↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
何でも知ってるしろあちゃん  作者: 家佐水井
紫月はなぜ死んだのか
PR
160/199

僕、なにして……?


 それで家に帰って、リビングで呆然自失とへたり込んでいる父を見て、僕は包丁を握っていた。

 リビングの周りだけは、父がずっといるので片付けもできなかった。書類とか、お皿とか箸とかいろんな物がその辺に散乱している。皿の上には微妙に食べ残しがあって、あれはもう食べないのかどうかわからない。

 丸まった背中、ずいぶん小さくなった背中、後ろからでもわかる痩せてやつれた姿。僕はその父に、殺意を抱いて包丁を握っていた。


「よ、芳樹……?」


 紫月が、何かを言っている。


 おかしい。


 僕は、父を殺さないことに決めたのだ。殺してはダメなのだ。殺したら……。

 なのに、家に帰ってから、僕の父を見てから、この衝動が止められない。殺意がほとんど無意識に、キッチンから包丁を取り出していた。

 紫月が遠のいていく。父も遠のいていく。そこは、家でもなかった。

 包丁を握って、殺意と理性の間で揺れる僕だけが、いた。


「理不尽だと思わないの?」


 すると、囁くような女の子の声があった。僕はなぜか、


「あ、天知さん……?」


 と、言っていた。

 辺りを見渡す。

 真っ黒な謎の空間に、天知さんの姿はない。あの声も、天知さんよりも低い声だ。なのに、どうしてか、僕は天知さんだと思ってしまった。


「よーく、考えて」


 声は、続く。


「あなたはあの子と幸せな人生を歩むはずだった」


 謎の空間に、理想の未来図とでもいうべきかそれが、映し出された。

 成長した僕と、成長した紫月。結婚式を挙げている。子どもがいる。


「でも、それは、壊された」


 亀裂が走る。


「あっ!」


 僕は声を上げて、バラバラに砕けた破片のようなものを拾い集めようとした。でも、破片は僕の手に触れると砂のようにさらりと溶けて、風に攫われてしまった。


「あなたたちは、最初から、ダメな存在だったの。認められない存在だったの。それは誰のせい? 誰が悪いの? あなたたち? ……ううん。いまそこにいる男のせい」


 ……そう。僕らは、この男のせいで、どう足掻いても結ばれない存在になった。そういう星の下で誕生してしまったのだ。産まれたその瞬間から、僕らは、世界に認められない存在だった。


「しょうがないよね。どうやっても、何をしても、あなたたちに幸せな未来はない。ふつうの未来もない。しょうがない。誰だって、殺してしまう。あの子は悪くない。あっちが先に、幸せを奪って壊したんだから、同じことをされても、文句は言えない。あなたが殺してしまうのも、しょうがない。ううん。むしろそれで、帳尻が合う。あの人はそれでやっと、償いができるの」


 そう。生きていればいいことがあるとか、復讐は何も生まないだとか、そんな綺麗事があるけど、そうじゃない。いまが辛いのにどうして先の話をするのか。いまの辛さを解決するための復讐は、生きる原動力を生む。復讐はマイナスを0に戻す作業だ。復讐を遂げてやっと、何かが生めるのだ。

 紫月は、奪われた。僕も、奪われた。なのになんで、こいつは何も奪われない。地獄を生きる? ……違うだろ。死んで、地獄に落ちるべきだろ。


「未来はどうなるかは、誰にもわからない。あなたが地獄を生きてほしいと願っても、もしかしたら誰かがあの人を支えてしまうかもしれない。希望を見出してしまうかもしれない」

「それはダメだ!」


 紫月の幸せを奪って、未来を奪って、命を奪って、なのにこいつだけ希望を見つけるだなんて、そんな未来、あっちゃいけない。あってたまるか。


「絶対に、そんなことは許さない」

「だったら、いまの内に殺さないと。いま、殺さないと」


 そう。いま殺さないと。いま殺せば、そんな未来は絶対に訪れない。


「ほら」


 空間がすこし開く。やつの背中だけが見えた。首の裏に、この刃を突き立てる。それだけで終わる。簡単なことだ。


「大丈夫。すぐに終わるから」


 すこしずつ、近づいてくる。無防備な首裏。

 僕は包丁を掲げて、その首裏に、まっすぐ振り下ろす。


「芳樹!」

「……!」


 はっとする。

 声が、聞こえた。……気がした。

 僕の包丁は微妙に軌道がずれてしまったようで、テーブルに突き刺さっていた。やつの耳の横を通って、だんっ! と。


「ひぃい……!」


 やつはそれでやっと、気付いたようだ。渇ききった瞳に、誰かが映っている。……それが僕だって気付くのに、すこし時間がかかった。

 その隙に、やつは玄関から転がるようにして出て行ってしまった。


「あーあ。ほら、逃げちゃったよ。いいの? 追いかけないの?」

「逃げた……殺さないと」

「うんうん」


 包丁を引き抜いて、


「芳樹!」


 玄関に出る。


「芳樹!」


 扉を押すと、目の前に、いた。紫月が。


「……あれ」


 僕は、我に返った。


「うわっ。……え? なんで包丁?」


 僕は包丁を握っていた。なんでだ。怖くなって、無意識に手を離してしまう。からんからん、と包丁は地面で跳ねた。


「え。え。……え? なんで、紫月……泣いてるの?」


 思い返すと、紫月の泣き顔というのは、初めて見たのかもしれない。


「あれ……」


 なぜか、視界がぼやけてる。


「はは……っ」


 なんで僕も、泣いてるんだろう。


「はは、……はははっ」

「怖かった」

「ご、ごめ……僕、なにして……?」

「怖かった……!」

「ご、ごめんって」


 紫月は腕を広げてきた。

 紫月の泣き顔は初めて見たけど、紫月が泣いているところは、これで二度目か。

 僕が紫月に告白して、晴れて恋人になって、帰ってからすぐ、僕の家に来た紫月も、こうして泣いていた。

 笑って僕の胸に飛び込んできた紫月を、僕は強く抱きしめた。紫月は僕の胸に顔を隠して、たぶんきっと、泣いていた。


『幸せすぎて涙が出る』


 なんて笑いながら言ってたけど、本当は、あの日もこうやって、怖かったんだろう。

 僕は紫月を、抱きしめた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。