じゃんけんとか、どうすか
「すみません」
男の声だった。
「その御業、ちょっと待った」
悠然と、剣と共に降って降りてきたのは、僕の知らないクールな顔立ちをした男だった。
長く重たそうな前髪をピンで留めた男は、僕らの味方なのかどうなのか。よくわからないけど、救われた。それだけは事実だ。
赤毛の女性は、クールな男の登場に舌打ちをした。
「邪魔だぞ」
「だからすみませんって」
「どっか行けって言ってんだ。お前には神避した凡人の側にいるって役目があんだろ」
「まあ、いま寝てますから」
舌打ちこそしたものの、ふたりにはっきりとした不仲があるわけでも、敵対関係にあるわけでもないらしい。
女は厄介者扱いをして追い払おうとして、男は僕にはわからない話をのらりくらりと躱している。
「ああ、萬好。とりあえず、……って、どっちも萬好なのか」
この男もまた、僕のことも紫月のことも知っているらしい。でも、それは僕に対して言ってくれているようで、僕は身体を起こした。
「大丈夫?」
「紫月こそ」
「うん。あたしも……なんとも」
僕が迂回するよりも紫月が直線距離を来たほうが早い、という判断をしてくれたのだろう。紫月はフェンスをすり抜けてくれた。すり抜けて僕を気遣ってくれた紫月に、僕は言わなくてはならなかった。
まっすぐ、目を見る。
「お願いだから、もうあんなことはしないで」
「……うん」
紫月の笑顔は、自省も喜びもいろいろ混ざっていて不格好だった。
「おい。何勝手に許可出してるんだよ」
赤毛はクール男を咎めるようにした。僕は紫月を庇うように、でも紫月の姿が見えるように、半身になった。
クール男は、校庭に突き刺さった剣を引き抜いている。
「おい。聞いてんのか。お前に言ってるんだぞ不純物」
「まあ。とりあえず、こっち来てくださいよ」
「お前誰に何を言ってるかわかってるのか?」
なんて言いながら、赤毛は僕らを無視してグラウンドに出ていった。
「でも行くんだ……」
「でも行くんだね……」
僕らはひっそりと言い合い、さてどうしようと顔を見合わせる。もう赤毛の女性は僕らに興味がないようだし、この隙にお暇するべきか。
と、まるで心の中を読んだように。
「あ、勝手にいなくならないでくれ。守れなくなる」
クール男にそう言われてしまう。どうやら、彼は僕らを守ってくれているらしい。
「ああそうだ。お前らはそこにいろ。こいつのあとだ」
赤毛には指差しまでされてしまった。どうやら、順番があるらしい。
「で? 神の御業を邪魔して、いったいどういう了見があるのか、聞こうじゃないか」
僕の耳がおかしくなったのでなければ、彼女は神の御業だといった。それはまるで、自分のことを神様だと言っているかのようだ。
「単純な話です。俺を倒してから行け。あいつらの前に、まずは俺が相手だ」
クール男もまたそこに意義を唱えることはなく、彼女を神様として話を進めている。
赤毛の女性は、いろいろ言いたそうな顔をして、頭に手をやってごしごしと掻いて、それから深く盛大にため息をついた。
「なんでお前がそこまでする。知り合いか?」
「まあ、同級生ですね」
「そうなの?」
「なんであたしに訊く」
「だって、僕には友達がいないから」
「あの人は友達とは言ってないよ」
たしかに。同級生と言った。……友達でもないのに、助けてくれている、ということか? にわかには信じがたいけど……。
「紫月の熱狂的なファンとか、か?」
「それが偶然、あの変な自称神様と渡り合ってる、とか?」
……あり得ないね。
「同級生ってだけで助けるのか。相変わらずだな」
「まあ、それ以外にもいろいろ理由はありますけど」
「ほう? たとえば」
「一緒にお茶をしたので」
赤毛がこれまたいろいろ言いたそうに遠い目をした。それはたぶん、僕も同じだった気がする。
「だって。誰?」
「いやだから知らないって。そっちじゃないの?」
「僕こそ、お茶なんかしないよ」
しかも男と、だ。
「お茶をすればお前は助けてくれるのか。便利だな。一杯やるか?」
「あなたのそれはお酒でしょ……俺は高校生ですよ」
「人間の法律なんか知ったことか」
「俺は人間ですって」
赤毛は鼻で笑った。
「まあ、いい。で? お前を倒すには、どうすればいい」
「……じゃんけんとか、どうすか」
「ふざけてるのか」
「けっこう、真面目です」
「もっと公平なものにしろ」
じゃんけんは公平なものじゃないのか……。
クール男が勝負、というかゲームを考え込んでいると、赤毛は畳み掛けた。
「そもそも、なぜお前の言い分を飲まなくてはならない。あいつらを……萬好紫月だったものは、きちんと黄泉比良坂に送る。黄泉の国に還す。そうするのが正しいだろう。あいつは中途半端な存在で、これ以上、中つ国には留めておけない。これが私の責務だ。私の存在意義だ。私を否定するだけの理由が、お前にはあるんだろうな?」
まるで古事記の話のようになってきた。
中つ国には留めておけない。黄泉比良坂に送り、黄泉の国に還す。それができるのははたして人間なのか。
紫月を、死者を送るのが責務で存在意義とは、やっぱり神様ではないか。
「それにお前は、私に借りがあるだろう。この間、悪霊を清めてやった。その恩はどうした」
「それは、まあ……いや、むしろ怠慢でしょう。あなたが最初から清めていれば、千種先輩の家族はあそこまで苦労しなくてよかった」
「神様批判か。祟るぞ」
「ごめんなさい」
あっさり頭を下げるクール男は、見た目に反してとっつきやすさがある。
遠くでため息をつく赤毛と、すぐとなりで息を飲む紫月。
「どうかした?」
「……うん。いま、千種先輩って」
「知ってる人?」
むしろなんで知らないんだ、という顔をされた。
「大事故に遭って、四人家族の唯一の生き残り。記憶喪失になった先輩がいるって、けっこううわさになってた」
「そうなんだ。うわさを教えてくれる友達がいなくてごめんね」
「本当だよ」
僕が身を引くと紫月はこうだ。ためらいなく踏み込んでくる。
けどまあ、紫月の話を信じると、急に現実の問題のように感じられてきた。
クール男はまだ、
「マルバツゲームとかどうですか。マンカラとか……あとはチェス!」
とか決着のつけ方を提案しては、
「私が先手ならやってやろう」
などと撃沈している。
痺れを切らしたのか、腕を組みながら貧乏揺すりしていた赤毛は、切り出す。
「もういいか?」
ドギリとする。
「よくないです」
ホッとする。
彼がよくないと言ったらその瞬間、僕らは終わる。
「あのなあ」
ボリボリと、赤毛は頭を掻き毟った。
「お前がいくら代案を出したとしても、私はそれに乗る気はないし、乗る義理もない。邪魔をするな。それだけだ。わかったらとっとと」
「じゃあ、ウケヒはどうですか」
クール男が新たな代案を出す。途端に赤毛は口を噤んだ。大人しくなった。まるで人が変わったかのように。
僕も、彼女に比べれば小さいものの、目から鱗な思いだった。紫月が急な静寂と僕の変化に、訊いてくる。
「う、うけい……? って、なに?」
「ぎ、儀式みたいなものだよ。神様がやっていた、古事記に出てくる、神様同士の誓いみたいなものかな」
「へえ~」
あんまりわかってなさそうな反応だ。
でも、神様らしく振る舞う赤毛の彼女にとっては、無視できない代案だろう。しばらく考え込んだ末に、
「この場にはお前と私と、そこにただの人間と人間だったもののふたりしかいない。まさか、そいつらに判定させようだなんて思ってないよな?」
なるべく避けようとする意志が見える言葉は、いままでと違った拒否の仕方だった。弱々しかった。
たしかに僕らにウケヒの判定なんてできないけど、彼女の言い分は、公正で公平な中立の審判がいればやる、と聞こえたのだ。
「じゃあ、それは俺がやろうかな」
第三者の声だった。
新たに校庭へ降り立つ第三者、審判の立候補は、緩いパーマをかけた茶髪の男。色気のある年上の男。なかなかのイケメンで、僕はちょっと、居心地が悪くなった。ここにいる男女は紫月を含めて四人、レベルが高い。高すぎる。
「ちっ」
赤毛の女性は茶髪の男性の登場にも舌打ちをした。だがそれは癖なのだろうか。嫌悪感のようなものはない。
「なにしに来たんだよ、美音」
どうやらその男性は、美音というらしい。
「だから審判を、ね。頼まれちゃって」
美音の視線はクール男に向けられ、赤毛の女もそれを辿って、ふたりの視線を受け止めた男は肩をすくめる。
「なら私の味方をしろ。お前は私の男だろ。美音」
つまりふたりは、彼氏彼女の間柄、ということなのだろうか。
「そうしたいのは山々だけど。これが俺の責務だから。悪いけど、頼まれたからにはフェアにいくよ。爾小ちゃん」
意趣返しのようにする美音。そうなると、美音もまた、特殊な身分なのだろうか。
爾小、と呼ばれた赤毛の彼女は、そう言われては何も言えないとばかりに舌打ちをした。
「責務責務、そればっかだね」
紫月が小さくつぶやく。
「神様の真似事もしてるし。でも、さっき起こったことを見ると、本当に神様なんじゃないかって思えてくるよ」
水を操る爾小と呼ばれた女性と、それを剣で断ち切った男。それから、そのふたりのウケヒの審判を担う美音。
「なんだか、現実じゃないみたい」
「えぇ……」
それを紫月が言うのか。
「ん? なにその顔」
「幽霊がいる時点で、もう慣れっこだよ」
幽霊がいるのだ。べつに神様がいても不思議ではない。神様はいないのに幽霊はいる、というほうがおかしいし、むしろ腑に落ちた感じだ。
「あ、そっか」
その紫月の反応は、まるで自分が幽霊であることを忘れていたかのよう。
それよりも僕が気になるのは、あの剣を持ったクール男のことだ。神様らしい爾小と対等に渡り合うあの男もまた、神様なのだろうか。そうすると、彼が持ったあれが十拳の剣というやつなのだろうか。古事記に出てきた話を現実で見ているようで、感慨がある。
「で、ウケヒの内容は。どうやってその神意を問う」
「なにか案はあるか? かいくん」
美音が呼ぶかいくん。この場に名前が出ていない人物はひとりしかいない。案の定、それに反応したのは十拳の剣を握るクール男だった。
「五目並べとかどうですか。囲碁でもいいですよ。あとは、……将棋とか!」
「それなら、じゃあ、爾小ちゃんの先手でいいか」
よくわからないが、それらのゲームは先手が有利なのだろう。かいくんはうっ……と、息を詰まらせた。
「案がないようなら、まずは、大前提を整理しよう。爾小ちゃんは、なにがしたいんだ?」
「言わなくてもわかるだろ」
「自分で言ってくれないと」
「……はぁ」
小さくため息をつき、爾小は、かいくんをまっすぐ射抜く。
「ここは中つ国。人の世の世界だ。死人の住む地ではないし、生者に影響を与えられるほどの力を持つ者は厄介だ。黄泉の国へ送り返す。それが正しくあるべき形だ」
「まったくその通り」
爾小はかいくんを射抜くように宣言しているけど、その先には僕たちがいる。僕たちのことを言っている。遠くとも迫力と威圧を感じられた。
「では、かいくんは」
爾小の言い分に頷いた美音は、かいくんに確認を取る。
僕は、そのかいくんに想いを託した。
やがて、目を伏せて顔を伏せていたかいくんは、おもむろに顔を上げる。
「爾小さんの言い分は正しいと思います。ですが、俺には見えません。彼のとなりに立つ、萬好紫月の姿は見えません。中つ国に影響を与えられるかと言われれば、必ずしもそうではないと思います。必ずしもそうでないなら、即刻排除という判断は、すこし乱暴だと思います」
「ふむ。つまり?」
「手を退いて頂きたい」
先ほどまでの話を鑑みると、それは、爾小へ、責務を放棄しろ、存在意義を捨てろ、と言っていることになる。
爾小が憤慨するのは、誰しも当然の結果だっただろう。
「おい美音」
「なに?」
「朝陽が昇るまでだ」
爾小が、手を退くことに同意するはずもなく、
「朝陽が昇るまで、私はあいつを狙う。それまで守り通せたなら、この件、手を退いてやろう」
つまり、時間制限ということ。
「かいくんは? それでいいか?」
「ええ。ありが」
瞬間、どこからともなく現れた大量の水が、波となってかいくんに襲いかかる。かいくんは反応する暇もなく、飲み込まれた。
ウケヒを誓い、契りが交わされたその瞬間に、戦いが始まったのだ。
遠目でも、かいくんが意志を持った水のとぐろに巻かれている姿が見えた。当たり前だが酸素がなくては、呼吸ができなくては、死ぬ。満足に力を振るうこともできないだろう。
足場も不安定で、苦しみ溺れる中、かいくんは十拳の剣を握ると、思い切り振る。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
断ち切られた水のとぐろは意志を失い、グラウンドに豪雨が降ったあとのように点々と水溜まりを作った。
「容赦ないですね……」
「……え」
僕は、言葉を失った。その姿は、知っている姿だったから。
「な、なに? どうしたの?」
「いや……」
説明のしようがない。水のとぐろから脱したかいくんは、前髪が水を吸って重くなり、ぺたりと額を隠していたのだ。そしてその毛量は目どころか、鼻まで覆っている。その姿は天知しろあの側に控えていた例のわかめ男だった。
たしかに、彼はかいくんと呼ばれていたが……かいくんとは、あのわかめ男だったのだ。
衝撃の事実に僕は動揺したものの、どう説明すればいいのかわからないしこれは僕だけの衝撃の事実だ。一旦、飲み込んでおく。
やはり、彼、わかめ男改めかいくんもふつうの人間とは逸脱した身なのだろう。僕は掠っただけで大火傷だったというのに、彼は全身が飲み込まれても着衣水泳のあとのように身体と服を重たそうに息切れしているだけ。目立った外傷はなかった。
とはいえ、劣勢なのは一目見て、誰にもわかる状態だった。
そもそも遠距離から水を操り攻撃できる爾小と、十拳の剣を持っていて距離を詰めなくてはならない近距離タイプのかいくんとでは、分が悪い。そこに加えて先制攻撃を喰らい、ごっそりと体力が持って行かれたのだ。
「どうして……」
紫月がつぶやくそれは、
「どうしてそこまでする」
爾小の冷ややかな問いかけと同じ疑問だった。




