なんてバカップル
チャイムが鳴り終わると、教室の扉が開いた。顔を見せたのは、天理だった。もう鶏の姿はどこにもなく、すっかり人の身を取り戻した天理は、制服に袖を通していた。
「どちらさま……?」
と言ったのは佐川。
たしかに、語弊がある。顔を見せた、というのは正確ではない。姿を現した、と言うのが相応しいか。いつも通りの重たい前髪は顔を隠している。
「俺ですよ、佐川先輩」
「ああ! 天理くんか! ありがとうありがとう! きみのアドバイスのおかげで、上手くいったよ!」
サムズアップする佐川。
「ならよかったです」
同じくサムズアップする天理。だからどうやってそこまで仲良くなったのか。アドバイスとは何のことか。
しかし天知は、べつのことに気を取られているようだった。
天理が佐川に名乗り、前髪を上げて素顔を晒したとき、ミステリー部の女子生徒が目を見張ったのだ。それを見逃さず、不機嫌に爪を噛んでいた。
「とにかく」
天知は声を張り、注目を集めるようにした。
「相談は、引き受けました。しかしこれは依頼でもなければわたしは探偵でもない。一介の、部員。相談部の活動ですので、保証はできません。これは大前提です。それでもよろしいですか」
相談と依頼の違いを明確にした。
探偵だと仕事だから責任も生まれ、依頼だと金銭が発生する。だがこれは相談で、天知は部員で、ならば責任も報酬もないから、犯人逮捕、模倣犯特定の約束はできない。
天知は逃げ道を作ったようなものだ。なにもせずに、手は尽くしたんですけれど……と、口だけ言うのも可能なのだから。
佐川はそれでも藁にも縋る思いなのか、頷いた。
「それでいい。お願いします」
やれやれ、と天知は、ようやく引き受けた。
もう時計の長針は5を指そうとしている。一日目二日目の下校時間は17時だ。込み入った話はできず、今日のところは切り上げることになった。まあ、佐川はどこかのファミレスでもと言いたげだったが、提案者が天知であることを鑑みると、話は聞くまでもないということだろう。
天知なら、全て知れる。この話が、相談が持ちかけられ、天知が承諾した段階で、面倒ごとは解決したようなものなのだ。
階段を上り、一般棟四階、一年生の階を目指す。逢坂は天理と天知が肩を並べる様を目にしながら、そんなことを思った。
「で? アドバイスって何のことだったの?」
口の端を片方だけあげ、ニヒルに構える。
「そういえば、話って何だったんだ?」
天理は露骨に話を変えた。天知の態度には知ってか知らでか、おそらくわかっていながら、だろう。天理が天知に目を向けると、今度は天知が目を逸らす。むっとしているのがわかる声音だった。
「世間を賑やかし、文化祭を盛り上げてくれている怪盗エス。模倣犯が現れたんだって」
「模倣犯! それは大変だ」
「あんまりそう思ってなさそうだけどね」
逢坂も同意して頷く。それどころか楽しんでいる節がある。
「だってしろあが動くんだろ?」
一瞬、天知は硬直した。階段を上るために上げた足が、中空で停止したのだ。
再起動を果たした天知は、さらにそっぽを向く。
「ふんっ」
つまり天理は、天知が動く=解決だと言っている。天知風に言うならば、信頼の証、愛の深さ、だろうか。
いつもは立て板に水で口八丁だというのに、かの天知しろあ嬢でも袖を濡らす相手の甘い言葉だと、やはり朴訥としてしまうらしい。天理から顔を逸らすようにすると、逢坂にはその頬が見えてしまう。赤い。
「それで犯人は誰なんだ?」
佐川には保証はない確約できない、考える時間がほしいとつらつらと語っていたというのに、天理からの問いには、
「野原舞香。二年生」
「野原……」
天理はすこし考えるようにした。逢坂には聞き覚えのある名前だった。顔もすぐに出てくる。
「あの教室にはいなかったな」
それはつまり、
「あの場所にいた部員の名前、把握してるの?」
なぜそんなことを、と不思議そうにする天知。
「話の流れでな」
佐川と仲良くなった過程にそれも含まれているのだろうか。つくづく、わからない人だ。
「ミステリー部の人ってことでいいんだよな?」
「うん。わたしと逢坂さんで怪盗エスの正体を言い当てたときに部室にいたし」
受け答えをしてくれたのが佐川。犯行を見られていたというある意味で被害者なのが横尾。残るは、その横尾に舌打ちをかまし、警察の娘役だった人だろう。天知と逢坂が訪れたときの、唯一の女子生徒。
「ミステリー部の演者もやってた」
「みたいだね」
逢坂の補足に天知も頷く。
「そうなると、なぜってことになるな」
天理は神妙な顔つきになった。
「ミステリー部による怪盗エスを、ミステリー部部員が模倣した。もしも野原に何らかの意図があって模倣犯になったとしても、べつに自らの手を汚す必要はない。ミステリー部全体が怪盗エスなら、野原もある程度犯行の操作はできたはず」
実際にミステリー部でどのようなやり取りがあったかはわからないが、天知は部全体が怪盗エスだと言った。ならば、それぞれ意見を出すような形でもあったのだろう。野原の意図を含ませることも可能だったはず。
「たしかに。佐川先輩がこうして騒ぎ立ててしまえば、犯行もやりにくくなる。自らが怪盗エスだって公表する可能性もあったし、そうなれば模倣犯はより立場がきつくなる。オリジナルである佐川先輩が、ラジオ部や新聞部で警戒を促せば、模倣犯は手を出せなくなってしまう」
「佐川先輩が公表しなかったのも、しろあがいたから。しろあなら解決してくれるかもしれない。模倣犯の存在も、自分たちの存在も公表せずに済むかもしれない。そう思ったからだ」
穏便に済むなら穏便に済ませたいというのは人間の自然な心理。その済ませる方法が、先手を打つこと。模倣犯を特定、犯行の阻止。それができそうな名探偵にアテがあった。それが天知しろあ。
「けどそれも偶然に過ぎない。ミステリーなら解決しようと探偵の目線を持つ人はいるだろう。ミステリー部の事件だって創作だから、名探偵の希求には沿っている。ただ、本物の、現実に起こっている事件を解決しようと一念発起するような名探偵は、そして解き明かしてしまうような人は、残念ながら現実世界にはいない」
由ありげに天理は天知を見やる。
いつ何時どの分野にも例外はいる。それが彼女だ。まあ、天知しろあは些か例外過ぎるとも思うのだが。天知本人が言うように、彼女はべつに探偵ではない。
「つまり、野原はかなり危ない橋を渡っている。20階の高さを命綱なしで渡っているようなもの。風が吹けば落ちてしまう。偶然に助かっている状況だ」
「つまり野原さんは借金塗れのギャンブラー?」
「賞金は1000万だ」
「わあ。安いね」
「安いか?」
「わたしの命はプライスレス。かいくんだけのものだからね」
決まった! とウインクする天知と、口許をひくつかせる天理。
ふたりの茶番でふたりだけで話が進んでしまい、逢坂は口を挟まずにいられない。
「何の話?」
「借金がある状況で、目の前に莫大な賞金でもない限り、やらないようなことをやってるって話だ」
20階の高さを命綱なしで渡るのは、まあ借金と賞金のダブルコンボでもない限りやらないことだろう。
「ミステリー部が怪盗エスを作った理由は何だったんだ?」
「名探偵を現実で見たい。チンケな話だよね」
「しろあが俺を想ってくれるのと同じように、その人がどこに重きを置くかはその人次第だ」
「いくらかいくんでも」
まるで自らを卑下するような言い方は、天知は許せないのだろう。眉間に皺を寄せた天知が口を突いて出そうになった言葉を、しかし天理は先に言った。
「野原が怪盗エスを模倣した理由は、何なんだろうな?」
四階、一年生のフロア。名前も知らないどこかのクラスの生徒とふたり、すれ違う。カバンを肩にかけて階段へ降りていくのは早足だ。逢坂たちも、すこし急いだほうがいいかもしれない。
先に一年三組に到着する。天知は一年一組で、一時的に別れることになる。天理とふたりきり。
逢坂は屈んで廊下にあるロッカーのロックを解除し、カバンを取りだした。中を確認するも、普段より何倍も軽く持ち物はないに等しい。
なくなった物があるはずもなく、またないはずの物、つまり犯行声明があるはずもない。怪盗エスの標的にされる謂われもないし、その犯行は個人からは盗まないはずだった。
カバンを肩にかけ、一年三組を見上げる。看板は天理が作った物。おどろおどろしい文字でおばけ屋敷と書かれている。時間帯もあり辺りは暗く、廊下の電気が点いているのが幸いだ。
「うちのクラスから何か盗まれてるとか、ないよね?」
同じくカバンを取り出す天理に、逢坂は何の気なしに訊く。天理もまた何の気なしに言う。
「ああ。すくなくとも俺は聞いてないな」
やけに手こずっているな、と思えば、カバンは逢坂とは違ってずいぶん重量を感じさせるものだった。
「そんなに何を持って来てるの」
「持ち帰るんだよ」
「そうなんだろうけどそうじゃなくて」
言葉の綾を一々取り上げるな面倒くさい、というのは伝わってしまったのか、天理は笑った。
「おばけ屋敷のアンケート」
カバンから取り出したのは紙の束。輪ゴムでまとめられている。
「アンケート……? 持ち帰るの?」
「どういう感想が多かったかとか、どこがイマイチでどこがピカイチだったか、五段階評価のどれがいくつあったかとか、まとめないといけない」
「それをなんで天理くんが……?」
「ひとりじゃできないって早瀬が泣いてたから。繁盛してるのが早瀬にとっては不運だったらしい。嬉しい悲鳴ってやつだな」
「そういえば私、アンケート書いてない」
「写真と一緒に渡されなかったか?」
「渡されてない」
天理は曖昧に笑った。
「じゃあ、渡しておく。あとでくれ」
「あ、二枚ちょうだい。友達と……柚奈と行ったから」
仲直りしたこと自体は伝えたが、その後は特に伝えていなかった。おばけ屋敷に、文化祭をふたりで回るくらいには仲を取り戻していると伝えると、天理もほっとしたようにする。
「そうか、よかった」
ということで、アンケート用紙を二枚もらう。
「ところで、アンケートだけでそんな重くなるの?」
「いや? ほかにも、いろいろと頼まれてて。新聞部から面白かった出し物、美味しかった出店。文芸部の論評をクラスメイトにも回してくれ。ラジオのハガキ、映画の評価、演劇の感想」
「出てくる出てくる」
アンケートの束が戻っていったと思えば新聞部からの依頼が出てきて、それも戻ったかと思えば論評とやらが出てくる。ハガキに評価に感想に……止めなければいくらでも出てきそうだ。
「ドラえもんかっ」
「お?」
柄にもなくツッコんでみたのだが。そのお? という反応はやめてほしかった。顔が熱い。ぜったいに赤い。
「じゃあ、ぜひともわたしたちの『ロミオとジュリエット』の感想もほしいですね」
のっぺりと現れた天知にすこし間違えれば逢坂は悲鳴をあげていたことだろう。
「悪い。書けない」
「なんでだよ!」
「観てないんだからしょうがないだろ。嘘は書けないからな」
「じゃあ明日観に来い。明日もやるから!」
「実は体育館アレルギーで」
「演劇部の演劇は観たのに?」
「克服しようと努力したんだけどな」
「よーしじゃあわたしも協力する。まずは家でわたしのジュリエットをお披露目するから」
「それ効果あるのか?」
「虜になったかいくんは時間になったら体育館に来るよ。そしてわたしに夢中だから体育館だってことも忘れる算段だ」
「ほう。完璧な作戦だ。不可能だということに目をつぶれば」
逢坂はふたりの背を見て、ひとりつぶやく。
「なんてバカップル」
きーきー喚いている天知しろあと、それを巧みにいなす天理かい。
「なんてバカップル」
なんてバカップルなのだろう。




