのないよ?」
すくなくとも、名乗り上げてない。まさか、まだ盗まれたことに気付いていないのか。
「だからそこに、書いてある」
身を乗り出して天知も逢坂の持つパンフレットを覗き込み、指でなぞるようにした。
「ほら。『部長を殺したのは誰だ そして凶器はどこへ消えた え? 俺死ぬの?』って、ミステリー部に書いてある」
「ミステリー部から……凶器が消えた。凶器が『お』で終わるものだった?」
「逢坂さん、ミステリー部行ったんだよね? 何なら、部員本人の口から答え聞いてるよね?」
なぜそれを、と思うのは天知相手には無意味だ。
「佐川先輩からね」
「それでその佐川先輩は何て言った?」
「……消えたのは部長のほうだって」
「そう。部長さんは、あの設定上のお屋敷にある自室で殺され、それを移動させられたの。凶器は消えてない。消えたのは部長のほう。佐川先輩は、部長役であることも強調していた。あの事件で名前も知れたんだろうね。ミステリー部の部長の名前は?」
「名前は?」
「野田文雄。のから始まっておで終わる」
改めて、ミステリー部のコメントに目を通す。
「俺死ぬの? ……ので終わってる」
「そのコメントも部長さん視点だしね。そういうこと」
ぞくりと不気味な悪寒が背を這った。
「なら、その部長の勅使河原って人が危ないんじゃ……!」
陽気な文化祭に、陽気なBGMが鳴り響く。校内放送だ。
「やって参りました本日もこのお時間! 織高文化祭のオールナイトニッポン! まだ午前だろどこがナイトなんだというツッコみ、ありがとうございます! 文化祭は本日で最終日。残りわずかでございますが、どしどしとハガキは募集しております! 宣伝もいいよ!」
そういえば、ラジオに耳を傾けようと思っていた。
どこがオールでいつがナイトなのかと呆れ半ばに笑っていたのはどうやら逢坂だけではないらしい。
すると、ラジオよりも大きな声が廊下に響いた。
「あ! あ! 天知さん! 逢坂さん! ちょっと!」
それは佐川だった。
昨日、校舎から逢坂を見つけたときと同じく、かなり焦っているのがわかった。右手をメガホンにしながら、左手は何か紙を握って振っている。
逢坂たちが立ち止まっていると、人混みを掻き分けながら佐川は走って来た。
「これ。これちょっとどういうこと!?」
紙を受け取る。佐川は息を切らしながら両手を膝についた。
それは新聞部による朝刊で、奇しくも内容は、校内放送のオールナイトニッポンが読み上げてくれた。
「さて。できたてほやほやアツアツ、新鮮なネタが今日もありますよー? 皆さん待っていたんじゃないでしょうか。それは怪盗エスによる新情報。なんと! 法則性を見破ったという匿名の投稿があったのです!」
なかなか怪盗エスは人気があるらしい。多方向好き勝手にざわついていた文化祭が一瞬静まり返り、ラジオに耳を傾け、ざわめきは怪盗エス一方向に集約していった。
「怪盗エスの犯行はしりとりになっていた! と! ではここで、第一の被害者である美術部の被害を洗ってみましょう。美術部の被害はカッター! それとメッセージカードには」
どういうことか、と逢坂は天知をうかがった。新聞を読み、ラジオを耳にした天知は鋭い目つきをしている。
硬く引き結んだ唇が、おもむろに動いた。それは慌てふためく佐川へ落ち着きを取り戻すよう促す言葉だった。
「佐川先輩、落ち着いてください」
「えぇ……?」
「べつにこれは驚くことではありません」
「でも!」
本来はこの展開を望んでいたはずだ。しかし模倣犯が現れた以上、それはミステリー部の立場を悪くする展開。狼狽えるのも理解できる。
「わたしが気付き、模倣犯も気付いたんです。新たな、無関係な誰かが、それこそ名探偵がいたとしてもおかしなことではないじゃないですか」
天知は全知という逸脱した神業の成せる技によるものだし、模倣犯はミステリー部の野原という身内だし、正当な名探偵が解き明かせるかどうかはまだ不明確だが、天知は平然と言ってのける。
「そ、それはそうだけど……」
「それに、これはそう悪くない展開ですよ」
「と言うと?」
促す。天知は頷いた。
「しりとりという法則性がわかっていて、模倣犯もそれに則っている。なら次の標的の予想は誰でも立ちます。漫画研究会には人が集まる。無料の、衆人環視という名の監視カメラが、これから怪盗エスを捕らえようとしてくれるはずです」
「でも、そのためにはミステリー部も被害を告白しないとだよね?」
天知は目を丸くした。
「そうでした」




