落ちたアイドル
伝えた通り、十分程度で織田総合病院には到着した。駆け足で駐車場を抜け、逢坂愛花という名前を受付に言えば、部屋も教えてくれた。
エレベーターを降り、廊下に出ると、アイカのものと思しき部屋から人が出てくるのを遠目にした。スーツ姿の男がふたり。東城と後藤は彼らに会釈を返す。扉をノックした。返事はアイカではなく、男。電話で聞いた男の声。
「アイカ……」
アイカは、ベッドで眠っていた。頭に包帯を巻いて、青の患者衣を身に着け、酸素マスクを取り付けたアイカは、ベッドで目蓋を閉じていた。その姿を見ると余計に不安になるが、心電図が、彼女の命を知らせてくれた。
「天理……さん?」
ベッドの傍らには、ひとりの少年がいた。制服はところどころ赤い。高校生だ。彼は後藤たちの登場に、椅子を立っていた。
「はい。先ほど、逢坂さんのスマホを借りて電話しました」
見た目は、なんだか野暮ったい印象だった。電話の落ち着きぶりからは聡明なイメージがあったが、前髪は目を完全に隠し、横髪も耳を覆い、襟足も首を守っているその姿を目の当たりにすれば、イメージは音を立てて崩れていった。しかし、見た目で人は判断しない。
後藤は礼を口にする。
「ありがとうございます。助かりました。自分は後藤。後藤秀樹と言います。アイカ……逢坂さんとは、アイドルとマネージャーという関係でして。あ、そうだ」
懐から名刺を取り出し、渡す。天理は受け取ると名刺に目を通し、ふむと頷いた。身分の保証はできたようだ。東城も名乗り名刺を渡す。彼から名刺はなかったが、高校生なので当然だろう。
それで、いったい何があったのか。後藤は本題に入ろうとした。しかし、それを質問したのは後藤ではなかった。
「それで、何があったんですか。かいくん」
後藤や東城と同じ丁寧な口調ではあったが、決してしないであろう感情の乗った声音だった。天知は親しみを込めて、天理をかいくんと呼ぶ。天理かいという名前なのだろうか。そして彼の腕に抱きつくようにした。これは自分の物だと喧伝するように、深い関係性を誇示するかのように。あからさまに、訊いてほしそうだった。
実際、気になったので、後藤は尋ねた。
「ふたりは、どういう関係で?」
「同級生です」
まず天理が答える。
「将来を誓い合った仲です」
次に上書きするように天知が答える。
なぜ本当のことを言わないのだ、と天知は天理を絞り取るように、腕をきつく抱きしめた。そうすると天知は、ふつうの女の子のように思えた。美少女と密着しながらも、天理は照れることもニヤけることもなく、振り払った。
「まあ、俺たちのことはいいです。大事なのは、逢坂だ」
ふたりの関係を質問したのは後藤だし、気にもなったが、アイカの身に起こったこと、容態を捨て置くほどではなかった。
「自分も、よくわかっていないのが正直なところです。学校に忘れ物を取りに行ったら、なにか鈍い音がして、階段を上ったら、逢坂が階段の踊り場で倒れていて。……頭から血が流れていたし、意識もなかったようなので、救急車を呼びました。逢坂はひとりだったようですし、自分が付き添うことにして、さっき手術が終わったので、逢坂のスマホを借りて連絡をした。そんな感じです」
となれば、天理の身体についた血はすべてアイカのものなのだろう。応急処置をしてくれたときについたに違いない。靴は真っ赤に染まっている。上履きなのは、履き替える暇もなかったからか。ふと、スラックスの裾に目が止まった。黒に赤が混じり、変色しているのだが……その跡は、不自然な形に見えた。まるで手の形のような。
だが、後藤は階段を転げ落ちた人を実際に見たことはないし、応急処置をしたこともない。そういうこともありえるだろう。
「そうでしたか。それは……なんとお礼を言ったらいいか」
「いえ。べつに大したことはしてないですから」
「いいえ。かいくんは命の恩人ですよ」
天理の謙遜を、天知は否定した。天知は天理の身体を上から下へと舐めるようにする。
「制服がそれだけ汚れ、上履きも真っ赤になるほど。相当の出血があり、血溜まりになっていたんじゃないですか?」
「まあ、輸血はけっこうしたらしいな」
「頭は傷が軽くても出血が多いことはあります。もしも放置されていれば、遅れていれば、出血死していたかもしれません。彼女が生きているのは、かいくんが早期に見つけ、素早く通報したからです」
「医者も、そんなことを言っていた。病院に連れてくるのが早かったのが、逢坂の命を繋いだって」
ならやはり、天理は命の恩人なのだろう。彼が一度、謙遜したのは、恩に着せないためか。
「天理さん。ありがとうございます。アイカの命を救って頂いて」
「ああいえ。そういう意味で言ったのではないので」
不必要に感謝されないための謙遜だったのだろうが、後藤はそう言わずにはいられなかった。
「で、これは事故だったんですか?」
アイカを、次いで天理を、順に視線をやる天知は、訝んだ。後藤も、彼女と同じ気持ちは芽生えていた。
「さあな。血溜まりの逢坂を放って犯人を追えるはずもないし。すくなくとも、俺は揉め事やそういう類いの悲鳴は聞こえなかった」
「まあ、そうですよね」
天知は顎に手を置く。
「どういうことだ?」
事態が読めていないと東城は口を開く。後藤は自分のためにも、天知の推測、アイカの身に起こったことを話す。
「アイカは、階段を踏み外して転げ落ちたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そうじゃないのなら、誰かに突き飛ばされたということになります。悪意の行動でしかない。率直に言ってしまえば、アイカはその誰かに、殺意を抱かれているということになります」
「殺されかけた……ということか?」
「ええ」
残念ながら、と頷く。悲しいことだ。ここまで問題が重なるとは。
アイカへのいじめ、アイドルアイカの進退だけでも難しかったというのに。こうも問題が重なってしまうと、より慎重にならざるをえない。
「いずれにしろ、逢坂さんが目を覚ますのを待つしかない……ということですか」
「ああ。刑事もそう言ってた」
「刑事が来たんですか」
「同じことを考えたんだろう。殺人の可能性は、捨てきれないからな」
「なら、いろいろ質問されたんですね」
「まあな」
「そうなると、かいくんが現状、一番の容疑者ですね」
緊張が走る。天知が言うには将来を誓い合った仲である天理を、彼女は容疑者認定した。命の恩人であるにもかかわらず、嫌疑をかけられたのだ。天理が憤慨しても、後藤は何も不思議に思わなかった。
「刑事もそうだったよ。俺の話を聞きながら、粗を探すような目つきだった。一通り話した後に、逢坂が目を覚ましたらまたお話をうかがいますって」
「そこで逢坂さんと供述が矛盾していたら、より立場が悪くなるからね。このまま目を覚まさない方が好都合なんじゃない?」
「不謹慎だ。冗談でも言うな」
全くその通りだ。何も面白くない。
しかし、彼が犯人という可能性も、なくはないのだ。そしてもしも犯人だったなら、アイカにはこのまま死んでほしいだろう。死人に口なしとなる。彼の話が事実なら、発見当時、周囲には人がいなかった。目撃者がいなかったということになるのだから。
そうなるとなぜ、突き飛ばしたのに通報したのかという疑問も芽生えるが、いざ死を目の当たりにして恐怖したとか、自分のやってしまったことの重みに震えたとか、いくらでも考えられそうだ。
「まったく、いつもいつも、かいくんは面倒ごとを持ってくるね。これじゃあ、断るに断れなくなっちゃったじゃん」
天知はぼやいた。やはり、彼女は依頼を断るつもりだったらしい。しかし、将来を誓い合った相手が容疑者候補となってしまったいま、無視できない案件になったようだ。天知にはアイカの身に起こったことは赤の他人の問題ではなく、身内の問題となってしまったのだから。
「それで、しろあの方は、何があったんだ。この人たちの関係は?」
「依頼だよ。いつも通り」
「もしかして」
「ううん、違う」
天知は暢気に否定した。ふたりの間だけで通じ合っているようだ。
「逢坂さんが命を狙われてるから、とかじゃない。まあ、完全に違う、とも言えないんだけどね」
天理は後藤たちの依頼が、アイカの身辺警護、アイカの命を狙う者の特定だと思ったらしい。それならたしかに違う。しかし、天知の言ったように、完璧に違うとも言い切れない。
「後藤さん」
呼ばれる。後藤は背筋を伸ばした。
「お望み通りの結果になるかはわかりませんが、かいくんが疑われるのはわたしも不本意です。かいくんよりも疑わしい人物は明確にいます。こんな人生経験の浅い小娘に預けるのは心配でしょうし、不安にもなるでしょうが、逢坂さんをいじめていた犯人は、突き止めましょう」
自分がすべて解決する、と後藤には聞こえた。大人しく待っていれば、犯人が、答えが、真相が現れる。果たしてそれでいいのだろうか。いいはずがなかった。
「自分には責任があります。アイカをこの世界に引き込んだ責任が」
後藤は、ふたたび台詞を繰り返した。
「もしもアイドルを辞め、普通の生活に戻るのなら、自分はきちんと送り戻さなければならないのです。アイドルでのいざこざは、アイドルの内に解決しないといけないのです」
それは、言うのは易し行うは難しというやつだった。
「だが他のアイドルを疑うのは罪悪感も伴う。無実の人にも迷惑を掛けることになりかねない」
アイカと仲良くしている裏で、平気でいたぶっていただなんて。身を案じる顔をしながら、胸中では喜んでいただなんて。そうは思いたくないし、そうだったとしたら、なんて恐ろしいのか。人間不信に陥りそうだ。
東城はアピアランスという会社のイメージを気にしているようだが、後藤は、他のアイドルやその家族を心配させるのが嫌だった。アピアランスに所属していたという事実が彼女たちの経歴に傷を付けてしまうことになるのが、嫌だった。
「だから、生半可な人には任せられない。天知さんに対する失礼は、そんな思いからでした」
「つまりいまは違う、と?」
「ええ」
見ていればわかる。この天理という男にどんな魅力があるかわかったもんじゃないが、天知が彼に強い想いを向けていることだけは確実。その天理が容疑者となっては、本気で嫌疑を拭うだろう。依頼や金銭よりも、信じられた。
「自分に限界があるのは事実です。あなたからしたら、厄介なことこの上ないでしょう。これは私たちの問題。他人を巻き込むことではない。ですが……アイカをこんな目に遭わせたやつを、見つける協力をさせてほしい」
「では、かいくんの容疑を晴らす協力をしてもらいましょう」
天知と後藤は、同じ目的に走る対等の関係だった。協力関係というのが、相応しかった。




