まさか犯人と疑ってるだなんて!
眩しかった。
周りはカーテンで閉ざされていたが、それでも朝日がほんのりとカーテンをすり抜け目蓋に触れていた。逢坂は目蓋を上げる前から、すでにそこが自分の部屋でないとわかっていた。自室のベッドには角度的に朝日は通らないし、普段、眩しいと思ったこともないからだ。
ゆっくりと目蓋をあげる。知らない匂いに、知らない風景に、知らない人がいた。その知らない人は、逢坂が目覚めたことに目を見張ると、すぐに部屋を出て行った。
ベッドの硬さも、枕の高さも知らないもので、落ち着かなかった。これは、中学生の頃の修学旅行で京都に行き、そこで泊まったホテルで迎えた朝に似ていた。あのときは同じ班の同級生三人と同室で、完全にはリラックスできなかったため、起きても眠気は強かった。しかし案外、今回の目覚めはすっきりしていた。だから、事態の把握も早かった。
記憶を掘り起こそうとすると、すこしの頭痛がした。ここは病院だ。どうやら、逢坂は運良く命を繋いだらしい。ほっと一息つく。肩の力を抜いて、ベッドに全身を預けた。
騒がしくなったかと思えば、先ほど出て行った人が、また知らない人を部屋に連れて来ていた。片方はナース服を身に着け、片方は白衣を身に着けている。看護師と医者だ。医者は逢坂に、いくつかの質問をしてきた。名前を言えるか、ここがどこかわかるか、何があったか覚えているか。
「はい、わかります」
医者からの質問を受けることで、逢坂にも整理がついた。考えることが多い。だが考えようとすると、頭痛が膨れ上がったような痛みに襲われる。逢坂は思考を放棄した。
その後、軽い検査を受けた。どこかへ移動することはなく、逢坂はベッドのままで済んだ。身体に不調や支障はない。そう答えたが、どうなのだろう。あったほうがいいのだろうか。階段から落ちて、痛みと大量の出血を覚えている。一時は、死をも覚悟したのだ。その覚悟をふいにされてしまった。
「大丈夫そうだけど、頭だからね。出血も多かった。時間が経ってから、なんてこともある。もしも何かあったら、遠慮なくナースコールを押して」
「はい、わかりました」
ふと、逢坂は気になる。
「退院は、いつになりますか」
医者は困ったような顔をする。患者を安易に退院させ、その後に後遺症や再入院、死亡ともなれば、責任問題になるからだろうか。
「気持ちはわかるけど、経過観察は必要だし、何より、リハビリもしないと、退院はできない。逢坂さん、自分の腕が骨折していること、気付いている?」
そう言われて、自分の腕に意識を向ける。右腕は問題なかった。だが、左腕は……重かった。固定されていた。仰々しく、白く何重にも覆われ、動かないようにされている。頭痛はこの影響だったのだろうか。吊されているようなことはなかったから、そこまで酷い骨折でもないのだろう。
「他にも、打撲や捻挫はいくつもある。安静にしていてほしい」
「わかりました」
医者に強く言われてしまえば、従うしかない。逢坂が頷くと、頬を緩めた。
「通報が早かったのが幸いだったよ。お見舞いにも、何度か来てくれてるみたいだよ。友達だったのかな?」
窓際に花瓶が置かれていた。そこには花が生けてある。赤、ピンク、オレンジの花だ。お見舞いとして想像するような花だったが、それが何と言う花だったのかは逢坂にはわからない。花言葉なんて、もっての外だ。
逢坂が落ちた日は、期末テストの最終日、金曜日だった。これは七月の一週目だった。目を覚ましたのが翌週の水曜日とのことだったので、五日間ほど眠っていたことになる。五日間も眠っていたというのに、医者の触診視診、質疑応答をした後は、また眠ってしまった。骨折や打撲、捻挫に気付かなかったのだから、逢坂の身体は、自分が思っているよりも酷い状態だったのだろう。
木曜日に精密検査を受けた。レントゲンを撮り終わって病室へ運ばれる最中、病室の前に、ふたりの男がいた。逢坂はベッドに横になったままの移動だったため、はっきりと人相はわからなかったが、頭上でナースがため息をついたのがわかった。
「困ります」
「すぐ終わりますから」
「まだ目覚めたばかりなんです」
「無理はさせません」
といったやり取りが交わされる。逢坂は彼らが何者か、理解した。
「いいですよ」
逢坂は上半身を起こそうとしたが、ナースが慌てて支えに入った。
「ひとりだと、暇なので」
身体は動かせないし、軽率に寝返りも打てないので凝り固まるし、スマホも本も腕が疲れてしまう。ひとりが暇なのは事実だったので、話し相手を断る道理はなかった。
逢坂本人からの承諾があり、ナースは考えるように渋面を作ったが、やがて、
「すこしだけですよ」
と言って、許可を出す。ふたりの男は事務的にありがとうございます、と言った。硬い顔だった。
逢坂の病室は個室だった。同室の人はいなかったため、話すのならばそこがちょうどよかった。ナースにベッドを起こしてもらい、背もたれに背を預ける。ナースはもう一度、すこしだけですよ、と注意した。ふたりの男は、わかっていますと返す。半信半疑の目つきを残しつつ、彼女は病室を後にした。
逢坂は、病室でふたりの男と三人になった。片方は歳を食った渋い男。しかし耄碌といった印象は受けない。片方は若い男。逢坂とも、歳は十も離れていないのではないか。
「すみませんね。手短に終わらせますから」
そう言ったのは渋い方の男だ。
「いえ。暇だったので、話し相手がいるのは助かりますから」
「おや。見舞いの人とは話さないんですか」
目敏い。彼は窓の花を示した。
「親御さんとか」
「両親は来たらしいですね。でも、目を覚ましたと言っても昨日もほとんど眠っていたので。今日は、おふたりが一番の訪問者です」
まだ太陽は昇りきっていない。朝から検査を受けて、戻ってきたらこのふたりがいたのだ。通報者である同級生は学校だろうし、両親も仕事に行っているだろう。
「それより、そんなことが訊きたいんですか?」
メモの構えをしていた若い男は、アイカのその目つきに瞬時に目を手元へ落とした。対して渋い男は、快活に笑った。逢坂は目つきが悪い。悪くなってしまった。ふつうにしていても、怖いよ、何睨んでるの? と言われた。しかし小娘に動じるほど、やわではないらしい。
「ははは。これは手厳しい。では、本題に」
こほんと咳払い。
「私たちはこういう者でね」
懐から取り出したのは、警察手帳。渋い男は、木沼というらしい。若い男は、酒井。
「警察が私に、何の用ですか?」
「転落の件で、すこしお話を伺いたいなと」
まあ、そうだろう。それ以外に思い当たる節がない。逢坂は気丈に振る舞った。
「あれは事故ですよ。踏み外したんです」
「ほう。では、誰かに突き落とされた、といったことはないと?」
「逆にどうして。なんで私が突き落とされるんですか。誰にも恨みを抱かれていない、と言うつもりはないですけど、殺されるようなことなんてしてませんよ」
首を振る。わけがわからないと、つい笑ってしまう。もしも犯人がいて、逢坂を殺そうと突き落とした人がいるのだとしたら、逢坂はまずなぜと疑問に思ってしまう。恨み辛みの前に、疑問が浮かんでしまう。そこまでのことを、してしまったのかと。
「わかりました。では、次の質問を」
「え?」
あっさりと木沼は引き下がった。
逢坂に、警察にお世話になるような思い当たる節はない。強いて言うなら、この転落事故ぐらい。被害者として、ぐらい。ならば次に質問とは、何があるのだろう。
「橘柚奈さん、ご存じですよね?」
どくんと胸が高鳴る。知らないというには、逢坂は動揺を隠しきれていない。木沼の視線はすでに見抜いている。
「な、なにか……あったんですか。柚奈に」
「ええ。実は……」
木沼は同情するように口を重くし、言い淀んだ。
「橘柚奈さんは先日、自殺未遂をしているんです」
「じ……じさ……!?」
「ああ、ご心配なく」
逸る逢坂を落ち着かせるように、木沼は手をやった。
「亡くなってはいません。彼女もまた早期に発見されているため、無事です」
無事という言葉が聞け、逢坂は大きく息を吐いた。天井を仰ぐ。浮きかけた腰を、降ろす。
「ですが、これで同じアイドルグループに所属されている方が、ふたり連続で被害に遭っていることになります。しかもおふたりは、同じ高校にも通ってるとか。いちおう、捜査しないわけにもいかないもので」
柚奈が自殺をした。失敗に終わったのだが、自ら命を断とうとした。その失敗を、逢坂は手放しで喜べない。なぜ、柚奈はそんなことをしたのか。考えないでいられないが、考えると苦しくなってくる。この苦しさ、辛さは、階段を落ちたとき以上のものだ。
「実質、私はもう引退しているようなものですけど」
ほとんど無意識に、逢坂は天井を仰ぎながら、溢していた。木沼は逢坂の呟きが聞こえなかったのか、あえて聞こえないふりをしたのか、続けた。
「橘さんの行動に、何か心当たりは?」
小さく、首を振る。
「逢坂さんは中学二年の冬に、後藤秀樹氏からスカウトを受け、アイドル事務所アピアランスから、アイカとしてデビューした。しかし、中学三年の秋の終わりに、受験勉強に集中するためとして休止を発表した。高校生になり、復帰ライブを開催。しかしその一ヶ月後、ふたたび休止を発表。今度は一身上の都合。どこか、間違いは?」
木沼は頭の中に情報を入れているのか、逢坂から決して目を逸らさずに言った。逢坂はその目を見ることをしなかった。柚奈のことで頭がいっぱいだったから。
この問いかけにも、考える間もなく首を横に振った。木沼の言った通りだ。間違いはない。
「橘さんとはそのアイドル事務所で出会った。彼女たちのグループに、逢坂さんが後から参加する形となり、以前は橘さんが人気ナンバーワンでありセンターでもあったが、すぐに逢坂さんがセンターも人気も奪った」
奪ったという発言は、癇に障る。
「何が言いたいんですか」
「橘さんがそれを苦にして自殺をした。しかし、失敗に終わった。死ぬぐらいなら、殺してやろうと吹っ切れてしまった。とは考えられませんか」
メモを取っている酒井が、木沼に不快感を露わにする。そのおかげで、逢坂は冷静になった。この木沼という男は、あえて刺激しているのだ。隠しごとをしていると、逢坂のことを疑っているから。
「なら、私は柚奈のことを庇ってることになりますよね。なんでですか? 死んでいたかもしれないのに」
「おふたりは、グループの中でも特別仲がよろしかったようで。中学は別だったようですが、高校は同じ場所に行こうと約束したようですね。一緒に受験勉強をするほどの仲、受験会場にも、合格発表にも、一緒に行かれたとか」
「そうです。たしかに、私たちはあの中でも特別仲がよかったです。たぶん、親友だった。高校は同じところに行こうと約束して、会場も合否も一緒だったのはそうです。私が友情を信じて、親友を庇っているというのは、筋が通っています。でも、あなたの言っていることはおかしいです」
逢坂がおかしいと突き付ければ、木沼は自分の推理を振り返るように目を宙へさ迷わせた。
「……どこがでしょう」
「私はアイドルを実質引退しているんです。現状、柚奈がセンターだし人気も一番。柚奈が私に嫉妬して自殺したのだとしたら、階段から突き落としたのだとしたら、矛盾してないですか?」
すでにアイカはいないのだ。グループの中で、ユナが元の通りセンターを務め、人気ナンバーワンの称号も手にしている。柚奈の望みは叶っているのだ。自殺する理由も、逢坂は突き落とされる謂われもない。
「うぅむ、そう言われると、そうですな」
頭を指で掻く。まったく悪気もなく、木沼はちり紙を捨てるがごとく、仮説のひとつも棄却する。
「これ以上、変なことを言うなら、呼びますよ」
逢坂はナースコールを手にした。
すぐ終わると言ったのはこの男だ。無理をさせないとも言った。まさか柚奈を犯人と疑っているとは思っていなかった。逢坂は、あれは事故でしたと言えばそれで終わると思っていた。これ以上は無理だ。逢坂が主張すれば、病院から警察へ然る抗議が入るだろう。彼らも叱責を受けることになる。
「き、木沼さん! これぐらいにしましょう!」
叱責を恐れたのか、メモに徹していた酒井が小さく叫んで木沼を引き留めた。彼も、この老いぼれは何を言っているんだ、と内心では思っていたのかもしれない。
「お手間を取らせて、申し訳ありませんでした」
さすがに木沼も、上からの叱責は嫌なのだろう。あっさりと引き下がった。
「では、また」
「もう来ないでください」
去って行く背中に、逢坂は乱暴に投げかけた。もう来てほしくないし、来ないことを祈るばかりだ。




