看板を持つ貞子
吹奏楽部の演奏は小一時間ほど続いた。
指揮者が頭を下げると、ギャラリーからの大きな拍手が響いた。逢坂も惜しみない賛辞を拍手で送る。
そこまで音楽の専門知識があるわけではないし、楽器だってリコーダーぐらいしか扱ったことがないから、凄いとは言えてもどこが凄いとは言えない。しかし、小一時間も休憩なしの演奏は手放しで褒められる。吹奏楽部の体力というのは存外、侮れないのかもしれない。聴いているだけの逢坂のほうが、若干疲れを感じていて申し訳ないような恥ずかしいような思いだ。
煌びやかで文化祭の開幕には相応しい一曲目から、盛り上がるような激しい曲、のびのびと静かな曲と飽きない演奏だった。感覚的に、あれらの曲は逢坂のフィーリングと合っていたのだろう。いい演奏だった。
小一時間を体育館で、吹奏楽部に使った。アナウンスが入る。
「30分の休憩の後、演劇部によるハムレットを開始します」
天井の照明が戻ってきた。逢坂は急な眩しさに目が慣れず、細めてしまう。持って来たパンフレットでスケジュールを確認する。吹奏楽部の後はたしかに演劇部だった。
逢坂は記憶を辿った。
ハムレット。名前は耳にしたことがある。たしかシェイクスピアとかいう人が書いた本だったはずだ。読んだことも見たこともない逢坂でもタイトルぐらいは知っている超有名作品なので、演じるにはちょうどいいのだろう。
逢坂はさらに記憶を辿った。
たしか、悲劇だったか喜劇だったかはずだ。有名な台詞もある。この世は舞台、人は皆役者だ、というやつだ。……輝くものが必ずしも金とはならない、だったか。どっちもそうだった気がするし、どっちも違うような気がしてきた。
「あなたはどうしてロミオなの……は、ロミジュリだしな」
それとも、ハムレットにもロミオが出てくるのだろうか。世界線は繋がっている……?
と、それほどまでに逢坂は浅い。この機会に見てみるのでも悪くないだろう。スケジュールでは、なんと演劇は二時間ちょっとある。ハムレットやシェイクスピアにも触れてこなかった逢坂は、演劇にも触れてこなかった。演劇とは映画ばりに長時間なのか。それともこれでも短いほうなのか。
とにかく、いまのうちにトイレは済ませておくべきだろう。
逢坂とほとんど同じような思考をしたのだろう。結果、行動も同じ。体育館の女子トイレは列になっていた。男子トイレは空いている。こういうときばかりは、男子が羨ましくなるものだ。
演劇のクオリティもこれまた高かった。
吹奏楽部の演奏と同じ、いやそれよりももっとひどいだろう。逢坂が劇をやったのは幼稚園のお遊戯会以来だ。まだ楽器は中学でリコーダーをやっていたから馴染みがあるが、演劇に関してはまったくの無知だ。専門的な知識も目もない。よかった、の一言に尽きる。その代わり、拍手は盛大にしておいた。
「ってか、どっちでもなかったな」
ハムレットは復讐劇だった。これは、悲劇と考えていいだろう。すくなくとも、喜劇ではない。これは、合っていた。まあ、二分の一だし大体が悲劇が喜劇だろうと言われてしまえばそれまでなのだが。
生きるべきか死ぬべきか、という台詞が出てきたところで、逢坂はそれがハムレットだったのか、と腑に落ちた。と同時に、この世は舞台、や、輝くものは、といった有名な台詞たちはいったいどんな作品なのだろう、と興味が湧いた。あとで調べてみることにしよう。
ハムレットのお話は簡単に言うと、王である父を殺された息子が、その伯父に復讐する、といった話だった。
その復讐がどう終わるのか、復讐は遂げられるのかはたまた躊躇うのか、逢坂はそこが気になり演劇に見入っていたが、復讐を終えた後というのもあった。まさか、主人公であるハムレットも死ぬとは。
彼は最期、どんな気持ちだったのだろう。復讐を遂げられたから本望だったのか、毒で己を悟り憤慨したように、まだ生きていたかったのか。
しかし、もしもハムレットが生きていたらどうなるのか。恋人であるオフィーリアも死んだ。逢坂の目には、オフィーリアは自殺に思えた。だがあれは、ハムレットが殺したと言っても過言ではない。
母も死に、恋人も失ったハムレットが復讐を終えたあとに生きていても、逢坂にはどうもいい予後が思い描けない。
生きるべきか死ぬべきか、という台詞は、台詞だけ一人歩きしているように感じられた。あれはどちらを選んでも地獄、選ばずとも地獄という強い苦悩の表れだった。
ハムレットは死んだが、生きるべきか死ぬべきか、そのどちらを選んだのかは、逢坂にはわからなかった。選べなかったのかもしれない。
「13時から、お笑い研究会による落語『まんじゅうこわい』」
13時まではまだ一時間以上ある。そろそろ昼時だし、いまのうちに昼食でも取れということか。アナウンスの人たちにも休憩を、ということか。
まんじゅうこわいは逢坂も知っている。これまた有名な、どちらかというコメディなお話だった。
怖いものなしと豪語する男が、何なら怖いんだと問われ、まんじゅうがこわいと言う。すると、人々はその男を怖がらせてやろうとまんじゅうをたくさん持ってくる。男はこわいこわいと言いながらまんじゅうを食べて腹を膨れませる、といった話だ。
逢坂は体育館をあとにし、腹ごなしを済ませることにした。その後の移動は、その後の自分に任せるとする。校舎内を見て回るのでも充分楽しめそうだ。
カーテンが引かれて暗かった体育館を出ると太陽の光が眩しかった。目を細めながら、逢坂は凝り固まった身体を伸ばす。
校内地図を見る。
二年四組ではたこ焼きが食べられるらしい。家庭科部ではパンが食べられるらしい。メイド喫茶なるものもある。そこでも腹ごなしはできそうだ。どれかひとつだけというルールがあるわけでもない。たこ焼きだけで満腹にはならないだろうし、いい感じに摘まむのでもいいだろう。
窓から外の屋台が見える。焼きそば、唐揚げ、クロッフルチュロス。
ひとまず、ここから一番近いのは家庭科室だ。家庭科室では家庭科部がパンとお菓子を売ってくれるらしい。そこに行くとしよう。
昼時というのも余計だろう。家庭科室は大変な賑わいとなっていた。
香ばしく甘い匂いが廊下にも漏れていた。扉全開なことも考えると、あえてそうしたのかもしれない。砂糖に群がるアリのように、逢坂もまんまと釣られてしまったのかもしれない。
「……」
ぱちくりさせる。
「じゃあ、まっくろくろすけなチョコクッキーと、カオナシマフィンをふたつずつ。で、グーチョキメロンパンをひとつ」
家庭科室に、貞子がいた。
「ありがとう」
とても礼儀がよく、明瞭な受け答えをし、金銭の支払いを済ませる貞子が、いた。
「あ、逢坂」
「まさか貞子に名前を呼ばれる日が来るなんて」
貞子はふり返る。定番なボケだ。
「お前じゃい」
逢坂も定番なツッコみをしてしまう。
貞子はそのツッコみに満足したように口角をあげ、前髪をあげた。
「俺だよ、俺」
「わかるよ、もう。声もあるんだし」
前髪をあげると、その貞子の素顔が露わになる。男だった。いまとなってはその素顔のほうが誰? となってしまう。逢坂と同じく一年三組、天理かいだった。
「逢坂も買いに来たのか」
「そう。お昼だからね」
「ここ、けっこう人気らしい。新聞部の広報が効いているみたいだ」
「みたいだね」
見ればわかる。廊下からもわかる賑わいなのだから。
しかしどうしてこの貞子こと天理は、自然と逢坂と一緒に列に並んでいるのだろうか。自分の分の注文は先ほど済ませていただろうに。なぜふたたび最後尾に戻っているのか。
「なにか、買い忘れしたの?」
「いや? なんで?」
「列に戻ったから」
「もしかして、俺邪魔?」
「うん」
「傷つくなあ。そこは違うって言ってほしい」
「天理くん、目立つんだよ」
ユニフォーム姿やジャージ姿、何かしらのコスプレもいるにはいるけど、大半が制服姿だ。その中で、長身で黒髪は尻を流れ、鼻ではなく口まで覆い隠し、白のロングワンピースだけを身に着けている人物は、それはもう異常に目立つ。
「私まで見られてる。どこか行ってほしい」
「辛辣。べつに逢坂がやってもいいんだぞ」
「……どういうこと?」
すると、背中から一枚の看板を取り出した。いったいどこにあったのか。白いワンピースではあるが、下にズボンでも履いて挟んでいたのか。
片腕にはパンとお菓子を詰めたビニール袋を引っ提げながら、片手では看板を持つ。ドッキリ大成功! とは書いてなかったが、それらしく派手な色が多用されていた。
「一年三組 お化け屋敷 ぜひ来てね」
読み上げた通りの文字が書かれてあった。
「せめてもうちょっと、こう、お化け屋敷風にできないの? 黒とか使うとかさ」
赤や黄色が主な色だ。寄越された完成絵図、天理が作っていた、一年三組の窓上に設置された看板はどれもおどろおどろしく黒が多用され、赤も血のように垂れている演出がされていた。だというのに、これでは。
「今日唐突に渡されたやつだから。急ごしらえだし、俺に言われても」
「それで宣言して回ってるってわけ」
「ああ」
「で、なんで私がやってもいいってことになるの」
「人手が足りないから」
首を傾げる。
「クラスには四十人ぐらいいるはずだけど」
「その四十人が教室には戻ってこない」
「つまり、捕まったってわけ」
「タッチ」
「バリア」
「俺もそうすればよかった」
どうやら、天理も誰かにタッチされて押し付けられたらしい。鬼ごっこではなく幽霊ごっこ、貞子ごっこ。捕まったらこの衣装に着替え、カツラを被り、看板を持って歩き回って笑いものにされるのか。
絶対にやりたくない。
「バリア」
「貫通できる?」
できるはずがない。強めに首を振っておいた。




