本当に事故死だったと思う?
天知さんたちが去ってから、僕も仁と別れるつもりだった。けどいま、なぜか行動を共にしている。
放課後、僕は仁に待ち伏せされた。そして、天知さんたちに呼び止められて、長い長い話をされた。すでにもう、夕暮れの時間だ。
十二月の冬本番の夕方は、あってないようなもの。部活の時間も夏と比べると一時間二時間ほど縮まっているのは、すぐに外が暗くなって帰りが危ないから。
いま、高校に残って部活動に励んでいた人たちも、もう片付けと帰り支度を整えている頃だろう。残り一時間、三十分もせずに、辺りは暗くなって夜になってしまうはずだ。
その時間、僕の足は家には向かっていなかった。仁もなぜか、僕のとなりを歩いていた。
「ああ、そういえば仁、僕に用があって待ってたんだったね。謹慎中なのに」
自宅謹慎なのに自宅を抜け出し、しかもバレやすい高校に、校門にいたのだ。僕を待っていた用件とは、それほど大事な用事だったのだろう。それが終わるまでは、仁は帰れないのだろう。
そう思って話を振ると、仁は乾いたような笑い声をあげた。
「ははっ。まあ、そうだ。俺たちをいじめの犯人に仕立てあげられるとしたら、それはお前しかいないからな。だから締めてやろうって思ってたんだ」
「それやってたら、余計に立場悪くなってたよ。完全に僕の思う壺だ」
「いま思えば、な。でもあんときは、そこまで頭が回ってなかった……」
ため息が白くなって、空に消えていく。
「そこまで紫月は想われてたってことか。なら、まあ、幸せだったのかもね」
「どうだか。お前みたいなのに、っていう怒りとかただの嫉妬とか、そういうみみっちいのがあったかもしれないな。殴ってもいいっていうそれらしい理由があって、俺もそれに乗っかってただけかもしんねぇ」
僕がクラスの敵になって、仁はクラスのヒーローになって、仁はクラスの光である紫月のために怒れる熱い漢という主人公らしい空気感があったのかもしれない。仁も、ある意味ではそれに飲まれた被害者だったなら、もう、誰が悪いとかはないのかもしれない。
「でも、なんで僕と紫月が付き合ってるってわかったんだ? 紫月は、僕と兄妹になっても学校には旧姓のまま通してたし、まともに学校では関わりを持ってなかった。紫月が言ったわけじゃないだろう?」
「え。は!? お前ら、兄妹なんか!?」
「え。知らなかったの?」
すでに知っているとばかりに思っていた。言うべきじゃなかったか。
というか、じゃあなおさら、どうして。
「知るはずないだろ! ……は? 兄妹で付き合ってた……? それって……お前が兄貴とか言わないよな?」
「特にそういうのは決めてなかったね」
「だよな、よかった……」
「なにがよかったのさ」
「いや、紫月がお前の妹とか、無理だからな」
なにが無理なのさ。
「まあ、どちらかというと、紫月が姉って感じはしたけどね。よく連れ回されたり付き合わされたり」
「嫌だったんか」
「そんなわけ」
僕は仁のようにさっぱりとした性格でもなければ、ポジティブで開けっ広げな気質でもない。紫月が僕のようないわゆる陰キャの性質だったなら、何も起こらなかっただろう。紫月が引っ張ってくれたから、僕はいろんなことを知れた。
仁は僕に嫉妬している、って言ったけど、実は僕も、そうだったのかもしれない。仁のように、紫月と上手く会話をして、男らしくリードしていく姿に憧れがなかったと言えば嘘になるから。
「で、兄妹で付き合うって、それ、アリなのか。結婚とか、いいのか」
「結婚? 意外とロマンチックなんだね」
「悪いかよ」
「いや、僕も同じだから」
紫月とはこのままだと思っていた。別れるだなんてまったく思わなかったし、別れる理由が死別だなんて。
死でもないと、僕らは引き裂けなかったということなら、僕はすこしだけ、誇らしくも感じるけど。世界とか運命とかに、勝ち誇った顔をしてやるけど。
「でも、問題はなかったよ。兄妹って言っても、義理の兄妹だから。血は繋がってない。付き合っても、結婚しても、何も問題はない」
「義理の?」
ひとつの説明をすると、新たな疑問が芽生えるらしい。仁からすれば、僕と紫月はクラスの日陰と日向という印象だけだから、上手い具合に図が描けないのだろう。
「えぇっと」
と、前置きを置く。
「僕らの親がね、仲が良かったんだよ。家もとなり。本当にとなりで、壁を跨げば紫月の家に入れたんだ」
「幼馴染みってやつか」
「小学生の頃はお風呂も一緒だったんだ」
「てめぇ!」
首を絞められた。痛い。苦しい。
「ギブギブ」
タップした。離される。ふう。
これが体育会系のノリか。僕を彼らと一緒にしないでほしい。仁の腕は岩石のようで、僕の肌は豆腐のように柔らかいのだから、ものの見事に抵抗の余地もなく潰れるのだ。
首を撫でた。
「けどまあ、紫月の両親が中学生のとき、事故で亡くなって」
いきなり展開が重くなったからか、仁は口を硬く引き結んだ。
「僕の母も、死んでたから。それからは、僕の父が紫月の家と行き来してて、で、いつからか僕の家にいることも増えて、僕らはふたりで過ごすことも増えて」
「それで付き合った……と?」
勘ぐってるところ悪いけど、
「僕らが付き合ったのは紫月の両親が死ぬ前からだ」
「やっぱもう一発殴っていいか?」
「なにのどこがやっぱりなのさ」
「中学からって、長い付き合いじゃねぇか。ムカつく」
ムカつくだけで殴ると発想が出るなんて、野蛮人もいいところだ。
僕は強引にでも話を続けた。
「それでまあ、家族を失った同士、何かと都合もいいだろうしってことで、紫月が養子になった。僕らは恋人兼兄妹になったってことさ」
「はぁーん」
仁は手を頭の後ろで組んだ。
「なるほどな。だからお前は、葬式に来なかったのか」
「……僕はみんなと参列できないからね。親族として、並んでた。そしたらいろいろ言われるのは想定できたから。まあ、それもあるね」
「それ以外にもあったのか」
「まあ……僕には、紫月が死んだとは思えなかったんだ」
「……ああ。まあ、わかるわ。紫月がもういない……なんて言われても、飲み込めないよな。片思いの俺でもそうだったんだ。お前は……そうだよな」
僕が紫月の死を認められなかった、葬式に行けば現実になってしまうから行かなかった、という意味で仁は解釈したようだけど、微妙に違う。
僕は、紫月と会話ができた。紫月が死んでからも、紫月とふつうに意思疎通ができた。病院から連絡があって、紫月の遺体を見て、それから紫月と再会した。
だからどうしても、僕は、紫月が死んだとは思えなかった。葬式にいる紫月が、紫月とは別人としか思えなかった。
それだけだ。
僕に辛い話をさせてしまったとでも思ったのか、仁は明るい声で話題を変えた。
「俺がなんでお前らの関係に気付いたか、だったな。単純だよ。見てればわかるってやつだ」
僕は首を傾げた。
「紫月はそんなあからさまなやつじゃなかっただろ」
「いーや? 意外とそんなこともないぞ?」
僕はもっと首を傾げた。
「俺は紫月が好きだったからな。ずっと、紫月のことは見てた。だから、わかるんだ。紫月はお前によく話し掛けてただろ」
僕の首はほとんど九十度。直角だ。
「いや、それは僕だけの話じゃない。紫月はそういう人だ。誰彼かまわず、誰であっても、クラスメイトにはふつうに話し掛けてただろ。僕にだけ、特別話し掛けていたわけじゃない」
「俺はそうは思わなかったんだけどなあ」
「ムカつくから殴っていい?」
「やってみろやってみろ」
「……はぁ」
ダメだ。仁に毒されている。僕まで野蛮人になってしまっている。
「降参だ。教えてくれ」
僕よりも仁のほうが、紫月のことをよく見ていてよく知っている、みたいな口ぶりは甚だ許しがたいが、それは己を恨むべきだろう。
「俺は、教室でお前に話し掛けても違和感がないように、ほかの連中にも話し掛けるようにしてるんだって思った」
「どういうことだ?」
「だから、お前は、まあ、クラスだと静かなタイプだろ?」
「ああうん。静かなタイプだね」
配慮に感謝。言葉を選んでくれてどうも。
「で、紫月はどうやっても目立つし中心人物だ。教室で話し掛ければ、うわさになる。いろいろ詮索される。それだけで済めばいいけど、最悪、お前にまでちょっかいかけられるかしれないだろ」
「ああ。仁みたいなタイプに?」
「俺みたいなタイプに」
てめぇ紫月とどういう関係なんだあぁん!? 紫月の何なんだよ! 生意気だぶっ殺すぞ、みたいな、仁みたいな、野蛮人に絡まれるかもしれない。うん、それは恐ろしいほどに説得力があるじゃないか。
「だから紫月は、誰にでも話し掛けてるようにしたんだ。そうすれば、お前に話し掛けても、お前だから話し掛けていることにはならねぇからな」
「……」
「まっ、これはお前が気付かないのは無理もないな。お前がいないときは紫月は露骨にそわそわしてるし、お前が来ると途端に明るくなって話し掛けに行ってるし、その内容はどーでもいいしょうもないことなのに、俺たちといるときの何倍もいい顔してるんだ」
僕がいないときの紫月の様子なんて、僕が知れるはずがない。僕に向ける顔や態度がみんなに向けているそれと同じものだと思っていた。
「ほんと、なんであんなやつに、って何度も思ったわ」
「……仁が気付かないのも無理はないね」
「てめぇ」
意趣返しをすると、軽く小突かれた。
「それで? これどこに向かってるんだ?」
「行く場所があるって言ったでしょ」
「逃げるための方便かと思ってたわ」
その気が一切ない、と言えば嘘になるけど。
「もう見えてくる。というか見えてる」
「……?」
「ここだよ」
「ここって、ただの交差点だろ……?」
目の前を車が駆け抜けていく。寒風が僕らを吹き付けて、僕は制服のポケットに手を突っ込んだ。
信号待ちをしている、横断歩道を渡るのだ、と車に勘違いされても困るので、僕はさっさとやるべきことだけをやることにした。
「……おい、それ」
歩道と車道の間にある柵、そこに添えられた花とか飲み物とかお菓子とかを、僕は抱えた。
仁は止めようとしたけど、すぐに勘付いたようだ。
「まさか」
「そうだよ。紫月が事故に遭ったのはこの交差点だ」
「……!」
辺りを一望する仁。僕はむしろ、驚いた。知らなかったのか。
「近所の人とか、事故の目撃者とか、それこそ紫月と親しかった人とかが、供えてくれたんだ。仁は事故現場、知らなかったの?」
「知らなかった。誰も教えてくれなかったぞ」
「まあ、たぶん、仁ならすでに知ってるって思われてたんだろうね」
紫月のことが大好きな仁は、本人である紫月も、大して親しくない僕も、そのことを知っていた。仁の周囲は飽きるほどだっただろう。それだけ大きな矢印を向けていた仁なら、誰もが事故現場を知っていると思うのは自然だ。それがかえって皮肉なことに、誰も教えないことへ繋がった。
横断歩道の前からはさっさと移動して、手頃なベンチに腰掛ける。
「でもそれ、いいのか? 勝手に回収して」
「勝手にっていうか……じゃないと、ほかに誰が回収するのってことになる。僕は紫月の家族だからね」
警察にも回収していいと言われた。でもあれは、近所の人から通報されたんだと思う。父さんは沈んだままだし、僕が時間を見て回収するしかない。
「いや、そういう勝手じゃなくてだな……」
仁は言葉に苦しむように、頭に手をやった。まあ、言いたいことはわかる。
「わかるよ。僕も、当事者になるまで、こういうのがどこに行くのかなんて、考えたことなかったから。自然になくなると思ってた。そんなはずないのにね」
ニュースで現場に供えられているのを見て、その後なんて考えていなかった。きっと、置いて行く人もそういう人が大半だろう。ほかの事例にも、僕のように人知れず回収している人がいるのだ。
だからといって、献花してくれた彼らのことを悪く言うつもりも、考え無しと罵るつもりもない。
僕は、その考え無しのひとりになっていたであろうと反省の色を浮かべる仁に、缶を渡した。
「飲む?」
「は、いいのかよ」
「うん。紫月は、コンポタとか飲まないから」
「……じゃあ」
近くにも外灯より眩しい光を放つ自販機がある。そこから買ったのだろう。となると、これを供えた人はそこまで紫月のことを知らなかったことになる。
「ぬりぃ」
缶であっても、何時間も放置されれば冷めてしまう。
「ほかにも持って行きたいものがあれば、持って行ってもらっていいよ」
「なんか、気が引けるぜ」
「とはいっても、僕ひとりじゃ食べきれない。仁なら友達が多いだろ? 家族とかに分けるのでもいい。みんなで食べてよ」
「じゃあ……」
ベンチに散ったお菓子に手を伸ばす仁を見て、僕は、
「あ」
と、声をあげる。
「カントリーマアムはダメ」
「なんだよ。紫月の大好物なのか」
「いや。僕が好きなんだ」
「……」
「バニラなら、まあ……許すけど」
「要らねぇよ」
はは、と笑ってから、仁はべつのお菓子に手を伸ばす。
「あ」
「今度はなんだよ」
「いや、たけのこ派なんだなって思って」
「紫月はどっち派なんだよ」
「きのこ」
「お前は?」
「たけのこにした」
「した?」
「した」
深く説明しなくても仁は理解したのか、それとも僕のことなんてどうでもいいのか、お菓子の盛り合わせを半分ほど抱えてくれた。
「ほかにもなにかあんのかよ」
お菓子の選別が終わって、仁がぐいとコンポタを飲みきるまで、僕はベンチでぼーっとしていた。仁はそこに、回収以外の何かべつの理由があると思ったようだ。
「紫月は僕にも仁にも嘘をついた。嘘をついてまで、あの日、どこに行こうとしたんだろう。誰に、会おうとしたんだろう」
この横断歩道で、紫月は事故に遭った。この横断歩道を渡って、いったいどこへ行こうと思っていたんだろう。
僕には仁たちと遊ぶと言って、仁には僕とのデートと言って、そこまで隠す理由とは、いったい、何だったんだろう。
「誰かに会おうとしてたとは、決まらないだろ」
「じゃあなんで嘘をついた?」
「……さあな」
「隠さなくちゃいけなかった。僕にも、仁にも。あの日、紫月と約束をしてる人がいたなら、どうして、何も言ってこない」
「お前。何が言いたいんだよ」
「仁は、紫月が本当に事故死だったと思う?」




