それならいい
順番が回ってくる。サンプルのように商品がショーケースに展示されている。値段と商品名が書いてあり、レジに行くまでに注文をまとめておくようだ。一律100円。書いてあった通り。
家庭科室のキッチンと一緒になった机には試食が置かれているようだ。あそこで食べて口に合うものを列に並んで買う、というのが家庭科部の想定なのだろう。しかし長蛇の列があると人は自然と並んでしまうらしい。早めに並んでおきたいというのは自然な心理か。
家庭科部にとっては、嬉しい誤算かもしれない。
「カオナシマフィン、まっくろくろすけクッキー、グーチョキメロンパン、バルス的ドーナツ、紅のタルト、この甘さ何にたとえようプリン。……どことなく危ない気がするんだけど?」
屈んでショーケースと目線を合わせ、吟味していた逢坂はとなりの貞子を見上げる。
「いやいや、どこも危なくない」
「カオナシマフィン」
「ほっぺたが落ちるって言うだろ? それの上位互換」
「黒くておしろいみたいな顔をしているあれじゃなくて?」
「何のことを言ってるんだ?」
まあ、それならいい。
「まっくろくろすけクッキーは?」
「違う、まっくろくろすけ“な”チョコクッキーだ。チョコクッキーって一発でわかるいいネーミングじゃないか」
「メイちゃんに捕まらない?」
「何のことを言ってるんだ?」
まあ、それならいい。
「バルス的ドーナツ」
「たしか、トルコ語で平和って意味だった気がするな。きっとこれを食べればみんな平和になるんだろう」
「金曜日の夜、ネットにトレンドにならない?」
「何のことを言ってるんだ?」
まあ、それならいい。
「私は何も関与してないし」
「それじゃあまるで、何か危ないことをしてるみたいじゃないか」
「そりゃ、パクリだから」
「パクリじゃないだろ。ちょっともじっただけのオマージュ。パロディ?」
「自分で言ったら世話ないよ」
「まあ、ジブリもそこまで狭量じゃないはずさ」
「誰も一言もジブリなんて言ってないけど」
逢坂は膝を伸ばした。列が進んだ。
貞子は時間が止まっている。逢坂はにこっと笑う。
「ここの会計は持とう」
「奢ってくれるの? え、かっこいー」
「ぜんぜん気持ち籠もってないけどな!」
というか、逢坂を買収してどうするのだろう。
ちらちらと行き交う人が面白半分で視線を向けてくる。となりの逢坂にもそのおこぼれが注がれる。あまり気分のいいものではない。
貞子は片腕にパンとお菓子を詰めたビニール袋を提げている。逢坂も同じように、袋を持っていた。貞子はもう片方の手で、看板を掲げるようにして徘徊している。
「なにあれ~」
「うわ貞子じゃん」
「きゃあー、こわ~い」
ぱたぱたと駆けていく女子生徒たち。本当に怖いとは思ってなさそうだ。まあ、幽霊は夜中と相場が決まっている。こんな真っ昼間に見ても雰囲気もなにもあったもんじゃない。
「その看板、効果あるの?」
貞子のインパクトが強すぎて、看板まで注視している人は誰もいなそうだ。さっきの女子生徒たちも、看板の内容を見ている暇はなかっただろう。
「どうだろう。でも、ないとも言えない」
「まあ、そうか」
あるかもしれない。それだけで、やるしかないのだろう。
「大変なことで」
「変わってもいいんだけど」
「そういえば貞子って女じゃなかった?」
「露骨に話変えたな」
ただでさえ長い髪の上から長髪のカツラを被っているから素顔は見えず、よほどでなければこれが天理かいだとは気付かないのだろうけど。肩幅や体格から男子と推測もされそうだが、オーバーサイズなワンピースがそれも隠している。背が高い女子もいるし、貞子もなんとなく長身なイメージがある。逢坂ぐらいだったらインパクトも薄れてしまうだろうし。
貞子は逢坂が露骨に話を変えたとわかっていながらも、合わせてくれた。
「実は男だったんじゃないかって話もある」
「え。なにそれ、初耳」
「見た目は女だけど、染色体としては男だった。原作の設定ではそういう疾患があったはず」
「へえ。映画じゃそんな設定なかった……たぶん」
曖昧な記憶なので、断言はしないでおく。
「ちょっと期待してた。貞子も実は実在してるんじゃないか……! って」
「それは、怨霊の意味での貞子? それとも貞子のモデルになった人って意味?」
「怨霊のほう?」
神様がいるのだ。いないと思っていた幽霊や妖怪の類いもいるのではないか、とすこし、期待しないでもない。
「で、いるの? 幽霊とか、妖怪とかって」
「まあ、いるよ」
「いるんだ」
自分で訊いていながら、その答えを望んでいながらも、いざ認められると、驚きを隠せない。
逢坂は首を左右に振った。声も潜める。
「この辺は、無事?」
「俺には見えない」
「なんだ」
期待を返せ、と思う反面、はて、と思う。
「見えないのに、信じるんだ」
「しろあがいるって言ってるしな」
「ふうん、へえ? 天知さんがいるって言えば、何でも信じるんだ」
「何でもって言うと、語弊があるけど。まあ」
にやにや邪推する逢坂に、貞子は不承不承と頷く。
「それに、見える、いるって思ってる人もいるからな」
首を傾げる。
「ただの思い込みや願望、それこそ嘘かもしれないのに?」
「しれないのに」
まあ、強いて否定する意味もない、ということなのだろう。
「妖怪は? 昔は信じられてたけど、いまじゃその正体も暴かれてるものが多くない?」
「たとえば?」
「河童とかは、川で溺れた子どもの水死体って話」
「ああ、川の危険性のために持ち出されたとも言われてるな」
「そうそう。早く寝ないと鬼が来る、とか」
大人たちが、川で子どもたちが遊ばないようにするため、恐怖を与えるために河童という異形の怪物を作りだした。夜更かしを禁じるため、早く布団に入るようにするため、鬼を用いた。どちらも古典的な脅し文句だ。なまはげとかも、それと似た類いだろう。
「河童は、水神が衰えた姿とも言うぞ」
「ポセイドンが?」
「それは海神じゃないか?」
そうなのか。なら、そもそも、水神とは何なのか。
水神がどんな神であろうと、一介の神様が衰えてあの河童になるとは、なんとも惨めだ。河童が、逢坂の想像する頭頂部に皿があって緑色の身体をして黄色の嘴を持っているのであれば、の話だが。
「じゃあ鬼は?」
「鬼は妖怪とかじゃない気がするけどな……」
貞子が首を捻っているのはなんともシュールな光景だ。
「あれは、仏教上の地獄にいる獄卒だし。鬼の形相とか言うだろ? だから鬼の正体も、憎悪や怒りに飲まれた人間とも言われてる」
「酒呑童子とかいるじゃん」
「あれも外道丸っていう人間だったって説もある」
「なんだかロマンが遠のいていく気がする。いるんだよね?」
逢坂は寂しい目をした。
いると言った貞子はその口で、ことごとく反論してきている。
「いる。いるけど、世の中の不思議な現象や怒りの矛先にされて全部鬼だの河童だののせいにされるのは、本当の鬼や河童が可哀想だろう」
「それは、そう」
謂われのない責任を押し付けられ、謂われのない石を投げられるのだ。あまりにもひどい。
「でも、世の中の全部が理屈で説明されてしまったら、つまらない人間になりそうだ」
「世の中には、知らなくてもいいことがある、って話だな」
「そういうことだな」
しかし神様はいるのだ。この貞子も、幽霊や妖怪の存在自体は否定していない。うやむやにしておこう。いろいろと。
「そういう、昔の話も天知さんなら知れるってことか」
何でも知れる。過去のことも例外ではない。時間という制限があるのかは定かではないが、もし制限なしであれば、江戸時代で河童が本当に水死体だったのか、平安時代で酒呑童子が本当は鬼の形相をしているだけの人間だったのか、判明するのだろう。
「いままでそんな話はしたことがなかったけど」
「まあ、そう言われると私も、河童とか鬼とかの話を真面目にするのなんて、初めてな気がするんだけど」
「今度、訊いてみてくれよ」
「いや、訊かない」
水死体だったと言われても、水死体じゃなかったと言われても、もやもやは残りそうだから。
ん? と立ち止まる。
「私たち、何の話してたんだっけ?」
「逢坂が貞子を変わってもいいって話を」
「それをしてないことだけは、覚えてる」
まあ、どんな話をしていたか覚えてないぐらいなのだから、そこまで重要な話でもなかったのだろう。




