ストーカー
制服に着替えるのは面倒で、ジャージに袖を通した。天知と一緒に帰ろうと思い一年一組を覗いたが、天知の姿はない。カバンもないので先に帰ってしまったのかと泣く泣くひとりで階段を降り、下駄箱を前にしたところで、喧噪が耳に入る。若干の言い争いを感じた。
三浦は、窓から階下の中庭を見下ろす。そこには、天知がいた。
「天知さん!」
叫んだ。瞬時に、天知の手首を掴む手は離れる。脇目も振らず、天知は走り去った。三浦も急いで靴を履き替え、中庭へ走る。角を曲がったところで、天知が飛び出してきた。
「あっ……!」
鳩尾へ頭突きをされたようなものだった。
「す、すみません……! 平気ですか?」
とはいえ、ここで弱音は吐かない。漢を見せる。
「う、うん。平気……天知さんこそ、大丈夫だった?」
陰から中庭の様子をうかがう。人影もない。すでに、退散してしまったのか。
「あ、はい。大丈夫です」
とはいえ、ひとりで帰すことはできない。気丈に振る舞っているが、腕を掴まれてさぞかし怖かっただろう。
「一緒に帰ろう」
天知はこくりと頷いた。
校門を抜けてから、しばし沈黙が訪れる。気まずい沈黙だった。信号で立ち止まって、切り替わって、横断歩道を渡る。
いくつかの横断歩道を渡ってから、頃合いを見計らって、三浦は切り出す。
「あれ、生徒会長?」
小さく頷く。
「告白されました」
「二回目、だよね?」
「はい」
「前回は、断ったんでしょ? 今回は……」
「今回も、お断りしました」
まあ、だからああいった手段に出たのだろう。
「前回は、ただお断りしました。鼻にかけた態度もすこし気に食わなかったので。そうしたら今回は、真摯に告白されました。真面目な感じでしたね」
あるいは、生徒会長にもそういうキャラがあるのかもしれない。顔もよくてスポーツも勉強もできる生徒会長。謙遜すれば嫌味を言われる。それにあったキャラ作りをしていたら、徐々に、キャラに食われてしまった。だから、人気のすくない今日を狙って、素の自分で告白したのかもしれない。
「ですが、お断りしました。お試しでもいいから、と言われましたが、わたしはお試しでお付き合いをするつもりはありません。断ると、じゃあ、友達から、と」
引き下がらなかったのか。
「それで、腕を掴まれた?」
天知は頷いた。
また、沈黙が訪れる。気まずく、重たい沈黙だ。
駅前につくと、以前ふたりで歩いたときよりも人通りは多かった。放課後遊んでいる制服、部活帰りやバイトに向かう見知らぬ制服。定時上がりの社会人。ロータリーにも車が列を作っていた。
「告白って、するのも疲れるけど、される側も疲れるよ」
ああ、と手をあげる。これでは語弊のある言い方だ。
「なんていうか、勇気もいるけど、労力がいるよね。どっちにも」
告白する側。これは当然、勇気も労力もいる。自分の気持ちを詳らかにするのだから、感情の振れ幅は大きくなる。恥ずかしくもなるし、受け入れられるかどうか動揺して思考がぐるぐる駆け巡って不安にも陥る。
しかし同様に、告白される側。これもまた、勇気も労力もいる。受け入れる人ならまだしも、断るのは、辛い。相手の気持ちを断ち切るようなもので、勇気がいる。後腐れないよう、変に逆恨みされないよう、神経を使って言葉を探す労力もいる。天知のように、すこし間違えれば手が出てくる。
「……そうですね」
何度も告白されている天知には痛いほどわかるのだろう。噛み締めているようだった。
「でも、だからって告白するなとも思わない。好意を持ってもらえるのは、嬉しいからね」
深々と、三浦は言う。
「難しいところだ」
「同感です」
「好きな人から告白されるのが理想だけど、それって難しいよね。やっぱり理想でしかないんだなあって」
「……はい」
ひょっとすれば、天知からすれば良い迷惑なのかもしれない。告白とは。彼女ほどにもなれば、釣り合う男はいないだろう。いないと言い切れる。彼女が人を、異性を好きになる想像は、とてもできない。
駅から離れると喧噪からも離れる。日が沈み辺りはほの暗い。
「天知さんにはいろいろと、お世話になったからさ」
右手に公園がある。お母さんらしき女性が、子どもにそろそろ帰ろうと声をかけている。
「できれば僕も、恩返しがしたい」
アンダーパスを歩く。帰宅ラッシュか車の渋滞は最後尾が見えない。
「ああ、もちろん余計なお世話じゃなかったら、の話なんだけどね。僕らがお互い、利用しあうのでもいいと思うんだ」
具体的にいえば、付き合っていることにする。そうすれば、お互いに告白される心配もなくなる。そう言おうとしたのだが、
「嬉しいです」
天知はそっと微笑む。マンションが正面に、二つも三つも建っていた。
「では、ひとつ。ご相談してもよろしいでしょうか」
「うん、もちろん」
天知から頼ってもらえるのなら、ほかに優先すべきことはない。彼女からの申し出というのは、実は初めてのことではないのか。天知の中での三浦が、ほかの男子よりも一歩先に出ていることを暗示しているのではないか。
「実は最近、誰かに尾けられている気がするんです」
「は?」
唐突だった。まるでハンマーに殴られたかのような衝撃で、あやうく目玉が飛び出るところだった。
「それは、つまり……その」
「ストーカーです」
しかし、天知は冗談を言っている風ではない。真剣な顔だ。
「いまも。ほら、あそこから」
天知はゆっくり指を動かした。三浦はふり返る。
たしかに、いた。
暗がりで顔まではわからないが、いままで三浦と天知が歩いてきた道。その曲がり角から、こそこそとしている人影があった。そしてなによりの証拠は、天知が指を向けた途端、その人影はばっと顔を引っ込めた。
「ちょっと待ってて!」
言いながら、三浦はカバンを捨てるように置いて、走った。曲がり角に到着するも、そこにはいない。アンダーパスの反対側で、走り去る背中を見た。追いかける。公園を走り去る。視界に捉えていた。しかし。
「……くそっ」
その先は、駅。喧噪が戻ってくる。人混みが戻ってくる。帰宅ラッシュだ。車も、人通りも、多い。木を隠すなら森の中。人を隠すなら人混みの中。見失った。スマホを手に取り、呼び出す。岡部の気の抜けた返事が返ってきた。
「お~う。どした?」
「駅に俺たちと同じ制服……男いなかったか!?」
「いや、そりゃめちゃくちゃいるぞ」
それもそうか。特に、球技大会終わりで遊んでいる人も多かろう。
「なにかあったのか」
深刻そうな声が返ってくる。三浦もまた、声のトーンを落とした。
「実は、天知さんにストーカーがいるみたいなんだ」
「はぁ!? お、俺じゃないぞ!?」
「そんなのわかってる!」
今度は素っ頓狂な声。しかし岡部は一考する。特段、不思議なことではない。天知にストーカーのひとりやふたり。
「見かけて、追いかけたんだけど、ダメだった。駅のほうに逃げていったから、もしかして……って思ったんだけど」
「いや、わからねぇ。悪い」
「……いや。大丈夫。天知さんのところに、戻る」
「おう」
通話終了。とぼとぼと、三浦は戻る。
いったい、あれは誰だったのか。多くても、千人に絞られる。男子らしかったから、その半分。制服姿は、三浦と同じだった。せめてネクタイの色でもわかれば学年が判明しそうなものだが。
アンダーパスを俯きながら歩き、角を曲がる。天知の姿を見て、置いてけぼりにしていたことを思い出した。天知は両肩にカバンをかけている。持っていてくれたようだ。
「ごめん」
駆け寄りながら、謝った。
「途中で見失っちゃった」
「そうですか……すみません、追いかけるような真似をさせて」
「ううん。僕が勝手にやったことだから。……カバン、ありがとう」
「いえ。三浦くんも、気を付けてくださいね」
「うん。次こそは、捕まえるよ」
にこりと微笑む。安心してくれたか。いや、捕まえるまで、本当の意味での安心は帰ってこないだろう。
「ここまでで大丈夫です。では」
「うん」
三浦は手を振る。天知は、マンションに入っていった。




