ウケヒとは、公正でなくてはならない
「どうしてって……まあ、神様にはわからないでしょうけどね」
かいくんは十拳の剣を地面に突き刺し、前髪を払ってピンで留め直す。そうするとわかめ男から、クール系男子と様変わり。親近感を覚えていたというのに、勝手に裏切られた感じがする。悔しい。
「人間ってのは、成長するんですよ」
かいくんは、十拳の剣を握った。
「生まれたその瞬間から力が備わっているわけでも、役目が決められているだけでも、分別がついているわけでもない。悪いこともする。悪いことだとわかる。だからこそ、いいことができるんですよ」
かいくんが駆け出すと、爾小の両側から水の棒が発射される。まるで彼女の両拳のようで、長さも太さも人間なんて比較にはならない。
「中途半端で、何が悪い!」
渾身の一振り。巨人の両腕は両断される。
「これから先、一人前になるかもしれないじゃないですか。その可能性の芽を摘まないでほしいんですよ! 俺は!」
距離を詰め切ったかいくん。横薙ぎは、たしかに爾小に届いた。爾小の首を討った。しかし、どろりと溢れ出たのは赤くない。
赤毛も色を失い、人間らしい肌色も消え、レザーのジャケットも溶ける。全身が水になるそれは、分身とでも呼ぶべきか。人の形を保った水は、かいくんに覆い被せるようにすると、消えた。
その水の分身による影響はないらしい。が、かいくんは反射的に目を瞑ってしまったのだろう。
「……はぁ」
かいくんの周囲には、取り囲むように円を作った爾小が何人もいた。
その中のどれが本物でどれが分身なのか、目を瞑ってしまったかいくんは見逃してしまっただろう。
ただし、僕と紫月は見ていた。
爾小が水の分身を盾にして逃れ、その後再度距離を取り、分身を展開しているところまで、ばっちり見ていた。
かいくんは紫月の姿が見えない。声も届かない。なら、僕が言うしかない。
本物は、彼から見て12時の方向。つまり、真正面が正解なのだ。
「じゅっ」
息を大きく吸って、しかし。一文字目で、僕の口は閉じた。僕の意志とは関係なく、閉じた。まるで縫い付けられたかのようで、チャックでもついたかのようで、接着剤でも塗られたかのようで、僕は自分の口が自分のものではなくなったことに恐怖を覚えて口を手で弄る。
「ど、どうしたの!?」
僕の慌てっぷりと異変に紫月も気付いてくれるが、伝える手段がない。すると、
「悪いけど、これはふたりの問題なんだ。横槍は審判の俺が許さない」
コンクリートでできた朝礼台に座っていた美音にそう釘を刺される。なかなかのイケメンで色気もあるものの、そこには鋭さもあった。優しい人が怒ると怖い、というのに似ていて、ひょっとすれば爾小よりも怖かったかもしれない。
僕がコクコクとわかったと頷けば、優しい笑みに戻る。すると、口の自由が利いた。
「……はぁーっ」
べつに呼吸は鼻でできていたけど、それでもなぜか息の詰まる思いをしていた。やっぱり彼の仕業だったらしく、それで紫月も、僕の異常が美音の仕業だと悟ったのか、
「あたしが仕返ししてくる!」
そう意気込んでいる。
「やめときなよ」
なぜそこまで自信があるのかわからないけど、
「大丈夫。あたし、幽霊だから」
とのこと。
そして、
「くらえ幽霊パンチ!」
美音にこっそり近づいた紫月はなんともダサいパンチを放つが、軽々しく受け止められてしまう。
「え」
「まあ、爾小ちゃんが見えるんだから、俺も見えてるよ」
「そもそも、見えてなかったらパンチも効かないでしょ」
見える僕ですら、紫月には触れられない。紫月は死者で、黄泉の国の住人であるため、現世、中つ国のものに干渉できないのだ。ならば美音という彼にも、干渉できないのは道理だ。
「とりあえず、放してくれませんか」
「……ああ、ごめんごめん」
何かに気付いたようだ。笑っている。
僕ですら紫月とは触れ合えないのに、男の人に拳を握られている姿を見て、気分がいいはずもない。
「とりあえず、萬好くん……は、ふたりともか。ふたりとも、こっちに来な」
無視はできないので大人しく従う。コンクリート製の朝礼台に座った彼の後ろで、僕らは並んで立つ。
「座ればいいのに」
という言葉は無視して、
「まるで古事記の話みたいなんですが。この現実はとても、人間らしくないんですが」
人間でもこれができる、とか言われたら、僕はいままでの人生、この現実を信じられなくなる。
あまり返答に期待はしていなかったものの、
「そうだよ。俺たちは神様なんだ。あの爾小ちゃんは、そうだな。神様の名前でいうと、直毘神だ。わかるか?」
彼は答えてくれた。
答えてくれたことにも、その内容にも、僕は世界の秘密を知ってしまったような、根幹が揺るぐような強い衝撃を食らったけど、幸いなことに最愛の人が幽霊となってしまってすこし耐性がついていたので、なんとか記憶を掘り起こして受け答えをした。
「イザナキから生まれた神様……ですよね」
「そう。黄泉の国で受けた穢れを清めたときに生まれた神様。それが直毘神」
「……ちょっと」
紫月が裾を引っ張るようにした。
どうやら、紫月は古事記なるものを読んだことがないらしい。
「ほら、この前話したでしょ? 死んだイザナミに会いに、黄泉比良坂を下っていったイザナキの話」
ラーメン屋での話だ。それは覚えているのか、うんうんと頷いてくれた。
「けっきょく、イザナキはイザナミから逃げ帰ることになるんだけど、その過程で黄泉の国の穢れをもらってしまうんだ。そこで帰ってきたイザナキはまず身体を清めようとする。左目を清めると天照が、右目を清めると月読が、鼻を清めると須佐之男が誕生するんだ」
「よく知ってるね」
「……まあ」
美音に褒められたけど、あんまり喜べない。動機が不純だからだ。黄泉の国に行けば紫月に会いに行けるのでは、なら黄泉の国とはどこにあるのか。そう探している間に、古事記にもすこしだけ詳しくなった。それだけのこと。
「なんで清めると神様が生まれるの」
「それは……」
僕に訊かれても、
「説明してもわからないだろう。現代人は理屈っぽいから」
美音に助けを求めると、彼はそうばっさりと言った。
「それだけ清めるとは強烈な行為だった、神とはそういうものだった、と思っていれば、まあ間違っていない」
紫月は首を傾げたままだけど、僕はそれで納得した。
「なら、その直毘神? は、どこを洗ったときに生まれたんですか?」
美音には紫月が見えている。声も聞こえている。僕が仲介する必要もなかった。
「身体、かな」
「身体」
「まあ、その前にも生まれた神様がいて、彼女はその抑止力みたいなものだったんだ」
「じゃあ、強いんですか」
「それはもう、強いね」
「どんな力があるんですか」
後ろを目だけふり返って、すこし微笑む。横顔が様になっていて、気に食わない。
「直毘神の役割とは、穢れの浄化、元に戻す、正常にする、あるべき形に正す。つまり爾小ちゃんは常に正しい。正しさの神ともいえる。彼女に刃向かう存在は悪。彼女に刃向かう存在こそが悪。悪が相手なら、爾小ちゃんが負けることはない」
遠距離タイプ、近距離タイプ、のみならず、そもそも直毘神の爾小が負けるという構図は成り立たなくて、彼女の相手となったものが勝つという道理も成り立たない。
となりで、紫月は絶望していたけど、僕はそうでもなかった。
「でも、だからこそ、このウケヒには、時間制限があるんじゃないですか」
美音は何も言わず、ふたりの争いから目を離さない。
「どういうこと?」
と、紫月が訊いてきた。
「ウケヒっていうのは、その者の神意を問う誓いなんだ。力でねじ伏せるものじゃない。有名なのだと天照と須佐之男がやったウケヒだけど、ふたりは生んだ神が男か女のどちらであるかで、その神意に偽りがないかを測るんだ」
「……ほー?」
わかってなさそうだ。
「つまり、このウケヒは直毘神の爾小さんと、かいくんって人の神意、そのどちらが正しいかを決める意地の張り合いみたいなもので、かいくんは勝たなくても、負けなければいい。時間制限まで逃げれば、力で負けていても勝ち逃げになる」
「意地の張り合い、か」
笑いを含ませているような気がして、僕は表情が見えないのも相まって、
「すみません」
と謝ってしまった。けど、美音は、
「いいや。間違っていない。言い得て妙、だな。これは意地の張り合いだ」
しかし、
「ただ、すこし付け加えるなら、ウケヒとは、公正でなくてはならない。たとえばどちらかが死ぬまで、というウケヒだとすると、これは成立しない。爾小ちゃんの圧勝だからだ」
さっきの話からも、そうだろう。
「つまり、朝陽が昇るまで耐えきる、守り抜く、負けない、というかいくんの誓いは、これで妥当だということなんだ。勝たなくてもいい決闘でやっと、直毘神の爾小ちゃんとは対等になれるということ」
ならば僕は、楽観的だったということか。
のらりくらりと躱して時間稼ぎをするだけでいい、と思っていたのに、それでもかいくんが威勢良く仕掛けるのは、そうでもしないと、決闘の主導権を握られたらひとたまりもないから、なのだろうか。
「まあ、直毘神と渡り合う人間ってのが、そもそも異常なんだが」
その意味は、よくわからない。
てっきりかいくんも何かしらの神だと思っていたのだが、そうでもないのか。




