天知しろあの扱い方
看板はひとつではない。
教室の前に、一年三組が何をしているかわかるためのおばけ屋敷とおどろおどろしい字体で書かれた看板もあるし、客引きや宣伝のために掲げて校内を歩くための手軽な看板もある。おばけ屋敷内での順路や祈りなどの説明にもまた看板が用いられ、それら全てが看板製作に任せられている。つまり、天理と逢坂の仕事だ。
「それ、いつ治りそう?」
まだまだ文化祭当日までは時間がある。部活もあるところはあるし、今日はひとつ完成したのがいい区切りだった。
逢坂は自身の左腕を持ち上げた。
「もうそろそろ。ギプスは取ってもいいかもって言われてる」
「そっか。不便でしょ、腕使えないの」
「でもまあ、利き腕は大丈夫だったし。足じゃなくてよかったって感じかな」
松葉杖を突いたり車椅子で登校するのは目立って、違う症状が出そうだ。
「ごめん、迷惑かけて」
「そうは思ってないけど」
生徒玄関で、上履きを仕舞ってローファーを取り出す。
「ま、治ったらバリバリ働いてもらおうかな」
「うん。いままでやってもらった仕事量ぐらいは、働く」
「つまり俺がいま全力を出して半分を終わらせれば、逢坂が残りをやってくれる……?」
「女にだけ働かせても平気ならそうすれば」
逢坂は骨折というやむを得ない事情があるが、天理はそうではない。逢坂が刷毛で色塗りをやっている間、天理は何もせずただサボっているだけ。心象はよくないだろう。しかも、女子に丸投げとは。
「ってか、いいの」
校門まで歩いてきて、逢坂は思い当たった。
「なにが」
素知らぬ顔で言うが、惚けているのか。
「天知さん、待たなくて」
天理と天知はそういう仲だ。
どこまで深い関係なのか逢坂は詳しく知らないからなんとも言えないが、ただの友人よりかは深い関係なのは間違いない。天知からすれば将来を誓い合った仲らしいが、天理はそれに対してどこか否定的だ。とはいえ、明確に言葉にしているわけではないし、同棲までしているようなので本気で嫌がっているわけではないのだろう。
甘々ベタベタな彼女と、ツンツンな彼氏といった感じか。……友人のそういった事情を想像するのはムズムズする。
「まあ、しろあにもしろあの仕事があるだろうし」
「一年一組は何をするって?」
「そういえば聞いてないな」
「気にならないの?」
彼女のことじゃないのか、と非難がましくする。
「しろあなら何でも似合うだろうし、何でもこなせるだろうし」
この男は何なのだろう。逢坂はどう評価すればいいか、わからない。
いまの発言は天知に対する全幅の信頼と受け取ればいいのだろうか。
「それに、逢坂をひとりで帰すってのもな」
腕の骨折ひとつで丁重過ぎる気もしないでもないが。
「……っ!」
ふと、寒気がした。逢坂はふり返る。一般棟の四階、廊下。一年一組の教室がある廊下には、それはもう般若がいた。怨念の塊だ。そこだけ、どす黒い何かが溜まっている。
天知しろあだった。
「いまの発言、天知さんに言ってあげてほしい」
「逢坂をひとりで帰せない?」
「その一個前。ぜったいそれは言わないで!」
あはは、と笑っている。この男は、いま般若の怨念が注がれていることなど露知らずだ。というか、天知も天知だ。何でも知れるなら、逢坂と天理がそういう関係性でないことぐらいわかるだろうに。文化祭の仕事上、致し方なくこうなっているだけだし、一緒に帰っているのは腕の骨折を心配してくれているからだ。
文化祭が終われば、腕の骨折が治れば、きっと一緒に帰ることはない。
その前に、天理が天知を褒めている言葉を知ってほしい。
もう一度ふり返ればもう天知の姿はなかった。それに逢坂はホッとしつつ、一秒でも早くここから去りたいと早足になる。
般若こと天知の視線が通らないところまで来てから、逢坂は一息ついた。
「天理くん、私に天知さんの友達になってあげてって言ったよね」
「言った」
「それはいまも変わってないの?」
「変わってないな。人間は友達を持つものだ。しろあにも、友達が必要。ああいった取り巻きじゃなくて、ちゃんとしろあのことを知って、それでも変わらず人として接してくれる友達が必要」
天知は人気で取り巻きも多いが、そこに友人と呼べるほど親しい間柄の人はいないだろう。
さっきの般若のような顔を包み隠さず、怨念も飛ばせるような人を、天理は指しているのかもしれない。取り巻きならあの姿を見ればガッカリするだろう。ファンというのは、偶像が自分の思い描いている通りでないと気が済まない。ましてや、天理のように将来を誓った人がいると知られては、逆上される可能性もある。
逢坂はあの姿を見て、怖いとは思うし違う違うと言いたくもなるが、だからといってあんなの天知しろあじゃない! と否定するつもりはない。
いい意味で、逢坂は天知に対する興味が他より薄かったのだろう。
「なってくれるか?」
「うーん」
逢坂はその答えを渋った。
夏祭りの日に天理からそう頼まれた、お礼として要求されてから、もう一ヶ月は経っている。
「なんか、違う気がする」
「違う?」
「うん。天知さんから頼まれたなら、頷くけど。でも、天理くんから頼まれてそれで天知さんの友達になるって、なんか、違う気がする」
親から交友関係を狭められる、といった話があるらしい。逢坂の両親にそんなことはなかったが、あの家の子とは遊んではいけないと言われるのはそう珍しくないようだ。天理がやっているのは、それと同じ。
「たしかに」
天理は自分の行いを恥じるようにした。
「でも、天知さんに友達が必要だっていうのは、その通りだと思う。私は天理くんにもお礼したいし感謝もしてるけど、天知さんにも同じくらいその気持ちはある。だから、天知さんにとって私が友達になることがいいことなら、私はそうしたいって思ってる」
単純に、天知しろあのことを知りたいというのもある。この縁が、あの一件の解決ではい終わり! というのもすこし悲しい。
「じゃあ、そうしてくれ。って言いたいけど、難しいよな」
「うん。天知さん、常に人集りがあるし」
クラスが同じでもない。授業で一緒になることもない。取っ掛かりがないのだ。
逢坂と天知にはそれなりの関係値があるから、話し掛けに行くのは難しいことではない。しかし周囲がよしとしない。
逢坂のほうから話し掛けに行くのも人集りが壁になるし、天知のほうから話し掛けてもらっても逢坂を訝る視線が集まるだけになる。
「だから、ひとつ思いついたんだけど」
「どういうこと!」
翌日、放課後。
激しい動揺を体現したかのような天知しろあのご登場だった。髪は乱れ、一般棟から特別棟への移動はダッシュだったのか、息を切らし肩を上下させている。
「遅かったな、しろあ」
天理が軽く手をあげて天知を出迎える。天知が来ることはわかりきっていたことなので、逢坂も平然としていた。
「どうして部活なんか! それも新しく立ち上げるだなんて!」
天理が逢坂の目を見て笑いかけてくる。天知はそれがひどく気に食わないようだ。逢坂も、それには平然としていられない。余計なことだ。
「説明が必要!」
「原稿用紙何枚?」
「百枚でも足りないね!」
ずかずかと教室に踏み込んだ天知は、天理の太ももにどすっと乗っかった。意外と痛そうだ。
「何でも知れるんだよね? 知ればいいんじゃないの?」
逢坂は煽りでも何でもなく、純粋な疑問として尋ねた。しかし口を引き結び、むつかしい顔をしている。
代わりとばかりに天理が口を開いた。
「逢坂はアイドルを辞めたんだ。部活をやろうとしてもおかしくないだろ?」
その説明は逢坂に対する疑問へではなく、天知への説明だった。
「でも、なんでかいくんが一緒なの。しかも、新たに一緒に立ち上げるだなんて。ふたりきりで。これは誰に訊いても浮気だよ。百人中百人だよ、100%だよ」
唇を尖らせる天知に、天理はじゃあ、と提案する。
「しろあも一緒に入るか?」
「もちろん!」
ここまで、天理の読みだった。
部を立ち上げ、そこに逢坂と天理のふたりとなれば、聞きつけた天知が即座に駆け付け、そして一緒に入部することまで、読み通りだった。だから、すでに用紙も準備がされている。
「なら、はい。これを提出しないといけない」
「行ってくる!」
書き込み済みの用紙。天知は確かめもしなかった。かいくんが書いたからその心配も要らない! といった具合だろうか。嵐のように現れて、嵐のように消えていく。
逢坂は呆然と言う。
「何の疑問も持たないんだね」
「そもそも部はふたりじゃ立ち上げられないってのにな」
「顧問だってあるだろうし、教室の割り当てとか、いろいろ調整あるから、こんな、一日二日でできることじゃないだろうに」
「自分が部長になってることも、気付いてないだろうな」
嫌な笑みだ。
織田高校の部の設立には顧問を用意することと、部員は最低でも三人が必要だ。三名未満だと廃部、あるいは同好会だとかになるらしい。つまり天理と逢坂が部と設立したのならば、もう一名部員がいるということになる。ふたりきりで部の設立というのは、できないのだ。
天知は自分がすでにこの部の一員であることも、部長に自分の名前が記入されている用紙を届けに行っていることにも気付いていない。いや、今頃、職員室で教師に渡して確認されて、開いた口が塞がっていない状態かもしれない。
「わたしが部長になってたよ!」
逢坂の思った通り。引き返してきた嵐は異議を申し立てた。
「じゃあ、逢坂に頼むか」
「天理くんを顎で使ってもいいの」
天知は心底嫌そうな顔をした。
天知を丸め込めるやり方もだんだんとわかってきた。天知は天理に心底惚れきっている。逢坂に恋愛感情はないと言っているし、天理もそんな気は一切見せていないのに、嫉妬を燃やしている。異性間の友情だって存在する。天知も人に嫉妬しながら男女共に囲まれているのだ。天理からすれば言動の不一致にしか思えないだろう。
それに、新たな部を一年生三人が立ち上げ、そこには天知しろあもいるとなったとき、彼女をただの部員として迎え、逢坂や天理が部長となれば、周りにどう思われるか。あの天知の上に立つだなんて! と抗議で部室の扉は鳴り止まないだろう。
「それは嫌だ」
「逆に俺がしろあや逢坂を顎で使うのもおかしいだろ?」
部長となった者が部員を顎で使えるほどの権力を与えられるのか、と言われればそんなことはなさそうなのだが。
逢坂は言う。
「私も、部長なら天知さんが適任、それ以外あり得ないと思ったの」
逢坂もそんな柄ではないし。
「それってわたしにリーダーシップがあるってこと?」
とは一言も言ってないし、表の顔ならまだしも実際のこの自由奔放なお転婆娘を知っているとリーダーシップとはとても言えない。
天理と顔を突き合わせた逢坂は、二、三度ぱちぱちと瞬きをした。それでお互い、意思疎通を果たす。このお転婆娘の都合のいい解釈はそのままにしておこう、おだてに乗せておこう、と。
「ああ、しろあはまさしくリーダーだ」
「リーダーにふりがなを振るんなら、それは天知しろあかもしれないね」
「そこまで言うなら、仕方ないなあ」
まんざらでもなさそうだ。にやにやして身体をくねらせている。
「でも逢坂さんが副部長なのはなんで?」
「それは私も納得いってない」
この場合、結果は同じでも過程は違いそうだ。
逢坂は、自分が副部長に選ばれる理由がわからない、説明求む、という状況だったが、天知の場合は、なんでかいくんじゃないの、といった感じだった。部長と副部長はパートナーらしい関係性でもある。ならばこそ、自分と天理はこれ以上ないほどピタリと当てはまっているではないか、ということなのだろう。
「まあ、俺はそんな柄じゃないし」
逢坂もそんな柄ではないのだが。
しかし用紙は提出され受理もされている。どうしても嫌なわけでもないので、逢坂はジトッとねめつけるに留めておいた。




