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何でも知ってるしろあちゃん  作者: 家佐水井
逢坂愛花はアイドルである
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全知と全能のふたり


 鈴の形をしたベビーカステラをひとつ、口に入れる。入れる前から甘い香りが鼻腔をくすぐっていたが、舌に乗ってもその期待は裏切らなかった。欠点は、口の中がパサついて水分がほしくなるところか。

 屋台でも飲み物を売っているところはあったが、歩いて探して列に並ぶのも億劫だ。逢坂は公園内にある自販機で、ペットボトルを三つほど買った。自分の分のウーロン茶と、それから天知の分のコーラを買って、もうひとつ、天理の分をどうしようと思う。彼の好みは知らなかった。

 家でも出してもらったし、嫌いではないのだろうと無難にウーロン茶を追加することにする。

 片腕は未だ包帯に巻かれて固定されたままだ。何も考えず三本買ってしまったが、持てそうにない。四苦八苦していると、代わりに天理が持ってくれた。


「ありがと」

「いや、俺たちの分も買ってくれてるとは思わなかった」

「逆に自分のだけ買うのもどうかと思わない?」

「まあ、そうか」


 ベンチに戻ると、天知が完全に脱力していた。焼きそばはあと三割ほど残っていて、イカ焼きもチョコバナナも一口ずつ手をつけたといったなんとも中途半端な具合。口の端にチョコをつけ、よだれも垂らしながら、天知は寝ていた。


「いくらだった?」

「いいよ」

「でも」

「これぐらいは奢らせて」

「じゃあ」


 ペットボトルは、天理が開けてくれた。何も言わずに自然と。気遣いができる男だ、と思う反面、だから天知が気が気じゃないのだろうと思う。


「アイドル、辞めたから」

「そっか」


 逢坂からすると、一世一代の決断のつもりだった。それを発表するのも、かなり勇気が要ることだった。それをそっかと一言で済まされるのは、すこし釈然としない。


「驚かないんだ」

「逢坂の価値は、そこだけじゃないから」

「どういう意味?」

「アイドルを辞めてアイカじゃなくなったからって、逢坂愛花が否定されるわけじゃない。大事に思う友達もいるわけだし、家族もいるわけだし。俺も、逢坂のいいところはいくつも知ってる」

「ちなみにそれって?」

「そうだな。友達思いなところとか、真面目で律儀なところ、努力家なところ。芯があるとか、自分の行動をふり返って反省できるところとか」

「もういいよ」


 止めなかったらいつまでも言っていそうだ。逢坂は首を傾け、目を細めた。


「そういうの、誰にも言ってるの?」

「誰にもは言ってないよ。言えって言われたから言っただけで」

「私が悪いのか」

「そうは言ってない」


 ふふっと逢坂は笑った。空を見上げる。久しぶりに、空を、星を見たような気がした。


「柚奈もアイドルを辞めた。私と一緒に。あの掲示板のことは、後藤さんにも伝えた。隠しカメラは更衣室にあったし、後藤さんはさすがに警察に持って行った。東城社長も近々、逮捕されるらしい。なんか、他にもいろいろやってたらしいし」

「大変そうだな、後藤さんも」

「うん。アピアランスのこともだし、掲示板の対応にも追われている。本当はふたりにきちんと会ってお礼を言いたかったんだけど、時間がないからって任せられたの」


 アイカの両親にも、ユナの両親にも謝りたいと言われたが、それは断った。それをするということは、両親に娘になにがあったか詳細を伝えるということだ。何でもかんでも明らかにすればいいという話ではない。


「柚奈は、相当参ってたみたい」


 あの四阿で、天理と天知が去ったあと、逢坂はひたすら柚奈の肩を背中を撫で、抱きしめていた。


「ライブ中とか、握手会とか、ファンの目が怖かったんだって。みんな、あの動画を見たんじゃないかって思うと、怖くて息が詰まったって」


 天理は天知の残した焼きそばを片付けた。


「それはアイドルのときだけじゃなかったって。学校でも、日常生活でも人目が怖くなって、みんながそういう目で見てるんじゃないかって思うと……だから」


 逢坂はいじめで全員を疑ったが、それでも街中や学校は例外だった。柚奈にその例外はなく、家ですら心安まらなかったのかと思うと……締め付けられる。


「ひとつ、わからないことがあるの」

「なに?」

「東城社長が自分のアイドルのそういった姿をネットに流した理由」

「聞いても面白くないぞ」

「逮捕とかされたら、嫌でも知ることになるんじゃない?」

「じゃあ、それまで待ってれば良いんじゃないか」

「早めの心構え」


 仕方ないな、と天理はウーロン茶で焼きそばの油を流した。


「まあ、あくまで俺の想像でしかないけど」

「うん」

「そうしたほうが、売れるからだろう」

「……やっぱ、そうだよね」

「悲しい話だけど、アイドルをそういう目で見るファンというのは一定数いる。それが人間ってものだ。だから東城社長は、集客のためにそういう売り出しをしたんだろう」


 つまり、逢坂が応援されている、見られていると思った視線は、そういった下卑た、性欲が土台にあったということ。逢坂がアイドルを辞めようと決意したのもそれが一番大きい。

 アイドルを信じ切れなくなったところでファンを辞めるのと同じように、アイドルも、ファンを信じられなくなったらアイドルを辞める。逢坂は、自分のファンを信じられなくなった。


「食べる?」


 一口だけかじられたイカ焼きを示される。逢坂は遠慮した。べつにチョコバナナのほうがいいと思ったわけでもないし、天知と間接キスになるのが嫌だと思ったわけでもない。


「本当に残飯処理だね」


 軽口を叩く。天理はムッとしながらも、捨てるわけにもいかないとイカ焼きをかじった。


「もうひとつ、いい?」

「ひとつだけじゃなかったのか?」


 いつぞやの意趣返しだろうか。だがあいにく、それを言ったのは逢坂ではない。


「私が、柚奈に待っててって言ったこと。なんでそれを、天知さんは知ってたの?」


 柚奈が疑問に思わないのは自然だ。逢坂が言ったと思ったから、で済む。しかし実際、逢坂はそんな話はしていないし、訊かれてもいない。柚奈にとって呪いにもなった言葉。それはもう一年弱も前の話だ。考えて探して見つかるものじゃない。どうやって、知ったというのか。


 イカ焼きの串を手中で回す天理は、どう切り返すべきか、と考えている素振りだった。逢坂は言う。


「天知さんにも同じ話をした。そうしたら、かいくんに訊いてって言われた」


 なにかしらの事情があることは、そこで確定した。天知は天理に、一存したのだ。その事情を言うか言うまいか。

 べつに、天理が黙っても誤魔化しても、逢坂はそうなんだと受け入れただろう。彼らの事情を無理に聞き出すのが正しいとも思わない。ただ、もしそうなったら、ふたりとの関係もそこで途切れる。夏休みが明けても逢坂は天知を遠巻きに見つめて住む世界が違うと思うだろうし、天理の目を見ることもない。それは間違いない。


「しろあは、神様なんだ」


 どんな返答が来ようと平気な心構えを意識していたが、それはどう飲み込めばいいだろう。


「正確には、元だけど」


 視線はイカ焼きに注がれたまま。天理は頬張る。


「誤魔化してる……わけじゃ、なさそうだね」


 口角をあげ、微笑する。静かに天理は頷いた。きっと、言っても信じないから、言葉に迷っていたのだろう。そうわかった上で聞けば、逢坂はどう心構えをするべきか、感覚的に理解した。


「全知全能の神様。それが、しろあだった」

「全知全能……っていうのは、何でも知ってて何でもできる、ってことでいいの」

「そうだな」

「ゼウス神? だっけ」

「いや、ちょっと違う」


 どう違うのだろう。


「神々の父とかじゃないし、世界の秩序を守っていたわけじゃない。そもそもゼウスは男神だ」


 天知しろあはどこからどう見ても女の子だ。


「名もなき全知全能の神様。人々が求めた神様。ほら、よく、お願いします神様! とか、お天道様が見てる、とか言うだろ? だけど、その神様やお天道様を特定の神として思い描いたりしない。お天道様は日本だと天照大神になるけど、いちいちそれを思い浮かべたりはしない。抽象的に、何でもできて何でも知ってる神様を想像して、そこに縋る」


 日本人は無宗教で無神論者だとよく言われている。クリスマスやハロウィンだって行うし、逢坂も例に漏れずどこかの信者ということはない。神様はいないと思っていた。しかし初詣には行くし手を合わせて健康や合格祈願はした。

 何か困ったときは神様どうかお願いしますと心の中で拝むし、それこそいじめを受けて柚奈とも疎遠になり、階段から落とされたときはこの世界を呪って理不尽な神様にも怒りをぶつけたものだ。

 しかしそれらの神様が何者か、何か具体的な想像をしたか、と言われると、そんなことはない。

 すべての責任をその漠然とした神様、お天道様にぶつけていたのは、裏を返せばその神ならどうとでもできると言っているようなもの。

 まさに、何でもできて何でも知っている、全知全能の神様だ。


「人が求めればそのままにお告げを与えて、人が願えばそのままに叶えてやって、それがこの場でいう全知全能の神様。そして、しろあのことだ」

「どうもそうは見えないけど」


 全知全能の神様の定義こそわかったが、それを天知しろあと結びつけるのは厳しい。天理の言い分なら、逢坂が想像する全知全能の神様はもっと威厳があるものだ。よだれを啜ってベンチで眠っているのもひどい乖離だし、神様が天理を彼氏のように思い嫉妬に駆られているとは、いったいどういう了見だ。


「もしかして、天理くんも……?」

「いや、俺は普通の人間。普通の人間の母親父親から生まれて育った普通の人間だ。ひょんなことからしろあとは縁ができてしまっただけで、実を言うと俺もしろあとはそう長くないんだ」

「具体的には?」

「そうだな……中学の卒業ちょっと前ぐらいだったから、六ヶ月ないぐらいだな」


 それだと、ほとんど高校で交流を持った人たちと変わりないのではないか。


「びっくり。なんか、ふたりの空気感的に、もっと長いと思ってた」


 半年程度で付き合っていること自体、かなりのスピード感だというのに、ふたりはもう将来を誓っている長年連れ添った気心が知れた感じがある。


「よく言われるよ」


 そうすると、天理の態度、対応にもいちおう頷けるのか。まだ半年しか関係を持っていない相手に、将来がどうのこうの言われるのは、ある種恐怖かもしれない。


 逢坂は、じっくり考えた。


「うぅん。でも、改めてそう言われても、頷けない。天知さんが、神様なんて……」

「いまは違うんだけどな」

「それもわからない。神様だったっていうのは?」

「そのまま。神様だったけど、しろあは神様を辞めた。人に求められるだけの生活に耐えがたくなかったのか、飽きたのか何なのか、そこはしろあにしかわからないけど、神様を辞めていまは普通の人間として生活してる」


 神様とは、アイドルを辞めるように気分次第で辞められるのか。いやべつに、逢坂も気分だけで進退を決めたわけじゃないし、天理が言ったように天知にしかわからない苦悩もあったのだろうけど。


「ただ、しろあは感覚とか価値観とか、その辺がまだ人間に適応できていない。神様のような基準で考えてしまうし、全知全能の名残が未だ残ってる」

「だから天知さんは、何でも知れる……私が柚奈に言った、呪いみたいな言葉も知ってる……ってこと?」

「そういうことだ」


 全知全能の神様なら、証拠も要らず、思考を巡らせることもなく、すでに知っていることなのだろう。過去のことであっても。


「ん? じゃあ、天知さんがやってたことって推理でも何でもないってこと?」

「そういうことだ」

「私が柚奈を庇ってたことも、私がいじめられていたことも、あの掲示板のことも全部全部?」

「そういうことだ」

「インチキじゃん」


 天理は噴き出した。


「ミステリーならあり得ないよ。どれだけ犯人がトリックを凝っても、偽装工作や仕掛けに奔走しても、天知さんには全部バレてるってことじゃん」

「まあ、そういうことだ」

「そういうことだ、じゃないよ!」


 ふたたび、天理は笑い出した。


「でも、もしもしろあがそう言ってたらどうしてた?」

「え?」

「しろあが、意識を取り戻した逢坂に向かって、橘を庇っていることを指摘したとしても、それではいそうですって認める?」

「……いや、認めない」


 逆に意固地になっただろう。何の根拠があってそんなことを言っている、柚奈を疑っているのか、と。

 逢坂は、天知に嘘を暴かれ、あらゆる可能性を潰され、観念した。それで認めた。


「苦労してるよ、しろあは。全部知ってて、犯人も犯行も文字通り見てきたように知ってるのに、納得性のためだけに行動しなくちゃならない」


 たしかに、天知からすると、犯人の嘘や言い訳は鬱陶しいことこの上ないのだろう。わたしは知ってるんです、の一言で片が付くのに、人間社会というのは客観性や充分な証拠というものを求める。人間もそう。単なる言いがかりだけでは怒りを覚え、周囲はかえって天知に猜疑の目を向ける。

 不可能なものを排除していって残ったものが、たとえどれだけ信じられなくても真相。

 ミステリーに通暁しているわけではない逢坂でも知っている有名な言葉だ。これは探偵が言った名言で、ミステリー小説の台詞。この名言こそがミステリーというものの本質なのであれば、天知がしていることはミステリーとしては尤もらしいのではないか。逢坂はそう思った。


「でも知ってるだけじゃなくて何でもできるんでしょ? じゃあ、認めさせることもできるんじゃないの?」


 自ら行動して筋道を立てなくても、その場で指を天井にひょいっとすれば解決できるのではないか。


「それが、そうでもないんだよ」

「全知の名残はあるけど、全能の名残はないってこと?」

「いや、全能の名残もあるよ。けど、しろあにはない」

「? どういうこと」

「全知の名残でもあるのが、この天知しろあ。そして、全能の名残を持った人間が、もう一人いる」


 神妙な顔でチョコバナナというのはなんとも似合わない。


「全知全能の神様は、その座を降りて人間になるとき、ふたりになったんだ。片方には全知の名残が宿り、もう片方には全能の名残が宿った」

「それって?」

「そうだな。しろあは自分のことをしろあと呼んで、あっちのことはくろあと呼んでる」

「そのくろあさんはどこなの?」

「どこにでもいるし、どこにもいない」


 それもまた全能の名残なのだろうか。


「たぶん、今回の一件も、裏でくろあが手を引いてると思う」

「……え?」

「しろあにある全知は名残だ。そこまで便利なものじゃない。くろあにある全能も、完全無欠ではない。神様なら手を叩けば箸を転がすこともできるけど、くろあだと、まずは箸を持ってくるところから始めないといけない」


 その例えはよくわからない。

 それは表情に出ていたのか、天理は苦笑した。


「橘が俺を殺すのは無理だ。理由がない。動機がないからな。だけど、逢坂なら殺せた。そこには理由があったから。理由があれば、くろあはそれを突く。言うなれば、魔が差したってやつだな。くろあは、魔を差すことができる」

「柚奈が私を殺そうとしたのは、そのくろあさんのせいってこと?」

「何もしなくても橘は逢坂を殺そうとしたのかもしれない。けど、どこかでは関わっている。橘の自殺を失敗に終わらせたところか、母親のパートが早上がりになったところか、目覚めた橘が吹っ切れるところか。あるいは、逢坂が階段から落ちたとき、即死にならなかったところか」

「それをして、そのくろあさんには何の意味があるの?」


 天理は天知を見やった。優しく前髪を払ってやると、天知も嬉しそうにへへへ……と声を漏らした。


「しろあを否定するためかな」

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