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何でも知ってるしろあちゃん  作者: 家佐水井
古江琉重による全知を出し抜く方法
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すこし変わった


 夏休みが終わると九月になる。


 逢坂の日常は、すこし変わった。


 いままではアイドルとしての生活が多かった。すっかり板に付いたアイドルを辞め、アイカではなくなった逢坂はそれまでの自分がどうやって生活していたのか、思い出すのに時間がかかった。

 アイドルアイカの歴は二年ほど。実際は休止もあったわけだし、一年ほどしかないのかもしれないが、逢坂はアイドルであると自負していて、そのように生きてきた。

 休止中だからといって惰眠を貪っていたわけでもないし、不摂生な生活をしていたわけでもない。一度目の休止の建前は受験勉強。建前であっても受験があるのは事実だったし、受験対策の勉強はしていた。筋トレやランニングも日々こなしていた。復帰しても遅れを取らない程度には仕上げていた。

 いまの逢坂に、それをする必要はない。


 惰眠を貪っても、時間や栄養を気にせず気ままに爆食しても、肌への影響を考えて夜更かしを中断する必要もなく、完全なる昼夜逆転となった。言わば逢坂は、高校生らしい日常を、夏休みを過ごしたのだ。

 アイドルを辞め、アイカではなくなった逢坂にとってそれは、人生の主軸を失うように思えた。たとえば学校を辞めた学生、仕事を辞めた社会人は、その後どうやって歩いて行けばいいかわからなくなるだろう。学校に通う、会社に勤めるというのは、人生を歩んでいるのと同じ。学生という、会社員という道を歩くことで、自分という存在が確かな存在となる。歩くだけで、人生を歩める。

 逢坂からすると、アイドルを辞めることへの恐怖はそこにもあったのかもしれない。誰であっても、人生の中枢を放り出すのは容易ではない。

 しかし逢坂はアイドルであると同時、学生でもあった。


 夏祭りのあと、どこかへ誰かと一緒に行くことはなかった。天知とも、天理ともあれ以来連絡はしていない。宿題や通院に忙しかったというのもある。逢坂はアイドルではなくなったが、学生ではあった。アイドルでなくなっても、逢坂の身分は確保されている。それを実感すると、案外、アイドルを辞めることはそこまで怖がることでもなかった。


 逢坂の日常は、変わった。


 物の見方が変わった、と言うのがこの場合、適切だろうか。

 この世の中に、神様は実在する。いや、実在した、と言うべきか。

 逢坂は、天理から天知の正体を聞いた。彼女、天知しろあは、神様だった。それも、全知全能の。

 読んで字の如く、全知全能なのだから何でもできて何でも知っている上位種。超常的存在。正しく神様。


 たしかに、天知しろあは人間とは思えなかった。しかしそれは、あくまで比喩だった。中学でもかわいい、かっこいいと目立ったうわさになった男女はいくらかいたが、学校中を魅了し、市民全員そうなのではないか、と思うほどではなかった。だからその容姿を讃えるとき、この世のものとは思えない、奇跡、との賞賛は叩けば出てくる勢いであっただろうが、本当に人間ではないと逢坂は欠片も考えていなかったし、周囲もそうだろう。

 仮に天知しろあが神様であると名乗りを上げても、心から心酔している者なら迎合し担ぎ上げるだろうが、大半がそういう人と忌避するに違いない。逢坂も大半の内のひとりになっただろう。


 逢坂が神様であると信じられたのは、その所業を目の当たりにしたからだ。


 そこまで逢坂は宗教に傾倒しているわけではないから、記憶違いもあるかもしれないが、たしかキリストは三日後に生き返ったはずだ。その時代の誰も彼もが即座に彼を神様と認めたはずがないし、いまもその信仰が続いているということは、それなりの芸当をやってみせたということなのだろう。逢坂も、天知しろあが神様であると信じるだけの芸当を、目の当たりにした。

 天知は逢坂の過去のことを、完璧に言い当てた。まるで見てきたかのように、確信に満ちた口ぶりだった。


 逢坂が、橘柚奈に言った何気ない言葉。逢坂自身は決意の表れだったものが、柚奈には呪いになってしまった言葉。一年前のそれを、天知は知っていたのだ。

 呪いとなった言葉を柚奈が他人に言うはずもないし、真相を隠したかったという面からも柚奈が言うはずはない。あとは、柚奈の家に隠しカメラでもないと、あの日のことは知れない。しかしそうなると、一年後にこうなるとわかっていた、と言っているようなもので、それこそおかしい。


 キリストが生き返ったというのは、天知に訊けば答えが返ってくるかもしれないが、いまの逢坂に確かめる術はない。だから逢坂は、自分が見たものを信じることにした。もしも逢坂がキリストと同じ時代を生きていたら、キリスト教信者になっていたかもしれない。


 逢坂の日常は変わり、物の見方も変わった。

 世の中に神様はいる。逢坂が知らないだけで。

 今日も、登校中に素通りしていた、視界に入ってもいなかった交差点にある道祖神へ、逢坂は一礼していた。


「天知さんみたいに、元神様の人間って、そこら辺にいるもんなの?」


 夏休みが終わり、昼夜逆転の生活リズムをもう一度昼夜逆転させ、一周させることで正常な生活リズムに戻した逢坂は、クラスメイトでもある天理へ何気なく訊いた。


「いや、いないよ。たぶん、しろあぐらいじゃないかな」

「ふうん」


 夏休み明けテストが開催され、返却され、九月半ばになると、織田高校は文化祭シーズンとなっていた。

 どうやら、夏休み前からある程度決まっていたらしい。


 七月前半の期末テストが終わったあとの、夏休みに入るまでの二週間で、一年三組が何をやるか、誰がどの役割を分担するか、決めていたらしい。その間、逢坂は入院していたので、自分が看板製作に割り当てられていると知ったのは、今日が初めてだった。

 人によっては外部への発注等もあるようで、夏休みの間から行動している人もいたようだった。

 目の前の天理は逢坂と共に看板製作の役目なのだが、これは自然にそうなったのではないだろう。逢坂は入院していて、扱いにも困ったはずだ。ふたりでやる仕事をひとりでやる羽目にもなる。それは避けたいのが自然な心理だ。


 お荷物を押し付けられて可哀想、となるのが通常なのだろうけど、天理の場合、自ら引き受けてもいそうである。


「まあ、人間に偽って生活してる神様なら、けっこういるけど」


 青黒いペイントの入ったバケツに刷毛を浸しながら、なんてことのないように言う天理へ、逢坂はすこし整理する時間が必要だった。

 整理が終わって落ち着いてから、そっと辺りを見渡す。

 この時間はそれぞれ持ち場についていて、各自役目を全うしている。一部、遊んでいる男子もいるようだけど、それでも賑わっているので、逢坂たちが神様の話をしていても変な目で見られることはないだろう。


「実はこの中にも……?」


 天理に身を寄せ、クラスメイトを警戒した。天理は看板から目を離さず、言う。


「それはいないね」

「ホッとしていいのか残念がればいいのかわからないんだけど」

「ホッとしていいと思う。神様なんて、面倒ごとしか持ってこないんだから」

「それは、なんていうかもの凄く不敬? 私はそんなこと思ってないから」


 天知が何でも知っているのであれば、ここでの発言も慎重にならざるを得ない。いま神様はいないからといって、神様の目が届かないとも限らない。神を人と同じに考えるのはいろんな面で危うい気がする。


 責任を押し付けられたと天理は苦笑した。


「というか、そんなこと言っていいの? 天知さんも不機嫌になりそう」

「しろあは神様じゃないし」

「それもそうか」


 あくまで天知しろあは元神様。いまは人間ということ。


「何でも知れる。時間も関係なしに、って思うと……かなり、神様らしいけどね」

「とはいえ神様も万能じゃない。時間も関係ないって言ったけど、未来のことなんて知れないしね」

「でも過去なら知れるんでしょ?」

「まあ」


 それだけで充分、人間という枠組みからは逸脱しているように思えるのだが。


「これでもかなり人間に近いよ。前のしろあたちは、何でも知っていて何でもできたんだから」


 人間に近い。つまり、天理も天知のことを完全に人間とは思っていないのか。


「それって何が違うの?」

「ぜんぜん違うよ。知れると知っているは、まったくの別物」


 微妙なニュアンスの違い。

 眉を寄せた逢坂を見かねて、天理は続けた。


「オンオフができるかどうかってことかな。知ることができるってのはつまり、知らないままでも済む。知ってるってのは、意志は関係ない。すべての情報が頭に入っている。嫌なことも、知りたくないことも、全部引っくるめて知っている」

「夜、寝るときは部屋の明かりを消すってこと?」


 天理は笑った。

 笑われたと思った逢坂はすこし頬に熱を帯びた。オンオフと聞いて、真っ先に思い浮かんだのがそれだったのだ。


「いや、いい例だよ。そういうこと。知らないほうがいいことはいくらでもあるし、何でも知っているのは逆に落ち着かない。電気が点いたままじゃ、目が冴えるのと同じだな」

「そう考えると、何でも知れるってのは、そんないいものじゃないのかも」


 逢坂は楽観的に考えていた。

 何でも知れるなら勉強する必要もないし、選択肢も増えて豊かな人生にもなると思った。賢い人を見て憧れることはある。何でも知れるということは、それになれるということ。しかし彼ら賢い人は、何でも知っているわけじゃないし何でも知れるわけでもない。


 知っていく過程が大事なのだろう。天知にはそれがないも同然だ。

 本を読むのでも、ゲームをするのでも、ドラマや映画を観るのでも、天知からすれば何時間という時間が一秒で終わってしまう。娯楽が娯楽ではなくなり、単なる消化になってしまったとき、はたして天知は、生きる理由があるのだろうか。

 人生の選択肢が増えるのはいいことかもしれないが、増やしたのではなく最初からあったのだ。どれでも選べるというのは、つまるところ、どれを選んでも違わないという意味になる。それは選べないのと変わらないのでは。


「そう。だからしろあは残酷な運命なんだよ」


 悲しい、とは思ったし、可哀想とも思ったが、残酷な運命というのはちょっと、逢坂にはわからなかった。いまの天知はその全知全能の神様ではなくなったというのだから、残酷な運命からは脱したのではないか。


「あ」

「あ」

「……ミスった」

「まあ、なんとかなるよ。そういう……演出?」


 一年三組はお化け屋敷をやるらしい。定番と言えば定番だ。

 おどろおどろしさを演出するための青黒い字体は、はみ出て文字が崩れていた。だがまあ、お化け屋敷なのだからそこまでがっちり固める必要もないだろう。そういう演出もまた、いい味になるはず。


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