否定って、何なの?
逢坂たちも学校の敷地内から出て、帰路についた。
「はぁ。いまから帰ったら絶対寝過ごすよね、これ」
べつに今日は土曜日でも日曜日でもない。平日だ。学校はある。
「だって。謝りなよ」
眉目秀麗、人当たりのよさそうな笑みをする古江琉重。
「いや、お前が謝れよ」
クールな顔立ち、迷惑そうにムッとする天理かい。
「なんでさ」
「逢坂はここに来るはずじゃなかった。ウチにいればしろあと一緒に寝てもらっててかまわなかったんだ。お前が連れて来たんだろ?」
そのふたりが友達のように語り合い、責任の押し付けをしている。逢坂はふたりの一歩後ろを歩いていた。
「ねえ。それ、寒くないの?」
天理の服は破けているところがある。なのに袖はまくって、上着のカーディガンは腕に引っ掛けている。腰には剣。古江が十拳の剣とか言っていた代物だ。
「むしろ心地いい」
「いい運動になったな」
肘で強めに押した。古江は笑っている。
あんまり見ない天理だ。天知にする接し方に似ているが、これと比べると天知はずいぶん丁寧な扱いなのだと実感する。男女の差だろうか。
「訊いていいかわからないんだけどさ」
と逢坂が言うと、
「逢坂さん、訊いていいかわからないことは訊かないのが妥当なんだよ」
と言う古江と、
「訊いてダメだったらダメだって言うから。言っていいよ」
と言う天理。
真反対なふたりに、逢坂は気遣うことなく言った。
「ふたりってもっと、険悪な仲だと思ってたんだけど、違うの?」
ふたりは顔を見合わせて、それから古江が肩を組んだ。
「僕らはズッ友。大の仲良し親よりも親しいと書いて親友なのさ!」
近い近い、と天理は古江の頬を押しながら、
「どうしてそう思うんだ?」
なんて訊き返してくる。
「だって、文化祭のとき」
すると、ふたりはふたたび顔を見合わせた。そして、古江は噴き出す。天理は額に手をついた。
「これはやられた。逢坂さん、こいつを尾けてたのか」
「尾けてたっていうより……探してたんだけど。クラスの看板がないって言われて、でも天理くん、部室に置いてたからおかしいなって」
「どこまで聞いてた?」
そんなにあのマッチョメイド喫茶で話していたことは、聞かれたくなかったことなのだろうか。
「たぶん、ほとんど全部」
「……はぁ」
やっぱり、聞かれたくなかったことらしい。
「なるべく忘れてくれ」
「質問に答えてくれたら、すこしは忘れるかも」
「おお。やるねえ。どうする?」
天理は観念したようだ。
「まあ、付き合いが長いのは事実だと思う。中学の頃、学校以外での付き合いをした顔は、琉重だけだ」
「僕はそうでもなかったけどね」
イラッとしている。
「ああ、そんな感じがする」
さらにイラッとしている。
天理が中学生でもこんな風だったのかはわからないが、古江琉重の眉目秀麗な顔立ちと性格では、ひとりになるような感じがしない。
「でも、ここぞって場面になると、どうしてか、僕はこいつ以外を誘う気にはなれなかったんだ」
「そのおかげで、なかなか面倒なことに巻き込まれた」
「面白かっただろ?」
天理は否定も肯定もしなかった。代わりに、天理は話をすげ替える。
「それで、今回も俺は阻止できたってことでいいのか」
古江はにこりと口角をあげる。
「お前が、ただの善意で、良心で、相談部に話を持ち込んでくるはずがない。しろあを動かして、どうしたかったんだ」
「萬好は最初、誤った答えを出した。自分の父が、紫月さんを汚した、ってね」
古江は滔々と語る。
「べつに僕は、萬好が間違いでも正しい答えでも、どっちに辿り着いてもよかったんだ。いずれにしろ、萬好は自分の父に恨みを、殺意を抱いた。これが重要だった。でも、やったね。その殺意は止められた」
古江はふり返る。逢坂と目が合う。
「止めたのは天知さんでしょう」
「そうだけど、天知さんが自発的に止めるはずがない。どこで誰が誰を殺そうと、天知さんは基本、無関心だからね」
天理の不機嫌、怒りを感じ取ったのか、古江は
「ああ、勘違いしないでよ。誰でもそうなる。僕らもそうだ。地球の反対側でも人は死んでる。いまこの瞬間も人は死んでる。けど僕らは悲しまないし止めようともしない。それはなぜか? 知らないからだ。僕らと天知さんの違いはそこ。天知さんは知っている。知ることができる」
「その理屈で言うと、しろあは知ってるんだから悲しみ止めるべきだろ」
「だからこそ、さ。天知さんにとっての人の死、人殺しなんてものは、地球が回るのと同じぐらいごくごくふつうのことなんだ。いちいち気にも留めないし止めようだなんて考えない」
言い訳のように捲し立てたが、しかし、
「でも、だからこそ、身近な人のことは助けるべきなんじゃないの? 道路で水道管が破裂していても止められないけど、家族が蛇口を閉め忘れていたら閉めてあげるでしょ?」
「正論だね」
とは言うものの、だからと言って持論を覆す様子はない。
「逢坂さんが蛇口の閉め忘れを指摘してくれたおかげで、天知さんは今回、言葉を尽くして萬好の殺意を止めてくれたわけだ」
天理がふり返ってくる。天知はそのことをしゃべっていないようだ。逢坂も特に、天理には言っていない。
「まあ、それで全部を水に流す、だなんて単純な作りを人間はしていない。だからけっきょく、萬好の中の殺意は完全には消えず、真相に辿り着いた瞬間、再燃した。その火種は空気を送ってやるとよく燃える。萬好は自分の父を殺そうとしたよ。包丁を持って、あとすこしで首に突き立てるところだった」
今度は逢坂が目を見開く。天知の絞り出した言葉は一時凌ぎに過ぎなかったのか。それとも、真相がまだあると仄めかすことがいけなかったか。
「……お前」
「その通り。くろあさんだ」
天知から聞いている名前だ。片割れ。天知が全知ならくろあは全能の名残を持っている。彼女が、火種に空気を送った。
「でもこれまた阻止された。間一髪のところで思いとどまった。だから、プランは第2に移ったんだ」
「第2? って?」
「早く帰ることをオススメするよ。いまは天知さん、お家にひとりだからね。きみは守ってやれない。全能の名残と全知の名残では、分が悪い。前者が断然有利だ」
「……まさか」
逢坂は嫌な予感が過ぎった。だから天理は、逢坂を呼び出したのか。
縋るように、あるいは申し訳なさで、逢坂は天理を見上げた。しかし、その横顔は平然としている。
「いまから帰ってももう遅いだろ。何時間経ってると思ってる」
「はははっ。正解。くろあさんが天知さんと接触して、話をして、去ってから、もう二時間は経過してるよ」
逢坂は天理の服の裾を引っ張った。
「は、早く帰らないと!」
「だから、もう……」
「あ! あとひとつ! 言い忘れてたことがある!」
叫ぶような声は、しかし遠かった。
顔を上げれば古江はすでに信号を渡っている。気付いたときには点滅が終わり、赤信号。
「僕は彼女たちと違って、人の命を弄んでいるつもりも、無関心なつもりでもない。だから逢坂さん、萬好の殺意を止めてくれてありがとう。直毘神とのウケヒ、ありがとう。じゃあね!」
そう言うと、古江は背を向けて歩き出す。車が通るともう、その後ろ姿はなくなっていた。
逢坂は、古江が渡った横断歩道とはべつの横断歩道を渡った。渡りきってから、焦りの欠片もない天理に訊く。
「ねえ、いいの? 急いで帰らなくて」
「いまから急いで帰っても、くろあはいない」
「そうじゃなくて……!」
「逢坂が想像しているようなことは、何も起きてないよ」
「え……?」
「くろあは何でもできる。その気になれば、しろあを殺すこともできるさ。それこそ、交通事故とか。病気とかな。でもそれはしない。それはしろあを否定したことにはならないから。琉重も言ってただろ? 接触して、話をして、去って、って。危害は加えてないさ」
天理がそう言うのなら、そうなのかもしれない。ただ……だからと言って、不安が消えるわけでもない。
「……ねえ。くろあさんの否定って、何なの?」
どうやれば否定したことになるのか。どうやって否定するのか。




