それをすこしでも分けてくれればね?
平日ではあるものの、いまは夏休みだ。公園の人の入りは多く、滑り台周辺で鬼ごっこをする子どもたち、ブラコンを押してやる母親やキャッチボールをする父親、それからベンチで若いカップルがアイスを片手にしながら甘い一時を過ごしている。何を話しているかまではわからなかったし盗み聞きというのも失礼だけれど、そのいちゃいちゃきゃっきゃうふふは見過ごせない。
なんとなくの散歩や通り道としても使われる公園で、家族連れ恋人同士も目立つのだから、商売としては狙い目なのだろう。公園の敷地内にはピンクの小さなキッチンカーが駐まっていた。あいすくり~むと書かれていて、暖簾にはクレープもあるよと風に煽られている。
子どもが食べたいとねだったのが一目でわかる列だった。今日だけでずいぶん儲かったことだろう。しかしキッチンカーの中で食べ物を作るというのは存外、重労働だ。クレープも作っているとなれば、内部の気温は40度にもなるのではないか。しろあはすこし心配になった。
「かいくん。キッチンカーの中でもしかしたら誰かが倒れてるかもしれない」
「じゃあ、ついでにアイスでも買うか」
「うん。ついでにクレープもどうかな」
「まあ、今日は暑いからな」
「そうだね。今日は暑いからね」
四阿は屋根があったし、そうでなくてもあそこは木々が生い茂り直射日光は避けられ、避暑としては優秀だった。だが広々とした公園ではそうもいかず、道中も照り返しに苦労することだろうから、アイスとクレープは生命維持としても必要不可欠なのだ。
「それで、あれで満足だった?」
「まあ、おおむね」
なんとも釈然としない返事だ。
橘がどうしても守りたかったこと、たとえ自分が恨まれ嫌われることになってでも守りたかった事実を、かいくんが望んだからしろあは暴いてやった。橘の恨みを買う可能性だってあったというのに、かいくんの意向に沿って暴露してやったというのに、その言い種はなんなんだ。
「しろあが自分から、最初からああしてくれたら満足だったかな」
「してたら愛の言葉を囁いてくれた?」
「いやべつに」
「じゃあ婚姻届にサインしてくれた?」
「まだそんな歳じゃない」
そんな歳になったときに提出できるよう、書けば良いだけの話だろうに。しろあはむくれる。
「でも、よくわからないよ」
しろあは、心境を吐露した。
「あれで、よかったのかな」
橘が守りたかった事実。盗撮映像が、世界の電子の波に流れてしまったこと。それを逢坂に教えることは、果たして正しかったのか。
「よかったんじゃないか?」
しろあはふたたびむくれる。
「そんな投げやりな。かいくんが言うしかない状況にしたんでしょ」
「まあ、そうだけど。そうじゃなくてだな」
かいくんは笑った。何に対して笑ったのか、しろあがむくれたことを笑ったのだろうか。面白くはない。
「えぇっと……すくなくとも、しろあの披露した推理で終わらせるのはよくない、っていうのは間違いないと思う」
橘の意志を汲み取って、逢坂に教えないままで終わっていた場合の話。しろあはこれもよくわからない。
かいくんはなおも笑っていた。笑ったまま続けた。笑われているのは面白くないが、かいくんが笑っている姿を見るのは嬉しいという複雑な気分だ。
「俺たちがあのまま離れたら、逢坂と橘はどうしてたかな」
「どうって……」
考えもしなかったことだ。
「たぶん、けっきょく心中してたと思う」
「それは、寝覚めが悪いね」
翌朝、女子高生がふたり自殺していたとニュースで流れ、後藤にも詰め寄られ、警察にも最後に言葉を交わしたということで話を聞かれるだろう。夏休み明けの集会でも悲しい話がされ、二学期の幕開けにも暗い空気が漂う。
かいくんは苦笑いを浮かべた。そうじゃなくてだな、とでも言いたげで、自分の言い方を反省するかのようだった。
「もしも心中してたら、俺たちのせいってことにもなる」
「……事情を知ってたのに黙ってたから? 阻止できたのにしなかったからってこと? でも、それはちょっと都合よすぎない?」
心中を選んだとしても、それは彼女たちの意志によるものだ。もしもしろあが彼女たちを言葉や暴力で虐げて追い込んで、死ねと強要し、それを苦にして命を絶ったのならまだその言い分は通るが、教えなかったから、言わなかったから、口を噤んだからしろあの責任だと言われるのは、ちょっと頷けない。
「わたしたちの責任じゃないと思うよ」
「責任、っていうのもまたちょっと違うと思うんだけどな……」
「些細なところを気にしてるとモテないよ」
「それは困った。気を付けよう」
「モテる気なの!? 浮気、だね!?」
「だからどうすれば満足なんだよ……」
まるでしろあが変なことを言っているかのように、苦労人のようにするかいくんだが、しろあは何も間違ったことは言っていない。かいくんはしろあにだけモテればいいのだし、しろあもかいくんにだけモテていたいのだ。
「でもどうして心中すると思うの? 逢坂さんが受け入れるってことでしょ?」
「まあ、そうだな。あのままだったら、逢坂は強く拒否できなかったと思うんだ」
「どうして?」
「逢坂は橘に謝ってただろ? 橘は自分がいじめを受けていたことも黙っていたし、ずっと逢坂のために動いていた。それなのに逢坂は橘のことを疑ってしまったし、自分の言葉が橘にとってどういう意味を持っていたかも考えなかった。アイカがユナにとってどういう存在だったかも」
逢坂が待っててと言ったから、橘は休止を選べなかった。そこにはすこしのすれ違いがありそうだが、橘はそのせいで逢坂と共に受験勉強という建前で休止を選べなかったし、また味方も光もない場所にひとりで戻ることになってしまった。一度、光を見た人がそれを奪われるというのは、どういう気持ちだろうか。残酷だ、という一言では到底、片付けられそうにない。
「だから逢坂には負い目もあったし、罪の意識もあった。そこで橘が一緒に死のうと言われれば、受け入れてもおかしくない」
「おかしくない状況なら、起こせる、か……」
「事の発端も、そうかもしれない。橘が逢坂を突き落としたのだって、付け入れられたのかもしれないな」
そこは否定できない。となれば、かいくんのしたことはやはり正しかったのだろう。
「でも、逢坂さんと橘さんを心中に追い込んで……ううん、殺したとして、どんなメリットがあったの?」
「しろあに責任を感じさせたかったのかもな」
「わたしに……?」
責任のせの字もなかったのだ。寝覚めは悪いだろうし二学期の幕開けも憂鬱になるだろうが、他の学生と同じく時間が忘れさせていくだろう。
「わたしが責任を感じるの?」
「さあな」
それは上手く濁したようにしか思えなかった。
いつもそうだ。しろあのように全知があったわけでもないというのに、当時神様だったしろあの心境を言い当ててしまったし、いまのしろあのように全知の名残があって何でも知れるわけではないというのに、かいくんはしろあ以上に全体像を把握している。それはひとえに、彼が人の心というものに人一倍敏感だからだ。
そのかいくんが、さあなと答えたのはどうしても違和感が拭いきれなかった。
「なにがしたいんだろう、くろあちゃん」
独り言のつもりはなかったが、そう捉えられてもおかしくなかった。かいくんからは相づちもない。
これでもしろあは真面目に人間をやっているつもりなので、空気を読むというのも習得している。しろあは空気を入れ替えるつもりで、話を変えた。
「わたしがあのまま立ち去ったら心中してた、っていうのはわかった。でも、ひとつわからないことがある」
「なんだ?」
「橘さんが自殺を選んだこと」
警察の動きと推理からも、橘が自殺未遂してから逢坂の殺人未遂ということになる。それはしろあも知っているので間違いない。だが、それならなぜ、橘は死のうとしたのか。逢坂を置いて死ぬことにしたのか。
アイドルを辞めれば済む話。辞められなかった、そこまで気力もなかった、というのはよくあることだから反論はしないが、それでは後ろ髪を引かれるのもたしかだ。ユナというのは仕事じゃない。家族からアイドルは辞めるなと強要されていたわけじゃない。死ぬよりかは、辞められたはずだ。
「人が死ぬ時ってのは、どんな時だと思う」
「忘れられた時?」
「まあ、それもあると思うけど……俺は、人には二度の死があると思う」
「二度の命があるってこと?」
「そう思ってもらっていい」
あくまでかいくんの持論だろう。けれど、かいくんの持論には一日の長がある。
「肉体が死ぬ時と、精神が死ぬ時」
言葉の意味を咀嚼しながら、しろあはかいくんの続きを待った。
「肉体ってのは文字通り寿命的な意味。事故とか病気とかもそう。精神的な死っていうのは、心が死んだ、とも言い換えられるかな。生きてる意味がないとか、尊厳を踏みにじられたとか」
「かいくんがわたしを嫌いになったら生きてる意味ないかも」
「そんなことは起きない」
「……これがデレ?」
にやりとしたり顔。ようやく本音が出たなと生暖かい目をしてやる。が、かいくんは平然としていた。人の気持ちはわからないし知れないが、それでもわかる。きっと内心で、口が滑ったと慌てているのだろう。かわいい。頭を撫でてやらないこともない。
「橘はきっと、精神的に死んでいたんだ。いじめを受けて、助けを求めて見捨てられ、味方がいない状況で疲れていって、アイカの存在がなんとか繋ぎ止めていたが、あの掲示板を知ってしまい、逢坂は呪いのような言葉でがんじがらめになってしまい、どこかで力尽きてしまったんだよ」
「精神が死んだから、身体が死ぬのも簡単……ってことなの?」
「そういうことだと、俺は思う」
生きてる意味を見失い、尊厳も踏みにじられたなら、死ぬのも簡単だし自殺も手っ取り早い。橘はアイドルを辞めなかったのではなく、逃げなかったのではなく、逃げる意味がなかったのか。
「だが生き残ってしまった。死ねなかった。そこで、橘は吹っ切れてしまった。人を一人殺すと二人目は躊躇がないと言う。橘にとっては逢坂が二人目で、自分が一人目だったんだ」
そこはある意味、警察の読みは正しかったということか。
「じゃあ、橘さんが生き残ったのも、偶然じゃなかったかもしれないね」
「どうして橘は失敗したんだ? というか、自殺方法は?」
橘本人に訊けるはずもないし、警察に訊くのも面倒だろうし、かいくんにはしろあのように全知はない。しろあは得意げに言ってやった。
「よくある首吊りだよ。自宅のドアノブで首を吊ったんだけど、偶然にもドアノブが外れてね。それに、母親がその日は偶然、パートが早上がりになったの。だからすぐに見つかって、病院にも運ばれて蘇生もされた」
「それはなんとも、幸運だな」
「だね」
母親からしたら卒倒ものではあるだろう。家に帰ったら娘がヒモを首に巻いて倒れているのだから。しかしそれで間に合わなかった人のことを考えれば、その母親は幸運にも入るだろう。
「逢坂さんも、偶然かいくんにすぐ見つかって、偶然即死を免れたんだよね」
「それはなんとも、強運だな」
誰がその運を引き寄せたのか、しろあもかいくんも言わなかった。指摘して恨み言を吐いて意味ないだろうし、ある意味では、彼女がふたりを救ったことにもなるのだから。
「バナナチョコクレープとキャラメルストロベリークレープ、それと抹茶とバニラのアイスをひとつずつください」
となりでかいくんが、額を覆った。ここだけはいちおう屋根があるから直射日光は避けられているが、車内の熱風でも感じたのだろう。
アイスクリームを右手に持ち、クレープを左手に持つ。アイスを舐めてクレープを頬張ってと忙しなくしていると、口許にクリームがついてしまった。これは困った。舐め取ってとねだってみる。かいくんもしろあと同じく両手は塞がっている。片方の手は包帯も巻いていて、まだ赤い。痛そうだ。
これでどうしろというんだ、とかいくんは目で訴えてくるので、だから舐めれば良いだろと強気に返してみる。はあ、とため息をついてから、かいくんは器用に片手でクレープとアイスクリームを持ち、トートバッグからティッシュを取り出した。拭かれる。痛い。
「ぶう」
帰り道、しろあはふと思った。
橘が守ろうとした、掲示板への流出の件。橘はネットに入り浸っているわけでも特別強いとか伝手があるとかではない。アピアランスか、グループ名かユナやアイカといったアイドル名かで検索しただけで辿り着いてしまったのだから、遅かれ早かれ逢坂も知ることになっただろう。
かいくんがあの場で橘のすべてを暴露したのは、それもあったのかもしれない。同じ傷を抱えている人がいるとわかるだけでも、心にのし掛かる負担は半減どころではないだろう。前向きになるか後ろ向きになるかも、違ってくる。ふたりなら支え合える、とかいくんは判断したから、あそこで打ち明けるべきと判断したのかもしれない。
橘は泣いていたが、あの涙は自分の行いが徒労に終わってしまったこと、何も成し遂げられなかったこと、守り切れなかったことだけに対して泣いていたのではないだろう。文字通り、感情があふれていたのだ。かいくんは逢坂愛花だけではなく、橘柚奈のことも救っていた。
肉体に対して医療等での蘇生や治療が叶うのだから、精神にもそれに近しいものはある。あってもおかしくはない。精神に対しては、優しい言葉や真摯な気持ちが治療になるだろうか。かいくんは、橘の精神にもふたたび息を吹き込んだということになる。
けっきょく、最初から最後まで、かいくんは誰かのため、誰かのことを考えて行動しているのだ。
そこに嫉妬を覚えないでもない。けれど、しろあが惚れたのはそこでもあるし、そんなところがかいくんの魅力でもあるので、文句は言えない。しょうがないなあと思うだけ。それでも、割り切れないのが人間であり乙女心というものだろう。だから、
「あっ!」
「うん。こっちも悪くないね」
かいくんのクレープを食ってやることで、手を打ってやるとする。




