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何でも知ってるしろあちゃん  作者: 家佐水井
紫月はなぜ死んだのか
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今日のところは


 僕は、この感情をどうすればいいのかわからなかった。立ち上がったのは、居ても立ってもいられなかったから、だと思う。


「ありがとう。仁のおかげで、憎むべき相手がわかってきた」

「……俺も一緒に行くぞ」

「いや、いい。僕ひとりでいい」

「けど……!」

「男をふたり狂わせた魔性の女、だなんて紫月を呼ばせたくない。僕なら、ただの親子喧嘩だから」

「そ……っ」


 これは紫月のためだ、と念を押せば、仁は口を閉じた。


「……ちゃんと、やれよ」

「うん。わかってる。ありがとう」


 ほうじ茶のペットボトルだけを持って、僕は仁と別れた。

 仁と別れてからすぐ、紫月が現れた。どこにいたのか、どこまで訊いていたか、僕が何をするかわかっているのか。


「意外と僕と仁って、いい友達になれた気がするんだ」

「……」


 紫月からの返事はない。


「ねえ、紫月」


 紫月からの返事はない。

 僕は続ける。


「僕と仁が逆の立場だったら、よかったのにね」


 そうしたらきっと、仁ならきっと、紫月を守れただろうに。


「本当だよ」


 もう手遅れだ、と言わんばかりの笑みで、僕の好きなあの笑い方ではなかった。




 

 仁と別れ、紫月が死んだ事故現場から離れ、住宅街に入る。僕の家はそろそろ。あの角を曲がれば視界に入ってくる。

 外灯に影を落としながら、紫月を伴いながらも無言で歩いていると、雲が晴れて月明かりが差し込んだ。それでやっと、僕は向かい側から人が歩いてきていることに気付いたし、その人物が誰かを目にしてからは、自分でも理解できない感情に襲われた。


 驚きも疑問もあったけど、きっと一番は、警戒心だろう。


「こんばんは。先ほどぶりですね」


 もしかしたら天知さんの自宅というのもこの辺にあるのか、それとも知り合いの家にいたのか。すくなくとも僕に用があるはずがない。僕が呼び止められるはずがない。そう思っていたんだけど、天知さんは僕に声をかけてきた。


 天知さんの登場と、天知さんに呼び止められたことに、僕は激しい動揺を抱えた。こんな場所で、こんな時間に……。


 覚悟、というものを決めて僕は自宅に帰っているというのに、天知さんの一言でそれが揺れてしまっている。存外、僕がいまからやろうとしていることは、僕が思っている以上に緊張しているらしい。でも、それがふつうだろう。人を殺すことに対して何の感情も動かないとか、人を殺して平気な顔をしているとか、そっちのほうがおかしい。


 僕は細く息を吐く。無意識に拳を握っていた。


「こんばんは、天知さん。まだ、何か?」


 いちおう、天知さんひとりだけではなかった。付き添いのように、あの逢坂さんもいた。その表情は、月明かりでも曇っている。


「そうですね。同級生の間で殺傷沙汰が起こるのは、すこし寝覚めが悪い、といった感じでしょうか」


 どくん、と一際大きく鼓動が跳ねた。


「最近は交通事故もありましたからね。平和な日常になってほしいものです」


 まるで冬の化身のような、冷ややかな態度だ。

 紫月のことも、僕のことも、これから起きることも、すべて知っているかのような、冷徹な眼差し。


 僕は、唇を舐めた。


「何が、言いたいの?」

「わたしたちは相談部という部活動をやっていましてね。誰にも言えないような悩みや困りごとを、解決はできませんけれど話は聞きます、話すだけでも楽になるかもしれません、というスタンスの部活動なんですけれども」


 それは、数時間前に聞いたことだ。だから天知さんは、僕のクラスで発生した僕のいじめ問題に首を突っ込んできた。


「生前、萬好紫月さんともすこしご縁がありまして。彼女はわたしたちの部室にも訪れていたんです。そこで、悩み、抱えている秘密を、彼女は打ち明けてくださいました」


 紫月の様子をちらとうかがう。紫月は眉を寄せたまま、首を横に振った。そんな話は知らない、と。


「どうしてそんな嘘をつくの?」

「嘘……と、言いますと?」

「紫月は、保健室で先生に相談してた。相談部にはしていない」

「では、ふたつの場所で相談していたのかもしれませんね。どちらか一方だけ、という決まりはないでしょう?」

「どうかな。僕は天知さんの評価を知っているけど、個人的な信用はない。特に親しくない同級生に、秘密を打ち明けようとは思えないかな」


 紫月に天知さんとの交流はない。表立って、学校での交流があればどこかで仁が知ることになる。ならば裏での繋がりがあったのか。いいや、それもない。紫月のスマホに、天知さんの存在を匂わせるものはなかった。


「どうして、嘘をつくの?」


 僕はふたたび、今度は強く問い詰めるようにした。


「ふぅむ」


 どれだけ御託を並べても、僕が意見を翻すことはないと見て取ったのか、天知さんは顎を捻るとひとつ頷いた。

 しかし次の言葉は、僕の予想外も予想外だった。


「なるほど。そこまで確信しているということは、そこにいるんですね。紫月さん」


 僕は、紫月が見えること、幽霊として存在していることを、誰にも言っていない。なのに、天知さんはそれを言い当ててきた。

 まさか、と焦ると、天知さんは付け足してくる。


「ああ、ご安心を。わたしにはもう、幽霊が見えるとかそういうのはないので。顔も声も、紫月さんのものはわたしには知れません。そこはご安心を」


 それを、素直に信じていいのかどうか……。

 しかし天知さんは、僕が理解したり受け入れたりするのを待つつもりはないらしく、


「紫月さん、こちらの声は聞こえていますよね。聞こえている前提でお話しします。もしも聞こえていないのであれば、後ほど、萬好さんの口からお伝えください」


 そう呼びかけてくる。

 僕は思考もあれもこれも一旦置いておき、天知さんの発言をとにかく頭に入れることに集中した。


「わたしには最近、好きな人ができました。初めてのことです。すべてを投げ打ってでも一緒にいたいと思える相手ですし、相手のすべてがほしいと思うような人です。相手にも、わたしにそう思っていてほしいです。離ればなれなんて嫌です。絶対に味方で居てほしいです。

 わたしは、その相手を脅かすような、害するような人が現れたら、きっとあらゆる手段、全リソースを持って、破滅に追い込むと思います。だからこそ、もしもわたしが危ない目に遭ったならば、その相手にもそれだけの愛を示してほしいと思っています。その点でいうと、萬好さんは、紫月さんのことを、全身全霊で愛しているのだと思います。だからきっと、いま紫月さんは、幸せなのでしょう。萬好さんが、自分のために破滅しようとしているのですから、相当に深い愛を感じて、絶頂にいるのでしょう」


 僕は感情表現が得意なほうではない。愛情表現も、きっと拙いものだったろう。だからこれぐらいしか、できることがない。死んでからそれを思い知った僕は、それぐらいしないと紫月に顔向けができない。

 紫月がそれで愛を感じてくれているのであれば、僕も幸せの絶頂に至れる。


「ですが、とある友人は、それを訊いてこう言ったんです。歪んでいる、と」


 まあ、その友人とやらの言い分も、わからなくもない。歪んだ愛だと言われても、僕は反論したりしない。誰かに認められるために僕は紫月を好きになったんじゃない。紫月が喜んでくれることが、僕の正しい愛なのだ。


「自分のために尽くしてくれるのはありがたいけど、だからといって破滅するのは違う。好きな人が身を滅ぼすのを黙って見ていられるか。しかも、自分のためとなったら、なおさら嫌だ。全てを求めるのは愛かもしれないけど、全てを強要して失わせるのは、それは愛じゃなくてただの依存だ。相手に幸せになってほしいと願うのが愛ってものじゃないのか、と」


 その友人とやらは、ひょっとしたら人を好きになったことがないとか、愛したことがないとかなのだろう。ドラマや映画で美化されたような恋愛を見ているだけなのだろう。


「わたしはその考えを訊いて、考えさせられて、一理あるな、と思いました。……もちろん、わたしを捨てて忘れて、ほかの女と幸せになるなんて到底許しがたいですけれど。わからなくないな、と思ったんです。……思って、しまったんです」


 紫月は珍しく真面目な顔だ。僕もなかなか見ない顔、あるいは見ないようにしていた顔だった。その頭の中では、何を考えているのか。


「紫月さん。このままでは萬好さんは破滅します。しかも、真実を知らないまま。あなたの狙い通りかもしれません。悲願は達成します。けれど、それではあなたは、ただの悪霊になってしまいますよ。悪女になってしまいますよ。……あなたも、萬好さんも、幸せになれるとは思えませんね」

「しん、じつ……?」


 知らないまま……というのは、どういうことか。

 だって、紫月だって、認めたじゃないか。

 僕の父が、紫月が両親を亡くして弱ったのをいいことに好き勝手した、だから汚れてしまったと。


「そこまで言われちゃうと、うん。もう芳樹の覚悟はダメそうです」


 その通りだ。

 僕が、僕と仁が辿り着いたこの真実が、実は真実でも何でもなかったとなってしまえば、人を、しかも父に手をかけるなんて、できるはずがない。


 天知さんは、僕に向かって言った。


「萬好さん。もしも紫月さんが、羽生さんと考えたように、萬好さんの父親に乱暴されていたのだとすれば、どうしてお二方に嘘をついてまで、あの日、外出したんですか」

「それ、は……」

「まだ答えは出ていません。よく、思い返してください。あの場所は、紫月さんにとって何だったのか。どうして、紫月さんは車を避けようとすらしなかったのか。そもそも、あの日、紫月さんは羽生さんの誘いを断りましたが、どうしてほかは違うと言えるのでしょう。別の日も、羽生さんたちと遊ぶと言っていたあの日も、嘘だった、ということは、あり得ないのでしょうか」


 紫月は、観念したような薄ら笑いを浮かべていた。

 よく思い返す。よく思い返すと、そうだ。仁は、言っていた。


『たしかに、俺は紫月を誘った。けど、断られたんだ、あの日もな。……デートがあるって、初めて、きっぱり、言われた』


 あの日もな。……あの日“も”な。

 つまり、仁は何度も紫月を誘い、何度も断られていたのだ。あの日以外も、紫月は断っていた。それを僕には言わず、仁たちと遊んでくると言って出掛けていないと、言い切る保証はどこにもない。


「乗りかかった船です。わたしたちにできることがあれば、お手伝いします。もちろん、秘密は守ります。ですから、真実を基に行動してください。そして、紫月さん。あなたには、萬好さんに真実を話す義務があります」

「でも、それは……」


 反論しようとしたけど、紫月はぐっと何かを飲み込んだ。紫月の声は天知さんに届かず、僕にしかわからないから、だろうか。それとももっとなにか、べつの意味があるのだろうか。


「わたしたちの用件はこれだけです。ひとまず、今晩は、お暇します。真実を知ったあとの行動は、わたしたちは関与しません。ですがどうか、早計な行動には出ないでください」


 恭しく丁寧に頭を下げた天知さんと、慌てたように一礼した逢坂さん。ふたりは伝えるだけ伝えて、住宅街の夜に消えていった。


 僕はそれからしばらくして、歩き出す。


「なんだか、気分とか覚悟とか、いろいろ削がれちゃった」

「……」

「今日のところは、やめておくよ」

「……うん。それがいいよ」

「仁になんて言われるかなあ……あそこまで格好つけたのに」


 もしかしたら、僕は覚悟というものを履き違えていたのかもしれない。


「ねえ、紫月。教えてよ。秘密。僕はどんな秘密を抱えていても、どんな姿をしていても、紫月のことを愛してるよ」


 もしかしたら、僕がするべき必要だったこととは、最初からこれだったのかもしれない。これだけだったのかもしれない。


「……じゃあ、さ」

「うん」


 紫月の言葉を訊いて、僕はほとんど結果がわかった。そうでないことを願うばかりだ。だって、そうだったら、……最悪だから。


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